ふぅっと吹いて
七色に光るシャボン玉
ふわっと浮かんで
ずっとずっと飛んでいく
君の笑顔をうつして
私の泣き顔をうつして
青い青い空の向こうまで
連れていってよ
さよならシャボン玉
きっと涙が乾くころには
パチンと弾けてさよなら
「……二番はないんだ」
「ああ、出来る時は一気に出来るんだけど」
「切ない詩だねー」
「でも、前向きに書いたつもりだよ」
作詞ノートには、澪ちゃんの一番大切にしているものが詰まっていた。
ぽわぽわしていて甘い、ムギちゃんの紅茶が欲しくなるような世界観の詩もあれば、
強い決意の現れている一途でひたむきな詩もあった。
それら一つひとつが澪ちゃんを構成している感情だったし、澪ちゃんの想うことのすべてだった。
だから私は、ノートに私の名前が書いてあるのを見て驚いた。
「このページ、なに?」
真っ白なページの中央に「
平沢唯」とだけ書かれている、それだけのところがあった。
「え、ああ、これは……考えごとをしている時に書いたんだ。唯ってなんだろうなってさ」
「しがない女子高生でございますー」
「ふふふ、そうだな。それだけのことだ」
「ふーん」
一通りノートの鑑賞を終えたので、寝ることにした。
澪ちゃんはベッド。私はお客様用のお布団に横になった。
「電気消すぞ」
「うん、おやすみ澪ちゃん」
「おやすみ唯」
真っ暗になる。暗闇ってスクリーンみたいだ。虚空をじいっと見つめているだけで今日あったことが次々と思い出される。
眠気が来るけど、このまま寝てしまったらつまらない。もっと澪ちゃんと話したい。
なにを話そうかなぁと考えていると、澪ちゃんから話が振られた。
「……さっきの、嫌じゃなかったんだ」
思わず背筋がビクリと震えてしまった。
まだ目が慣れない中で、私のきぬ擦れが大きな音を立ててしまった気がする。
澪ちゃんの声はじっとりと湿っていた。
「さ、さっきのって……お風呂場の?」
「うん」
「でも私、澪ちゃんに酷いこと……」
スプリングの軋む音。
ベッドの上で澪ちゃんがこちらを向いたのが気配で分かった。
「私は嫌じゃなかった私が嫌なんだ」
「それって、どういう……」
「そのままの意味だよ、唯。私たち、もう少しだけ友達でいような」
私にはよくわからなかった。
澪ちゃんがなにを言いたいのか、なにをしたいのか。
「それって……少し経ったら澪ちゃんと友達じゃいられなくなるってこと?」
「……もっと、仲良くなろう。もっとお互いを知って……唯を大切にしたい」
「澪ちゃん」
私は澪ちゃんのほうを向いた。
目が慣れてきて、澪ちゃんの顔がうっすらと見える。
今夜は月が明るい。
カーテンを透かして、月光が私と澪ちゃんの影を写していた。
その二つの影を重ねるのを、私は躊躇わなかった。
(Melody-A)
去る7月25日をもって、いよいよ桜ヶ丘高校は夏休みに突入しました。
私たちけいおん部は先日の飛び入りライブの打ち上げ―――もとい反省会―――を行うために、夏季強化練習合宿を計画しました。
驚いたことに、この合宿の企画者は唯先輩です。あのちゃらんぽらん……ではなくて、天真爛漫な唯先輩が、
真面目に練習をするための合宿を自ら立案するなど、けいおん部にとって天地創造以来の衝撃であったことは言うまでもありません。
あのライブでの思い出が、唯先輩にとってそれほど苦いものだったということでしょうか。
ともかく私たちはムギ先輩のご厚意に完全に甘える形で、琴吹家プライベートビーチの一角、立派な造りのコテージをお借りし、
三泊四日の合宿に臨むこととなりました。
「うわぁー! 海だぁー!」
律先輩が白い砂浜を海に向かって走って行きます。ビーチサンダルの轍が、一直線に残ります。
