桜の舞う空の下


「綺麗ですね」

その言葉で、心臓が少しだけ速度をあげる。
横目で彼女を見やると、どこか遠くを見るような目で、空を仰いでいた。
ああ、私のことじゃないのか、なんて。それは分かっていたけれど。
ちょっとでも、変な期待をしてしまった自分が少し恥ずかしい。

透き通るような蒼の中、点々と桜色が翔び交う空を、どこか無表情に眺める彼女。

「ええ、綺麗ね。とっても」

彼女に倣って、私も桜の舞う空を見上げる。
そこには、春をかき集めたような、幻想的ですらある光景が広がっていて。

それを見て、あなたは何を思っているんだろう。

「綺麗ですね、ムギ先輩」

「え?」

今度の言葉は、どうやら私に向けられたもの。
さっきよりも大きい鼓動が聞こえる。

「桜吹雪の中の、ムギ先輩。すごく綺麗です」

「もう、からかわないでよ」

「顔、真っ赤ですよ」

「梓ちゃんが変なコト言うからです!」

そう言った彼女も、桜よりは濃い色に頬を染めていたけれど。
私にこんなことを言ってくるのは、何だか珍しいことで。
もし冗談だったとしても、それはとても嬉しい。たったそれだけの言葉で、体中が熱を帯びる。

だってあなたは、私にとって、特別な人だから。
いつからか私の中に芽生えていた、他のみんなにはない気持ち。

いつも一生懸命なところとか。それなのにどこか不器用だったり。
素直なのに変なとこで意地っ張りなところとか。他にも色々。
どこに惹かれたか、なんて言われたら、いっぱいありすぎて分からない。
長所も短所も、いろんな事を全部ひっくるめて。それらすべてが愛おしいと思えたから。

それがきっと、好きになるってこと。
私があなたに抱いている気持ち。

そんな人に出会えたのに。そんな気持ちに出会えたのに。
時間とか、社会の仕組みというのは、無情なもので。もうすぐ私たちは、離れ離れ。

今日、こうして出会えたのは、偶然。そういう名前の、誰かの悪戯。
どちらからという訳でもなく、どこへ行こうというわけでもなく。
散歩でもしませんか、と。私たちは、桜の舞い散る中を、ふたりならんで歩いている。

「もうすぐ入学式ですか?」

「ええ。もうすぐね」

「…しばらく、会えなくなっちゃいますね」

「…そうね」

「……やっぱり、さみしいです」

柔らかく微笑んでいるのに、なぜだか今にも泣き出しそう。
そんな顔で、そんなことを言うものだから。私にその気持を打ち明けてくれたから。

そうするのが、きっと一番なんじゃないかと思って。
言ったら否定しそうだけど、撫でられたり、抱きしめられたりしてる時にはね。
あなたはいつも、とっても嬉しそうにしているのを、よく知っているから。

寂しがり屋なあなたらしい。私も、なんとなくわかる。
スキンシップは好き。心も体も暖かくなるから。不安が、どこかへ飛んでいってしまうから。

だから、私はあなたをそっと抱きしめる。優しく、包み込むように。

「……ムギせんぱい?」

「ずっと、一緒だよ。会える時間は、減っちゃうかもしれないけど」

「みんな、梓ちゃんのこと大好きだから。だから、大丈夫だよ」

自分に言い聞かせているところも、あったのかもしれない。
この気持ちがあれば、離れていたって、大丈夫って。

もちろん、他のみんなだって。私の好きとは、少し違うけれど。
みんながあずさちゃんを大切に思ってるから。だから大丈夫だよって。

私たちの絆は、そんなに簡単には切れたりしないって。
それがあなたに伝わったらいい。だから、そんな顔はしないで欲しい。

「ムギ先輩も、私のこと、好きですか?」

「ええ。梓ちゃんのこと、大好き。いつまでも、一緒にいたい」

「…それは、後輩としてですか?友達としてですか?同じバンドの仲間としてですか?」

「あずさ、ちゃん?」

「……ごめんなさい。変なコトいいました。忘れてください」

可愛らしくて、でもか細くて、消えてしまいそうに、震えた声。
それと同じくらいに、その小さな体もこわばってしまって。
弱々しく、私の体から離れようとする。

可愛い後輩として。大切なお友達として。かけがえのない、仲間として。
もちろん、それもあるの。でもそれはきっと、私もあなたも。
言葉にしなくても、分かっていること。

じゃあ、どうして。そう聞いてくれたのか?
それは、それ以外の答えを欲してくれたから。

だから、そう聞いてくれたんだって。
あなたがほしい気持ちは、私があなたに抱く気持ちと、一緒なんだって。
そう思っても、いいのかな?

