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冬は日が沈むのが早い。
夕日は長い影を作り、ビルをオレンジ色に染め上げている。
みんなで戦利品を確保し、店が立ち並ぶ通りを歩む。
真ん中に菖、左側に私、右側に幸。
「ふう、買った買った。満足満足。
澪ちゃんもニーソックス買えばよかったのに、絶対領域が見たかったなあ」
「そ、それは……えっと。太ももの肉が気になるというか、なんというか」
短めのボトムスと太ももの中ごろまでのニーソックスを合わせる。
すると、そのあいだに生脚がわずかに見える。
それを『絶対領域』と呼ぶらしい。
「ざんねーん」
私の脚がもう少し細ければ視野に入ってたんだけど。
ひとまず話題を変えることにして、菖の荷物を見つめながら。
「菖は大漁だな、両手一杯に持って。結局、幸も買ったんだな」
「……うん、たまにはいいかも」
幸は袋を片手に持ち、私を見つめながら呟く。
それにしても――。
ふとした疑問が浮かび、視線を落として二人の足元を見る。
幸の身長は168~9センチ。
菖の身長は151センチだったはず。
これだけ身長差があれば脚の長さも違うわけで、当然歩幅も違うだろう。
けれど、二人はそんなことお構いなしに歩く速さを合わせている。
脚の長さと歩く速さは関係ない。
当然と言えば当然の話で、特別な発見でもなんでもない。
でもそれが、私にはなぜだか愛おしく思えた。
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夕食を終えて寮の部屋に戻り、
ベッドの上に服を並べているとノックの音がした。
続けて、「入るぞ」と律の声。
「わかった」と答え、鍵を開けて中へ招き入れる。
律はベッドの上の服へ目をやり。
「おおっ! 結構買ったんだな。――で」
視線を服から私へ移し、「着ないのか?」と訴えかける。
最初にお披露目するのは律になったな――。
からかわれるか、ほめてくれるか。
どちらにせよ着替えることにした。
「で、感想はどうなんだ? 律」
昼間試着したときと同じ姿。
デニム地のホットパンツに黒のタイツ。
淡いピンクのTシャツを着て、水色の袖なしパーカーを羽織る。
髪はあえてまとめず、ストレートに流した。
「おーい、律」と呼びかけるも、ワンテンポ遅れて。
「ん、ああ……」
と、気の抜けた返事。
もしかして、『律は気に入ってくれないんじゃないか?』
そんな考えが頭をよぎるも、不意に。
「……可愛い」と、律にしては小さな声で感想を述べた。
「え?」
「だから、似合ってるって! いいよいいよ」
私の周囲をうろつきながら、じろじろ見つめて頷いている。
後ろにまわって、私の両肩に手を置き。
「ほら、自分で見ろよ」と鏡の前に私を促す。
鏡に映った私は見慣れない姿だけど、間違いなく私だった。
いつも眼鏡をかけている人間が、外したときのような違和感だろう。
「似合って、る……のかな?」
「間違いないって。どこに出しても恥ずかしくない! 自慢の娘だ」
一瞬、『お前は私のママか!』という言葉が出かけて。
「お母さんじゃあるまいし、ほめたってなにも出ないぞ」
「そんなんじゃないですわよ、澪ちゅわん」
「じゃあ何なんだ?」
「嬉しいんだよ」
皮肉を言われたり、からかわれたりするかと思ってたけど。
手放しでほめてくれて、その上『嬉しい』なんて言われた。
前にもこんなことがあった気がする。
「嬉しいって……、私のことなのに?」
「そうそう。澪の嬉しさは私のもの、私の嬉しさも私のもの」
「どこのアニメの台詞だ!」
私が逆の立場ならどういう反応をしただろうか。
律と同じく、『似合ってる』と言って『嬉しい』って思うんだろう。
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一週間後、またもや律と講義の時間が重なった。
この季節には珍しい陽気で、雪や路面の凍結は姿を消している。
気温は高くないけれど、暖かい日差しが私たちに降り注ぐ。
「澪、ひとつ疑問なんだけど」
「ん?」
「こないだのアレ、着ないのか?」
「ああ、アレな……」
まだ自分で見慣れていないせいもあるし、恥ずかしさも勝っている。
それに――。
「なんて言うかな……、服に見合う自分にならなきゃって思ったから」
「見合う自分?」
「そう。例えば……ダイエットとか」
「澪はそこまで太ってないと思うけどな。……まあいいや、頑張れ!」
律はそう言って、私の背中をポンと押してくれた。
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子どものころ、背が高い子は走るのが速いと思っていた。
『ねえ、りっちゃん』
『なあに、みおちゃん』
『わたし、りっちゃんよりかけっこはやいよ』
『なんで?』
『わたしのほうが、しんちょうたかいもん』
その考えは、運動会の徒競走で打ち砕かれた。
ゴールまであと少しのところで、律にテープを切られたからだ。
『はあ、はあ……。り、りっちゃんあしはやいね』
『わたしのほうがはやいでしょ?』と律が自慢げに言っていた。