唯先輩も負けじと追いかけて、二人の足跡は線路のように平行線を描きました。
流石は琴吹家と言ったところで、きめ細やかな砂一杯の浜と、眼下に打ち寄せる白波は、太陽の光を反射して美しく輝き、
まるで天上の楽園を再現したかのごとき絶景です。どこから移植してきたのか、ヤシの木まで堂々と生えています。風景だけなら南国でした。
「まったくあいつらは……。私たちで、荷物は運んでおこう」
澪先輩が指示を出します。日差しの強い今日の暑さに対抗するためか、澪先輩は長い黒髪を後ろで一つに束ねています。
いわゆるポニーテールです。いつでもきりっとしている澪先輩の雰囲気がさらに研ぎ澄まされていて、私はなんだか緊張してしまいます。
心拍数が上がって、呼吸が早くなって、顔が火照って、落ち着きません。
そんな私の動揺に、澪先輩は気付いているのでしょうか。いえ、気付いてくれるのでしょうか。
肩掛けの大きなボストンバッグを二つ持って歩き始めた澪先輩の後に続きながら、私はつまらないことを考えずにはいられませんでした。
ムギ先輩がコテージの鍵を開けて扉を開くと、木の匂いがふわりと薫りました。
深い森の中のような、安らぐ匂いです。中は広く、応接室やリビングの家具は、ほとんど木製で統一されていました。
「わぁあ、素敵ですね!」
私が感嘆すると、ムギ先輩は微笑みます。高級な統一感のあるコテージですが、ムギ先輩の目にはどう映っているのでしょう。
律先輩の話によれば、去年の夏合宿であまりに豪勢な宿泊所を提供した琴吹家に、ムギ先輩は「今年は普通のところでお願いします」と
釘を刺しておいたらしいのです。
これが「普通」だとすれば、庶民たる私は嫌味の一つでもこぼしたくなるものですが、
ムギ先輩の毒気のない笑顔には何も言えなくなってしまうのでした。
私たちは二階の寝室まで荷物を運びました。二人部屋が三つほどあります。
一つの二人部屋を何とか三人で使って、一人で寂しく泊まることがないようにしようと、澪先輩が言いました。
「あ、唯ちゃんとりっちゃん」
ムギ先輩が窓の外を指して言いました。波打ち際で遊んでいる二人は既に水着になっています。
お互いに水を掛け合って、なんだか少女漫画に出てくる恋人同士の戯事みたいです。
「私たちも行こうか。練習は……まあ、後にしてさ」
澪先輩が言いました。私は澪先輩が練習を提案すると思っていたので、少し意外に思いました。
「さんせ~い!」
ムギ先輩が片手を挙げて言いました。
ムギ先輩の笑顔に促されて、私も渋々(本当に渋々ですよ)練習よりも海を選ぶことに決めました。
「あずさー! そんなに走ると危ないぞー」
律先輩がなにか言っていますが、気にしていられません。
だってこんなに広い浜辺なんですから。どれだけ走り回ったところで罰なんか当たらない―――と、足に何かが絡みついて。
「にゃあああああ!?」
私は見事に転んで、ごろごろと砂の上を転がってしまいました。
「はっはっは、言わんこっちゃない。大丈夫か?」
律先輩が後ろから歩いてきて、私に何かを見せました。浜に打ち上げられた海藻です。
私の足に絡んだのは、その海藻のようでした。
「うう、痛いです。砂まみれです」
「じゃあ海に入って綺麗にしようじゃないか」
そう言って私の両脇に手を差し込む律先輩。
「へ、ちょ、律せんぱいっ!」
律先輩は私を抱えると、ぐるぐると回し始めました。私の身体のなんと軽いこと。
そのままハンマー投げのように放たれた私の身体は、宙を飛びました。
ああ、すごい、飛んでる!―――それは束の間で、あっという間に海へざぶんと落ちました。
唯先輩たちはお互いに日焼け止めローションを塗っていました。
澪先輩が砂浜に敷いたシートの上に寝そべり、その背中に、唯先輩が白濁とした粘液を垂らしています。
