「唯先輩とは……すべて順調だったの……前衛はレベルを上げて<放課後ティータイム>はいつもフラグを狙えた」
「もっともっと、高みを目指したくって私は……」
誰に言うわけでもなく、ライカ製レンズのように綺麗な瞳を潤ませた梓ちゃんが呟く。
私は何も言わず梓ちゃんを抱きしめる。
梓ちゃんのしなやかな身体の温かさに陶酔しながら目を瞑った。

いろんなことが思い浮かぶようで、でも浮かんできたそれはどうしてかしっかりとした形をなさない。
お互いの心臓の鼓動が心地よくて私はずっとそのままでいたいと思った。


「もうよろしいかしら?」
誰かの声がした。
私は気のせいかと思い、梓ちゃんの背中を撫でた。

「あらあらあら~」
何か……何かどこかで聞いたことのある声だ。
梓ちゃんの声じゃない。
「……う、憂……どうしよう……」
「どうしたの、梓ちゃん……?」
今度は梓ちゃんの声が聞こえてきて、私はようやく目を開いた。
「……っ!」
一瞬の間が空いた。
目を開ききるまでの時間が、ものすごい延長されて感じた。


「ふゃああああああああああああああ!!!!」
「きゃああああああああああああああ!!!!」


いつの日かDsh-Kを乱射した時の数倍の絶叫がアンプを繋いだかのように響き渡った。
つまるところ、ここは現実。
現実で、なおかつ現実的だからこそ、その恥ずかしさからこみ上げていた快感の代償がやってきた。


「ううっ……ぐすっ……お嫁に行けないです……」
「梓ちゃんは私がお嫁に貰うから大丈夫だよぉ」
「あらあら~」
服を着せても、梓ちゃんは脱力しきったまま、私にすがりついて嘆いていた。
「紬さん……もうちょっとデリカシーというものをですねえ……」
私たちが場所も時もわきまえず事に及んでいたのは判りきっているが、私は非難がましい口調で言った。
施設の病棟ホールで半裸になって胸をもみ合いながらキスをしている分別のないカップルに非があるのは変えがたい事実だけど。
「それは私の台詞だと思うんだけど……」
呆れたように紬さんが返した。
私は苦笑いで答える。
紬さんは昔見たときよりもずっと大人びた感じで、ひと目みた雰囲気だけでは正直誰だかわからないほどだ。
でもやはりこれは直感でわかる……恐らくこの人も<アヴァロン>ハイレベルプレイヤーだ。


「それはともかく、ムギ先輩はどうしてこんなところに?」
落ち着きを見せた梓ちゃんが、紬さんに恐る恐る訊いた。
「査察、といったところかしら」
その胸には私たちと同じIDをつけている。恐らく彼女は本当に正規の訪問者だろう。
「二人も見たところ、エッチだけが目的じゃなかったようだけど」
紬さんの言葉がぐさりと突き刺さった。
とりあえず私は、訪問者向けIDをちょろまかしたことをどう説明するか考えようとする。
「二人の用事はもう済んだの?」
「ええ、大方見るものは見ました」
「それじゃ、久しぶりに会ったんだしどこかで少し話さない?」
どうやらIDを事を追求する気はさらさらないようで、私はほっと胸をなで下ろした。
「査察はいいんですか?」
「私も見るものは見たから、いいの。こんなところに長くいたら精神に悪いわ」
「それじゃ決まりですね。いいよね、憂?」
「うん」
久々に先輩に会った梓ちゃんは嬉々として答え、まあ悪くもないだろうと私も快く返事を返した。
「とりあえず服くらい着た方がいいわよ、憂ちゃん」
「先に玄関で待ってるわね」
すっかり忘れていた。
しまったとばかりに慌てて服を着る私を見て優雅に微笑むと、エレベータへと向かって歩いていった。
私には案外、露出狂の素質があるかもしれない。
加虐性癖ぎみで露出狂予備軍……悪くはない。現実というのものはこうでなくっちゃ。


「ムギ先輩、すごい大人っぽくなってたね」
「浮気したくなる?」
「憂が一番だよ」
「私も梓ちゃんが一番」
律さんが聞いても呆れかえりそうな会話を交わしてから、私たちもベンチを起った。
「憂、ちょっと行く前にさ」
きょろきょろと周りを見回してから、梓ちゃんがもじもじとしながら言った。
「どうしたの?」
「キスして」

