「ねぇ、澪ちゃん、梓ちゃんのこと、どう思う?」
白いもやのかかった、部室のような空間で、私は澪ちゃんに尋ねる。

「どう思うって言われても……」
「じゃぁ、どんな子だと思う?」
「えっと……ギターがうまくて、まじめで、でもちょっと生意気で、ちっちゃくって、かわいくって、いつも元気で、いつも、そんな元気をくれて」
澪ちゃんは嬉しそうに、すらすらと答えていく。

「じゃ、じゃぁ、私のことはどう思う?」
「ムギのこと……?
「うん」
「……ごめん、特に思いつかないや」
澪ちゃんは、口ごもり、困ったような表情を浮かべた。

「そんな……」
「だって……私、梓のことしか考えられないから……」
「私もです、澪先輩」
いつの間にか現れた梓ちゃんが、澪ちゃんに寄り添い腕を絡める。

「梓……」
「澪先輩……」
二人は見つめあい、そして―――

―――

「……ゆめ?」
私はベッドの中でぼんやりと呟いた。
頬に伝う冷たいものを手で拭い、壁の時計に目を移すと、既に8時を回っていた。

「そろそろ準備しないと」
そうは思うものの、なかなかベッドから起き上がることが出きない。

今日はりっちゃんのお家で、軽音部の3年生組み4人で、チョコレートを作ることになっている。
いつもなら楽しいイベントなのだけれど、今日は違っていた。

「休んじゃおうかな……」
そう呟いた時、サイドテーブルに置いてあった携帯電話が震え始めた。
ディスプレーを確認すると、それはりっチャンからの電話だった。

「もしもし」
『ムギ?』
「どうしたのりっちゃん」
『なぁ、ムギん家にラム酒ってない?』
「ラム酒?
……あると思うけど?」
私が、質問の意図をつかめないまま答えると、電話の向こうからりっちゃんの大声が響いた。

『頼む!貸して!』
「え?」
『今日作るチョコに必要なんだけどさぁ。
買っておいたの、親に飲まれちゃって』
「そうなの?」
『澪や唯にも聞いたんだけど、内にないって言われてさぁ』
なるほど、それで必死だったのね。
そう思い、私は微笑んで答えた。

「うん、じゃぁ持ってくね」
『たすかったぁ、ありがとなムギ』
「じゃぁ、また後でね」
『うん、じゃぁ後で』
私は、電話を切ってはっとした。
さっきまで休もうと考えていたのに、自分から行かなければいけない状態にしてしまうなんて。

「はぁ……」
私は、小さくため息を吐くと、身支度を始めるため、ベッドから身を起こした。

「…………」
私は、髪をとかそうと鏡台の前まで行ったが、そこであるものが視界に入ってしまい、
思わず足を止め、目を逸らしてしまった。

「ふー……」
大きく一呼吸し、もう一度それに視線を移し、ゆっくりとした動作で手に取る。

「澪ちゃん……」
それ―――
網掛けのマフラーを手にすると、自然に唇から言葉がこぼれた。
それは、今年のバレンタイン。
つまり、今日、澪ちゃんにプレゼントするつもりで作っていたものだった。
そして、あの日。
澪ちゃんの誕生日、澪ちゃんと梓ちゃんが結ばれてから、ずっと触れることの出来なかった物だった。

「……さよなら澪ちゃん」
私は首を振ると、マフラーを解こうとして―――

「どうして……」
私は、その体制のまま、まるで金縛りにでもあったかのように身動き一つできなかった。

「……諦めるって決めたのに」
思わず瞳から涙が溢れた。

―――

「遅かったなムギ」
「ごめんなさい、ちょっと準備に手間取っちゃって」
私が、約束の時間から1時間ほど送れてりっちゃんのお家に着くと、3人は既にチョコレート作りに取り掛かっていた。

「あ、ごめんな、私が急に無理なお願いするから」
「ううん、別にりっちゃんのせいじゃないから」
そう、りっちゃんのためにラム酒を探していて、遅れたわけじゃなかった。
ただ、涙の痕跡が消えるまで、部屋から出ることが出来なかっただけで。

「澪ちゃ~ん、手伝ってくだされ~」
キッチンに入ると、唯ちゃんの半分泣きそうな声が、いきなり耳に飛び込んできた。

「どうした?」
「字がうまくかけないんだよ~」
「でもそれ、憂ちゃんへのチョコレートだろ?
メッセージは自分で書いた方が……」
「うん、メッセージは自分で書くんだけど……書くためのストロベリーチョコ、なくなっちゃったんだよ~。
一緒に作って」
「しょうがないなぁ……
私の方はだいたい終わったし、いいよ」
「ありがと、澪ちゃん」
澪ちゃんは優しく微笑むと、唯ちゃんのチョコレート作りを手伝い始めた。

