部活に出ない。
それは、この後私が後輩の子にギターを教える時のこと?
それとも……これからずっと、という意味?
不安は煽られる。
どっちにしても、嬉しくない。
「部活、行かないの?」
『行っても楽しめません……それに、私みたいな子がいたら邪魔ですよね……』
あずにゃんの声は萎縮して、語尾が聞き取り辛かった。
でも、自分の事を邪魔な子だと確かに言った。
「……何かあったの、あずにゃん?」
さっきも泣いてるような感じだった。
『何にも……ないです』
あずにゃんの言葉には、先ほどから中途半端な間があった。
まるで言葉が考えより先に出ているような。頭で考えているのは別の事で、 それにばかり気がいってしまって、言葉にまで気が回せないような。
そうじゃなくても、言葉につっかえつっかえなのは、
言いたいことと思ってる事に何処か溝があるからなんじゃないかって思う。
それに、絶対泣いてる。
「嘘……だよね、あずにゃん」
『――』
「泣いてるよね……?」
息を呑む声が聞こえた。
「……あずにゃんが言いたくないなら、言わなくてもいい。でも、私……あずにゃんに泣いてるのは……嫌だ」
『本当に……違うんです。本当に、大丈夫ですから』
「大丈夫じゃないよ!」
私は声を荒げた。
「あずにゃんはそうでも、私が……私が嫌だよそんなの! あずにゃんもりっちゃんも澪ちゃんもムギちゃんも、皆言うんだ……。
大丈夫って。だけど私が大丈夫じゃないんだ……皆が苦しんでるのに、泣いてるのに! 私何もできないなんて!」
恋を知らない。
誰かを好きになったこともない。
誰かと誰かの仲を引き裂きたいと思ったこともない。
私は井の中の蛙だ。
軽音部の皆が苦しんでいる事を、私は知らない。
だから何もできない。
分からず屋な発言ばっかり。
皆の気持ちを考えずに、ただ私の意見を何の気なしに言ってただけなんだ。
それがどんなに無知で、恥ずかしい言葉だったのかよくわかる。
でも私は――。
どんなに分からず屋でも、気持ちがわかってなかったとしても。
皆に苦しんでほしくないんだ。
泣いてほしくないんだ。
笑ってほしいんだ。
笑っていて欲しいんだ。
「あずにゃん……私、憂と部活に行くから。後輩にギター教えるから……。
あずにゃんが来たくないなら、来なくてもいい。それがあずにゃんにとって苦しいんだったら……」
『……』
苦しい事をわざわざ選択する必要なんてない。
あずにゃんが部活に出るのが嫌なら、出なくてもいい。
嫌なら――。苦しいなら――。
りっちゃんと澪ちゃんは、一緒にいることを選んでいた。
でも一緒にいる事は、お互いを苦しめることだった。
だから、ムギちゃんとあずにゃんは、二人を別れさせた。
でも私は、それをいいとは言わなかった。
苦しいのなら、そうする必要はない。
でも、りっちゃんと澪ちゃんにも同じことが言えたのかな。
あの二人は確かにお互い好き合っていたけど、一緒にいて苦しくもあった。
だから『苦しいなら別れた方がいい』と言うのは、正しい事だったのかな。
私はそう言ったムギちゃんを激しく批判したけれど……。
今、私はあずにゃんに言った。
苦しいのならそうする必要はない。
だけどりっちゃんと澪ちゃんは特別だなんて、私はどうかしてる。
でもあの二人は一緒にいたいと思ってた。
でも一緒にいて苦しいとも思ってた。
でも……。
どっちが正しいんだろう。
私は自分の言葉に、自信が持てない。
何も知らず、皆の気持もわからず、それでも適当なこと言って。
結局何にも救えてない。
『……すいません。失礼します』
謝った。
来ないのかな。
自分で苦しいのならしなくてもいいって言ったのに。
あずにゃんがそうしたら、なんでこんなに嫌な気持ちになるのだろう。
自分で言っておいて。
馬鹿だね私……。
『後輩のこと、よろしくお願いします……』
「あずにゃん……」
『本当に、大丈夫ですから――……では……』
大丈夫じゃ、ないよね。
その声が、喉で詰まって言えない。
だって言ったのは私だ。
『苦しいのならそうしなくていい』って言ったのは私だ。
それを聞いたあずにゃんがそうしただけなのに。
それを受け入れられないなんて。
矛盾してるよ私。
でも。
「……あずにゃん、私――私たち待ってるから」
『――……』
あずにゃんだけじゃないよ。
ムギちゃんも。
そしてりっちゃんも澪ちゃんも。
私、待ってる。
そして迎えに行く。
