お姉ちゃんだ。私は壁から顔を離すと、慌ててスキーの準備をしてドアを開けた。そしてそのまま、満面の笑みを浮かべるお姉ちゃんと一緒に、雪山へと出発した。
唯「あっ、あずにゃーん、他三にーん、やっほー」
何滑りかして再びリフトで山頂に登ると、お姉ちゃんを除く軽音部が揃っていた。
律「他三人ってなんだ、私達は梓のついでかよ」
唯「ごめんごめん。でもみんな私達を置いてスキー行っちゃうんだもん」
頬を膨らませて怒るお姉ちゃん。まさかみんなが、先にスキーに行ったのではなく香山さんの部屋にいたとは、思いもしないだろう。
澪「ま、まあこうやって合流できたんだし、楽しく滑ろうじゃないか。な?」
その後は澪さんの言葉どおり、みんなでスキーを満喫した。
……ようにお姉ちゃんの目には写っただろう。今日のお姉ちゃんは騙されてばかりだ。
憂「律さん、どっちが早く滑れるか勝負しませんか?」
律「へっ、私?」
いざ滑り出さんとしたところに話しかけられ、きょとん、とした様子で聞き返してくる。
憂「はい、一番運動神経がよさそうなので」
この私の一言に、律さんはあっさりと上機嫌になった。
律「ふふふ、さすが憂ちゃんお目が高い。絶対負けないからなー!澪、スタートの合図を頼む」
澪「はいはい、二人とも気をつけてな。……よーい、どん!」
即席スターターの合図とともに、私達は滑り出した。
私の視界に律さんの姿はない。なぜか。答えは簡単で、私が律さんより前を滑っているからだ。既にここの雪質にも慣れている分、私のほうが有利なのは明らかだ。
憂「悔しかったら追い付いてくださいよー」
律「なにくそ!引き離されてはいないんだ、もうすぐ逆転してやるからな!」
私は律さんと一定の距離を保って滑っている。あまりに離れ過ぎては意味がないのだ。
あらかじめ滑った地点を思い起こしながら、ある地点に辿り着いた瞬間、私は軽いミスを犯し減速した。
律「ひゃっはー隙あり!憂ちゃんさよならー!」
私を追い抜いた律さんは、私のほうへ振り向いて喋りながら少しの間滑り続け、
律「はっはっはっ……う、うああぁぁぁっ!」
崖の向こうへと飛翔していった。
憂「み、澪さぁん……うぐっ、ひぐっ」
なだらかなゲレンデに一人戻ってきた私は、澪さんを探し出し――紬さんでも梓ちゃんでもよかったが――話しかけた。
澪「憂ちゃん、いったいどうした?」
憂「ううっ、律さんが、律さんがぁ……」
澪「律?律がどうしたんだ!」
憂「つ、着いて来てください」
先ほど律さんが飛び立った崖へ、今度は澪さんを連れて行った。
そして
憂「律さん、ここから落ちちゃって……あそこ、覗いて見てください」
澪「なんてことだ。どれ……うわっ、あっ、あーっ!」
澪さんが律さんのところへ行けるようアシストした。
あとは簡単だった。紬さんも、梓ちゃんも、澪さんを突き落としたのと全く同じ手順を踏み、みんな仲良く崖下に並ばせてあげた。もっとも、落ちたみんなは雪に埋もれたので、本当に並んでいるのかは知らないが。
憂「お姉ちゃん、そろそろ帰ろっか」
唯「あっ憂、もぅーどこにいたの?いつの間にかみんなもいないし、一人で寂しかったんだから」
その点は本当に申し訳なかったと思ってる。
憂「ごめんね。てかみんないないの?」
唯「滑ってるうちに迷子になっちゃったみたい」
憂「律さん私に負けてから『みんなと特訓して見返してやるからな!』って言ってたから、こっそり練習中かもね」
言ってない言ってない。
唯「もしかしたらシュプールに帰ってるかもね、私達も帰ろっか」
憂「うん!」
こうして私達は、シュプールへの帰路についた。空は、これから吹雪いてもおかしくない様子だった。
からんからん。シュプールの玄関を開くと、透さんが受付から顔を出した。
透「やあおかえり。もうすぐ夕食だから、着替えたら食堂においで」
唯「わーい」
憂「料理は真理さんが作るんですか?」