少し長めのキスを交わしたあと、私たちもエレベータに乗ってロビーへと向かった。

「憂」
「なに?」
「どうだった?」
「梓ちゃん、すごく可愛かったよ」
「そっちじゃなくて……病棟」
「ぞっとした」
「実は……唯先輩も一度ここに来てるんだ。廃人になっていた私に会いに」
「お姉ちゃんも……来たんだ」
全体の中に消失した梓ちゃんを見たとき、お姉ちゃんは何を思ったのだろう。


受付のカウンターにIDを返却し、幽霊を見るような眼で私を見ている女の人に再び丁重にお礼を述べて病棟を出た。
「それじゃ行きましょうか」
三人で緩やかな坂道を下り、玄関のアーチをくぐって外へ出ると今まで気づかなかった雲雀の囀りが聞こえていた。
私は雲が垂れ込めた空を眺めたが、どこにもその姿は見えなかった。

振り返ると、訪れた時と同じように彼方の丘の上に白い病棟が望めた。

ここは見果てぬ夢を追い、力尽きて倒れた戦士たちの眠る廃兵院だった。
でもその魂はいまも<アヴァロン>の戦場に残留しているのだろう。
<ロスト>したのであれしていないのであれ、失踪したお姉ちゃんの魂もその広大な戦場の何処かにいるはずだった。


それから私たちは、泥水を飲まされた所とは大違いのいい感じの喫茶店を見つけ、私たちは世間話や身の上話に花を咲かせていた。
ムギ先輩こと琴吹紬さんは遠くへと嫁ぎ、今は家の会社で重要なポストについているという。
私が何より仰天したのは、紬さんには三人も子供がいるということだった。上の二人は女の子、末っ子が男の子らしい。
当時の軽音部で精神・物資両方において弾薬集積所のような役割を果たしていたであろう彼女は、今や良妻賢母の典型というわけだ。
これは梓ちゃんも知らなかったらしく、驚きの表情を隠せずにいた。

人間こうも生き方が違ってくると、創造主の人生メカニズムの生産ラインは相当に個体差が出るようだと思えてくる。
これがもし銃の製造ラインならそこで生産された商品はろくでもなしの烙印を押されるだろう。
全部が極めて精巧な完成度で長所に個体差があるのであれば名銃だが、精巧なものと粗悪品が入り乱れたのでは意味がない。
<アヴァロン>のルールの簡潔さとその完成度の高さが羨ましい。プレイヤーの人生にもその完成度を分けて欲しいものだ。
その日暮らしだったり虚構に生きる意味を見出したりと人生の簡潔さ……というより質素さと単純さにおいてはとっても秀逸なのだが。


「……ねえ、二人とも」
紬さんの声色が変わった。
世間話も一通りの終わりを見せ、この楽しい時間も終わりを告げる……そんなときだった。
「何ですか?」
梓ちゃんが不審そうな表情を浮かべて訊いた。
「<ウンタン>の妹と<放課後ティータイム>の未帰還者があそこにいた、ということは」
「捜してるんでしょう? 最強の<ソロプレイヤー>を……」

最近一体何度目のことか、私は言葉を失った。
「……紬さん、どうしてそれを?」


「当時最強を謳われたパーティ、<放課後ティータイム>……そのパーティの中核をなす二人がいたわ」
「SVDを装備した狙撃の天才のファイターと、システムの裏をかくのが大得意な戦術家のビショップ」
お姉ちゃんと、梓ちゃん。
紬さんは今まで私の知りたかったお姉ちゃんの失踪前の姿を流暢に語っていく。
「その<放課後ティータイム>の解散は、指揮を無視したファイターがリセットをかけたことが原因……そういう人もいる」
「指揮者のビショップと前衛のファイターの一人はソロプレイヤーになった」
「ほどなくビショップがロスト、その後を追うようにファイターもロスト」
「さて、これ以上は長話になっちゃうから……」

そう言って紬さんが席を起った。
「っ……待って!」
私は紬さんを制止しようと立ち上がった。
「心配しないで」
そう言って紬さんが一枚のメモ帳を机の上に置いた。どこかの住所と日時が書かれている。
「長話にもってこいの場所があるの」
「それじゃ、今日はお話しできて嬉しかったわ。また会いましょ」
それだけ告げると、紬さんは喫茶店を出ていった。

