澪Side

澪「私の想いは、桜色したクリームね。
恥ずかしいけど、優しくあなたを包んであげたい……」

春休みのある日、私はこの辺りで桜が綺麗と有名な、小さな山の上にやってきていた。

ちょうど桜は満開。ここは景色が良いだけでなく静かで空気も良いし、作詞をするには最高の場所とタイミングだ。

和「澪じゃない」

ふと名前を呼ばれ、私は声がした方を向いた。

澪「ーーあっ、和」

そこには、舞う桜の中に一人の女の子が立っていた。

それはとても絵になっていて。妖精の様に美しく、でもカッコ良くて。

ーー綺麗。

まるで桜の国の王子様だ。

そんな彼女の姿に、私はそう思った。

和「奇遇ね、こんな所で会うなんて。
一人?」

和は私の隣まで歩いてくると、座りながら聞く。

澪「うん。桜を見ながら歌詞を書こうと思ってな。
作詞をする時は、一人でどこかに出かける事も多いんだ」

和「あら。じゃあお邪魔だったかしら」

申し訳なさそうな表情をする彼女だが、私は顔を横に振る。

澪「いや、そんな事はないよ 。
むしろカッコ良い和と一緒だったら、良いラブソングが書けるかもってふと思った」

和「……カッコ良いって、私が?」

しまった。女の子に『カッコ良い』って表現、不適切だったかもしれないな……

澪「ーーあっ、ゴメンな。悪い意味じゃないんだ。
その……私にとって和は、王子様みたいで憧れなんだ」

和「私が王子様?」

……うわっ。言い繕おうとして、変な事を口にしてしまった。

いや、これは本心なんだけど……突拍子がなさすぎるよな。

ほら。和、首を傾げてる。

澪「はは、女の子にこういうのって良くないのかもな。
けど、常に冷静で頭の良い和は、私にとって憧れの王子様なんだ」
 
この言葉に、和は唖然としてしまった。

うわわ、フォローにフォローしようとして、墓穴の中に墓穴を掘ってしまったのだろうか。

和「……ふふっ、それは嬉しい言葉だけど……
澪にとってのその称号は、律の方がふさわしいんじゃないかしら?」

ーー田井中律。抜けている所が多々あるが、確かに人を引っ張っていく力のある軽音部の部長で、頼れる私の幼なじみ。

……そうだな。これ以上あれこれ言葉を重ねようとしても、さらに墓穴を大きくするだけな気がする。

もっとストレートに話そう。

澪「いや、なんて言うか……律はヒーローで、和は王子様ってイメージなんだ」

これは感覚的なもので上手く説明出来ないのだけど……

確かに頼りになる、と言う点では律と和は似ていると思う。

でも、私にとって二人は……

性格が違うとか別人とか、そういう意味ではなくて……まったくと言っていいほど似て非なる存在だった。

ーー和は、少なくとも嫌な思いはしていないみたいだ。

彼女が苦笑ですらない笑顔とやわらかな空気を見せたので、私はそう感じた。

……よかった。

そういえば。

澪「和も一人でどうしたんだ?」

和「桜が綺麗だからね。散歩がてら、お花見に」

和はそう言うと正面を向いて、前を見つめる。

……綺麗な横顔だな。

私が見とれた瞬間、彼女はもう一度こちらを見つめてきた。

気が緩んだ一瞬に再び目が合い、胸がーー高鳴った。

和「それに、私もね。一人で出かけるのって結構するのよ。
皆とワイワイする楽しさと、一人でゆったりする楽しさ……どっちも味があって良いわよね」

確かにそうだな。

騒がしすぎるのは苦手だけど、私も和の言う両方とも好きだ。

……が、自分の気持ちを見透かされた様な気分で動揺していた私は、上手い返答が出来なかった。

澪「うん、そうだな」

私は何とかそれだけ言えたが、気恥ずかしさに少し視線を下げる。

すると、ある事に気付いた。

澪「あれ、和……何か食べてる?」

和「ん?
ええ、梅ガム。ここに来る前に桜にピッタリだと思って買ったの。
澪も食べる?」

和が私に、梅ガムを差し出してくれる。

澪「ゴメン。私、作詞する時に何か食べながらってのは苦手なんだ。でもありがとうな。
……けどさ、確かに桜も梅も春だけど……何か違わないか?」

和「そうね。買ってから気付いたわ」

事も無げに肩をすくめる和。

和は冷静沈着であるが、時々こうして……どこかズレていると言うか、天然な所を見せる事がある。

もちろん、こうしたギャップは彼女の魅力以外の何物でもないのだが、つい笑ってしまう。

澪「ははは」

和「ふふふ」

それに釣られてか、和も笑う。


サァッ……


二人の間を、やわらかな風が通り過ぎる。

……優しい沈黙。

私ーーそして和もだろうか。

女子としてはではあるが、二人共それ程お喋りなタイプではない。

なので一度会話が途切れてしまうと、自分から率先して話題を振る頻度はさして多くない者同士だ。

それ故に、すぐにこの沈黙が破られる可能性はかなり低いと言える。

まあ私は、これが律の様な『気心が知れた』を追い越し、『知れすぎた』奴だと多少例外だったりもするが……

しかし、沈黙の時間自体は決して嫌いではない。

むしろ今のこの時間はたまらなく好きだ。

相手が和だからと言うのも大きいのだろう。私は、桜と沈黙が支配するこの世界を堪能していた。


……………………

………………

…………

……ゆるやかに作詞を続けていると、視界がぼやけてきた。

まぶたが重い。

いけない。外で、人前で……それも和の前で寝顔を晒すなんて恥ずかしい。

でも、睡魔は問答無用で襲ってきて……

ちょっと位良いかな。いや、駄目だよ、と二つの気持ちが戦っていると、体が動く感じがした。

澪「……ん……?」

意識を向けると、遠くに青と桃色。それに妖精さんだろうか? 近くに、なにやら美しいほほ笑みを浮かべた誰かが見える。

……あ、和か。何かよく見えないなあ。

て言うか。いつの間にか私、目をつぶっていたのか?

