唯「よろしい、先輩が相手をしてあげよう。どこからでも……」
そう言い終わらないうちに、憂ロボがひょこひょこと前にでて……唯先輩にぶつかった。
唯「あぁん……」
憂ロボに両手で突かれて、唯先輩がスイカ割りでいつもより多く回されました、みたいに情けなくよろめく。
そこはできれば格好良く避けていただきたかった。
もっとも、唯先輩があまりうまく事を運びすぎても憂が「私の知ってるお姉ちゃんじゃない!」とか泣きついてきそうでややっこしいから多くは望むまい。
純「名乗りの最中に突き飛ばされて終わりとか、何しに出てきたんですか唯先輩!」
私はつい唯先輩に野次を飛ばした。
たいした働きを期待していたわけでもないけど、身体が勝手に突っ込みをしてしまう。
言いたいことを言うとなかなか気持ちいい。
梓「待って純、唯先輩の様子が……」
息巻く私を梓が抑えて唯先輩に注目した。
へろへろと部室を横断して唯先輩が横になった憂に近付いていく。
それまで安らかに夢の国へ旅立とうとしていた憂だったが、唯先輩が傍に寄ると、再びぱっちりと目を開いた。
唯先輩からは何か憂を刺激する成分でも発散されているんだろうか。
二人の目が絡み合う。
憂「おねぇちゃん……」
唯「う、うい~」
憂の声がか細いのは闘いに傷つき倒れたからで、決して寝ぼけているのではないと思いたい。
そして力尽きたように膝から倒れ伏す唯先輩。
傾いていくその身体は、まるで計算され尽くしたかのようにちょうど憂のことを労り包むように重なる。
決して憂に助けを求めてしがみ付いたのではないと思いたい。
純「うまい具合にダウンした憂の上に覆い被さったわね」
梓「これはアレだよ! これからパワーアップする前兆、みたいな!」
純「それはどうかなぁ……」
気勢が上がる梓を横目に同意しかねる。
私には単に憂と唯先輩が毛布の上で横になって仲良く抱き合っているように見える。
憂「おねぇちゃん、どうしてここに?」
唯「ふっふ~、憂の危機を察知したんだよ」
いや、間違いなく実際にいちゃついていた。
憂と唯先輩が同じ空間に揃った時点でわかりきっていたけど、さっそくぎゅーっと抱き合っていた。
背中に手が回って、時々二人の位置を入れ替えるようにごろりと転がる。
その表情が緩みっぱなしで憂を助けに来た目的はどこに行ってしまったという気分になってくる。
唯「憂分を吸ってやるぞお」
憂「きゃ~」
組み敷いた憂に襲いかかりガバーッと胸にその頭を抱え込む。
私が知る限り、憂と唯先輩はいつどこで会ってもお互いを熱烈に歓迎している気がする。
それは唯先輩が高校に在学中の頃から今も何ら変わっていなかった。
隙間から見えた憂の顔はとてもくすぐったいもので、あの子一応は憂ロボに倒されたことになっているんだよね、と思った。
梓「おぉ……見る間に元気になった」
梓が頬ずりしている二人を見て感嘆する。
常に潤いを持っている憂も今はいっそう瑞々しい。
あの調子なら、唯先輩にどれだけ憂分を吸われても尽きることはなさそうだ。
そのとき、横の方から何か金属的な物が軋む音が響いた。
憂ロボ「ギギギ……」
憂と唯先輩を見つめる憂ロボが歯ぎしりしている。
勝負の最中は目くらましのハリボテかと思われた憂ロボだけど、唯先輩を突き飛ばしたり恨めしそうにしたりと、役立たない面で器用さを発揮する。
そう考えると頭に刺さっているネジ巻きがにわかに気になってくる。
ゼンマイが動力なのか……?
