駅から見える景色は夜でした。
真っ黒な夜空に輝く星。その下には黒々としたうねりをあげるもう一つの夜。
潮風が吹いてきてあずにゃんの髪をさらいました。

あずにゃんは砂浜まで歩いて行くとそこに腰を下ろしました。もちろん、隣にはあのぬいぐるみも一緒です。
あずにゃんは考えました。
ここが海であるというのはとても都合がよかった。ここならもう一度、世界をひっくり返せる。
コーラ・グミの袋を開けて全部一気に口に放り込みました。
いくつもの選ばれなかったグミが砂浜をころがっていきます。袋が風にさらわれて踊り出しました。
ひらひら。
そういえば、律先輩はコーラ・グミ中毒の素質があるような。

あずにゃんはポケットからポイントカードでもらった裁縫セットを出しました。
それで丁寧にぬいぐるみのツギハギ部分をほどいていきます。ある程度の大きさ穴を作ってしまうと、そこから中の詰め物を引きずり出してしまいました。
その綿は真っ白でふわふわで雲みたいでした。
そして、最終的にはぬいぐるみを空っぽにして、裏返しました。

そこで、あずにゃんは思いつきました。
そうだ、わたしの記憶を、何千回も回り続けた記憶をここにおいていこう。
そうすれば、もしみんなに会えなくて、ひとりになってしまっても寂しくないから。

そのぬいぐるみをもって海の前に立ちます。あずにゃんの足は震えていました。
海は星や月の光を反射して、夜空のように見えました。
そう、わたしは海に落ちるんじゃなくてもう一度、空に帰るんだ。
あずにゃんは考えました。

そうして、海の中に飛び込みました。
暖かくて冷たい海の中に。
だんだんと落ちていく間、あずにゃんは思いました。
どこが間違っていたんだろう。もしかしたら、最初の1歩から失敗だったのかな。つまり、必要ないのに生まれちゃったから。
あーあ。
全身の力が抜けるにつれ口の中に水が侵入してきても苦しくなくなって、自分が空っぽになっていくのをあずにゃんは感じました。
わたしは残ったみんなに罪をかぶせて消えます。何も考えないことより楽なことはないですから。
ごめんなさい。ほんとに。

すると、あずにゃんは声を聞きました。海の上、空のほうから。
それはお決まりの言葉でしたが、あずにゃんにほんの少しだけ上向きの力をあたえました。
あずにゃんは海面にむかって泳ぎ始めました。
これだけの力でどこまでいけるだろう?
あずにゃんは考えました。
暗い暗い海は空のようでした。

おわりっ!




――それで……それでどうなったんですか?

――うーん……どうなったと思う?

――考えてないんですか?

――うん。どうしたらハッピーエンドにできるかわかんなくて……

――陸にもどれてめでたしめでたしでいいじゃないですか

――ぬいぐるみはどうなっちゃったのさ

――奇跡がおきて人間になりましたって

――人間になれたらハッピーエンドなのかな? それに海の上には上がれないよ。きっと、途中で……

――自分で作ったお話くらい最後まで完成させましょうよ

――中途半端なんて、わたしたちみたいだね……あ、そうだわかったよっ。ちゃんとした終わり方。

――なんですか?

――続く!




変な感じがしていた。
ずっと昔からだ。
こどもの頃、眠れないまま考えたいくつもの悲しい結末が目の前できらめいていた。
実にいろんな種類の不幸があるんだ。わたしは思った。
その逆も。
だけど、それらすべてはわたしのところには降りてこなかった。
いったい、ここには何がやってきたんだろうな。少なくともそれが天使じゃないことは確かだ。
そしたらまた繰り返す。昨日までの日曜日。

だから、この小さな公園の片隅で一度崩れてしまったあずにゃんが隣であくびをしたのが聞こえてもわたしは驚かなかった。
空は暗くなり始めていた。
夜ですよ。
あずにゃんは言った。