ムギ先輩はその一部始終を克明に記録するべく、息を荒らげながらカメラを回していました。
「ビーチバレーやるぞー!」
律先輩の鶴の一声で、種目が決定しました。私たちは砂浜にコートを作って、チーム分けをしました。
じゃんけんで負けてしまった私が審判となり、第一戦はムギ先輩・律先輩ペアと澪先輩・唯先輩ペアの試合となりました。
なんでも器用にこなしてしまう律先輩は、がんがん鋭い球を打ち込みます。
試合開始後、あっという間に律先輩らのチームが一ゲームを奪取しました。
「まだまだだな、澪」
「何を言っているんだ、律? 勝負はこれからだ!」
珍しくヒートアップしている澪先輩ですが、なにか策があるのでしょうか。
二ゲーム目、サーブ権は澪先輩たちのチームに移ります。
ボールを持った澪先輩は、コートのバックラインからかなり深い位置に立ちました。
風のないことを確かめると、天高くボールをトスします。助走をして勢いをつけると、澪先輩は跳躍し、
ゆっくりと落ちてきたボールにしならせた腕を力強く叩きつけました。鋭い弾道で放たれたボールは、相手コートに突き刺さりました。
「うわ! 澪ちゃんすごい!」
唯先輩が歓喜の声を上げます。律先輩とムギ先輩はボールに全く反応できず、その場に立ち尽くしていました。
やがて我に返った律先輩が、澪先輩に尋ねました。
「澪、バレー部にでも入ってたのか!?」
「いや、その……漫画に憧れたことがあって。サーブだけは練習して上手くなったんだ」
「あー、小五のときか」
律先輩はなにやら納得して頷いていました。そういえば、律先輩と澪先輩は幼馴染でした。
二人の付き合いはとても長いのでしょう。私の知らない澪先輩のことを、律先輩に聞いてみたいと思いました。
「まあそういうわけだ、サーブが回ってくればこっちのもの!」
「なん……だと?」
澪先輩は意気揚々としています。これは分からなくなってきました。
審判でありながら、私は楽しく観戦できそうだとわくわくしました。
勝負はまだまだ、これから!
―――果たして、勝ったのは律先輩チームでした。
澪先輩は確かにサーブは上手でした。サーブは。……私が説明しなくても、なんとなく察してくれるとありがたいです。
先輩方は一試合終えて、もうへとへとに疲れているみたいでした。「私もビーチバレーしたいです」とは言いづらい雰囲気です。
そもそも私たち文化部は、体育の時間以外ほとんど運動する機会がありません。すぐに疲れてしまうのも、当たり前のことでした。
「このまま休憩も兼ねて、お昼寝でもしましょうか」
私が提案すると、皆こっくりと頷いて、パラソルの影に敷いたシートに横たわりました。
五分もしないうちに、唯先輩は寝息を立て始めています。この浜辺に来るために朝は早かったせいでしょう。
ふと気付くと私以外、皆眠りに落ちていました。私は苦笑して、夢の中で先輩たちと会えるかなと考えながら、瞼を閉じました。
柔道の試合に無理やり出場させられる悪夢から目覚めると、私は唯先輩に絡みつかれていました。
まだ唯先輩は寝息を立てています。文字通り寝技です。すでに日は水平線の向こうに傾き、あたりは暗くなり始めています。
身体が冷えるので、私は先輩方を起こしました。
「んー? もう朝?」
「寝ぼけてないで起きてください。もう夕暮れですよ唯先輩」
水着からシャツに着替えた後、ムギ先輩の提案で、バーベキューをすることになりました。
円形のバーベキューコンロや炭への着火剤など、必要なものはすべて揃っていました。琴吹家恐るべしといったところでしょうか。
皆でさっそく準備に取り掛かります。まずはコンロの準備です。
新聞紙を使ってなんとか小さい炭に着火させることが出来ました。火を大きくするには時間がかかりそうです。
