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紅茶を入れなおしケーキを堪能する。
口に入れた瞬間、クリームの甘みとスポンジの柔らかさが同居した。
しっとりとしたクリームと、ふんわりとしたスポンジ。
ふたつが上手く調和し、私の味覚を満足させる。
ゆっくりと味わったのち、紅茶をひと口。
――美味しい……。
声こそ出なかったものの、私の表情には喜びがあふれているだろう。
唯が、「食べられる前にイチゴちゃんあげるね」とケーキを皿ごと差し出した。
以前唯に『ひと口、交換しよう』と言われたときがある。
そのときは躊躇せずイチゴを食べてしまった。
それを思い出し、『あのときは悪かったわよ』と言葉が出かけたが。
「ありがたくいただいておくわ、誕生日だもの」
唯は「うん」と笑みを浮かべた。
こんなものだ、私たちは。
余計な言葉はいらない。
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紅茶のカップ、受け皿、スプーン、ケーキの皿。
念入りに洗い、水切りかごに収める。
唯は『私がやるよ~、のどかちゃん誕生日だし』とねだったけれど、丁重にお断りした。
別に『食器を割られるんじゃないかしら?』という危惧ではない。
家事は習慣になっているし、私の誕生日といえど唯は客人だ。
ここは家主が洗うのは当然だろう。
リビングへ目をやると、唯がミカンをもてあそんでいる。
コタツでくつろいでいる姿は懐かしく、私の胸中には寂寥感が到来――しなかった。
ひと通りの片づけをしてリビングに戻り、コタツに入る。
すると唯は得意気な顔をして。
「のどかちゃん、今からマジックをします!」
「何する気なの?」
「よく見ててね――。なんとミカンが……浮きます!」
「すごいわ、どうやってやってるの?」
何も知らない人なら、本当に浮いているように見えるだろう。
私にはタネがわかっているけれど。
ミカンの底面に親指を差込み、正面を向け私に見えないようにして。
それから他の指を踊らせ、超能力者的な仕草をする。
「企業秘密、ということで」
「知りたい? のどかちゃん」
「んー、また今度で」
「それじゃあ――大晦日だね!」
悪気の無い小芝居、何気ない約束。
年月が二人を変えてしまっても、関係だけは変わらない。
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このあとミカンは美味しくいただいた。
満腹感や安心感、コタツの魔力、それに――唯とのやりとり。
「でね、大学の友達がね――。そう――軽音部で――。すっごく楽しくて――」
「――うん、そうなの――。私も――色々と――。楽しくやってるわ――」
お互いの近況に花を咲かせ、夜は更けていく。
日付を跨ぐ――つまり、私の誕生日が終わろうとしたころ。
「あ、プレゼント忘れてたー!」
「それが用事だったわね」
――会いに来た目的はそれだけじゃないでしょ?
この言葉は伝えないでおく、唯も同じことを考えているから。
唯が白い箱をコタツの上に置き、厳かに口を開く。
「では……いよいよ開封します!」
「って、のどかちゃんのプレゼントだったよね」
箱を渡され、開封するように促された。
赤いリボンをほどき、上蓋を持ち上げる。
目に飛び込んで来たのは。
――マフラー、ね。
透明なビニールで包まれたピンク色のマフラー。
箱を見たときから薄々感じていたが、これは――。
「唯、こんなのもらっていいの?」
「もちろん! そのためのプレゼントだよ」
「でもこれ……、高いわよね」
「みんなからカンパしてもらっちゃった」
事情を聞くと、澪、律、ムギ、この三人からお金を手渡されたそうだ。
さらには、大学の友達からも自主的に渡されたとのこと。
そして唯が代表として選定を行ったらしい。
「ホントはね、ういも『カンパするよ』って言ってたんだけど……」
「高校生だから、気持ちだけ伝えとくってことで」
0が4つは付きそうな品物。
でも、大事なのは金額じゃない。
みんなの気持ちが嬉しかった。
「のどかちゃん、巻いてみてよ」
「コート持ってくるね」
唯はそう言って、私のコートを取りに行く。
そのあいだに取り出し、ビニールを剥がし、タグを切り取った。
手に取ってみると、明らかに安物とは違う手触り。
両端は五つの房になっていて、指を通すと滑らかな感触を受ける。
いわゆる『フリンジマフラー』という物だ、さらには――。
「これ、もしかして毛皮?」
戻って来た唯にあわてて問いただしてみる。
「そだよ」
「そうなの?」
茶色のコートを手にした唯は、あっけらかんと。
