◆  ◆  ◆

『――もしもし? 純、ちゃんと聞いてるー?

 あー、そっか……センターまで二ヶ月切ってんだよね。
 てか、がんばんなよー? 純、中学の時もそんな勉強してなかったじゃん。
 どうすんの、卒業できなかったら。あははっ、そしたら私と一緒じゃん!

 てかまじめな話。中卒ほどじゃなくたって、高卒でも結構きびしいよ? 今の時代。
 純は私と違って、夢も希望もあるんだから、がんばってよ。
 うん、……だめだね、こんな年から社会出てちゃおばさん臭くなってさ。同い年なのにさ。あははっ。

 え、ゆいせんぱい?……ああー、純が前に言ってた、アーティスト目指してる人、だっけ。
 そうだね、うん。確かにさ、甘えんなって思っちゃったよ。最初は。
 離婚したお父さんがギターやってたから、
 音楽業界なんて夢や理想で食ってける職業じゃないってわかってたし。

 でも、やっぱさ、夢を見る資格っていうのはあるのかもね。うん。
 その人には、夢を見る資格があったんだよ。私には、なかった』

『ごめん。なんか話してると暗くなっちゃうね。中島みゆきみたい、ふふっ。

 じゃあ……えーっと、関係ないんだけどさ。
 わたし、恋をしたみたい。

 えっなにその食いつき。引くわー。くふふっ、ワイドショーの芸能記者みたいだよ、純。

 えとね、うん。まあ、女の人なんだけどさ。私だし。それは知ってるか。
 顔? うーん、わかんない。ちゃんと会ったことはないから。
 姿は見えないけれど、いつも歌が聞こえるの。

 夜勤終わって始発で帰るから朝の六時ぐらいかな、いつも通り近所の公園突っ切って帰ってたの。
 そしたらギターの弾き語りで……本当に、演奏も声も涙が出るほどよくって。こんな人いるんだ、って。
 あったかいの。すべてが。胸の奥に音が、朝の陽射しみたいに染み込んでいくの。
 初めて聴いたとき、涙が出てきちゃった。ほんと、すごいんだよ。

 でも変に話しかけて邪魔するのもよくないし、なんか私なんかが絡んじゃいけない気がして、
 今もずっと歌、聴いてるだけなんだけどさ。
 私、働き始めた頃にあのムスタング売っちゃったしさ。

 ……んんん、いいんだ。
 それでもなんだか、そばで見守ってくれているみたいに感じるから。
 一度だけ、朝焼けに映った後ろ姿を見たのが忘れられなくって。
 光、みたいな人だった。私なんかが触れちゃいけないのかもって思うぐらいに』

『……でも、さ。
 だめだよね私。やっぱ、夢みちゃうんだ。あの人のせいで。好きになっちゃったから。
 いや、寝てるときの方じゃなくて。まあ寝てるときも見ちゃうし、どっちもかな。

 あのね、私が純と同じ高校に入学するの。桜ヶ丘。
 そしたら新歓ライブかなんかで軽音楽で、ぱったりあの人に出会っちゃうの。
 たぶんあの人だったらステージの上からでも私のつまんない心の壁とかつき抜けてくれるはず。
 それで入部して、あの人からいろいろ教わって、一緒にギター練習して、
 あの陽射しのようにまるっこくて飴みたいに暖かい歌に、
 私のギターをそっと重ねて、一緒に音楽を作っていくんだ。

 ……てへへ。なんかさ、笑っちゃうよね。私、ギターだって持ってないのに。
 でも、あの人と音楽を作れたらって、それは本当に思い描いちゃうんだ。ばかみたいだけど。

 え? 照れてなんかないってば!
 ったく、ほんっとにそういうとこ変わんないよね――』


  ◆  ◆  ◆

唯「……それじゃあ、あわせよっか!」

梓「はい!」

じゃーん♪


唯「……いいねえー!」

梓「そうですね!」

唯「なんかね、演奏してるのに抱き合ってるみたいにあったかいんだ」

梓「はい・・・・・目を閉じてギターをひいてると、光がみえてくるみたいです」


唯「ここ、こういう風にしたらどうかな?」ギュイーン!

