ふいに、晶ちゃんが歌を口ずさみ始めた。
いつも練習で聴いてるのとは違う感じの、ゆったりとした唄い方。

「それ誰の曲?」

「ん? ああ、ビートルズ」

「へー。どんな歌詞なの?」

「一応ラブソングかな」

「晶ちゃんもラブソング唄うんだ」

「悪いか」

「誰の事を想って唄ってるのかなあ」

「しつこいな」

「ホントに逢いに行かないの?」

「ほんとうるさいよお前」

「にしし」

お風呂のせいか照れのせいか、頬を赤くして睨む晶ちゃんを冷やかしながら、
私はまだ、頭の中でゆらゆらと浮かぶ笑顔と、何故か収まらない動揺を持て余していた。



***





合宿を終えて寮に戻ってきてから数日のんびり過ごして、
実家に帰ることにした。

澪ちゃんとりっちゃんはお盆前に一緒に帰省すると言っていたし、
ムギちゃんは今年もフィンランドの別荘に行くらしい。

家族をびっくりさせるつもりで連絡せずに帰ったら、
うちのリビングで和ちゃんがお留守番していて私がびっくりした。

知らないうちに物置状態になっていた私の部屋で、近況と思い出話に花を咲かせて、
そのうちに憂とお母さんが帰ってきて、みんなでケーキを食べて。
日が暮れる頃、家に帰る和ちゃんを3人で見送ったあと、
お母さんから和ちゃんが留学するらしいって話を聞かされた。


