一面の銀世界。その中に私はポツンと1人で立っていた。

 …なんで私はこんなところにいるんだろう。

 ぼんやりと雪の中に浮かぶ、いくつもの映像を見る。
 律に出会ってから、高校に入るまでの出来事が音声もなく流れていく。

 律がどんなに私を思っていてくれたか…私にとって律がどんなに大きな存在か知らしめるものだった。

 そうだ…私にとって律は傍に居るのが当たり前で、もはや半身のような存在なんだ。

 なのに私は律を裏切った。
 胸が痛い…こんな思いするくらいなら、恋なんてしない方が良かった。

 そう思ったところで不思議に思う。
 恋?私は誰を好きになったのだろう。

 まだ誰かを忘れている。
 苦しくて…寂しくて…でも大切な想い。
 捨てたはずなのに、いつまでも心に残る切ない気持ち。

 思い出したいのに、思い出したくない。
 矛盾した想いが心の中でせめぎ合っていた。

 ふと…1つの光が遠くに見えた。
 明るいけれど…どこか悲しく輝く光だ。

 あそこにある…。そう思って手を伸ばした瞬間、私は夢から覚めた。





「……澪、大丈夫か?」

 傍らで律が心配そうに覗き込んでいる。

「律…?…私はいったい…」

 私はゆっくりと身体を起こす。何だか身体が重かった。

「倒れたんだ。無理するな」

 そう言って身体を支えてくれた。

 思い出そうとして、最後に見た唯の泣き顔が浮かぶ。

『ちがうの。澪ちゃんは悪くない…』

 まるで釘で打たれたように胸が痛む。
 私があんな顔をさせてしまった。

「なあ律…」

「ん?どうした?」

「唯は…私のなんだったんだ?」

 律の表情が驚きに変わる。でもそれは一瞬の事ですぐ真剣なものに変わった。

「澪…どこまで思い出した?」

 もう私の変化に気付いたらしい。さすが律だ…。

「高1の春…ムギと初めて会ったところまで」

 4人でバンドを始めたのは高校入った年だという。
 ならば、唯と出会うのはこの後すぐだろう。

「…随分と中途半端だな。…まあ…記憶喪失ってそんなものか」

 はぁ…と溜め息を付きながら私の居るベッドに寄りかかった。

「…唯のことだっけ。それは唯に対するお前の気持ちを訊いているのか?」

「………ああ」

 逡巡の末、私は頷く。
 唯とはバンド仲間であるとしか聞いていない。
 何か特別な関係だった…とまでは言わないが、それだけにしてはどうも疑問が残った。

「…私は澪から直接聞いたわけじゃない。だから何とも言えない」

「……そっか」

 少し残念なような、安堵したような気持ちになる。

 でも…と律は続けた。

「今の気持ちに素直になればいいんじゃないか?私から見た澪は以前と変わらない。だから…それが一番近いんだと思う」

 ふっと律の表情が緩んだ。苦笑するような、でもどこか優しい笑顔。
 私が緊張しているとき、困ったとき。そんなときによく見せる笑顔だ。

 正直な気持ち…か。

 笑顔を見ると温かくて…泣く姿を見ると苦しい。
 2人きりだと緊張するし、切ない気持ちにもなるけど…全然嫌じゃなくて。
 それどころか一緒に居ると幸福に幸福な気持ちになる。

(そうか私……。)

「さて…皆に知らせてくるか」

 律は立ち上がった。

「律!」

 部屋を出て行こうとする律を呼び止める。

「……ありがとう…っ」

 律は笑った。どこか泣きそうな、でも、私が記憶喪失以降に見せた一番いい笑顔だった。

 パタンと音を立ててドアが閉じる。
 後には静けさだけが残ったけれど、寂しくは無かった。

 ありがとう、律。
 ずっとずっと私を支えてくれた親友。


 この日、私は1つの決意をした。



 真夜中の寮。寝静まり、ごく僅かな音すら響く廊下をただ独りで歩く。

 真っ暗で本当は怖かった。普段なら決して部屋の外には出ないだろう。
 それでも私は携帯の灯りを頼りに1階の廊下から外へと忍び出た。

(…少し寒いな)