梓「あ、それすてきです! それだったら私も……」ミューン

唯「いいねいいね! それだったらこうして――」


梓「あ、それから   をこうして……

     だね! それじゃあ歌詞もかえてみ  かな?」

梓「うーん、     はどういう世界  考えてるんですか?」

唯「あのね、二人の女の   、同じ色の    出会って、それで……

   ったら、それで……

 うん! そしたら甘い  ェクトかけ     メロディをもっ

   でね、    恋し      ……みたいな!

 そうですね……      光    !

 うん、うんっ!    聴こえる     光




「……あれ、もうこんな時間?」

 もやがかかったような夢から転げ落ちるように目覚めてしまう。
 携帯を見る。十二月三日、明け方の四時過ぎだった。

 着替えなくちゃ。もう少しであの子が通りかかる時間だ。
 無理やり立ち上がるとはずみでギー太の弦がぴーんと音を立てる。
 彼女の姿は崩れた私の夢の世界から取り残されて、ぼんやりした頭の隅でまだ消えないまま。
 そんなイメージを心の中で抱きしめるようにリピートしながら、汗に染みた服をはずしていった。

 数十分後、私はギー助と一緒に外へ出た。
 ギー助は卒業前に新しく手に入れたガットギターで、最近はギー太よりもよく弾いてるかもしれない。
 なんだかんだで付き合いが長いギー太と違ってまだ分からないところもあって、
 ギー太が小学校で友達つくって連れてきたらこんな感じなのかなって、お母さんみたいなことも考えたりする。
 ……ううん、大丈夫だよ。浮気じゃないってば、もう。

 目指す先は、夜明け前の小さな公園。
 高い木々に囲まれて、真ん中には広い野球場。
 水の止まった噴水はステージのよう。囲むように観客席みたいなベンチがちらほら。

 砂場の向こう側、木々に少し隠れたところに私は立った。
 防火倉庫の近く、自販機に続く小道。
 ここからだとあの広い野球場も見えない。ベンチもちょうど木に隠れて見えない。
 公園を通り道にする人には、ぱっと見たら気づかない。実際、今もあの子に気づかれてない。

 ここで私はあの子が通りかかるまで、弾き語りを始めた。
 聴こえそうで聴こえない位置で、彼女に触れられない私はギターを鳴らす。
 爪の先から冷気がしみこむ気がするけど、すぐ私の熱に溶けてしまう。
 目をつぶって野球場のネットやスタンド、高い時計や木々なんかを視界から消して、頭の中の天使を見る。

 そうやって誰にも聴こえないような時間、聴こえてもいいけれど、歌声をこっそり響かせた。
 私の姿なんて見えなくてもいい。あの子の足音が、私にとっての歓声なんだ。
 あの子が今日も生きてて、未来があって、光を発していてくれたら、それでいい。

 “あの子の命を、存在を祝福するような、見守るような歌を作って歌おう”

 神様ごっこをしよう。
 一晩中働いて帰ってこれたあの子を、毎日そばで祝福しよう。
 そう決めたら、するっと曲ができて、このステージにも立ててしまった。

 ちいさな光を、やっと見つけた。


 自分の声も溶けるぐらい夢中になっていくつかの曲を歌って、
 曲の合間にふと目を開けてみたら、野球場の向こうから朝焼けが射すのが見えた。
 きらきらと、冷たい酸素のかけらを一つ一つやさしく焼いていくような灯り。

 ……あれ?