唯「夜がわたしたちを隠してくれたのは昨日までだよ」

梓「ふあああああ」

あずにゃんは目をこすった。
眠らないように努力してるみたいだった。

梓「やっとですか」

寂しそうな顔をした。
そうだね、とわたしは笑ってみせようとしたけど、うまくはいかなかった。
また失敗。

唯「あのさ、なんていうか……」

梓「何ですか?」

唯「不思議と悲しくはないんだ。なんでなんだろう?」

遠くで大きな地鳴りがした。
さっき歩いてきた道のほうを眺めた。
残念だけど、昔いたあの街は見えなかった。
それでもわたしは地平線から目をそらすことができなかった。まるでそこから何か素晴らしい奇跡でも起きるんだと思っているかのように。
そうしていると、その線が歪んで、そしてこっち側にゆっくりと近づいてきているのがわかった。
もうこの場所も必要なくなってしまったんだ。きっと。
そして、ここにいる人たちも。
でも、ほんとにそうなのかな?

唯「あずにゃんは生まれ変わりを信じる?」

梓「まるで今から死んじゃうみたいないいようですね」

唯「たとえば、だよ」

梓「でもそうですね。あんまり信じてません」

唯「なんでさ?」

梓「なんだかずるい気がするじゃないですか」

唯「そうかなあ」

梓「そうですよ。唯先輩は生まれかわると思いますか?」

唯「そうだったらいいなって思うかなあ。でもずるくはないよ」

梓「なぜですか?」

唯「だって、生まれ変わってもきっと何も変わらないよ」

梓「……じゃあ、意味ないじゃないですか」

唯「まあ、ねえ」

わたしは言葉を濁した。
でも、ほんとは、いつかあずにゃんが言っていた通りわたしはなにもわかってないのかもしれないな。
地平線はすぐそばまで迫ってきていた。

梓「あ」

あずにゃんが驚きの声を上げた。
袖を引っ張っられ、その顔をうかがうとひどく興奮しているのが見て取れた。

梓「すごいですよすごいですよっ」

あずにゃんはぴょんぴょんと飛び跳ねた。
早くあそこみてくださいよ。
わたしはあずにゃんが指さした方向に視線を向けた。

風船。

風船が空をとんでいた。
それもひとつやふたつだけじゃなくてたくさん。
赤、青、黄、ピンク、緑。
風船風船風船風船風船風船風船。
無数の風船が空を、夜に飲み込まれてしまう前のその空を埋めつくしていた。

唯「わあ。すごい……」

うまくは言えないけど、なんだかばかげた気分になった。
冗談を言ってはずす。
大敗退してるのに開き直る。
そんな感じ。
それはわたしが昔幼い頃に、今あずにゃんのために語ったいくつもの物語のようだった。
不意に、今もまだ風船を握りしめていることに気がついて、それがなんとなくおかしくって吹き出した。

唯「そうだ。わたしたちの風船も飛ばそうよっ」

梓「はいっ」


手をひらいた。
わたしたちの風船はちょっとためらってから空に舞い上がった。
そして、ぐんぐん昇って空を覆うカラフルな雲になる。

唯「いけいけ。ごーごー」

梓「あがれー」

唯「がんばれーがんばれーがんばれえええ」

それらが見えなくなってしまうまでわたしたちは声を出し続けた。
ある考えが、それまで少しも気に留めたことのなかった考えがわたしの頭をかすめた。
わたしは言った。

唯「ねえ、あずにゃん。これが最初だったんだよ」

梓「さいしょ?」

唯「そうだよっ。わたしたちのほんとの1回目なんだ」

それは間違ったことなのかもしれないな。
わたしたちは不完全ででき合わせでしかなかったけど、それでも誰かに必要とされたんだ。
それが、いつかの公園で泣いてたはずの自分だったとしても。
わたしたちはコールされる。


『4002回目』

夢を見た。
長い夢だ。
どんな夢かはもう思い出せない。
ただ、1ついえるのは起きたあとでわたしは何ひとつ変わっていなかったということだ。

目を開けたとき、自分がいつもと違うところにいるのが変な感じだった。
わたしは布団の上であくびをした。
痛い、と思った。
腕を見たらちょっとだけはれていた。
他にも身体で服の外に出ている部分は赤くなっていた。
ほっぺたのあたりがひりひりして、わたしは笑わずにはいられなかった。
とても嬉しかったんだ。

