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 講堂の前、女性教師が生徒たちに号令をかける。

「それでは、在校生は卒業生に花を付けて下さい」

 雲がかかってはいるもののよく晴れた空、
 桜の木にはかすかに色が付いていた。
 朝は寒いと思っていたが、陽射しにあたたかさを感じる。

 私も一年前は卒業生に花を付けていた。
 目の前の二年生も一年後には付けられる立場になる。

 私は今どんな顔をしているだろう、
 少しは先輩らしい表情になっているだろうか。
 そう思いながら眺めていると、彼女のぎこちない動作に気付いた。

「あんまり焦らなくてもいいよ、時間あるから」

 小さく言うと、彼女の表情が和らいだ。
 待っている間、かすかな桜色を見上げ、
 淡い色が木を埋め尽くす姿を思い浮かべていた。

「卒業おめでとうございます」

「ありがとう、ご苦労様」

 付け終わったあとの表情を見て、私にも笑みがこぼれる。

 わかった気がする、
 人に優しくするのはこんな顔が見たかったからかもしれない。
 それを見て少し嬉しくなる、それだけで十分。

 彼女が三年に上がるころ、桜は満開になるだろう。

 みんな花を付けられ、講堂へ向かおうとしたころ、
 唯ちゃんたちを見つめている女の子に気付いた。
 軽音部の唯一の後輩である梓ちゃんだ。

 彼女にも思うところがあるのだろう。
 風がスカートを巻き上げたが、気にも留めない様子だった。

「風子ー、何してんのー」

 なっちゃんが呼んでいる、そろそろ行かないと。

 なぜだろう、今日は人のことが気になる。
 悪い意味ではなく、きっといい意味で。

 梓ちゃんを気にしつつ講堂へと向かった。


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 卒業式自体はつつがなく終わった。
 式が終わり、卒業証書を配り終わったあとの教室、
 山中先生が名残惜しそうに教壇に立つ。

「みんな、卒業証書に名前の間違いはないわね。
 各自確認したら大事にしまって持って帰ってね。
 それでは……皆さんの高校生としての生活は以上をもって終了となります」

「えーと……私にとっては初めて受け持った担任クラスでしたが、
 みんな元気でこの日を迎えることが出来てよかったです。
 卒業してもみんな……。元気でね」

 静寂と呼ぶべき空気が教室を包む。
 でも、それを打ち破る必要がある。

「じゃあ……解散」

 今だ、声を出さないと。

「先生! あの……私達から先生に感謝を込めて渡したいものがあります」

 そこまで言ったあと、先生の「え……」という声で気が付いた。

「今、持ってるの誰だっけ?」

 肝心なことを忘れていた。
 なっちゃんに渡してそれから……。
 そんな私に唯ちゃんが助け舟を出してくれた。

「はいっ、私、私」

 元気な声に救われ、私も精一杯の声で。

「じゃあ、唯ちゃん贈呈お願いします」

 先生と馴染み深い彼女に任せるとしよう。

「ちゃーんちゃーんちゃ、ちゃーんちゃーん」

「それ、優勝旗返還」

 すかさず清水さんの訂正が入った。
 唯ちゃんが照れくさそうに答える。

「でへへ……」

「山中先生、お世話になりましたっ」

「もしかして式の間、持ってたのは……」

「これですっ」

「ありがとう」

 先生はそう言って、色紙をじっと見つめた。

「大切にするね」

「さわちゃーんありがとう」と歓声があがる。

「私……私こそ……。
 本当にありがとう。
 初めての担任がこのクラスでよかった」

 私もこのクラスでよかったと心から思っている。

「卒業してもまた、遊びにきてね」

 山中先生はそう言ってしばらく間を置き。

「お前らが来るのを待ってるぜー!」とライブにも負けない声を叩きつけた。

 なんて大きな声だろう。
 教室の外どころじゃない、隣のクラス、さらにその隣まで聞こえるような声。

「よっ、さわちゃん!」

 中島さんが声を上げたが、先生に比べればかわいいものだ。

 なんにせよ、これで上手く行ったと思える。
 みんな笑顔で卒業出来るだろう。


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 教室の出口には和ちゃんと軽音部の四人が集まっていた。
 五人の手には黒い筒が握られている。
 卒業証書、それは桜高に居たという証拠だ。
 これがあれば、どんな困難にも打ち勝てそうな気がしてくる。