「あ、心配しないで。アウトレットものだから」
「大学生にそんな大金出せないよ」
「それでも悪いわよ、高級品でしょ?」
私はアウトレット物だとか、そういうことは気にしない。
むしろお得感さえあるので、嬉しいくらいだ。
唯は右手の人差し指を立て、わざとらしく左右に揺らす。
「女子大生のオシャレアンテナをなめちゃダメだよ?」
「いろいろと詳しい子がいるんだよ、それで見つけたってワケ」
「――じゃあ遠慮せずに受け取っておくわ。ありがとう、唯」
「照れちゃうなあ、そういわれると。とりあえず巻いてみてよ!」
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「にあうよ~、のどかちゃん。ピンク色でよかった」
部屋着の上にコートを羽織り、マフラーを巻いた。
鏡に映ったのは冬の装い、茶色のコート。
いつもと違うのはマフラーだけ。
普段は薄緑色を巻いているけれど、ピンクもいけるのではないか。
それにこの色は――。
「唯とおそ――」「選んだのはね、わたしだよ!」
言葉をさえぎられ、唯は説明を始める。
「最初はね、赤にしようと思ったんだ。のどかちゃんのメガネが赤いから」
赤は梓ちゃんのマフラー。
「さすがに安直かな? って思ったからやめにして」
「次は白。これは結構迷ったよ」
白は澪のマフラー。
「で、水色。のどかちゃんは薄緑で近いからこれも迷ったんだ」
水色は律のマフラー。
「チェック柄はどうかな? って思ったけど」
「のどかちゃんには似合わないかも、ってことで」
チェック柄はムギのマフラー。
「そんなわけで迷ったあげく、ピンク色にさせていただきました!」
ピンク色は唯のマフラー。
「わたしとおそろいだね」
「そうね」
以前の薄緑も気に入っていたけれど、ピンク色も気に入った。
――唯が選んでくれたから、なおさらね。
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「唯、本当にコタツでいいの?」
「うん! コタツで寝るの好きだし」
夜も更け、入浴も済ませ、あとは寝るだけとなった。
明日には地元へ帰らなければいけない。
「ベッドで寝てもいいのよ? 唯はお客さんなんだから」
「気にしないでよ、のどかちゃん」
「それじゃ、おやすみ」
「おやすみ、唯」
懐かしい街、私たちの街。
唯以外の軽音部のみんなは、ひと足先に帰っているはずだ。
でも唯は、私の下宿先に寄って一緒に帰ると言った。
――『私たちの街』に『一緒に』、か。
言葉を反芻すると、懐かしい気持ちになった。
――今日は来てくれて嬉しかった。
その気持ちを胸にベッドへ潜り込む。
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――寒い。
どうやら私は、12月の寒さというものを甘く見ていたらしい。
布団と毛布、ちゃんと冬物を使っている。
しかしそれでも――。
――寒いわね。
出来ればもう一枚布団を出したい、でも寒くて身動きが取れない。
それに対し、唯はすやすやと擬音が聞こえてきそうな寝姿でいる。
たまらず体を丸めてみるが、12月の寒さには敵わない。
しばらく耐えていると、布団がめくられ、何者かがベッドに潜り込んできた。
――唯。
何も言わず、私に体を寄せてくる。
コタツで温まった体は、温もりを届けてくれた。
今日だってそうだ、唯に会えなかった寂しさを埋めに来てくれた。
電話やメールでやり取りはするものの、心のどこかは冷えていたらしい。
――温めに来てくれたのかしら。
なんて柄にも無いことを考えつつ。
「プレゼントありがとう、唯」
と、小声でささやく。
唯は『ありがとう』をマフラーのことだと受け取ったはず。
もちろんマフラーは嬉しいけれど。
私にとってはこの温もりのほうが、よっぽど『プレゼント』だ。
そっと抱き寄せ体を密着させる。
――唯がいれば暖房器具は要らないわね。
それは贅沢な願いだけれど、心が冷えたときに温めてくれれば十分。
もう一度「ありがとう」とささやいた。
――今のうちに唯成分を補給しないと。
そう考え、冷えた手を唯の手に絡める。
唯は「ひゃっ」と子犬みたいに鳴いた。
寄り添っているあいだにお互いの体温が溶け合い、心まで溶け合うような感覚に陥る。
離れていた時間は一瞬で埋まったようだ。
時間が経っても変わらないことがある。
例えば私と唯の関係。
どれだけ離れても、時間が経っても、変わることはないだろう。
温もりに包まれ、眠りに落ちようとしたとき。
唯がひとこと、「おめでとう」と呟いた気がした。
おわり
最終更新:2011年12月26日 01:33