澪「いや、行こう。憂ちゃんの出方を見る最後のチャンスかもしれない」

紬「ここを乗り切れば、もう全て終わりよ。頭を抱えながら過ごす事もなくなるわ。大丈夫…私達なら…」

律「…わかった。これで最後だ。頑張ろうぜ」

唯「うん」

私達は、クリスマスパーティーに向けて、作戦を練った。

当日はメールで相談しながら憂を探る。
私は憂とみんなを気遣うフリをする。

結局これだけの作戦だったが、憂の真意が全く読めない以上、その場で臨機応変に対応するしかなかった。

私とりっちゃんはボロを出さないよう、あまり大胆には動かない事にした。


クリスマス当日まで、私は毎晩、あのノコギリの音に合わせて声をあげていた。
精神はとっくに限界を越えていたが、私はなんとか人間らしさを失わずにいる事ができた。

何度も「ティータイム」を繰り返し、打ち合わせをして、とうとう私達は12月25日を迎えた。

…………………
…………

他人の家の庭先にあるクリスマスツリーを眺めていた私は、はぁっ息を吐いた。
先程と同じように拡散する吐息を目で追って、私は曇天を見上げた。

結局、今日は憂の考えがわからなかった。

明日も「ティータイム」は開かれるだろう。そこで今後について、また話し合わなければいけない。

唯「あ、そうだ…」

私はポケットからケータイを取り出した。
澪ちゃんとムギちゃんの、80件以上に及ぶ、メールでの話し合いを削除しなくては。
私はそれらを消す前に、二人のメールを読んでみる事にした。

ムギちゃん
澪ちゃん
ムギちゃん
澪ちゃん
ムギちゃん

メール一覧に、交互に二人の名前が並んでいた。

私は最初からそれらを読み返した。

メールの文章は、「音楽」「ギター」「新曲」「ライブ」といった音楽用語で構成されていた。
何も知らない人には、音楽が好きな女子高生二人が、熱心に語り合っているだけのメールに見えるだろう。
だが私には、それがどれほど残酷な文章であるかが、容易にわかった。

全く、二人の頭の回転の速さには恐れ入る。

私はメールを読み進めた。

どうやら、二人も憂には攻めあぐねていたらしく、メールの内容はどうどう巡りだった。

澪ちゃん
ムギちゃん
澪ちゃん
ムギちゃん

私はメールを読み進める。

30件目あたりまで読み進めたあたりで、画面をスクロールさせるためにケータイのキーを押していた、私の指が止まった。
画面に表示されたその文字を、私は凝視した。

ムギちゃん
澪ちゃん
ムギちゃん
澪ちゃん
ムギちゃん


ケータイを持つ手が震えた。

憂は、パーティーの最中に私にメールをしていたのだ。

私達は、憂の挙動に細心の注意を払っていた。
だが、憂がメールを打つ様子などなかった。

憂はこっそりとメールを打ったのだ。
私達のように。
こたつの中で。

なぜ憂はそんな事を?

決まっている。
憂は私達の動きに気づいていたのだ。

膝ががくがくと震え始める。
憂からのメールを開く事なく、私はケータイを閉じた。

落ち着かなきゃ。落ち着かなきゃ。
私は咄嗟に、さっきコンビニで落としてポケットにしまったレシートを取り出した。
その無感情な文字を読んで、私は気持ちを落ち着かせる事にした。

くしゃくしゃに丸められたレシートは4枚。
レシートを財布の中にしまっていたのは、几帳面な憂らしかった。

1枚目。
書店のレシートだ。漫画本を2冊買ったようだ。計720円。今度私にも読ませてもらおう。

2枚目。
スーパーのレシート。スピリタスウォッカ96%500ml。計1490円。恐らくお酒だろう。料理にでも使ったのだろうか。

3枚目。
コンビニ。薬用シャンプー。493円。あのシャンプーだ。これは私が捨てた。

4枚目。
ホームセンター。鋸(八寸目)。1710円。

私は右手に持っていたコンビニの袋をどさっとコンクリートの地面に落とした。

何で憂はこんなものを買ったのだろう。

全身ががたがたと震えた。私の頭の中で様々な記憶が交錯する。


私は寒空の下、落とした袋も拾わずに、憂の待つ自宅へ駆けていった。
もう冬の寒さなど感じなかった。それよりも遥かに底冷えのする不気味な…圧倒的な寒さが、私の内側からじわじわと全身に広がっていった。

家に着き、照明が点いたままの玄関を通る。

私は廊下を進み、恐る恐る浴室の気配を探った。
どうやら憂はまだお風呂に浸かっているらしい。

私は台所に向かった。
流し台には、下げられた食器が乱雑に置かれている。

流し台の下の、鍋やフライパンを入れるスペース…その戸には憂が愛用しているキッチンミトンがかけられている。


私はごくりと唾を飲んだ。
いや、口の中は乾ききっていたので、唾など口内にはない。
私は喉を鳴らしただけだった。

私は憂のキッチンミトンを戸から除け、ゆっくりと引いた。


あった。

それはそこにあった。

刃が磨り減ったノコギリ。

私は全身の力が抜けていくのを感じた。
手も足も腰も背中も、骨格を持たない軟体動物のようになり、私はぺたんとその場に座り込んでしまった。

目を大きく見開き、口をだらしなく半開きにした私は、今日起こった事、今まで起こった事の全てを理解していた。

食卓に並んだ料理。
風呂場の髪の毛。
私を悩ませた深夜のノコギリ音。

馬鹿な。憂はあずにゃんの居場所を知らない。
あれは音楽室の食器棚に保管したはずだ。

いや、違う。
音楽室に置く事を提案したのは、他でもない、憂だ。

もはや、この常軌を逸した現実を否定する言い訳が、私には思い浮かばなかった。

恐らく憂は、私の部屋の掃除でもしようと思ったのだ。
その時にクローゼットを開けた憂は、見慣れないギターケースを見つけた。
不審に思った憂は、その無骨なチャックに手かけた。
そしてあずにゃんを見つけたのだ。