「ムギ、私たちも作ろうぜ?」
「う、うん」
そして、そんな澪ちゃんに見とれていた私の思考を、りっちゃんの声が現実へと引き戻した。

―――

「できたー!」
唯ちゃんの元気な声が、キッチンに大きく響く。

「ついに……ついにやったんだな、唯隊員」
「や、やりました……りっちゃん隊長!」
「唯隊員!」
「りっちゃん隊長!」
そして、いつものように小芝居を始める唯ちゃんとりっちゃん。
そんな二人を、いつものように見守っているだろう、澪ちゃんに視線を向けると……。

「ごめん……そろそろ時間なんだ」
澪ちゃんは時間を気にし、そわそわしていた。

「あぁ、梓とのデートの時間か?」
「ば、ばか!」
りっちゃんのストレートな問いかけに真っ赤な顔で答える澪ちゃん。

(澪ちゃん……)
そんな澪ちゃんの表情に、胸が締め付けられた。

「あっ!澪ちゃんとあずにゃんがデートってことはもう憂、一人なんだよね!?」
「そうだろうな」
「じゃぁ、私も帰らないと。
憂、寂しがっちゃうもんね」
「じゃぁ唯、途中まで一緒に行こう」
「うん」
そうして二人は、手早く荷物をまとめると、あわただしくりっちゃんのお家を後にした。

―――

「なぁムギ……大丈夫か?」
「え?」
二人が出て行くと、急にまじめな口調になったりっチャンが尋ねてきた。

「ムギ……辛かったら無理しなくていいんだぞ?」
「なんのこと?」
「澪のこと好きなんだろ?」
「…………」
私は、その問いに答えることが出来なかった。

「ずっと気になってたんだ。
ムギ、いつも笑顔だったけどさ、澪が梓と付き合いだしてから……
なんかうまく言えないけど、どっかいつもと違っててさ」
「…………」
「なんだか辛そうでさ……」
「…………」
「うまく言えないんだけど……辛い時は無理せず、泣いた方がいいんじゃないか?」
りっちゃんの、その優しい言葉に、私の瞳から一筋の涙がこぼれた。
そして、一度流れ出した涙は、次から次へと溢れ出し、とめようと思っても、とめることが出来なかった。

「り、りっちゃん!」
そして私は、りっちゃんにしがみつき、子供のように大声を上げて、わんわんと泣き出してしまった。


―――

「……大丈夫か?」
しばらくして、私が少し落ち着くと、りっちゃんは私の頭をなでていた手をとめ、問いかけた。

「……うん」
「少しはすっきりした?」
「……うん」
「それならよかった」
「……りっちゃん、ごめんね」
「なにが?」
「服、濡らしちゃったね」
「すぐ乾くからぜんぜん大丈夫だよ」
そう言うとりっちゃんは、いつものはじけるような笑顔を見せてくれた。

「よしっ、さっきのガトーショコラ、余分に作ったから一緒に食べようぜい」
「いいの?」
「いいっていいって」
「ありがとう……じゃぁ、お茶淹れるね」


―――

その日、りっちゃんと食べたガトーショコラは、うまくできていたはずなのに、なぜか、しょっぱかった。
でも、胸に詰まった痛みを溶かしてくれる、そんな優しい味だった。


―――

「もしもし」
私は、自室に戻ると電話をかけた。

『ムギ、どうしたの?』
「ごめんね澪ちゃん、今梓ちゃんと一緒だよね?」
『うん』
「ねえ澪ちゃん……澪ちゃんは幸せ?」
『え?何で?』
澪ちゃんは、不思議そうに尋ねる。

「ごめんね、急に変なこと訊いて。
ちょっと訊いてみたかったの?
『そっか……うん、幸せだよ』
澪ちゃんの、穏やかな声が受話器から流れる。

「よかった……梓ちゃんにも変わってもらえる?」
『うん』
そして、しばらくすると、梓ちゃんの元気な声が響いた。

『ムギ先輩ですか?』
「ごめんね、二人っきりのところ邪魔しちゃって」
『いえ、大丈夫ですよ』
「ねぇ、梓ちゃんは今、幸せ?」
「はい!ムギ先輩のおかげです。
ありがとうございます』
屈託のない、梓ちゃんの返事に、口元が緩んだ。

「ううん、そんなことないわ。
梓ちゃん……澪ちゃんと仲良くね」
『はい!』

私は、電話を切ると、再び鏡台の前に向かう。
そして、網掛けのマフラーを手にした。

「澪ちゃん、素敵な恋をありがとう……
梓ちゃん、澪ちゃんをよろしくね」
私の手の中で、マフラーはするすると音をたて、もとあった姿へと帰っていった。


おしまい





最終更新:2012年02月23日 01:14