奥田博士にも憂ロボに何が起きているのかわからないらしく慌てふためく。
作った物には責任ある振る舞いをしてほしい。
そのうちに耳にあたる部分からはおもちゃの蒸気船のようにシュッポ、シュッポと煙が噴き出してガタガタと震え出す。
こんな逃げ場のない狭い室内で爆発とかは勘弁してほしい。
最悪の場合、スミーレと一緒に梓の陰に避難させてもらおう。
さっきから床で春爛漫している姉妹の身は知らん。
どうせ巻き込まれて黒焦げになったって一緒にいれば勝手に完治するだろう。
憂ロボ「オ、オネーチャーン!」
じりじりと梓の傍へ寄っていくと、突如として限界を迎えた憂ロボが吠えて大きく煙を吐いた。
菫「爆発した!」
籠ったような破裂音に悲鳴を上げるスミーレ。
でも爆発したのは憂ロボの頭部の中でだけみたいだった。
それ以上何かが起きる様子がなくなってから身の安全を確かめつつ、梓の近くまで寄っていた私は、そこからひとまず離れる。
梓に盾代わりにしようとしていた魂胆がバレるとまずい。
憂ロボの目や耳や口からプシュー、と排熱の蒸気が伸びる。
そういえば、異常をきたした憂ロボは熱暴走の直前にオネーチャーン、と叫んでいた。
憂ロボが憂を模したものならば、悲しげな響きもいくらかわかる。
唯先輩に可愛がられる憂を見て、憂ロボはきっと寂しくなったんだと思う。
自分も唯先輩のような人が欲しかった。
憂の弱点を探そうの会の奥田博士が作り上げた憂ロボは、自身の姉にあたる存在がいないばかりに自分の側が弱点を抱えてしまったというのはどこか皮肉なものを感じてしまう。
いつの日か、唯ロボなるものが出現してしまう日が来るのかもしれない。
直「憂ロボは完璧だったはずなのに、なぜ……」
純「奥田さ……奥田博士。この2人を見てもまだわからない?」
そこには、周囲の喧噪をよそに仲良く抱き合って眠る平沢姉妹の姿があった。
きっと夢の中でも、「あったかあったかだね♪」なんて言い合ってるに違いない。
純「憂は決して一人じゃない、それを忘れたのが敗因だったのさ」
直「はい……」
うなだれる奥田博士の白衣に包まれた肩に手を置いた。
適当に諭して諦めさせる。
完璧を自称している点については面倒くさいから触れてあげないけど、詐称もいい所だった。
奥田博士は悪い呪いから覚めたように、のろのろと汚れた白衣を脱いだ。
深いため息と共にメガネを外した目には寄る辺を失った無常感が漂う。
そんなに衝撃的だったのか。
直「私の研究はいったい何だったんだろう……」
ほろり、と涙が一滴。
何でもなかった、と口から出そうになり慌てて塞ぐ。
そこへ目に涙を湛えた梓がやってきて膝を突いた奥田博士、いや奥田さんへ歩み寄る。
私は困惑気味のスミーレと目があったので、いいから空気読んでおいて、と合図するが私とスミーレが空気を読めていないわけではないだろう。
私と代わるようにして梓が奥田さんに寄り添う。
その時に上履きが足元の借り物の白衣を踏んづけてしまった粗相は見なかったことにした。
梓「これからは電気ポットとして憂ロボを平和利用していこうよ」
直「梓先輩……」
やっぱり憂ロボの体型を眺めて電気ポットを連想していたか。
あの寸胴らしさはお湯汲みに最適に思える。
スミーレも気を取り直して駆け寄っていく。
菫「直ならできるよ!」
名前呼びによる励ましの言葉。
天然でやっているのかどうか知らないけどこれは強力だ。
駄目押しの一手を受けた奥田さんはその目に力を取り戻し、拳を握り締める。
直「はい! 私やります!」