一緒に笑いたいから。
頑張るから。
皆の気持ちわからなくても、私が頑張るから。
私の気持ちだけで、皆のために苦しむから。
だから……。
私はあずにゃんに別れを告げて、電話を切った。
壁に立てかけてあったケースからギー太を取り出して、チューニングした。
もちろんチューナーを使った上手なチューニングじゃなくて、私の勘で行うのだけど……。
でもこれでいいと思う開放弦の音色で、私はそれを終えた。
一旦それを置いて、一階に下りた。
キッチンで昼食を作っている憂に声を掛ける。
「憂、私昼から部室に行くよ」
フライパンを動かす手が止まった。訝しげにこちらを見て問う。
「お姉ちゃんが? どうして?」
「あずにゃんがね、後輩の子にギターを教えてほしいんだって」
そう答えると、憂はたちまち不安そうな顔になった。
あずにゃんの事を、心配しているんだなあと思った。
「梓ちゃん……」
憂の気持ちもわかる。
十六日からあずにゃんは一度も部活に出ていないのだから。
憂と純ちゃんと一緒に行っている夏期講習や学校の勉強会にも休みを入れているとの事。
憂も純ちゃんもメールを送ったりしてるみたいだけど、返事も連絡もしないらしい。
憂も毎日、元気がない。
「私も行こうかな」
「そりゃ憂も一緒に行ってくれないと」
「うん……ご飯作っちゃうね」
憂は目を細めて小さく微笑んだ。悲しい笑顔だった。
私も微笑み返して、その場を離れた。
ご飯を食べる机に座って、頬杖を突いて待つ。
炒める音が聞こえていて、美味しそうな香りもしてくる。
だけどいつもみたくウキウキはしないかな。
それは余計な感情や想いがずーっと心にへばりついて離れないから。
あずにゃんに何があったのだろう。
りっちゃんと澪ちゃんの間を引き裂いた罪悪感。それはあるし、部室で泣いていた。
だからそれがあと引いて、部活にも夏期講習にも出ていない。それはわかる。
でもそれだけじゃない。
何かまた、あったんじゃないのかなって思う。
だってさっき、泣いてた。
ついさっき――あずにゃんに何かあったんだ。
泣いちゃうような。
もっと自分を戒めちゃうような何かが……。
ムギちゃんはどうしてるのだろう。
まだ私に怒ってるのかな。
私はムギちゃんの気持ちを否定したのだから、怒ってても当然だよね……。
りっちゃんと澪ちゃんも……今、何を想ってるんだろう。
お互いを想い続けて、だけど会わない事を選び続けているのかな。
昼食を食べながら、憂は言った。
「梓ちゃん……どんな様子だった?」
声だけで実際に顔を見たわけじゃない。
でもそれでも、なんとなくだけど。
「泣いてた……気がする」
憂は泣き出しそうな顔になった。
「……やっぱり私たちが悪いのかなあ」
「憂が悪いなんてことはないよ……誰も悪くないんだよ」
そうだ。
今私たちを悩ませている事。
それに『誰かが悪い』なんてことはないんだ。
「とにかく、あずにゃんは何かに悩んでるけど……私たちじゃ何もできない」
「そんな――」
「私……自信ないんだ。私――皆の気持ち全然わかんなくて」
あずにゃんが何を思ってるか。ムギちゃんが何を思ってるか。
わかってるつもりだった。
でも、でもそんなの『つもり』で止まってた。
何にもわかってなくて。
誰かを傷つけた。
だからまた、私は何かを言うのに怖さを抱く。
私が悪いと思った事は、誰かにとっていいと思ったことかもしれないんだ。
私が全部正しいわけない……。
だからまた誰かを否定しちゃうんじゃないかって、不安だ。
あずにゃんを励ましたって、そんなのあずにゃんが嬉しいわけない。
ムギちゃんにまた声を掛けたって、それはいい意味に聞こえない。
りっちゃんと澪ちゃんに、掛ける言葉も見当たらない。
何か言いたいのに、私はそれに自信が持てない。
「お姉ちゃん……」
「だから、まだ考えるよ……どうしたら皆が笑ってくれるか」
私はご飯を一口。
おいしかった。
そして。
「とりあえず、一緒に部活行こうね、憂」
「……うん」
部活は一時からだそうなので、私はそれまで部屋でギターを弾いた。
案の定下手糞だったけれど、一時間あまり練習したら大分マシになった。
憂の準備も出来て、十二時四十五分に家を出た。
後輩に会うの、緊張するなあ……。
心にあるわだかまりと、解決してない皆の悩み。
引っかかったままで、上手くやれるのかな。
こんな私で……――。
最終更新:2012年06月01日 00:48