そんな事を言い出した。
 目を逸らしている澪。
 私はなんだ、と笑いつつ返した。



「そんなこと……私も忘れてたんだぜ自分の誕生日」
「でも、なんというか……謝りたかったんだ」



 忘れてたことは、確かに嬉しいことじゃあないけど。私も一年中、澪の誕生日の事を考えてるわけじゃない。
 それに、澪が私の誕生日を忘れてしまうぐらい色んな事に悩んでいたのも知ってる。
 それが私たちの事だったし、私自身も忘れていたから特に思うこともなかった。


 でも、澪にとって。
 私の誕生日を忘れるのって、謝るべきことなんだなって。
 それがちょっと嬉しいと思った。


「律は、私と律のアルバムを見て、私に会いたくなったって……言ったよな」


 昨日の帰り道に言ったことだ。
 澪は微笑んでるような、それでもちょっと不安そうな微妙な表情でケーキを見つめている。
 それはただ恥ずかしくて、私と目線を合わせることができないからだと思う。
 私は何も言わずに、澪の言葉に耳を傾けた。


「私も、似たような感じで……アラーム、設定してたんだ。
 律の誕生日の前の日に、こっそり誕生日プレゼント買いに行く予定だったんだ。
 それを設定したの、随分前で。ちょっと楽しみにしてた。でも、いろんなことがあって、忘れちゃってたんだ」



 忘れさせるような出来事がありすぎた。
 それを思い出しただけで――澪と一緒にいなかった時間を思い出すだけで辛い。
 澪の表情も、きっとそんな気持ちからなんじゃないかってなんとなく思った。



「一人で泣いてたんだ。
 でも、アラームが……アラームが鳴って、予定の内容を見たんだよ。
 『誕生日プレゼントを買いに行く』って予定で。


 その時、思い出したんだ。
 律の誕生日の事も、今までの律との思い出も。
 去年は何プレゼントしたとか、私の誕生日はとか……。
 もうずっとずっと一緒だったことを、思い出して。


 私も、律に会いたくなったんだよ」


 澪の曇っていた表情は、次第に晴れやかになっていった。
 辛い時を思い出して語る時は、その時の気持ちを思い出す。


 でもその辛い瞬間から抜け出す瞬間を思い出すと、その時の笑顔も思い出せる。
 思い出はずっと残るから。
 私たちを縛りもするし、いつまでも不安にもさせる。
 だけどそれは時に、とても私を――私たちを勇気づけるものにもなりうるんだ。


 今回私と澪を勇気づけたのは。
 お互い一緒にいた『思い出』だから。



「その時ちょうど、律からメールが来たんだ」
「ちょうど? マジで?」
「偶然にしちゃすごいなとは思ったけど」
「……ぷっ」


 数秒見つめ合って、笑った。
 恥ずかしいけど、通じ合ってるんだなって思った。
 考えることもタイミングも同じ。


 私の気持ちが、澪の気持ち。
 澪の気持ちが、私の気持ちだ。



 私と澪は、繋がってるんだ。




 今までもずっと。
 これからもずっと。







 二日後に、部室で全員が集まることに決めた。
 『放課後ティータイム』として、演奏する再会。



 私たちの再会を、延期続けていたのは私だ。
 でも今は、胸張って言える気がするんだ。
 隣に澪がいる。
 あの時のような不安もない。




 一緒にいるから。


 部長の田井中律だぞって。
 勢いよくドラムを叩ける気がするんだ。



「澪」
「うん?」
「……この後さ、私の家で練習しようぜ」



 澪は一瞬驚いたが、すぐに満面の笑みを返してくれた。
 五日前にも約束した。二人で演奏しようって。
 でもあの時は叶わなかった。


 だけど、今は。




「わかったよ……ただ半年ぶりに触るベースなんてたかが知れてるぞ」
「私も同じだから構わないよ。二日後までに完璧にしてみせる」
「おい無理すんなよ」
「澪と一緒にセッションしてれば余裕だよ」
「……馬鹿律」



 澪は照れくさそうに笑った。


 澪と一緒ならなんでもできる。
 それこそ、ドラムを叩くことも、笑うことも。
 生きていくことも。



「……律のドラムなんて、久しぶりだな」
「かなりなまってるからなあ……まあ高校の時ほど叩けないよきっと」
「でも、言ってたよな律」
「ん? 何を?」
「ドラムを嫌いになったわけじゃないって」



 私は一瞬も、ドラムを嫌いになったことはなかった。
 嫌いになってたのは、それを叩く私だったから。
 なんでもかんでも否定して、嫌いになった半年間。
 嫌いにならなかったのは、澪とドラムだけだった。




「……うん。ドラムは、私の原点だからな」



 澪と一緒にバンド組むって決めたのも、大事な思い出。




 ドラムだけじゃない。
 『過去』の何かが、私の原点だ。
 澪と一緒にいるのも、大好きだって思う気持ちも。
 全部私の中にある。



 それを、私はこの半年で学んだ、ような気がした。
 受験に失敗しなければ、こんな気持ちになることはなかったかもしれない。
 あの苦しみは、ここにある幸せの対価。
 それで十分。


