今年は寒く、雪が降りそうだった。
もしそうなればよい一日になるだろう。
和は時計を確認して、約束の時間に遅れるのではないかと心配するが、
まだそれほどの時間にはなっていない。
それに、彼女のことだ、時間通りに来ることはないだろうとも思いなおす。
雑踏の中で、何度も通りがかるひとに目を奪われる。
着ている服の色とか、髪の長さとか歩き方とか、
道ゆく人のほんの少しの細部が彼女を想起させる。
ここしばらく、突拍子もない場所や時間に彼女の面影を、似ても似つかぬ他人にまで彼女の似姿を求めてしまう。
自分は思っているより飢えているのかもしれないな、と和は思う。
気がつくと、世界は唯につながるものであふれている。
歌を聞けば、和は唯の声を思い出す。
風船を貰ってよろこぶ子どもの顔を見れば、唯の笑顔を思い出す。
食事をすると、これは唯の好物か、そうでないかを判断している。
まるで恋する娘そのものだな、と和は自分の状態をおかしく思う。
駅前では白い髭を付けて真っ赤なコートを着こんだ若い男がポケットティッシュを配っていた。
こんな日にまで大変ですね、と同情はするけれど、
メリークリスマスの挨拶とともに若いサンタの差し出すプレゼントを受け取るとそれでもなんとなく気分がよくなる。
「こういうのついつい貰いたくなっちゃうよね」と、いつか彼女が言っていたことを思い出し、
(それにはまったく同感だ)と一人頷いた。
貰ったばかりのティッシュを裏返すと、最近できたばかりだという
ブライダル用品店の広告が袋に差し込まれた厚紙に印字されていた。
白く凍る息を吐いてから、過ぎ去ったばかりの赤い人を見返ると、
まだまだ大量に抱えたノベルティをめかし込んだカップルに渡そうとしていた。
彼に幸せがあるように、とほんの少し願う。
約束の場所に着く。彼女はいない。
もう太陽は遥かな西の空に沈みかかっていた。
じきに燦然と星ぼしが輝きだすだろう。
和は噴水のへりに腰掛けて、星よりも早く輝き始める地上のイルミネーションに目を向けていた。
広場には人間の数とほぼ同じくらいの鳩がいる。
まだ巣には帰らないのだろうか。
足跡でミステリーサークルでも描くように徘徊する鳩の群れを落ち着かない気持ちで眺めていると、
背後から珍妙な声をかけられた。
「お嬢さん、一緒にお食事でもしませんか」
「……はあ?」
「のーどかちゃんっ!」
振りかえった先にいた若い女に抱きつかれる。
ぎゅっ、と苦しいくらいに圧迫されながらも、彼女の耳に届くように
「10分遅刻」と抗議してみせる。
「ごめんよお、ほんとにごめん」
「それで反省してるの?」
――本当は一刻もはやく和ちゃんに会いたかったんだけどねえ、
ごめんよお、だけど電車がねえ、急いできたんだよ、出る前に靴下が……
とひっくり返した箱のようにめちゃくちゃな言い訳を繰り返す彼女を引き離して、
「もういいよ。久しぶり、唯」
と、和は言った。
自然に口角が上がった。
「うんっ。直接会うの、えっと、2か月ぶり!だから……」
「はいはい、もういいから抱きつかないの」
「うええ……あっ、和ちゃん。しばらく見ないうちにますます綺麗になったね」
「…………何よ、それ」
「りっちゃんがねえ、こう言ったら和ちゃん喜ぶぞー、ってねえ」
「さっきのは?」
「ナンパごっこ!かっこよかった?」
「唯は相変わらず……」
「ええー」
「いいから行きましょうか」
(なにがいいのかしら)と自分で思いながらも和はズボンの尻を叩いて立ちあがり、
唯の手を取って歩き出した。
「和ちゃん……やっぱり私が遅刻したから怒ってる?」
「別にそんなことないよ。ほんと言うと、私だってついさっき来たばかりなんだから、お互いさま」
「そうなの?和ちゃんが、珍しいねえ……和ちゃんはいつも30分は前に着いてそうなのに」
「そう思うんなら、あなたももっと早く来る努力しなさいよ」
「どうして今日は遅かったの?迷子?」
