<第一部・登場人物>
田井中律……N女子大学一年生・第一部の主人公。
秋山澪……N女子大学一年生
××……N女子大学一年生・律の友人の一人
□□……N女子大学一年生・律の友人の一人
<プロローグ>
「律、今何か聞こえなかったか?」
私は立ち止まって、隣を歩いていた律に言った。
「――澪も、聞こえた?」
律は不可思議そうに眉をひそめながら私を見た。
ここは学校へ行く途中のただの道だ。
周りには誰もいない。
道の随分先には別の生徒も見えるけれど、でもここまで言葉が聞こえるような距離じゃない。
私はベースを背負い直した。律の鞄から、ドラムスティックがはみ出している。
これもいつもの光景だし、普段と何ら変わりはない。
でも確かに、今。
声が聞こえたんだ。
「まさか、幽霊だったりしてー!」
「お、や、やめろって。こんな朝からそんなこと……」
律が高らかに私をからかった。
私はいつもなら、ビクビクと震えるところだったけれど、不思議とそんな感じになれなかった。
さっき耳に聞こえた、確かな感覚と言葉が、私の体に爽やかな解放感を与えていたからだ。
「……律」
「んー?」
「私たち、ずっと一緒だよな」
「何言ってんだ? 当たり前だろ?」
「本当?」
「ああ。一生離さないからな」
律は少し照れながら白い歯を見せた。
私は安心した。
でも、なんで私はそんなことを律に訊いたのだろう。
一瞬前の台詞なのに、なぜかよくわからなかった。
それよりも、謎の声が引っかかる。
「律も、聞こえたんだろ?」
「聞こえたけど、確かにどこから聞こえたんだろう」
私と律は空を見上げた。
確かに、聞こえたんだ。
囁くような、でも何かとっても誇らしいような声でさ。
――仲良くやれよ。
それは、私の声にも、そして律の声にもよく似ていた。
<第一部>
昔から、一人ぼっちの子を放っては置けない質だった。
友達はそれをお節介焼きだねとか、余計なお世話じゃないのと口々に言うのだけど、実際気になってしまうのだから仕方が無い。
小学校の時も中学校の時も、決まってクラスには一人ぼっちの子がいて、寂しそうに休憩時間を過ごしている姿が目に入った。
私はそれがとても嫌で、よく昼休みにはそういう子をドッジボールに誘ったりした。
だって、一人って悲しいじゃん。
私は、自分で言うのもなんだけどとても明るくて、遊ぶのが大好きな子だった。
だから休み時間には男の子に混じって球技をやることも多かった。
さすがに中学になればそういうことはなくなったけど、でも元気に行くのが私のモットーでもあったからそれなりに楽しくやっていた。
でも一人ぼっちの子は、楽しくないんだろうなあって。
私がたくさんの人に囲まれて笑って過ごしている時、あの子やあの子は寂しく一人で本を読んでる。
仲間と楽しく笑ってる時、ふと見ればそんな子がいる。無表情もいいとこの、暗い顔で。
それが、嫌だった。
一人でいることの選択をしたのは、その子達自身なのかもしれない。
私たちみたいな楽しく生活してる人たちとは、あんまり仲良くしたくないと思っているかもしれない。
それとも、誰かと話すのが苦手だったり、性格的にそういうのがダメなだけかも知れない。
いろんな理由で、誰かが一人ぼっちになってる。
だからって、私はほっとけなかった。
一緒に遊ぼうよって何人の一人ぼっちにも声を掛けた。
大抵の人は怖がったり、ビクビクしながらも一緒に遊んでくれた。
昼休みのドッジボールに誘ったり、大縄跳びに誘ったこともある。
一人ぼっちだったから、誘って一緒に遊んで。
だけど、次の日になったら――。
次の日になったら、その子たちはまた一人ぼっちを選んじゃうんだ。
昨日一緒に遊んだ子も、次の日は一人で本を読んでるんだ。