 そういえば、まだあの子は来ていない。
 足音、聞こえてたかな。もうじき通りかかってもいいころなのに。

 気づくと急に不安が震えだす。足元が揺れるような感じ。大丈夫かな、何かあったのかな。
 足を進めようとして、でもやっぱりすくんでしまう。見られてしまう。
 この期に及んでも私を歌より前に出す勇気が出なかった。
 あの子に歌は響いたのかな。歌を避けようとしてルート変えたのかな。どうしよう。
 私は自分のレールだけじゃなくって彼女のそれまで狂わせようとしているのかもしれない。怖い。
 足がすくむ。指の関節ににじむ汗のぶんだけ冷気が熱を奪っていく。やっぱり怖い。

 ……なんで不安なんだろう、私こんなに。

 あの子の姿を思い浮かべた。安定剤みたいにして。
 そんな風に受け手に救いを求めたりすがりついたりする私なんて、歌を歌っていいのかな。
 そういえばあの子、最近ヘッドフォンしてない。首にかけっぱなし。壊れてるのかな。
 ていうか私なんか変にマイナス思考だよ、こんなんじゃなかったのに、そう、壁を破らなきゃいけないのに!



「…………わ……」

 逃げようとしたのか向き合おうとしたのかよくわからないまま進めた一歩先、ベンチ。

 あの子は、すやすやと眠っていた。

「……なあんだ、あはは…」

 気の抜けるような感じでさっきとは別の意味で倒れそうになるのをどうにかこらえる。
 代わりに誰かがずっこけた。びくっとして振り向く。倒れたのは、立てかけられたガットギター。
 ギー助ごめん! 走って取りに戻ろうとしたら、向こうのあの子が、 ぴくっ って動いた。

 そういえば、寝顔なんて初めて見た。
 息が止まりそう。唇の端っこがゆるんできちゃう。
 私の後ろから朝焼けが白いほほを照らす。
 今日なんてこんなところでうっかり寝てしまうぐらい疲れてるはずなのに、どうみても幸せそうな寝顔。


 数分にも数十分にも思えるほど、私は彼女を見つめてた。
 たぶん、時が止まってたんだと思う。ネットのそばの時計は逆光で見えなかったから、たぶんそうなんだ。
 数時間の映画を、数十分のアルバムを、数百ページの小説を、止まった一秒に詰め込んだような完璧な時間。
 向こう側、触れられない向こう側。まるで天使みたいに、ぐっすりと。


『でも、いつかは終わってしまうんだ。』

 一滴ぽつんとそんな言葉が心の影から響いたとき、頭の上のほうでカラスがぎゃらぎゃらと鳴きだした。
 そしたら一瞬でほこりっぽい公園に戻ってきてしまったような気がした。
 まだ眠ってる、でももうじきあの子は目を覚ましてしまう。だって太陽がもう昇りきってしまいそうだから。


 でも、本当のあたたかい光を見つけた。

 だから、歌うんだ。 でもなにを?


 そう――祝福しよう。
 私の声が、あなたの光になりますようにって。


 ギー助をつれてきて、できるだけ小さな声で歌ってみる。
 目を閉じて、わざと暗いところに自分を連れて行って、そこから秘密の言葉で歌を歌う。
 音楽でどうにかなるなんて思ってないし、きみがどうしてあんな顔で夜から帰ってくるのかもわからない。
 でも、それでも……まぶたの裏側に残った夜といくつもの“でも、”の暗がりの向こうに、光を見る。

 かりそめのファンタジー、目を開けたら昼の光に焼かれて消えてしまうような錯覚の物語でいい。
 だけど、目を閉じるたびになんどもなんども浮かびあがるような、完璧な一瞬の像をむすびたい。

 私の歌で、きみの光を、笑顔を、発明してみせるんだ。



「……ふぅ」

 最後のフレーズが鳴り止んだ。

 そしたら、暗がりの向こう側から手をたたく音が聞こえた。  えっ?



 開いたまぶた。闇になれて、朝の光がまぶしくてちょっと見えなかった。

 あの子が、いつのまにか立ち上がって、拍手をしていた。

「……その歌、すごく好きです。見守られてるような感じがしました」


 夜から転がり落ちた果ての、同じ光につつまれた向こう側で、きみが目を覚ました。


おわり。



最終更新:2011年11月22日 20:04