「……はっ、はっ、……和ちゃん!」

「えっ……、唯?」

公園の前で追いついて、
振り返った和ちゃんの腕にそのままの勢いでしがみつく。

「わっ、と」

「はぁ、はー……。追いついたぁ」

「どうしたの、息切らせて」

「はぁ……、和、ちゃん、留学するって、ほんと?」

「ああ……おばさんから聞いた?」

「うん」

「……公園、ちょっと寄っていきましょうか」

水銀灯の下のベンチに並んで座る。
夕焼けの橙色と水銀灯の白い光が混ざって、土の上にふたりの影を作る。

「和ちゃん、留学ってどこに行くの?」

「ん……。まだ具体的なことはこれから。親にも話さなきゃいけないし」

「そうなんだ。……でも、行くんだよね?」

「うん、そのつもり」

「そっか。……それが、和ちゃんの言ってた楽しいこと?」

「……に、なるといいなと思ってるわ。行ってみないとわからないけど」

「そか」

「うん」

「がんばって、で合ってるのかな、こういう時」

「合ってるんじゃない?」

「……がんばってね、和ちゃん」

「うん、ありがと」

公園の外を、子供たちが駈けて行く。
それをなんとなく目で追って、それから自分の足元に視線を落とす。

「外国かあ……。ますます遠くなっちゃうね」

「そうね」

「あっ、外国だったらメールとか電話も出来ないじゃん」

「今でもあまりしてないじゃない」

「和ちゃんて昔っからあんまししてこないよね、メールとか」

「ああ……そうね」

「……」

「……」

和ちゃんが、ふう、と軽く息を吐く。
橙色の太陽が、風景の向こうにまだちょっとだけ見えている。

「……あのね、和ちゃん」

「うん?」

「私最近、色んな曲を聴いててね」

「うん」

「えっと……こないだ、大学の軽音部で合宿やって」

「うん」

「晶ちゃんって、あ、さっき見せた写メの、ベリーショートの子」

「ああ、うん」

「夜眠れなくて、一緒に露天風呂に入って、星見ながら色んな話して」

「うん」

「あっ、晶ちゃん、高校の時の先輩に好きな人がいるんだけど」

「そうなんだ」

「それで……。私にね、好きな人いないのかって」

「うん」

「そう、聞かれて……えっと」

「……」

「……あっ、ビートルズの ” And I Love Her ” って曲、知ってる?」

「ビートルズ? うーん…… ” HELP ” とか " Love me Do " とかなら知ってるけど」

「そっか」

「うん」

「……」

「……」

ひゅうと風が吹いて、それと一緒にどこかの家から夕飯の匂いが流れてきた。
太陽はかろうじて風景の端っこを照らすだけになっていて、もうすぐ夜がやってきそうだ。

「で、ビートルズが何?」

「あっ、うん。そのビートルズの曲を、晶ちゃんがお風呂で唄ってて」

「へえ」

「そんで、えと、それから色んな曲を教えてもらって」

「そう」

「合宿から帰って、CD借りたり澪ちゃんのパソコンで動画見せてもらったりして」

「……」

「色んな曲を聴いてみたんだ」

「そうなんだ」

「うん」

「……」

「……」

「……」

「……唯」

「うん?」

「好きな人ができたの?」

どきんと胸が跳ねた。
恐る恐る視線を動かすと、和ちゃんは軽く微笑みながら私を見ていた。

「えっ……。なんで?」

「なんでって、今の流れだとそう聞こえるけど」

「そう、かな?」

「違うの?」

「……」

お母さんから話を聞いて衝動的に追いかけてきたものの、
何も考えずに話し始めたせいで、言葉に詰まってしまった。
和ちゃんは私を見たまま、私の次の言葉を待っている。

「……えっとね、よくわかんないんだ、自分でも」

「……」

「だから、色んな恋の歌を、みんなから教えてもらって、聴いてみて」

「うん」

「それで……。多分、そうかなって」

「そう」

「……ねえ、和ちゃん」

「うん?」

「怒らないで聞いてくれる?」

「怒る? なんで?」

「あ、怒るのとはちょっと違うか……。うん、でも、話すね」

「うん」

夏の太陽は風景の向こうにすっかり隠れてしまって、
水銀灯の光だけが和ちゃんと私の影を足元に落としている。

卒業式の帰り道、このベンチで和ちゃんと手を繋いで話したこと思い出して、
自分の手をぎゅっと握る。

「……晶ちゃんに聞かれたって言ったでしょ?」

「好きな人がいるのか、だっけ」

「うん。……そう聞かれた時にね、ぱっと頭の中に浮かんだのが」

「うん」

「……和ちゃんだったの」

「えっ?」

「……」

「私?」

「うん」

和ちゃんの表情が驚きの色に変わった。
予想はしていたけれど、胸がちくんと痛んだ。

視線をまた足元に落として、軽く息を吸って吐いて、もう一度吸って、口を開く。

「びっくりするよねえ。私もびっくりしたもん」

「……」

「……でもね、なんでだろうって考えて、考え始めたら」

「……」