 細かい事は、どうでもいいや。
 私は澪がいればいいんだ。
 それでいいんだ。


 ――失敗したことが恥ずかしい。嫌われてるかも、と知るのが怖い。
 ――罵られるのが怖い。嫌われるのが怖い。会うのが怖い。


 そんなのもうどうでもいいよ。
 なんでそんな事に悩んでたんだ。


 私には、澪がいるから。
 そんな弱い私なんか、簡単に倒せるんだよ。



 澪と一緒なら。
 澪が一緒だから、私は私になれる。





















 そして、『放課後ティータイム』としての再会の日。










 私は唯ちゃんと、学校へ向かっていた。
 私の背中には、キーボード。
 五人の思い出が詰まったあのキーボードだ。
 隣にいる唯ちゃんの背中には、もちろんギー太。
 私たちの足は軽快だった。
 心は軽やかだった。
 縛りつけるものは何もなかった。
 悩ませるものが何もないというのが、こんなにも心躍るなんて。
 そして。
 十六日に皆と会うことが怖かった気持ちとは真逆の今。
 皆と会うのが、こんなにも楽しみだなんて。
 思い出すんだ。
 高校時代の放課後へ向かう時間を。
 楽しみなんだ。
 楽しめることへの足取りが、皆の笑える条件だって事。
 澪ちゃんとりっちゃんが一緒にいるのを見ているのが、幸せだということ。
 全部私の中にある。
 だから、楽しみだ。
 部室でまた、皆でおしゃべりできるのが。
 すっごくすっごく楽しみだ。




 私は部室で一人ギターを弾いていた。
 ストロークに心が跳ねる。
 こんな気持ちはいつ以来だろう。
 鏡に映った私の顔は、自分で言うのもなんだけど、ちょっと輝いてた。
 心の重みが取り除かれた。
 不安も寂しさも、孤独も何もない。
 そして、先輩たちに会えるんだ。
 『楽しみな気持ち』で会えるんだ。
 演奏できるんだ。
 律先輩と澪先輩の、幸せそうな顔を見ることも、とっても楽しみだ。
 泣いた記憶も悲しみの記憶も。
 嫉妬に歪んだ記憶も。
 全部私の一部だけれど、それを感じさせないわくわく。
 今日はある意味で、決別の日だ。
 『放課後ティータイム』と『今の軽音部』との。
 私は、憂たちと学園祭へ一歩を踏み出す。
 だからそのために、今日を笑顔で終わりたい。
 そのための、今。
 そのために、私は笑う。
 笑わずにはいられないよ。




 心を揺さぶるってことを、皆に伝えた。
 伝わったのは嬉しかった。
 そして今、ムギちゃんと並んで学校へ歩いている。
 久しぶりに皆で演奏できるから、嬉しそうなギー太を連れて。
 私はついつい鼻歌を歌う。
 ムギちゃんもくすくす笑うんだ。
 それが見たかったんだ。
 友達の、大好きな友達の笑ってくれる顔を。
 あずにゃんの、りっちゃんの、澪ちゃんの笑顔を。
 見たくて見たくて仕方がないんだ。
 だから部室で皆と出会った時。
 そこに絶対笑顔があるって信じれるから。
 私は今、心を踊らすことができるんだ。
 皆の気持ちを知らなかった苦しみも。
 そんなの、ちっぽけで、今は笑い飛ばせるよ。
 それを分け合える友達がいる。
 それを慰めてくれる音楽がある。
 嬉しいから。
 ここにいるんだ私は。
 ハッピーな気持ちが、全身から湧き上がってるよ。
 最高だよ。
 本当に。








 私は、律と並んで歩いていた。
 道を手を繋いで歩く。
 律は照れくさそうに、でもこれ以上ない可愛い笑顔で笑ってくれるんだ。
 それを見ているだけで、私はとっても幸せだった。
 思えばそうだ。
 私の書く詩は、そんな一瞬の光景から生まれてた。
 いつか目にした、君のマジ顔も。
 好きになるほど切ない夜も。
 愛をこめてスラスラと、手紙を書こうとしたことも。
 好きの確率を割り出したいと思ったのも。
 前髪を下した姿を見てみたい思ったのも。
 どんなに寒くても、僕は――私は幸せなのも。
 全部。
 全部律のおかげだったし、律がいるから。
 律のための、言葉だったから。
 だからそんな一瞬から生まれる詩を、私は好きだと言えるんだろう。
 皆で作り出した曲と演奏を、大事に思えるんだと思う。
 律が掛け声を掛けて。
 一緒にリズムを作っていく。
 私は、『放課後ティータイム』の演奏が大好きだ。
 そして走り気味でも、強弱が極端だったりしても。
 私はそんな律のドラムが大好きだ。
 そしてそれを叩く律が、大好きだ。




 暖かい手と、暖かい心。
 澪とこうやっていられること。
 『放課後ティータイム』で集まる事に、楽しみを感じれること。
 『過去』だけのものじゃない。
 『未来』にまで繋いでいけるから。
 私たちは幸せだと、確信できる。
 梓やムギ、そして唯の鳴らすそれぞれの楽器。
 そして。
 大好きな澪と、大好きな澪のベース。
 私のドラムも、皆で鳴らす音楽の一部だ。
 音楽を通して、澪と重なることも。
 気持ちが通じ合えるのも。
 私と澪が、一緒にいる証だって思うから。


 不安だった。苦しかった。
 だけど、そんなのどうだっていい。
 だって大好きだから。
 あんなに嫌いだった自分も、澪が好きって言ってくれるから。
 澪が好きって言ってくれるから、私は私を好きでいられる。
 澪が好きな、私が好き。
 それ以上に、澪が大好き。
 だから。
 歩けるよ。
 手を繋いで。



 私たちの言葉は、それぞれの心を揺り動かした。
 大好き。
 大好きをありがとうって。














「ワン、ツー!」













 辞書でも引いてみようかな。



 ROCK。ロック。
 名詞での意味は――音楽のジャンル。ロックンロール。ロックを演奏する。
 動詞での意味は……。


 ――動揺する。
 ――心を揺り動かす。
 ――感動させる。



 だから私たちの『ROCK』は、永遠に終わらないんだ。
 この手が繋がっている限り。








■fin



最終更新:2012年06月01日 07:45