私は住所と時間をもう一度見た。
ずいぶんと遠いようだ……律さんたちに聞いてみるかな。

灰色の貴婦人……要するにお姉ちゃんの姿は私が病院に行った日からブランチに現れなくなったらしい。
もしも会えたならその場で話をしたいと現実味のない願いを持っていたが見事打ち砕かれた形となった。

律さんや澪さんと一緒に調べた結果、お姉ちゃんと思われる傭兵集めを行っていた灰色の貴婦人はどこのブランチでもやることは一緒らしい。
法外な契約で傭兵を編成して接続し、多くても7回に満たないミッションのあとに現れたときと同じように忽然と姿を消す。
最後のアクセスで未帰還者を出すことが時々あったそうだけど、全てのケースに共通しているのは未帰還者がそのブランチでも指折りの上級者であることくらいだ。
他にはこれといった共通点もないし、ロストしたのはファイターが多いものの少数ながらメイジやシーフも含まれていた。
そもそも灰色の貴婦人がお姉ちゃんであるなら、私怨や報復の類なわけがない。


かといって、灰色の貴婦人の行動が純粋な利害に基づくとも考えがたい。
たしかにミッションで稼ぎ出されるポイントは傭兵たちに支払う分を差し引いても相当な額にはなるが、単なるポイント稼ぎにしては効率が悪すぎる。
その正体が本当にお姉ちゃんだったなら、最強のソロプレイヤーなのだからもっと効率の良い方法があるはずだ。

その意図を推し量る唯一の手がかりは、律さんの言っていた「試していたようだ」という言葉だけだった。
法外な報酬で傭兵を集めてテストをして、絞り込んだ熟達者を率い最後のフィールドへ赴く。
その過程のどこに、彼女の目的はあるのか。
そしてロストした、ということは単なる結果に過ぎないのか、あるいはそれこそが目的なのか。


「どうしたんだよ、難しい顔して」
律さん……ここではガーランドが精算所前のベンチで座り込んでいた私に声をかけた。
「あ、ガーランド」
「あ、じゃないよ。何ボケッとしてんのさ」
どこか心配しているような声色で律さんが言った。
この人は人が悩んだり困ったりしていると、すぐに気がつく。どこかにセンサーでもついているんじゃないかしら。
そんな優しい長所を羨ましがりながら、私は紬さんに会って、その後でメモを貰ったことを話した。

「……そうか、あいつが……」
話を聞き終えると、律さんにしては妙に歯切れの悪い返事を返した。
「どうしたの?」
「……いや、いいんだ。その店の住所ってのは? 場合によっちゃついて行くよ」
「……ムギがそうするんなら、私からも308に話したいことがあるしな」
「え? 私に?」
「ごめん、聞き流してくれよな」
律さんの表情を見て、私はふと、梓ちゃんの言葉を思い出した。

――私、本当はもっと憂とこうやって……何もかも停滞したまま一緒にいたかった。
でも憂が知りたいんなら、私は応えないわけにはいかないよね――。


私の行こうとしている先は、何か先輩や梓ちゃんたちの停滞した世界に再始動をかけるものなのかもしれない。
でも、私は梓ちゃんとずっと一緒にいたいし、先輩たちとこの<アヴァロン>の中に生きていきたい。
でも、私は……お姉ちゃんを捜し出したい。
この矛盾が最後に私に何を見せるかはわからないが、私はもう来るべき所まで来てしまったようだ。
梓ちゃんのロスト、お姉ちゃんとの再会、紬さんからの招待。

「で、その住所ってのは?」
律さんに促されて、私はメモを読み上げた。
「この店、知ってる?」
律さんの表情がさらに深刻そうになり、私の持っていたメモを取ってもう一度眺めた後唸った。


「……ソロで行くところじゃないぜ」


「それ、ヤバい店?」

「うん、ヤバい店!」



3話 終わり



簡単な次回予告:
唯を取り巻く環境……くアヴァロン>システムの本当の姿、クラスSAが垣間見え、憂は姉の足跡を辿るように導かれます。
ヤバい店で待っているのは一体何なのか。
何故唯に招集された傭兵はロストしたのか、それが明らかになります。

次回は#04 プライデイ・アンヌウフンです。




最終更新:2010年01月25日 21:34