その時憂は、私達が結託してそれを隠しているのだと気づいた。

和ちゃんがクローゼットを開けた時、腐臭はしなかった。
恐らくあれは、憂がアルコール度の高い酒を使って、簡易消毒をしていたからだ。

私達は隠し場所に困っていた。そこで憂は音楽室を勧めた。

そして憂は全員の家を訪ねた。私達がグルである事の確証を得るために。

いや、しかし、ギターケースの中身は、あの時既に音楽室の食器棚の中だ。
憂がみんなの目を盗んで部屋の中を物色しても、あれが見つかる事はない。

にも関わらず、憂は私達が一蓮托生の誓いを立てた事を確信した。

なぜ?

そうだ。私達の部屋には、ギターケースの中身以外にも、共有している物がある。

ラベンダーのアロマオイルが。

消臭用のそれだと気づいた憂は、私達がグルである事を確信した。

音楽室の食器棚。
あそこに隠すのも、私達が高校を卒業するまでの間だ。
その後の事は考えていなかった。ライブが私達を盲目にさせた。

だから憂は、最も確実な隠し場所を考えた。

そして私達をクリスマスパーティーに誘った。

音楽室の食器棚のカギを壊し、あずにゃんを取り出した憂は、それをこの家へ持ち帰った。

ここ最近、私を苦しめていたノコギリの音。
あれは幻聴ではなかった。

憂は風呂場で、夜な夜なクリスマスの準備をしていたのだ。

私がさっき風呂場で見た髪の毛は、私と憂のではない。お母さんやお父さんのものでもなかったのだ。


そして今日、食卓にソレは並べられた。

憂はソレを私達が全て平らげたのを確認すると、こたつの中で私にメールを送ったのだ。


私は風呂場の音に耳を澄ませた。
シャワーの流れる音がする。
今、憂は念入りに、晩餐の後片付けをしているのだ。

私の手は、骨も筋肉も失ったようだった。
それでも私は、なんとかポケットからケータイを取り出し、澪ちゃんとムギちゃんの名前に挟まれた、憂のメールを開いた。

そこには、こう書かれていた。



憂[お姉ちゃん、もう大丈夫だよ]

第5部 完



エピローグ

私は、親友の唯に会うべく受付を済ませると、無機質な部屋に案内され、そこに置かれたパイプ椅子に腰掛けた。

程なくして、分厚いガラスの向こう側に唯が現れた。
食事が全く喉を通らないのだろう。
目は大きく窪み、頬骨は突き出し、丸かった顎も今では尖っている。

和「…唯、久しぶり」

横におかれたマイクを通して、私は唯に月並みな言葉をかけた。

唯「…」

唯は何も答えずに、椅子に座った。
怯えた猫のような目で、唯は私を見つめた。



12月27日、唯達軽音部は自首した。
梓を殺害したと自供したのだ。

報道がほとんど無かった事から察するに、社会的な影響を考慮して、事件の内容は殆ど伏せられたのだろう。
私も詳しい話は聞けなかったが、それほど凄惨な事を彼女達は梓にしたのだという事は容易にわかった。

自首をする前日、私は唯に呼び出され、梓を殺したと告白された。
唯はただ、

唯「私はあずにゃんを殺した。だから自首する」

としか言わなかったので、今までどうやって事実を隠していたのかは、私にはわからなかったし、私もそれを問いただす事はしなかった。

出頭する直前、唯は私に言った。

唯「私は人間でいたい…。でももうその資格はない…。このままだと、私はもっとおかしくなる…」

心身共に衰弱しきった唯達は、これから暗く閉ざされる自分の将来や世間体よりも、自分達自身を恐れているようだった。
そのために彼女達は、自分達自身を、まるでギターケースの様に閉ざされた世界に閉じ込める事にしたように私には思えた。


和「これ、差し入れよ」

私は言葉を発しない唯に、綺麗に包装された、菓子の入った箱を見せた。

唯「…」

唯は何も答えなかった。
菓子の箱に目を向ける事もなく、唯はじっと私を見据えている。

和「…じゃあ、今日はもう帰るね。また来るから」

私は席を立ち、菓子の箱を持ってその無機質な部屋を出た。

外に出ると、2月の澄んだ空気と共に、意地悪く寒さを運ぶ風が吹いた。

私は身体を震わせ、バス亭のベンチに座り、イヤホンを耳にはめると、志望大学の赤本を開いた。

唯の衰弱ぶりは明らかに異常だった。
このまま何も食べなければ、私が高校を卒業する前に、もう二度と彼女に会う事はできなくなるだろう。
恐らく律も澪も紬も、同じ状態なのだろう。それが彼女達の選択だった。
平穏無事な世界で生きる私には、彼女達の心が理解できない。
その私に、彼女達の選択を咎める事はできなかった。生きていればこそ…などと甘ったれた事は言えなかった。

しばらくして、市営のバスが到着した。
私はそれに乗り込み、イヤホンから流れる音楽に耳を傾ける一方で、気持ちを落ち着かせるために、赤本の数式を解く事に意識を集中させた。





※補足
あ、ちなみに憂は捕まってません。
唯達は自分達が食ったとだけ供述しました。




最終更新:2010年01月28日 00:28