だから、私は怖くなる。
私が一人ぼっちの子を遊びに誘ったり、話しかけたりするのは。
もしかしたら、その子達にとってうるさいのかもしれないって。
だけど、嫌なんだよ。
皆で楽しくやってたいんだよ。
私が笑ってて、誰かが笑ってないなんて、嫌なのに。
それを押し付けるのは、自己満足なのかな。
……――
「――……りっちゃーん」
友人の声で、目が覚めた。
どうやら寝てしまっていたらしい。
顔を上げると、講義室からぞろぞろと学生たちが出て行く様子がまず目に入った。
私は机に伏せて寝ていたようで、その私を数人の友達が囲んでいる。
「もう講義終わったよ」
「……寝てた」
私は寝起きで重い体だったけど立ち上がり、机の上の筆記用具やルーズリーフをまとめた。
それを手に抱えると、私が起きるのを待ってくれていた友人三人の輪に混ざる。
それから誰かが話題を吹っかけ、それについて話しながら私たちは講義室の入り口へ向かった。
ただ寝起きで頭がぼうっとしていたので、話題に入れなかった。
「――で、その時××ちゃんがさー!」
「だ、だって仕方ないじゃない! それに□□ちゃんもそうだったでしょ?」
「それはそうだけどさあ。ジュースがバーッってなったんだよね。それでね」
「意味わかんないよもう」
私たちはそんな馬鹿な話をしながら、入り口から出る。
ただ私は口も頭も重くて、ただ話を聞いているだけに留まっていた。
その四人の中で最後に講義室を出た私。
さっき目を覚ました時たくさんの学生が講義室を出て行っていたので、多分私が最後だろうと思った。
最後に出る人は電気を消せと言われていたので、私は一応確認のために振り返ってみる。
私はハッとした。
(……まだ、人がいたのか)
講義室は、よくテレビなんかで見るようなそれとほぼ同じだった。
規則正しく並んだ机とイス。長いホワイトボード。
さっきまでそこで、長ったらしい教授の話を聞いていたんだ。
寝てしまったけど、でも大学生としては普通の毎日だ。
私は息を止めた。
その講義室の一番前の席。
そこに、まだ誰か座っていた。
長くて綺麗な黒髪。
寸分狂いもなく、完璧で端整な横顔。
そんな麗しい雰囲気を醸す女の子が、まだ座っていた。
私は壁のスイッチに手を添えたまま、数秒――いや数十秒、その子を見つめていた。
(……やっぱり、綺麗だな)
「りっちゃーん。何してんのー?」
呼びかけられて、我に返った。
「あ、待てよ!」
私は廊下に出て先に歩いていっている友達を、そう叫びながら追いかけた。
あの子を、入学初日から何度目で追いかけたのだろう。
●
4月21日 晴れ
今日初めて課題が出た。来週の水曜日提出らしい。
大学入学のお祝いに買ってもらったパソコンを使ってみよう。
まだ使い方がよくわからないから、計画を立てなきゃいけない。
手帳に計画を書き込むことにする。
晩御飯は野菜を適当に炒めて食べた。おいしくなかった。
そう考えると、ママはとっても料理上手だったと思った。
私はこれから四年間、自炊しなきゃいけないんだ。
ママの大変さが身に染みた。
料理ができるって、本当に尊敬する。
大学に入学してもう十日と少し。
講義は大変だけど、なんとかなりそう。
■
N女子大の食堂で、私を含む四人は席について食事をしていた。
お昼時なので当然学生は多く、食券の券売機には長蛇の列ができている。
カウンターに置かれている出来上がった料理を取りに行く人、友達と一緒にやってきた人……いろんな人がそれぞれの時間を楽しんでる。
ざわめきはとても大きくて、少しばかり耳障りだ。
ただ、友達との会話に集中するとそれは気にならなくなるので、私たち四人はやはり他愛もない話を続けている。
こうやってここで食事をするのも少しずつ慣れ始めていた。