唯は遅れないように歩調を合わせ、やわらかく和の手を握る。
「ちがう。服装をどうするか決められなくて」
握られた手袋越しの手を意識して、和は少しだけ照れてしまう。
「和ちゃん、私に見せるためにかわいい服装選んできてくれたんだね~」
「気温が分からなかっただけよ」
「いいわけしちゃってー。このこの、かーわいい」
「唯って幸せね」
「幸せだよお」
「何かずれてる」
★ ★ ★
「――そもそも、方向音痴が二人ってのがよくないのかも」
オデュッセウスもかくやとばかりの彷徨の末に辿りついたレストランの席にようやく腰掛けてから和はごちた。
「お、和ちゃん。ご自分が方向音痴であると認めますか」
「あなたもでしょ」
「大学の授業のたびに迷っちゃってー」
「あ、私も」
「大学って、教室も建物も多いから迷っちゃうよね」
「一度、気が付いたら違うキャンパスにいたの」
それから二人は運ばれてくる料理そっちのけで、という訳でもなく、
昼から何も食べてないと言い張る唯はがつがつと食べるし、
和は和でおなかが空いてない訳でもないので、予約で入れた人気店のおいしい料理を精力的に口に入れながら、
大学のことや様々の近況を交換し合った。
デートとは言え、幼馴染同士じゃこんなときに遠慮しないものね、と和は思うが、
自分で浮かべた「デート」という言葉のおもはゆいひびきに少し居心地が悪くなる。
お酒を覚えたこと、
部の先輩に去年のレポートを見せてもらったこと(そのレポートは役に立たなかった)、
新しいバイトを始めようと思っていることなどを唯は報告する。
(いつまでも同じ唯じゃないよね)と和は少しさびしくなる。
「はい、和ちゃん。誕生日プレゼント」
オーダーした品は残すところデザートとお茶だけとなったところで、唯は綺麗に包装された箱を和に手渡した。
「もうちょっとロマンティックな雰囲気とか、そういうの、演出できないの?」
満腹して腹をさする彼女に呆れて、和は頬杖をつく。
「愛してるよー」
「はいはい。だいたい、まだ数時間早いんだけど……」
「今はまだ私が年上!」
「ああ、はいはい。ありがとね、唯。じゃあ、これは私からクリスマスプレゼント」
手元のバッグから、何日も前に用意しておいたプレゼントの袋を取り出して、唯の前に置く。
「わあい。開けていい?」
「だめ。はしゃぐから。帰ってからのお楽しみ」
「すきーまから、見えないかなー……」
「唯、ケーキが来たよ」
それを聞くと唯は瞬時に居住まいを正し、ウェイターがおごそかな手つきでケーキの皿を差し出すのを待つ。
(私よりケーキ?)と少しさびしくなるが、
(まあ唯らしいか)と和は怒る気にもならないでかえってにやけてしまう。
「和ちゃん、なに笑ってるのー」
「唯」
★ ★ ★
「さて、これからどうしよっか」
レストランを出たところで、肩を伸ばして関節をぱきぱきと鳴らしながら唯は言う。
「そうね。決めてなかった」
「夜の映画でも行っちゃう?」
「なにか観たいのある?」
「んんん、特に」
「私もない」
「和ちゃん、あそこにお城みたいな建物が」
「ばか」
「どこか適当に歩こうか」
「うん」
繁華街はカップルで溢れていた。
和は、いつの間にかまた繋がれている自分たちの手を発見する。
どちらから手を伸ばしたのだったか。
「星、綺麗だね」
と、唯が言う。
視線を追って、和も空を見上げる。
綺麗だ。
「うん。街の灯りがなければ、もう少しきれいに見えるんだけど」
「そうなの?」
「そう。星の光は弱いから、電気の光に負けるの」
「プラネタリウム行く?」
「残念。駅の反対側にあるけど、もう閉まってる」
「和ちゃん、調べてきたんだ?」
「べつに」
「あれ、何かな」
唯が座った男と、その前で笑い声をあげている集団を指さす。
「あ、和ちゃん、似顔絵だって」
即興で通行人の似顔絵を描いて売っているようだ。
見ると、道のはしっこには、シートを広げて何かやっている人がちらほらいる。