「なんか、和ちゃんのこと思い出すたびにどきどきするようになっちゃって」

「……」

「自分でもわけわかんなくて、そんで……」

「それで、色んな歌を聴いてみたってこと?」

「うん……」

「そう」

「……」

自分の靴に視線が固定されてしまったように体がかたまって、
顔を上げて和ちゃんの顔を見ることができない。

それで、と和ちゃんが静かに続きを促す。

「聴いてみて、何か分かった?」

「……うん、分かったよ」

「そう」

「たぶん、私やっぱり、和ちゃんのことが好きなんだと思う」

「……」

耳が熱くて、どきどきして、涙が出てしまいそうで、
和ちゃんがいまどんな表情をしてるのかわからない。

こくんとつばを飲み込んで、両手をぎゅっと握って、勇気を出す。

「……あのね、このどきどきする気持ちが」

「……」

「これが恋じゃなかったら、私、一生恋の歌なんて唄えない」

少しの沈黙のあと、
和ちゃんは穏やかな声で、そう、と言った。

「……ごめんね」

「謝ることじゃないわよ」

「うん……」

「……唯」

「うん?」

「顔、上げなさい」

恐る恐る顔を上げて横目で和ちゃんを見る。

水銀灯の光の下、和ちゃんはちょっと困ったように眉尻を下げて、
それでも、やさしい笑顔で私を見ていた。



****





「もう、唯先輩! 部室行きますよ、って、寝てるし……」

何度かノックが聞こえたあと、ドアが開く音と一緒に呆れた声が耳に響く。

「んぁ……あずにゃんおはよぉ」

「もう夕方ですよ。また床で寝たんですね」

テーブルの上で開きっぱなしのノートパソコンと
ベッドから引っ張りだした毛布を見て、
だらしないなあ、とあずにゃんが溜息混じりに呟いた。

「ちゃんとお布団で寝ないと風邪引きますよ?」

「えへへ、分かってはいるんですけども」

「それより早く準備してください。みなさんもう部室にいるそうですから」

「わっ、そうなの? やばいやばい」

慌てて毛布をひっぺがして、あたふたと着替えてギー太を背負う。

「もう、練習待ちきれないって張り切ってたの誰ですか」

「てへへ……」

「寝癖すごいですよ」

「えっ、どこ?! 直してる暇ないよぉ」

「もう……。部室行ったら直してあげますから」

「えへへ、すいやせん……」

あずにゃんと一緒に寮を出て、小走りで軽音部の部室に向かう。
傾き始めた太陽の光が背中から当たってあったかい。

「また朝まで和先輩とスカイプしてたんですか?」

「うん、ついつい話が弾んじゃって」

「もうじき帰国するんだから普通に会えるじゃないですか」

「ちっちっち、そういうもんじゃないのだよ中野君」

「はあ……。いつでしたっけ、こっちに戻ってくるの」

「んと、来週の水曜日」

「楽しみですね」

「うん!」

ニコリと笑ったあずにゃんに、私も思いっきり笑顔を返した。



 ・
 ・
 ・




『……唯、寮にネット環境はある?』

『え? あー……澪ちゃんもネットやってるし、多分』

『じゃあ、バイトでもしてパソコン買いなさい』

『へ? なんで?』

『ネットなら海外とメールしても余計なお金掛からないでしょ。通話も出来るし』

『あ、そっか……。って、いいの?』

『いいのって何が?』

『だって……告白したんだよ? 私。女の子同士なのに』

『そうね』

『……』

『……。正直に言うと、どう応えたらいいか分からないの』

『……』

『恋愛は男女がするものだとずっと思ってきたし』

『……気持ち悪くない?』

『気持ち悪くはないわよ。驚きはしたけど』

『……』

『だから、ずっと一緒にいた頃みたいにたくさん話しましょ、お互いのこと』

『えっ』

『たくさん話して、自分の中にある常識と、気持ちと、それから唯の気持ちと、色々考えさせて』

『……』

『……今は、そういう返事しかできないわ。それでいい?』

『……。和ちゃんのそういうとこも、大好き』

『そう? ありがとう、でいいのかしら』

『……私のほうこそありがと、和ちゃん』




 ・
 ・
 ・



夕暮れにさしかかった大学構内を小走りで部室に急ぐ。
これから練習する曲のことを思うと、自然と足も軽くなる。

りっちゃんは多分私たちを待ちきれずに、
ムギちゃんにお茶とお菓子をねだって澪ちゃんに叱られている頃だろう。


作曲の仕方をムギちゃんに教わりながら一生懸命作った私の曲は、
和ちゃんの帰国にギリギリ間に合いそうだ。


初めて作った恋の歌、和ちゃんはどんな顔で聴いてくれるかな。


ちょっと照れながら、眼鏡をくいっと上げて照れ隠ししながら、
聴き終わった時にはきっと大好きなあの笑顔で応えてくれる。

そんなことを想像したらうっかり頬が緩んでしまって、
誰かに見られたわけでもないのに
急いでてのひらで口元を隠して、咳払いしてごまかした。





おしまい






最終更新:2012年04月16日 07:02