和「大丈夫よ。ゆっくりお休みなさい」

考える私の髪の毛に、心地良い感触。

澪「……うん、あり……がとぅ……」

そのあまりの夢見心地に、私はゆっくりと意識を手放していった。


……………………

………………

…………


ひらり。


桜の花びらが、空に飛び立つ。

桜の国に佇む私の視線の先には、人影。

眼鏡を掛けているのがかろうじてわかる位で、その顔は霧がかって見えない。

でも私にはわかる。あの方はこの国の妖精であり、王子様なのだと。


ひらり。


桜の花びらが、辺りに舞う。

ーー最初は小さな憧れだった。

私は昔から人見知りで、上手く人と関わる事が出来る子達をずっと羨んできた。

そんな日々を、沢山の大切な人達に助けられながら生きてきて、去年……

桜が丘で和に出会った。

眼鏡が似合い、常に冷静沈着・頭が良く、誰からも頼りにされる女の子。

私は初めて、人を羨ましがるだけじゃなく憧れた。

そしてこの気持ちは、和と関わる事にどんどん大きくなっていった。

整った顔立ち、落ち着いた声。

真面目で聡明、人付き合いも上手く、でもどこか天然な所のある魅力的な貴女。

友達と呼べるほど距離が近かった訳じゃないけど。

彼女と関わる度、日に日にこの気持ちは……人見知りな自分が生んだ、コンプレックスからの憧れだけでは無くなっていった。

澪(……あれ? なんで私は和の事ばかり考えているんだろう)

私の目の前にいるのは、桜の国の王子様なのに。

ーー疑問に思う間に私の側に来た王子様は、私の頬に優しく手を添えた。

この距離でも顔だけはよく見えない。

澪「……ん……」

王子様がそっと私に顔を近づけーー


ひらり。


桜の花びらが、私達の近くで踊った。

私達の唇が触れる瞬間、王子様のかけた眼鏡の奥から、理知的でーー優しく深い瞳が見えた様な気がした。


……………………

……………

…………

澪「……あれ……?」

和「あら、澪。気が付いた?」

いつの間にか横になっていたのだろうか。ゆっくりと起き上がる私に、和がほほ笑みかける。

……もしかして。

澪「ん……
私、寝ちゃってたのか?」

和「ええ」

澪「そっか……ゴメンな」

気を使って待っててくれたのだろうか。退屈だったかもしれない。

悪い事をしてしまったな……

和「良いのよ。謝る事はないわ」

……ん? そういえば私、和の膝から起き上がらなかったか……?

澪「って、もしかして私、和の膝を枕にして寝てた!?」

そ、それっていわゆる膝枕……

和「そうね。気持ち良さそうに寝ていたわ」

澪「……あぅ」

な、なんて事だ。居眠りしてしまっただけでなく膝枕まで……

重くなかったかな。寝顔変じゃなかったかな。……よ、よし。よだれは垂れてない。

……まさか、いびきとかかいてないよな……?

澪「ご、ゴメンな和……迷惑だったよな」

和「ふふ、そんな事思ってないわ。気にしないで良いのよ」

優しく言うと、和は立ち上がる。

和「さ、そろそろ帰りましょうよ」

言われて、空がオレンジに染まりつつあるのに気付く。

澪「もう……夕方か。本当熟睡しちゃってたんだな」

私は照れ隠しに頭をかきながら、ペンとノートを自分のバッグにしまって立ち上がった。

和「でも、夕焼けの中の桜と言うのも綺麗なのね」

……そう言えば、夕日に染まる桜をじっくりと見つめた事はなかったかもしれないな。

澪「……そうだな」

ーーオレンジに輝く桃色。それはどこか、胸に語りかけてくる輝きだった。

……あれっ。

何か、口の中がかぐわしい。

何だろう?

今は寝起きだし、居眠りする前に何かを食べた訳でもないはずだ。

これは……

そうか、和が食べていた梅ガムの香り?……いや、味だろうか。

私は口にしていないので、その味が口内にあるのは不思議だけど……

和の側に居たから、彼女の香りを味だと脳が勘違いしているか、彼女の吐息が空気に乗って私に届いたか。

そんな所だろう。

それにしても、素敵な一日だった。

和の前で居眠りしてしまったのは恥ずかしいが、それ以上に彼女とこの時を過ごせて。

今日の思い出だけで、これから進級し、新しい日々がやってきてもまた頑張れそうだ。

和「……行きましょうか」


ひらり。


澪「そうだな」

満開の桜の中ほほ笑む和は、私にはやっぱり王子様に見えた。


おしまい。






最終更新:2012年04月07日 20:04