アットウィキロゴ
神経に亀裂が走ると反射的に声が出た。
痛みを辿って手の甲を見ればパックリと割れて中身を覗かせていた。
赤い液体が恐怖心を逆撫でして精気を奪い取ろうとする。
今までの私ならば目を逸らして、意識すらも反らせてしまったかもしれない。
しかし今日の私は違った、精一杯の現実をこの目に受けて真正面を捉えていた。
その様を律に見せ付けることで手本になりたかったのかもしれない。

律「わっ、私、そ、そんな、つもりじゃ」

律は血の気をどこかに葬り去ってカミソリを落とした。
今にも魂だけが一人歩きしてしまいそうな、抜け殻を残していた。
私は歯を食い縛ったまま、体ごと律に覆いかぶさった。

澪「馬鹿律!」

律「ごめん、私、澪を、傷つけちゃった」

澪「違う。律がやったんじゃない、私が望んだことなんだ」

澪「律が痛い思いをしているなら私だって痛い。お前と気持ちを共有できなくなるのが何よりも怖い」

澪「だからお互い様なんだよ。一人で背負おうとするなよ。私達は二人で傷ついた、もうそれでいいじゃんか」

律「ごめん澪、本当に」

律は私の体を強く抱きしめて泣いた。
二人の血と涙と汗と埃っぽさで、全てをぐちゃぐちゃにしていた。


律「これ、見せないとな」

澪「そんなことだろうと思った」

律「親友とか自分から言ってた癖にずっと隠してた」

澪「でも教えてくれるんだろ。それだけで満足だよ」

しばらくして泣き止んだ律は机の引き出しから清潔な紙袋を取り出した。
書かれているのは薬の名称や処方案内、病院名からするに電車で数駅離れたところだろうか。

律「ちょっと前から通ってるんだ。誰にも知られたくないから離れたとこを選んだ」

澪「そっか。そういうことか」

有りもしない幻想を見たことを打ち明けた時、律はそのまま納得してくれた。
心療内科に初めて足を踏み入れた時、律は胸を張って先導してくれた。
一時的に異常な活気を取り戻した時、律はピタリを薬を疑ってきた。
わざと遅刻することを知った時、律は心配して家の前まで来てくれていた。
舞台袖で倒れてしまった時、律も一緒になって倒れてしまった。

澪「気付く要素は沢山あったのにな」

律「澪が責任を感じてどうするんだよ」

澪「律こそ私に気を使ってたじゃないか」

律「お互い様、っか」

澪「その通りだな」


律は気分障害の一種だと診断されたらしい。
言葉にすれば一見重そうに感じるが比較的軽い症状しか出ていない模様である。
そこからは少し専門知識となってしまったので、大まかに理解することにした。
ともかく、そこまで重症ではなく向き合う姿勢が確認できたので個人的には救われた思いである。

澪「律も辛い思いしてたんだな」

律「別にそんなでもないから。澪の方が心配だったし」

澪「心配しすぎたから病状が悪化してそんなになってるんだろ」

律「……そうでした」

澪「全く。世話の焼ける奴だ」

律「ぶっ倒れた澪に言われたくねーし」

澪「ふふ。でもこれで完全に親友になれたな」

律「はいはい。もう隠し事なしのしんゆーですよ」

澪「全くお前ってやつは」

本当に久しぶりに二人で笑い合えた。


律「完全ふっかあぁっつ!」

唯「りっちゃんおかえり~」

澪「また調子に乗って」

紬「うふふ。上手くやったのね」

翌日、普通に登校して普通に授業を受けて、いつもの面子が音楽準備室に揃った。
唯と紬は以前と変わりの無い暖かさで迎えてくれた。

律「んじゃあ早速――お茶にするか!」

唯「さんせ~」

紬「澪ちゃん今日は突っ込まないのね」

澪「流石にな。それにお茶しながら話したいこともあるし」

唯「話したいことって?」

澪「新勧だよ。募集期間が過ぎちゃったから活動は限られるけど、勧誘しちゃいけないことはないだろ」

紬「そうね。とりあえず新入部員が欲しいかそうでないか決めるのがいいんじゃない」

律「うーん。そうだなぁ」

大っぴらな勧誘活動はしない方針に決定した。
ここ最近で二人もダウンしたことが、私と律が未だに本調子でないことが大きな理由だ。
ムギは柔らかいニュアンスで諭すように私達を気遣ってくれ、唯も賛同してくれた。
特に唯は新勧が始まる前から、先輩と呼ばれる喜び、について語っていただけに何とも申し訳ない気持ちである。
それでも快く首を縦に振ってくれた、その優しさに素直に甘えることとなった。