ふと平沢姉妹の方へ目をやると、憂がお姉ちゃんの胸に顔を埋めて眠っている。
普段は完璧な憂が滅多に見せることのない無防備な表情で、姉に甘える妹の姿だ。
純「しあわせそうな顔しちゃって」
梓「この2人は、いくつになっても変わらないね」
梓と2人で顔を見合わせて笑う。
直「……み、見つけた」
菫「直、何を見つけたの?」
直「弱点だよ。……お姉さんこそが、憂先輩の、唯一無二の弱点!」
はぁ。まだ続いてたらしい、憂の弱点探し。
ところで唯先輩がいらしたということは、他の御三方がお越しになってもおかしくわないわけで。
唐突に素っ頓狂な声が室内を駆け抜ける。
律「じゃじゃーん!」
わざとらしくそんな効果音を口にして扉を開け放ったのは、先代部長の律先輩。
澪「こんにちは」
紬「こんにちは~、唯ちゃん来てるかしら?」
続いて澪先輩、ムギ先輩が申し訳なさそうに入ってくる。
この三人の先輩は私たちの中に混ざってくればすぐにわかった。
やっぱり唯先輩の違和感の無さがおかしい。
梓「せ、先輩方!」
梓も奥田さんと絡んですっかり出来上がっているものの、勢ぞろいした先輩たちに混乱しているらしい。
おう、と軽く応えて律先輩が部室を見回す。
奥の方に寝転がり、憂とのシエスタを楽しんでいる唯先輩を発見する。
律「ほーら、起きろ唯、帰るよ」
唯「あぁん、いけずぅ……」
むんずと掴まれ首根っこから引っ張られているのに唯先輩は憂からやすやすとは離れない。
引っぺがそうとする律先輩と踏ん張る唯先輩では、意外にも唯先輩が上回っている。
そこまで頑張れるなら憂ロボにへろへろと負けないでください。
憂の方から唯先輩を剥がしてくれれば簡単なんだろうけど。
そう考えていると澪先輩が揉める三人に混ざっていく。
澪「憂ちゃん、唯が迷惑かけてすまなかったね」
憂「あ、澪さんこんにちは!」
唯先輩に絡みつかれて転がっていた憂は、澪先輩に話しかけられた拍子に折り目よく正座に直って頭を下げた。
その隙に今だ、と引きずられる唯先輩。
さすがは澪先輩。
憂の礼儀正しい習性を利用して、自分から挨拶をすることで憂が自然に唯先輩を手放すようにした。
唯先輩を確保したあとの律先輩たちの行動は早かった。
逃げ出したサルを網で掬ったあとの飼育員のようなやりきった顔できびきびと撤収にかかる。
そこへスミーレと談笑していたムギ先輩も話を切り上げて加わる。
あたたかな笑顔を浮かべて小さく手を振る憂に比べて唯先輩は泣きべそをかいているけどいいんだろうか。
でも、そのまま連れ去られるかと思われた唯先輩が、ふと奥田さんへ声をかける。
唯「あ、そうそう……直ちゃん、だっけ?」
次の瞬間、唯先輩が消えた。
その動作には何か言う間がなかった。
律先輩にがっちりと掴まれて出口へ連れていかれたはずなのに、どうなっているのか、唯先輩は拘束をいともたやすくほどいて奥田さんの元へ歩いていく。
縄抜けかと思うくらい呆気なくて、逃してしまった律先輩がおかしいなぁ、と眉をひそめる。
私とて早業であることしか理解できなかった。
たまに妙な力を発揮する人だ。
向かってくる足音に振り返った奥田さんの顔が唯先輩の両手に優しく挟まれた。
憂と同じ色彩の目が笑う。
唯「憂はとーっても優しくて怒らないけど……憂のこと、泣かせたりしないでね? 私いちおー、憂のお姉ちゃんだからさー」
すうっと奥田さんから手が離れる。
そういう台詞はもう少し活躍してからじゃないと意味がないような気がするけどね。
そもそも、そんな甘い声で囁かれても、奥田さんでなくたって何の効果もなさそうだ。
