……梓ちゃん、起きた?

 おはよう。 えっと、おかゆ作ったよ。

 うん。

 起きれたら食べて、ここに置いとくからね。

 ポカリのむ? はい、……って、無理しないで。

 起こしてあげるから。

 汗、かいちゃってるね……拭いてあげる。

 気にしないで。

 わたし、今年まだ体こわしたことないんだよ? えへへ。

 あっそれとも電気消そっか? って、なんかえっちなことしてるみたいだね……あぅ。

 どうかな……寒かったら言ってね。

 そっか、よかったあ。

 お風呂に入れるようになるまで、ずっとこうしてあげるから、いつでも言ってね。
 がまんしちゃだめだよ。

 また良くなったら一緒に演奏しようね。
 純ちゃんも待ってるから。


 ……ごめん。


 あ……えーっと、そういえば、わたしもたまに変な夢みるんだよね。

 気づいたら真っ赤な部屋に閉じこめられてたりとか、
 でも梓ちゃんがいればいいや、なんて思ったりとか。

 えへへ、梓ちゃんが夢にでてきた日はついてる日って決めてるんだ。

 梓ちゃんはさっき、どんな夢みてたの?

 そういえば前に梓ちゃんが言ってたの、あれ誰だったかな。

 「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」って。

 あ、そうそう。

 ちょっとど忘れしちゃった。

 てへへ。


 でも、ずーっと寝てると夢と現実がどっちだか分からなくなっちゃうよね。

 あんまりにもありえないと、あ、夢だ!って気づいちゃうけど。

 でもそれだって現実だってありえなかったりするから、変わんないよ。

 わたしも梓ちゃんとはじめてキスした時……んーん、なんでもない!


 背中冷えちゃうから、もうちょっとだけこうしてるね。


 そういえば、夢ってなんで見るんだろうね。

 澪さんは「夢は忘れるため、あと忘れないために見るものだ」って言ってたけど……うーん。

 え、聞いたことある? まあ、それもそうだよね。

 えへ。

 でもたしかに、忘れたいことと忘れたくないことばっかり見るかも。

 梓ちゃんはどうかな?


 ……それもそうだね。

 たしかに忘れたいことって、忘れたくないことでもあるのかも。

 あのね梓ちゃん、
 もしかして夢って、
 強く心に焼き付いたことを、
 傷でもなんでも、
 見る人のためになるようにとか、
 見る人を傷つけないように箱に詰めてるんじゃないかな。


 ごめんね、急に変なこと言って。


 でもそれだったら、大事なものを詰め込んだ箱が夢なんだったら、
 起きて覚えてることも、現実へのおみやげになるのかな。

 そうだったらうれしいな。

 きょうの梓ちゃんみたいにつらい夢の時もあるけど、
 大事なものを詰め込んだ箱の中に、私もいたらうれしいかなって。

 そうそう、紬さんがケーキもってきてくれたんだ。
 起きたらあとで食べてね。

 ぜったいおいしいよ。

 え? ……ううん、私はいいよ。梓ちゃんたちで食べて。

 ところで梓ちゃん、バクって生き物、知ってる?
 そうそう、ポケモンのスリープの元になった生き物だよ。

 本当にはいないらしいけどね。

 え? 本当にいるの?
 あ、でも夢を食べる生き物とは違うんだ・・・・梓ちゃん、物知りだねー。

 って、当たり前か。
 あはは。


 それでね、
 バクって夢を食べて人を苦しめるらしいんだけどね、
 ほんとうは違うんだって。
 本当は、悪い夢を吸い取って食べてくれるやさしい生き物なんだって。

 だから枕のカバーとかに、バクの絵を描いたりするんだって。


 え? ……うん、いいよ。

 じゃあ、せっかくだから・・・・わたしの膝の上で寝てみたらどうかな。

 ちょっとはずかしいけどね。


 えへへ。
 ねむれそう?

 ……気持ちよくめざめられたらいいな。


 いいなあ。

 わたしもバクになりたいなあ。

 って、笑わないでよ……けっこう本気なんだよ?

 想像上の存在でもいいから、たべてあげたい。

 でもそうだったら、現実のわたしとは違うのかな・・・・。


 ……えっ?