私は日替わりランチを食べている。友達三人もそれぞれ好きなものを食べていた。
一つの話題が途切れた時、私は兼ねてから気になっていたことを三人に尋ねてみようと口を開いた。
あまり気張らず、あくまで『ふと思い出したんだ』というような素振りで声の調子を落ち着かせる。
「なあ、あのさ。聞きたいんだけど」
「うん?」
友人たちの視線が私に集まる。
「あの、いっつもさ……講義の時、一番前の席で受けてる髪の長い子、いるじゃん」
昨日、講義室から出ようとした時、まだ残っていた女の子。
綺麗な、長い黒髪の子。
別に外見だけが気に掛かってるわけじゃない。
そりゃ確かに美人だけれど、それだけじゃないなんかよくわからない引力みたいなのが働いているような気がした。
昔っから、一人ぼっちはほっとけない。
「ああ、あの子? いっつも一人でいる子だよね」
いきなりそんな反応をした友達の一人。
自分のことではないし、別にあの子が身内なわけでもないのだけど、どういうわけかズキッとした。
『一人ぼっち』……自分でさっきそう形容したくせに、誰かが口に出すと、まるで自分に言われたかのように少しだけ痛かった。
「あの子がどうしたの?」
「いや、名前知りたいんだ。話しかけてみたくてさ」
意外とその言葉はあっさり出た。
話しかけてみたいって言うのは、結構純粋な気持ちだった。
友達になってみたいし、いっつも一人だから寂しい思いをしてるんじゃないかって気もするのだ。
「へえー、りっちゃんってそういう人ほっとけないタイプなの?」
「わ、悪いかよ」
「今時珍しいなあ。りっちゃんみたいな子そういないよ」
友達皆は笑顔で感心するように声を漏らした。
聞けば、あんまり一人ぼっちの子に話しかけようとする人はあまりいないようだ。
彼女たちと私の出身は全然違うけど、やっぱり何処の県にも高校にも一人ぼっちはいて、誰ともかかわらず生活している人が居たようである。
だけど、そんな子に話しかける人なんてそうそういなかったらしい。
「珍しいのか? 私は昔からそうしてきたんだけど」
でも、実際、それで得られたものは特に無い。
あるのは一時の楽しさと満足感だけだった、気もする。
それもわがままかな。
「話しかけなくてもいいんじゃないの? 多分ああいう風に誰とも関わらずに生活してる子って、私たちのことあんまりいい目で見てないんじゃないかな」
友達の一人が、ちょっと悲しそうに目を伏せつつそう言った。
私はよく意味がわからなかった。
わかりそうだったけど、でも、自分で考えをまとめるのが無理そうだったので、言葉を促す。
「つまり?」
「見下してたり、とか?」
その時、友達の一人の携帯が鳴って、話題は途切れた。
……見下す、か。
入学式から度々あの子を見てきたけど、全然そんな様子はなかったと思う。
いっつも表情はなくてクール。怒っているような表情というわけでも、微笑んでいるというわけでもない。
ただただ冷静に。その場しのぎの冷静沈着な態度を取っているように見えた。
でも、一瞬たりとも冷たい視線を見せたことは無いんだよ。
そんな小説やドラマで見るような、悲観的な空気をあの子から感じないんだ。
私たちとの温度差があっても、だからって見下すような。そんな子じゃないと思うんだ。
なんでそんなこと、赤の他人の私が言えるかってわかんないけど。
でも、なんかそういう感じだし。一度も話したこと無いくせに、たまに目が合う程度のくせに、あの子の名前もわかんないくせに。
一週間ちょっとたまにあの子のこと見つめてた程度でわかったような気になってる私。
でも、なんか不思議だなあ。
他人って気がしないんだよな。
「それでさ、あの子、なんて名前なの?」
最終更新:2012年06月01日 07:56