別に自信を失ったわけじゃなく、『身長は関係ないんだな』と理解した。
律は普段から活発だし、いい意味で慌ただしい。
バンドをやろうと言われたときも、軽音部に入ろうと言われたときも。
いつも私の先を行っていた。
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今だって律は忙しいし、私とは違うんだろう。
「みおー、どした? 悩みごとか」
「――何も、悩んでないよ」
いつからだろう、律と同じ道を歩き始めたのは。
どちらからともなく、歩く速さを合わせ始めたのは。
歩幅自体は私のほうが広い。脚が長いから。
その分律は、歩調を速めて私に合わせている。
もしかしたら、私のほうが歩みを遅めていたのかもしれない。
「なあ、澪」
そんなことを考えているうちに、キャンパスが近づいてきた。
律は午後からも講義、先週と同じだ。
「澪ってば!」
「で、でかい声出すなよ」
「ちょこっとだけ頼みがあるんだけど」
律は後ろ手を組みながら先に進み、
私にほうへ振り向いて、「今度バイトやるんだよ」と視線を向ける。
「そうか。で、どこでバイトするんだ?」
「えっとな、ライブハウスとかに時々呼ばれる感じかな。開演の時期に」
「そっか、律も忙しいんだな。今に始まったことじゃないけど」
私の気づかないうちに、どんどん先に進んでしまうような。
そういう姿を見るのは嬉しい。
でも、私のそばから離れて行ってしまうような思いにも駆られる。
「それって、紀美さんの紹介か?」
「いや、自分で探したんだけど。それでさっきの頼みってのがさ……」
律はそう言いながらわずかにうつむき、しばらく沈黙したあと顔を上げた。
出てきた言葉は――。
「澪も一緒にバイトしないか?」
「え?」
間の抜けた声で答えたのち、色んな考えが浮かんでは消えた。
ライブハウスということは、ステージの設営と撤去だろう。
となると力仕事だから、ムギが一番向いている気がする。
律はなんでムギを誘わなかったのか?
それにああいうのは多人数でやるものだ。
当然スタッフやバイト間の連携も必要になる。
人見知りな私より、唯のほうが適任じゃないのか?
色々考えを巡らせたのち。
「ダイエットになるかな?」なんて、下心丸見えの反応をしてしまった。
「なる! 絶対に。だからバイトしようよー」
「人手って私だけでいいのか? 唯とかムギも誘ったほうが――」
「ん、えっとな……採用枠もあるし、こういうのは引く手あまただから、な」
律は両手を合わせ拝むような格好で。
「この通りだから、二人でやろうよ」
「とりあえず……、今回だけだからな」と答える、けれど――。
「よっしゃ、そうと決まれば連絡しとくからな」
今回だけじゃなく、律が誘ってくれるのならいつだって。
逆に私が誘ってみるのもいいかもしれない。
あれこれ話していると、もうキャンパスは目の前だ。
中に踏み入り、しばらく律と歩みを進めた。
キャンパスの雪化粧も落とされ、冬らしい乾燥した空気に包まれている。
路面も乾いているし転んだりする心配はなさそうだ。
メインストリート脇の枯れた木に目をやると、先週の雪は無くなっていた。
春になれば緑色の葉に覆われ、学生を出迎えてくれるだろう。
「なあ、律。さっきの話なんだけど。採用枠がどうとか言ってたな?」
「あ、ああー。うん、言ったっけな」
「知ってるぞ、こういうのは人数多いほうがいいって」
律はきっと嘘をついている。
スタッフの人から、『友達もよければ誘ってね』なんて言われているはず。
にも関わらず、律は私だけに声をかけてきた。
律がみんなにひと声かければ、もっと人数を集められたはずだ。
「言わせるのか? 恥ずかしいですわねー、澪ちゅわん」
「……じゃあ、いいよ。二人でやろうな」
あえて理由は聞かないでおく。
きっと、同じことを考えているから。
上機嫌な律を横目に歩きつつ、講堂の前に到着した。
律が「それじゃ……」と口を開き。
「またあとでな、澪。バイトの件もよろしく」と付け加えた。
「わかった。よろしく頼むよ」
「澪、居眠りするんじゃないぞー」
「私が居眠りしたことがあったか? それより――」
視線だけで釘を刺し、「わーかってるよ」という律の返事を引き出した。
私は背中を向け、講堂へ向かう。
律も背中を向け、講堂へ向かう。
背中に律を感じながら振り返ることはせず、宙に手を振ってみた。
私は一人歩きながら、今までのことを思い出す。
いつも律がリードしてくれていた。
が、それは思い込みかもしれない。
私がいたから律はあんなふうに振舞っていたのかも。
自意識過剰もいいとこだけど、
もしかしたら背中を押していたのかもしれない。
それとも――。
「二人並んで歩いてきたのかな?」
思わぬ言葉が口をついて出た。
歩く速さだけじゃなく生きていくことだって、二人並んで。
急に恥ずかしくなり、顔が熱を帯びた。
冬の空気が丁度よく顔を冷やしてくれる。
ゆるんだ顔を人に見られないよう、うつむき加減で講堂へ向かう。
目の前には道が広がっていて、どんな歩き方をしても自由だ。
それでも律がいるなら、どんな道を歩いても大丈夫だろう。
私たちは、同じ速さでここまで歩いてきたんだから。
おわり
最終更新:2012年02月03日 23:32