当たり前だと言われそうな何気ない問いに、意外な答えが返ってきた。
透「と、思うだろ?実は、僕が作るんだ」
どや顔で両手を腰に当てる透さん。
憂「へぇー意外です。見学してもいいですか?お姉ちゃんもどう?」
透「どうぞどうぞ。といっても、下ごしらえは既に終わっちゃってるけどね」
唯「憂が行くなら私も行くー」
こうして、私とお姉ちゃんは、着替えたあと厨房に集合することになった。
憂「失礼しまーす」
唯「ん~良い匂いー、つまみ食いしちゃいたくなるね」
キッチンにやってきた私達の鼻に届いたのは、なんとも美味しそうなビーフストロガノフの匂いだった。
真理「たっぷりあるし、少し味見するくらいならいいのよ」
憂「サラダも美味しそう。これ、あとは盛り付けるだけですか?」
透「そうだね、手伝ってくれるのかい?」
憂「そんなつもりじゃなかったですけど……じゃあお手伝いしまーす」
真理さんからお皿を受け取り、サラダを盛り付けていく。お姉ちゃんのは特別たくさん盛っちゃおう。
真理「お待たせしましたー」
既に食堂で席についていた香山さんに私達が合流してすぐ、真理さんが前菜のサラダを運んできた。
香山「なんや、その子のだけやけに多ないか?」
お姉ちゃんのお皿を見て言う。
真理「手伝ってくれたサービスです。さ、皆さん召し上がれ」
唯「いただきます。……あずにゃん達まだ帰ってないのかな」
憂「みたいだね。うん、サラダ美味しい!」
真理「すぐにメインも持ってくるわね」
そう言うと、真理さんは厨房へと消えていった。
真理「お待たせ、ビーフストロガノフです」
言葉どおり、真理さんはすぐに次の料理を運んできた。
唯「あわわ、まだサラダいっぱい残ってるのに」
憂「私が盛り過ぎたからだね、ごめんお姉ちゃん。私もビーフストロガノフ食べずにお姉ちゃんを待ってるよ」
お姉ちゃんは急いで食べているようだが、それでも特盛サラダはすぐにはなくならず、なかなか主菜に踏み込めない。
結局、私達がビーフストロガノフに手を出せたのは、香山さんがデザートを食べている頃だった。
カチャーン
食器の落ちる音。見ると、香山さんが食後に飲んでいたコーヒーのカップを足元に落とし、口を抑えて苦しそうにしている。
香山「うぐっ……ご……がっ……」
そしてそのままどさり、と椅子から倒れ落ちた。
私達のデザートを運んできた真理さんが、血相を変えて香山さんのもとへ走り寄る。
真理「かっ香山さん!どうしたんですか!?」
真理さんの呼び掛けに答えることはなく、びくびくと痙攣を繰り返したその体は、ついに動かなくなった。
デザート待ちぼうけをくらっている私達も、そんなことは言ってられず、香山さんのもとへ近寄る。
唯「し、死んじゃったの……?」
異変を察した透さんが厨房から現れ、香山さんの喉元に指を当てる。
透「そう、みたい、だね。真理、警察と救急に連絡をお願いしていいかい?」
真理「わかったわ」
そう言うと、真理さんは食堂から駆け出して行った。
翌朝やってきた警察に状況説明と称した取り調べをしばらく受け、私達二人は解放された。このときお姉ちゃんは、律さん達が戻っていないことを訴え、別個捜索隊が派遣されることとなった。
ちなみに、香山さんの死因は、タバコの誤飲による中毒死だそうだ。コーヒードリッパー上方の棚に保管しておいたタバコの吸い殻が、何かの拍子に落下したらしい。
憂「まったく、そんなとこに吸い殻を保管するなんて、ちゃんちゃらおかしいね」
お姉ちゃんはと言えば、シュプールから帰ってきて三日後に、軽音部の仲間が遺体――集団で吹雪の中遭難し、前方不注意で崖から落下したとの見方が有力――で発見されたと聞き、以来塞ぎ込んでしまっている。
憂「このままじゃお姉ちゃん出席日数足りなくて留年しちゃうよ」
憂「そうなれば同じ学年だね、嬉しいな」
終 ~歪んだ姉妹愛~
最終更新:2012年02月04日 22:36