あずにゃんは作り物ではなかったのだ。
少なくとも、完全には。
もし、これが普通の人だったらわたしは炎症で死んじゃうだろう。
だから、やっぱりあずにゃんはなにも変わってはいない。
ただ長い間ふれていたからというだけだ。
それが嬉しかった。
あずにゃんはわたしにふれていた。
しかも、寝ている間ずっと。
それだけ。

リビングではあずにゃんがニュースを見ていた。
どこかの海(どこだったのかはわからなかった)でたくさんの風船が見つかったとかなんとか。
ずいぶんバカげたいたずらだと誰かが言っていた。

梓「あ、おはようございます」

唯「おはよー」

梓「憂が言ってました。今日は風邪をひいたってことで休みにしておくからって」

唯「あ、今日学校だったんだね」

梓「そうですよ。月曜日ですから」

唯「あずにゃんは大丈夫?」

梓「昨日から親はふたりとも家にいませんから」

唯「そっか。朝ごはんにする?」

梓「そうですね」

ふたりで目玉焼きを作って食べた。
あずにゃんは料理が下手だ。
わたしも。
生活できないねって2人で笑った。

唯「あれ、あずにゃんコーヒーに砂糖入れるんだ?」

梓「ダメでした?」

唯「ううん。ブラックが好きだったんじゃなかった?」

梓「そんなことはないです」

唯「昨日は?」

梓「気分ってあるじゃないですか」

唯「苦いの我慢してごくごく飲んでたの?」

梓「うるさいです」

それから、わたしたちは外に出てみることにした。
空があまりに晴れていたからだ。
朝の道。
たくさんの人が大通りをカラフルに埋めていった。
だけど、もうどんなに人がいたってわたしたちは平気だった。

白線の上をなぞる。
はみださないようにおっこちないように。
ちょうど真ん中。

唯「あずにゃん向こうにはジャンプだよ」

梓「えー。やですよ」

唯「じゃあ、わたしがまずやるよ」

線から線に飛んだ。
着地。

唯「ほら次はあずにゃんの番だよー」

梓「……えいっ」

あずにゃんがわたしのほうに飛んでくる。
わたしは抱きかかえるみたいにしてそれを受け止めた。
バランスを崩して白線からはみ出す。
あーあ。

梓「わわっ、危ない。どいてくださいよ」

唯「も-失敗だよーどうしてくれるのさー」

梓「唯先輩のせいですよ」

唯「あずにゃんのせいだ」

梓「ばーか」

唯「ばーか」

わたしたちは笑った。
抱きあったままけんかするのはあまりにおかしかったから。

そのままの体位であずにゃんが言った。
今なら言えるとでもいうように。

梓「教えてくださいよ」

唯「なにを?」」

梓「唯先輩がいつも夜になるたび言うお祈りの言葉」

唯「えー。じゃあ、あずにゃん教を信じる?」

梓「それは無理です」

唯「なんでさ?」

梓「わたしも信じてるものがあるんです」

唯「あててみよっか?」

梓「やめてくださいっ」

唯「えへへーまっかだ、あずにゃん」

梓「むう」

唯「すねないでよー。わたしが夜ごとにあずにゃんなんて言ったのか教えるから」

梓「何ですか?」

わたしはあずにゃんの耳に顔を近づける。
そして、大声を出した。
あずにゃんが後ろに飛び退いた。

梓「びっくりするじゃないですか」

唯「えへへ……ずっとひみつだよ?」

梓「がんばります」

わたしたちは吹き出さずにはいられなかった。

どこに行こうかとわたしが聞くと、どこでもとあずにゃんが答えた。
そうやって自分の未来を決められないからあずにゃんはいつまでもこどもなんだとわたしは言った。
明日は行きたいところができますって、とあずにゃん。
いや、絶対、100歳になってもあずにゃんはわたし任せにすると思うな。
わたしが言うと、あずにゃんが笑った。

そんな未来を予言するのはあまりに簡単で、自分たちの人生のつたなさにわたしたちはもっと笑う。
そして、わたしたちはどちらかがちょっとでも悲しくなるたびにこう言い合えることだろう。

がんばれ!!



おわりです
ありがとうございました



最終更新:2012年05月18日 21:08