大本としての原因は間違いなく私を指している。
今回の事件がなければ、本来の軽音部はもっと賑やかに、より大きな輪を形成していたかもしれない。
欠けてしまったプライドだけれど、最後の力を振り絞って訴えていた。
仮に誰かが入部したがっていたとする、その芽を摘み取ったのだと考えれば胸が痛くなる想いだ。
しかし元々いなかったとするならば――そろそろ考えることにすら疲労を覚えてくる。
軽音部としての方針は今さっき決まったばかりじゃないか、余計な心配をする必要なんて。

唯「あれれ。この光景、なんかデジャブが」

紬「あの子、少し前もジャズ研の部屋から出てこなかった?」

律「ギター担いでるな。にしても随分と沈んだ顔してやがる」

澪「……私ちょっと行ってくる」

律「ちょっ澪、引き抜きはマズイって」

何故だか分からないけれど予感がした。
あの子に話しかけなくちゃ、関わらなちゃいけないような気がした。

澪「あっ、あの!」

「ひっ!?」


とても背の小さい、一年生の女の子だった。

「あの。何か御用でしょうか」

澪「今、ジャズ研の部室から出てきたよね。それで何か暗い顔してたから」

「は、はぁ……」

どうしよう、見るからに苦い表情で後退りをしている。
やはり私の奇行は一年生にまで広がっていたのだ。
恥ずかしい、でも何故だか話を続けないといけない気がする。
この子が軽音部に混ざっているイメージが容易に想像できてしまう。

澪「もしかしたらジャズ研には入らないのかなと思って。違うかな?」

「はい。思っていた雰囲気と違ったので、入るのを止めると言ってきました」

澪「それ本当っ!?」

律「まじでか!」

気がつくと真横にまで律が来ていた。
すぐ後ろには唯にムギが来ていて待望の眼差しを向けていた。
仲間が背中から支えてくれていた、最後の一押しをありったけの気持ちで伝えた。

澪「なら、軽音部に入りませんか!」

程なくして私が勧誘した一年生は軽音部の新しいメンバーとなった。

梓「中野梓と言います。よろしくお願いします」

根が真面目でギターの経験者でもある彼女だけれど、始めは軽音部の独特な緩やかさに戸惑いを感じていた。
衝突とまではいかないけれど練習をしない私達に渇を入れて膨れる場面があった。
それでも徐々に取り込まれるみたく、唯のハグをはじめとした軽音部の暖かさに感化されていった。
一年前の自分を見ているようで、少しだけ恥ずかしくなった。

私と律の小さな障害についても正直に打ち明けた。
当初、梓には予想通り怯えた目を向けられてしまったが最近は全く怖がられていない。
むしろ願望の目で見られているような、なんて自信過剰な錯覚をしてしまう時すらある。
それもこれもムギと唯のお陰だ、二人からの壁の無い付き合いに梓も感化されてきたのだろう。
等身大の青春を絶賛謳歌中である。

視線や指先からの刺さるような感覚が完全に消えたのかと言えば嘘になる。
律も突然に気分が落ちてしまう時もあるが、持ちつ持たれつでなんとか乗り切っている。
きっとこの先も、そんな感じで付き合っていくのだろう。


律「じゃーん新作のホラービデオー!」

澪「ひあぁ、っぐう」

梓「おぉ。澪先輩今日は随分と耐えますね」

唯「澪ちゃんふぁいと~」

紬「麗しいわね、うふふ」

二人が、いや皆がいるから何とかやっていけるのかもしれない。
いいや断定しよう、私は確実に前へ進んでいる。



おわり


【補足】
強迫性障害は突発的にかかるものではありません
幻想?を見るのもしかり、強調させる為の改変です
リタリンはその危険性から処方が着実に減っています
すぐに服用させたがる医師は現在ではほとんどいません
副作用についてももっと種類があります




最終更新:2010年01月26日 00:46