「風子、私たちもう行くね」

 和ちゃんが声を掛けてきて、私なりに声を張って答えた。

「うん、みんな元気でね」

 唯ちゃんが筒を片手に挨拶をする。

「風子ちゃんまたね」

 田井中さんが「なっちゃんも元気でな」と言って、
 なっちゃんは「りっちゃんも元気でね」と返した。

 手を振ってみんな笑って別れる、次会うときもきっと笑顔で会えるだろう。
 いつになるかはわからない、胸を張って会えるように準備をしておこう。

「私たちも帰ろっか?」

 そう話し掛けると、
 なっちゃんは「ちょっと待ってて」と言い黒板のほうへ近づいて行った。

「夏香、何してるの?」

 すでに黒板には先生へのメッセージであふれている。
 『大好き』とか『ありがとー』とか『おつかれ』とか。
 『卒業おめでとう』という言葉を囲むように。

 なっちゃんがチョークを片手に話し始めた。

「英子さ、高校でやり残したことってある?」

「私は無いわね」

「さすがお母さ……、っと風子は?」

 黒板には彼女の字で『さわちゃん』と書かれている。

「えっと……」

 一年のとき、いろいろと絡んでくれる子たちがいた。
 それなのに上手く話せなくって、結局心を開けなかった。
 やり残したというわけではないが、そのときに心を開いていれば……。

「私は――」

 やめておこう、今満足してるんだから。
 過去を振り返ってもしょうがない。
 月並みな思いだけど事実だった。

「みんなに会えてよかった」

 なっちゃんは黒板に『サイコー』と付け加え、チョークを置いて言う。

「私ね、山中先生をさわちゃん、って呼んでみたかったんだ。
 だから黒板に書くの、『さわちゃんサイコー』ってね」

「そういえば寄せ書きには『山中先生』って書いてたよね」

 彼女は視線を窓の外に向け、整った横顔を見せた。

「さすがに形に残るから書けなかったよ」

 こういうところが彼女らしい。
 基本的には真面目という印象だがまれに無邪気な顔を見せる。
 私もときどき子供っぽいといわれる。
 そして英子ちゃんはお母さんなどと呼ばれる。

「ふふっ」

 家族みたいだ、私が妹でなっちゃんがお姉さん、英子ちゃんがお母さん。

「何? 風子、今の笑いは」

 なっちゃんが、続いて英子ちゃんが私の顔をのぞき込んだ。

「ううん、何でも」

 ――今更だけど会えてよかったな、二人に。


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 しばらく校舎を見て周り、私たち三人は外へ出た。
 青色の絵の具に、気持ち程度橙色を混ぜた空だ。

「見てあれ! 飛行機雲!」

 なっちゃんの声で上を向き、長く伸びた雲を見上げる。
 そのまま校舎に目線を移動させ音楽室を探した。
 あそこには軽音部のみんながいるはずだ、おそらくは和ちゃんと山中先生も。

 彼女たちのことだ、きっと悲しい別れにはしないだろう。

 ――何だかうらやましいな軽音部って。

「おーい、風子ー」

 後ろ髪を引かれるというのはこのことだろうか。
 そう思うのは前に進もうとしているからかもしれない。

「風子、もう行くわよ」

 髪が揺れるのを感じた。
 少し冷たくて冬の空気が残っている風、でも悪くない風だ。

 向こうで二人が待っている。
 私は校舎に別れを告げ前に向き直った。

「わかった、今行く」

 ――今日吹いた風でみんなが高く飛べますように。

 そう願いながら、ずっと空を見ていた。


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 真鍋 和様

 初夏の風もさわやかな今日このごろ、いかがお過ごしですか。

 この度は同窓会へのお誘いありがとうございます。
 葉書にてお伝えいたしました通り、参加させていただきます。
 またみんなに会える日を楽しみにしています。

 くれぐれも体調を崩されませぬようご自愛下さい。

 堅苦しいのはここまでに致しまして、
 そちらの状況はいかがでしょうか?
 私はまあまあ上手くやっています。

 一般的に大人と呼ばれる年齢は過ぎましたが、
 まだまだ自覚の足りない日々です。
 そちらはいかがでしょうか?

 大人になって面倒も増えました。
 でも学生時代とは違った風景が見えることを楽しく思っています。
 私の速度は遅く、置いていかれることもしばしばですが、
 着実に進んでいるという実感もあります。

 駄文はこれまでにして、一つお知らせがあります。
 近々、私の本が出版されることになりました。

 書く際には私たちの高校時代をモチーフにしました、
 もちろん脚色はしてあります。

 特別な事件もなく平穏に過ごした日々でしたが、
 心動かされる出来事もありました。

 書いた動機というのは、
 そういうものを知ってもらいたかったのかも知れません。

 貴女に限って大丈夫だとは思いますが、
 くれぐれも無理はなさらずにお体に気を付けて下さい。

 余談が長くなりました、そろそろ筆を置くとします。

 そうそう、本のタイトルを忘れていましたね。





――――風待ち鳥は空を見ていた――――

                         高橋風子
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 おわり



最終更新:2012年06月10日 22:08