私たちはその間にコテージのテラスにテーブルを出して、即席の料理場を設けました。
それから食材を室内の冷蔵庫から取り出して、調理台の上に並べます。野菜類は唯先輩と律先輩が担当することになりました。
唯先輩がオニオンスライスで号泣している一方、律先輩はそつなくどんどん野菜を刻んでいきます。その手際はとても素早いものでした。
まじまじとその作業を見ていると、私の視線に気付いた律先輩が顔を上げました。
「そんなに見られると、なんか緊張するな」
「あ、すみません。先輩が、まさか料理が得意だなんて意外で」
「んー? それはどういう意味だ、中野?」
律先輩の右手の包丁がきらりと光りました。笑いながらこめかみに青筋を立てる律先輩の複雑怪奇な表情を前に、
私は蛇に睨まれた蛙のごとく動くことが出来ません。
「ほら、律。手が止まってるぞ」
そこへ、火の番をしていた澪先輩の注意が飛びました。律先輩は投げやりに「はいはい、りょーかい」と返事をして、再び調理に戻りました。
私はほっと溜息をついて、心の中で澪先輩に感謝しました。
「梓も手伝ってやってくれ。唯のほう、大変そうだし」
唯先輩は二個目の玉ねぎにやられて涙が止まらず、右も左も明日も見えないような有様でした。
おそらく人一倍、目や鼻が敏感なのでしょう。
「先輩、玉ねぎは切った断面をまな板にふせておくといいですよ」
玉ねぎを切ったとき、目が染みて涙が出るのは、切り口から玉ねぎの成分が気化するためです。
切り口をふせておけば、ある程度症状は改善します。
唯先輩が持ち直し、私が手伝って、作業効率があがりました。すぐに全部の野菜を切り終えました。
解凍したお肉には、ムギ先輩が味付けをほどこしました。
まだ焼いてもいないのに、食欲を刺激する香辛料の匂いが、お肉のタレから漂います。
「よし、火は大丈夫。そろそろ焼こうか」
澪先輩からのGOが出ました。
「よっしゃあ! 肉だー、肉をよこせ!」
律先輩が先陣切って網へお肉を投下しました。じゅぅう、と美味しそうな音がして、香ばしい匂いが立ちのぼります。
「えーい!」
律先輩と比べるとどこか迫力に欠ける掛け声とともに、ムギ先輩も負けじと野菜を投下します。
火の通りにくい野菜は中心に、すぐに食べられそうな野菜は外側に、私は菜箸で移動させます。
あたりはすっかり日が落ちて暗くなりました。私たちの中心で燃えている炭火が、温かい明かりとなっています。
それとは対照的に、月の光はどこか冷え冷えとしていて、蒼い海を薄ぼんやりと照らしていました。
波の音は静かに響きます。私たちの会話がなんとなく途切れる瞬間に、優しく聞こえてくるのです。
――――
「しずふぁな場所だね」
唯先輩が大きめのお肉を頬張りながら呟きました。
「ここは、あたりに民家がないのよ。一人で泊まると、とっても静かで、世界中にたった一人だけ取り残された気分になれるの」
ムギ先輩は説明しました。その表情は少し物憂げです。
「ムギ先輩、ここに一人で泊まったことがあるんですか?」
私が尋ねると、ムギ先輩は苦笑いを浮かべました。
「うん、一度だけね」
ムギ先輩は昔を思い出すように、夜空を見上げました。それにならって、私も夜空の星を眺めます。
街中で見るよりもずっと綺麗に輝いていました。
「東側陣営確保!」
「ふははは唯め、そんな野菜の多い領土を選びおって! ほい澪、野菜」
「野菜も食べなって、律」
律先輩と唯先輩の牛肉争奪戦が始まり、一気に賑やかになりました。
今のこの雰囲気が、けいおん部のあるべき姿なのかもしれません。
「ずるいですよ先輩方! 西側陣地もらいます!」
私は笑いながら、牛肉争奪戦への参加を表明しました。
最終更新:2011年11月15日 23:57