 そっか……ばれちゃったならしょうがないよね。

 あはは。

 んーん、なんでもないよ。

 謝らないで。

 わたしは、梓ちゃんの中にいるだけで、愛が伝わってくるんだから。

 つらくなんてないから。

 すぐ消えちゃうとしても、もし思い出の箱に残れれば、それだけで十分だよ。


 でもね。

 わたしが梓ちゃんの見てる夢の中だけの存在で、
 梓ちゃんが言うようにひどいことになっちゃうんだとしても、大丈夫だよ。

 今日は離ればなれになっても、すぐまた会えるよ。
 呼んでくれたら。

 わたしを傷つけることを怖がらないで。

 わたしが傷つくのは、梓ちゃんの傷を分かち合うためなんだから。

 わたしは、あなたの感情を真空パックするための箱なんだから。


 ……ごめんね、そろそろ起きなきゃだよね。

 そういえば梓ちゃん、
 アリストテレスは「希望とは目覚めて抱く夢のことである」って言ったんだって。

 知ってた? って、梓ちゃんが知らなかったらわたしも知らないよね。

 ふふ。


 目が覚めても、よかったら覚えていてくれるといいな。

 じゃあ、またね。


   ◆  ◆  ◆

 柔らかい感触と熱っぽさ、
 関節のかすかな痛み、
 薄暗い部屋の灯りが少しずつ現実のものにすり替わっていく。

 三秒前の夢の足跡が溶けていくのを追いかけようとするけれど、
 現実の身体の重みがそれを引き離してしまう。

 残されたのは急病で倒れたらしい私と、看病したまま眠ってしまったらしい憂だった。


「……憂」

 名前を呼んで髪を撫でた。

 指の隙間を伝う感触は、紛れもなく現実のそれだった。

 最近うなされている、と憂に言われたことがある。

 彼女を傷つける悪夢ばかり見ている日々に耐えられず、夢を見ることが怖くなってきていた。

 夢の中の憂は甘い言葉をかけてくれた。

 でもそれも、私が作り出したものだ。

 あの憂は、私に都合のいい形で歪められた存在なのかもしれない。

 あの憂は私の痛みを閉じ込める箱だといったけれど、
 閉じ込めているのは私のほうなのかもしれない。

 そうでしかないだろう。


「……あずさ、ちゃん?」

 その声でふっと我に返った。

 ――手、いたいよ。

 憂はねぼけ眼でつぶやいた。

 いつの間に手を強く握りすぎていたらしい。

 なのに幸せそうな目覚めで、ちょっとうらやましくなる。

 目覚めると憂は言った。

「おかゆとね、紬さんがケーキ持って来てくれたから」

 よく見ると向こう側の机には小さな箱がある。

 ――ちょっとあっためてくるね。

 憂はそう言うとベッドから出て、ケーキ箱の横の皿を持って台所へと向かった。

 私は一人になる。


 豆電球の薄暗い灯りと布団にこもった熱に酔いそうになり、むりやり布団を引き剥がした。
 汗ばんだ脚で掛け布団を向こうに押しやる。

 関節が少し痛んだ。

 部屋の空気が身体の汗を冷やし、熱を少しずつ奪う。

 なにか食べよう。

 何をするでもなく無理やり立ち上がって、ケーキ箱を手に取った。
 小さな箱の中に、先輩たちが卒業するまで食べていたようなショートケーキが二つ。
 よかった、憂も食べられる。

 なぜかそれがたまらなくうれしかった。

 この世の甘みをすべて集めたようなホイップクリームの白さは薄暗い部屋の中でも目立つ。
 行儀の悪さを知りながらも人差し指を突き出してそれを少しなめてみた。
 乾いた舌の皮膚には少し強すぎるぐらいの甘味が染み込む。

 ふと思い出す。

 これは先輩たちの卒業前に食べたことのある、思い出のケーキだ。

「梓ちゃん、おなかすいちゃったの」

 いつの間に帰ってきた憂に笑われてしまう。

 なにか言い返そうとするけれど、
 言葉が何一つでてこなくて、
 なぜかたまらなくなって、
 うなづくことしかできなかった。

「先にごはんたべようよ」
「……ありがと」

 私は冷たいスプーンを手にとって、ひとすくい口に含んだ。

 口の中を包むように広がる味とほどよい熱が、おいしかった。

 舌に当たるスプーンの固さすら心地よかった。

「おいしい?」
「うん」
「そっか、よかったあ」

 憂は夢のときみたいに笑う。

 でも夢じゃない。

 だから寝汗は気持ち悪いし関節も痛む。

 それに……そうだ、もう一つみつけた。

「あのね、憂」

 ほころびそうな口元を押さえながら私は切り出す。

「なあに?」

「……ケーキ、ふたつあったよ。憂とたべられるんだよ」

「……梓ちゃん、そんなにうれしいの?」

 よっぽどにやけた顔をしてたらしい。
 自分でも訳が分からないほど興奮してしまった。

「うん、憂も食べてくれるんだよね。食べられるんだよね」

「だって一緒に食べたくて、持って帰ってきたんだもの」

「……そっか、憂も同じだね」

 なにが? って笑うけど教えない。

「……憂、江戸川乱歩の碑文に書かれた言葉知ってる?」
「え、わかんないよ」 うれしくなる。

 憂はそれでいいんだ。
 今の憂は私の見た憂と違うけど、本当の憂なんだから。

「早く箱からケーキ出してあげようよ」

 そう言うと、憂もごはん食べてからって笑った。

 早くこのおかゆを食べてしまおう。
 それから、憂と夢の話でもしよう。

 憂は私を夢のように救ってくれはしないけど、
 私と一緒にケーキを食べられるんだから。


おわり。



最終更新:2011年12月01日 21:05