 7月とはいえ今夜は少し低かった。
 何か羽織ればよかったかな、と思いつつ月灯りの下を歩く。

 ――ぐちゃぐちゃへたる悩み事も~♪

 小さな歌声が聞こえて来る。

 ――そうだ、ホッチキスでー、とじちゃお~♪

 周りを見渡しつつ声に近付いていくと、探し人は意外とあっさり見つかった。

 呟くようにして空を見上ながら唄う唯。
 月光を浴び、少し物憂うつ気にしている。
 その姿は泣いているように見えた。

 ――もう針が何だかー、通らな~い♪ララ☆また明日~♪

 唄い終わったところで唯が私に気付く。

「あ…澪ちゃん。どうしたの?」

 唯は笑顔を見せるが、どこか無理していた。

「窓の外見てたら唯の姿があったから…」

 こんな夜更けに寮を出るなんて普通じゃない。唯の部屋での件もあって、心配で仕方なかった。

「あはは…っ。よりによって澪ちゃんにみつかるなんてね…」

 ツイてないなぁ、と唯は笑った。

 胸が痛む。もう我慢できなかった。

「唯っ。私は…!」

 思わず歩み寄ろうとしたが、踏み止まる。
 あんなことした私が唯に近付いてはいけない。とっさに思った。

 唯が私を見ている。…言わなければ。

「……私は……唯が…好き」

 …言った。口にして…胸の痛みが増した。

 最初から感じていた寂寥感と幸福感。
 度々起こる高揚と衝動。
 それらの根本は全て同じものだった。

「…うん。知ってたよ」

 唯から笑みが消えた。

「…え…?」

「…澪ちゃんからキスされたことあるんだ…髪にだけどね」

 近付いた唯が私の髪を指ですくう。
 まるで神聖なものに触れるかのように口付けた。

「こういうふうに…寝てる私にキスするんだよ?あんな顔されたら幾ら私でも分かるよ…」

 唯の手が私の髪から離れていく。名残惜しかった。

「でも…澪ちゃんは『友達でいたい』って」

 唯の顔が苦しげに歪む。

「澪ちゃんにそう言われたら、私何もできないよ…っ!」

 耐え切れなかったように唯の目から涙が溢れ出す。
 それを見た瞬間、ありとあらゆる唯と過ごした日々が戻って来た。



『澪ちゃん…』

『どうしたんだ?唯』

 この日私たちは2人で出かけていた。
 私が振った後も唯は以前と同じように接してくれた。
 だけどお互い2人きりを避けていた気がする。それを思えば珍しいことだった。

『私…いつまで待てばいいのかなぁ…』

 この時の私は何を言われたのか分からなかった。
 唯が私の想いを知っていると知らなかったから。

『あ…あれ美味しそう。ちょっと買って行こう!』

 でも唯は答えを求めたりはしなかった。
 すぐにいつものペースに戻って私を振り回す。

 そんな束の間の外出。その帰り道、私たちは交通事故に遭った。



(ゆい…!)

 私は唯を強く抱き締めた。

「ごめん唯。ずっと…待たせて…ゴメン。」

 唯の嗚咽が大きくなる。

「…私…私…ずっと待ってたんだよ?」

「うん。」

 私は頷く。涙が零れた。

「本当は訊きたくてしょうがなかった。何度でも『好き』って伝えたかった」

「うんっ。」

「でもそうしたら澪ちゃん困るからって、ずっと…」

 一体私はどれだけ唯を傷つけたのだろう。
 律を失うのが怖くて、皆を失うのが怖くて、私は唯の想いに応えなかった。

 本当はずっと触れたかったのに…好きって言われて嬉しかったのに、私はその心を否定した。
 それが…ずっと唯を苦しめるなんて思いもしなかった。

「…唯」

 唯の涙を拭い、目を閉じて顔を近づける。唯はそれを受け入れた。

「…んっ」

 しょっぱいけど甘く、切ないキス。この感触を私は知っている。

 それは…病室で私を目覚めさせた、あの柔らかい感触だった――。




 数年来の想いが通じ合った数日後の夜、唯が私の部屋に遊びに来ていた
 寮に入ってからまともに私の部屋で過ごしたこと無いからか、唯ははしゃいでいる。

「澪ちゃん澪ちゃん」

「…何だ?」

 半ば疲れていたのだろう。少しおざなりになる。
 …まあ…恋人同士になっても然程大きな変化はないってことだ。

「これなに?」

 唯が手に持っているものを見て、私はとっさに自分の胸へと抱き込んだ…。

「………見た?」

 恐る恐る尋ねる。唯は笑顔であっさりと頷いた。

「うん。私の写真ばっかりだったね」

 うわ~っ!唯の写真集みられるなんて!
 恥ずかしさと気まずさで、顔が沸騰しそうになった。
 隠し撮りしたものは一枚も無いのだが、唯が大きく写っている写真だけ取り分けているなんて知られたくはなかった。

 凄く嬉しそうに唯は私の前で笑っている。…何だか悔しい。

「み~おちゃん!」

 唯が勢いをつけて抱きついて来る。

「ちょっ!うわっ!」

 支えきれずにベッドの上に押し倒される格好になった。

「澪~。遊びに来たぞ~」

 バンと大きな音を立ててドアが開く。

『………あ』

 私たち3人の声が重なった。

「りっちゃんどうしたの?……まあまあまあ♪」

 固まる律の後ろから覗き込んだのはムギ。私たちの姿を見ると同時に目を輝かせ始める。

「……いや…これは…」

 とっさに言い訳が浮かばない。

「…お邪魔しました」

「あとはごゆっくり~」

 そう言って2人はドアを閉める。

「待て待て待て!」 

 私は慌てて止めた。
 冗談だったらしい。すぐに揃って部屋に入ってきた。

「ふふふっ」

 …いかにも分かってますよ、といった体のムギが怖い。

「…ほら唯も降りろって」

 軽く唯の手を叩く。

「え~」

 不満げな声を上げてから唯は私の上から降りる。
 それでも私にくっついたままだった。

 少しは人目を気にして欲しいものだが。
 まあ今までやせ我慢していたみたいだし、なにより私自身が喜んでいる。
 引き離せるはずが無かった。

「…良かったな」

 律の声が優しい。どこか安心したような声だった。

 私と唯、両方の想いを知っていて、ずっと気に掛けていたのかもしれない。

「おめでとう。2人とも」

 ムギも祝福してくれる。関係の変化に気付いていたようだ。

 私と唯は互いに顔を見合わせ…そして笑った。


 これから先どんなことがあったとしても、私たちは乗り越えられるだろう――。

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END



最終更新:2012年01月28日 20:29