似顔絵屋の向こうには詩をかいた紙を売っている人とか、その先には手造りらしいキャンドルの店があった。
しばらく、露店を冷やかしながら見て歩いた。
「――おう、姉ちゃん」
露店の店主の一人が手を挙げて二人に向かって威勢のいい声で呼びかけた。
「あっ」
唯はその声に気付くと、慌てて和の背後に隠れた。
「だれ?唯の知り合い?」
唯ににこやかな顔を向けている老人と、
コートの後ろから妙な仕草で彼に信号を送っている唯を交互に観察しても、
和には二人の接点が見当たらない。
店主は髭の濃い老人で、アクセサリーの類を売っているようだ。
「んーん、別に……」
見るからに挙動不審な態度で唯は言う。
「あやしい」
「それより、早く行こうよ。ほらほら、早く早く」
「どこに急ぐの」
ぐいぐいと背中を押す唯の力に負け、和は歩き出す。
背後から、「がんばれよー」という老人の声が聴こえた。
★ ★ ★
「……あぶないとこだった」
「何なのよ、いったい」
大きなクリスマスツリーが立っているところで二人は立ち止った。
「なんでもないよお。それより、人いっぱいだねえ」
「クリスマスだからね」
「サンタさんと和ちゃんの誕生日が、いっぺんにくるなんてすごいよねえ」
「だから私の誕生日は明日だって。……でも、これって不幸よね。クリスマスと誕生日をごっちゃにされちゃうんだから」
この子はまだサンタを信じているのか、と疑いながら和は言った。
「私がいるかぎり、和ちゃんを不幸になんてさせないよ?」
「そういう台詞は待ち合わせに遅刻しないようになってから言いなさい」
「ああん!やっぱり和ちゃん怒ってたあ!?」
「当たり前でしょ」
と、和は身体ごとそっぽを向いて、試しに言ってみる。
このくらいの台詞、ゆるされるはずだ。
「……和ちゃん、ごめんね」
泣きついて来るかと思いきや意外にも真剣な唯の声に、和はどきりとする。
「私のこと許してくれたら、こっち向いて」
完全に振りかえる前から手を取られて、少し強い力で引きよせられた。
「唯?」
すぐそこにあった唯の顔が近づいて、唇が触れあう。
手は握ったまま。
唇が、それから身体が離れると、和は恋人のいきなりの行動に文句を言うのも忘れて、
離された右手を自分の眼前に持ちあげた。
指に、おもちゃみたいな銀の指輪が嵌められていた。
「これ……」
「クリスマスプレゼントだよ」
唯は少しはにかんで、視線を逸らした。
「メリークリスマス」
「プレゼントなら、さっきくれたじゃない」
「さっきのは誕生日プレゼントだよお。こっちはクリスマスの」
「だから、私の誕生日は、まだ明日だって」
言いきる前に、身体を抱き寄せられる。
またキスされるのかと思ったが、その代わり唯は肩に顔を載せて耳もとでささやいた。
「今はこんなのしかあげられないけど、きっと幸せにするから、ね」
「…こんなのって?」
唯の息が当たった耳もとが熱い。
「さっきのおじさんのとこで買ったんだ」
「ああ……」
「サービスしてやるー、って言ってたんだけど、あのおじさん話長くってー」
「もしかして、それで遅れたの?」
「ん、んーん、んー」
「呆れた」
「あ、あきれちゃうの!?」
「ねえ、唯。人が見てるんだけど」
「どうせカップルだらけだからいいじゃん」
「でも」
「和ちゃん、今は他のひとのことなんか気にしてちゃやだよ」
「すごく恥ずかしいんだけど」
「めっ」
「めっ、じゃないの」
「キスしていい?」
「人が見てるってば」
「していい?」
「あのね……」
見上げると、大きなクリスマスツリーに飾られたてっぺんの星が、綺麗にかがやいている。
「……」
「ちょっぴし照れるね」
「ああ、そう」
「和ちゃん、照れてる?」
「唯、ばかじゃないの」
「それよりさ、さっきの、意味分かってる?」
「そうねえ」
和は再びツリーを見上げる。
「すこしだけ、幸せな気分かな」
おわり。
最終更新:2011年12月26日 09:57