自惚れじゃ、ないよね。ううん。少しくらい、自惚れたっていいじゃない。
そうじゃなきゃきっと。伝えられないこともあるから。
だから、離れないように。震えるあなたを、あらためて抱き寄せる。

「…せん、ぱい?」

「ごめんね。私も今から、変なコト言うから。……聞いて欲しい」

「私ね、梓ちゃんのこと、大好きなの。お友達としても、仲間としても」

「でもね、それだけじゃないの。梓ちゃんは、私にとって、特別なの」

「…とくべつ、って。どういうことでしょうか?」

上目遣いの潤んだ瞳。真っ赤に染まった、可愛らしい頬。
私の気のせいじゃないのならば、そこに拒絶の意志は見えない。

まるで、何かに期待しているような。でもそれを、素直に言い出せないでいる。
控えめな子供の、精一杯の我侭みたいな、その姿。

もうわかってるはず。お互いの気持が。
だけど、はっきりとした言葉で、形になっていないから。まだどこか不安で。

最後の一歩、本当にあと少しを、どちらが先に踏み出すのか。
それを不器用に窺っている、恥ずかしくて、くすぐったくなるような感覚。

「…察してほしいなぁ、なんて」

「聞きたい、です。ムギ先輩の言葉で」

この子は私が思っている以上に甘え上手なのかもしれない。
その顔は反則。何でもいうことを聞いてあげたくなってしまう。

だから、最初は私から。そんなあなたの我儘を、一つ叶えてあげる。

「一人の女の子として、好きなの。梓ちゃんのこと」

途端に、彼女の方からも、ぎゅっと抱き寄せられる。
私の胸に顔をうずめて、それでも、聞こえるようにはっきりと。

「私も、好きです。ムギ先輩が。…一人の女の子として、好きです」

そう言ってくれた。

それに続いて、少しだけ溢れる嗚咽。

「ずっとずっと、好きでした。だけど、…きっとムギ先輩はそんな風に想ってくれないって、私…」

「でも、もうすぐ会えなくなっちゃう、からっ、だから……」

「伝えようとしたのに、全然…、言い出せなくって。そしたら、あっという間に卒業しちゃって…」

今日、偶然会えて、嬉しくて。思い切って、言おうとしたけれど。
やっぱりどうしたら良いか分からなくて、すごく怖かったって。
私に好きっていってもらえて、どうしようもなくなってしまったって。

ひとつひとつ、ゆっくりと。梓ちゃんは思いを打ち明けてくれて。

「結局、ムギ先輩に言わせちゃったし…。ダメダメですね、私」

そんなの全然構わない。だって。好きって気持ちは。
どんなことでも、愛おしくなせるものなの。

「そういう所も、私は好きなんだけどなぁ」

「…そんな風に言われたら、私からは何も言えないです」

まだ少しだけ、目尻に涙を貯めて。どこか恥ずかしそうに、それでいて。
とても嬉しそうだ、と。はっきりと分かるくらいに微笑んだあなたは。

きっと、世界中で私が初めて見るあなた。

どうしようもないくらいに、可愛くて愛おしい。
離したくない、離れたくない。だから、もっとぎゅっと。抱きしめる。

「ずっと、一緒にいようね」

「はい、ずっとずっと。一緒にいてください」

そうして私たちは、桜の舞い散る中で。

「好きよ、梓ちゃん」

お互いの想いをより確かなものにするように。

「好きです、ムギ先輩」

そっと、唇を重ね合わせた。


おしまい



最終更新:2012年02月08日 21:43