梓も、まったくもう、唯先輩は仕方ないですね、なんて呟きながら、のほほんとした唯先輩の様子に呆れてため息をつく。
唯先輩の真正面にいる奥田さんには、さぞかしかわいい顔が拝めたに違いない。
だけど、唯先輩が離れたその瞬間、奥田さんの表情はなぜか青ざめ、ぼんやりと口を開いたまま固まっていた。
純「ん? 奥田さん、どうかした?」
直「……え、えっ!? あ……いえ、その」
純「?」
直「……少しわかった気がしたんです」
純「何が?」
直「憂先輩にとってお姉さんは、弱点かもしれないけど、それ以上に」
純・梓「「強さのひみつ?」」
思わず再びハモった、私と梓。
直「へ?」
純「ふふん。憂のことなら、大抵のことはわかってるつもりだよ」
梓「まあ、唯先輩にはかなわないけどね」
直「ず、ずるいです、ずるいです~!」
駄々をこねる奥田さんに私は、へぇ、と声が出て腕組みをした。
憂もなかなか慕われているようじゃないか。
ただ、次第に奥田さんの眉はしょんぼりと下がって、小さな肩が小刻みに震える。
純「だいじょうぶ?」
直「なんだか怖かったです。憂先輩のお姉さん。優しい表情なのに」
なんとなくピコピコハンマーで叩いてみたい表情だと思いながら奥田さんの頭をわしゃわしゃと撫でてやると、多少は安心したようで身体の緊張を解いた。
ひょっとして唯先輩、目だけでずぶりと釘を刺したんだろうか。
そんな真似は唯先輩には至難の業に思えるけど。
たまに唯先輩はわからなくなる。
唯「えへへ。それじゃね~」
そうこうしている間に、唯先輩は憂とひとしきり別れの抱擁を交わし終え、私たちに軽く手を振りながら、待っている律先輩たちの中へ戻っていく。
気のせいか、その背中が颯爽として私は一瞬見惚れた。
憂が、やる時にはやる人です、と断言していたのも理解できるかもしれない。
唯「りっちゃん巡査、すみませんでした」
律「うむ。逃げたら罪は重くなるんだ。これ以上妹さんを泣かせるな」
唯「そんな! そんなつもりはなかったんです」
律「逃げた人はみんなそう言うんだぞ」
唯先輩、見直しました、と言おうとした矢先にお縄につき、珍妙な小芝居が始まっていた。
ああ、これが軽音部の伝統か。
澪「騒がせて悪かったね、それじゃ」
紬「お邪魔しましたー」
最後に澪先輩とムギ先輩が一同に笑顔をくれて去っていった。
去り際に、犯人を乗せたパトカーよろしく閉まる扉の向こうからは、
律「ホームシックになったからって寮を飛び出して妹の所へ駆け込む奴があるか!」
唯「でも憂は喜んでたもんね! いいんだもんね!」
などと聞こえてきた。
ほんと、何しに来たんだろう。
憂「ありがとう、お姉ちゃん」
憂の微笑みに振り返って見渡す。
唯先輩がいなくなったのをいいことに立ち直った奥田さんたちがやかましい。
私はどうしたものかと頭を掻いて憂に近寄り、なぜか前が開けられているブレザーのボタンをしっかりと留めてあげる。
あちらでは憂ロボの今後の処遇が決まって梓たちが沸き立つ。
純「それでなんだ、ごちゃごちゃやって……最終的に新しい電気ポットが一丁上がったわけか」
憂「うん!」
純「そうかそうか……プッ」
憂「純ちゃん?」
純「ク、クク……」
数日のうちには、だばーっとお湯を出す憂ロボが見られるんだそうだ。
壊れた憂ロボのブリキ光沢と、憂の屈託ない笑顔が眩しくて、私は腰に片手をやり、それでもお腹から込み上げてくる笑いが耐えられなくて、腕に憂の首を捕まえ気の赴くままに大口を開けた。
おしまい!
最終更新:2012年04月23日 22:23