紬「もう、お姉ちゃんでいいったら」

菫「で でもっ、一応屋敷内ですし……じゃなくって!
  一体どうされたんですか? 何の連絡もなくいきなり帰ってくるなんて……」

紬「ふふふ……実はね。今日はとってもびっくりなニュースがあるの!
  それを伝えようと思って急いで帰ってきちゃった♪」

菫「びっくりなニュース? なんですかそれ?」

紬「みんなには秘密よ?」

菫「……!」(ゴクリ

紬「……なんと! 今日は私の誕生日なの~♪」

菫「…………誕生日? ってなんですか?」

紬「やっぱりそうなるわよねぇ」


誕生日……聞き慣れない言葉でした。

私はぽかんとして、紬お嬢様の嬉しそうな様子をただ見ていました。

紬「私も今日初めて知ったの。 大学の友達にたくさんお祝いしてもらっちゃった」

菫「それはお祝い事なんですか?」

紬「うん。あのね、誕生日っていうのは……」

紬お嬢様は私に誕生日の説明をして下さいました。


菫「なるほど。生まれてきたことに感謝する日なんですね」

紬「まさか私の誕生日が今日だったなんて、知らなかったわ~」

菫「へぇ~……ってことは私にも誕生日があるってことですか?」

紬「そういうことになるわね」

私はふと、自分が生まれた時のことを考えました。

しかし私が赤ん坊だった頃というのが、まったく想像できません。

紬お嬢様と一緒に過ごしていたことや、使用人として働いていたことは記憶にあるのですが、
その他のことは一切思い出せないのです。

菫「う~ん……」

私が難しい顔をして考えていると、紬お嬢様が不思議そうに訊ねました。

紬「どうしたの?」

菫「……いえ、私の誕生日っていつなのかなぁ、と思いまして……」

すると紬お嬢様はちょっと考えてから、私にこう言いました。

紬「実はね、私も気付いたらいつの間にかこうやって生きてたのよね。
  もっと言えば、菫が妹みたいに私の傍にいたのもいつからだったか覚えてないわ」

菫「……言われてみれば、私も初めてこの屋敷に来たときのことを覚えていません。
  気付いたら高校1年生になっていて、紬お嬢様を姉のように慕っていたという
  おぼろげな記憶しかないです」

そうした言葉を口にすると、まるで自分たちがある年齢で
突然この世に姿を現した存在のように思えてきました。

紬「これは私の憶測だけど、きっと私たちに厳密な意味での誕生日ってないんじゃないかしら」

菫「?」

紬「つまり実際的なメタファーにおいて私たちの存在は細かく定義されていないのよ。
  時間の普遍な流れとは別のところに一つの限定された時間の淀みがあって、
  その中で私たちは生きてるの。だから始まりもないし終わりもない」

菫「は、はあ……紬お嬢様は難しいことを考えるんですね」

私には紬お嬢様の言っていることの半分も分かりませんでした。

菫「でも、時間の流れがないならどうして私たちは進学したり、
  誕生日を迎えたりするんでしょう?」

紬「それは多分、私たちの時間が時々あっちの時間の流れにまぎれてしまうのね。
  池の水が少しずつ川の本流に呑み込まれていくように、私たちの気付かないところで
  時間が少しずつ削られていってるのかもしれないわ」

菫「なんだかよく分からないです……」

紬「……まあ、そんな話はこの際どうでもいいわ。
  重要なのは今日が私の誕生日っていうこと♪」

菫「御友人にはどのようにお祝いしてもらったんですか?」

紬「そうそう、みんなから素敵なプレゼントを貰っちゃったの。ほら!」

紬お嬢様が取り出したのはネックレスや可愛らしいぬいぐるみでした。

紬「それからこれも」

ハート型のピアスが左耳についていました。

私はそれを見て驚いてしまいました。

菫「お、おねえちゃん、それ……」

紬「友達とおそろいなの~♪」

紬お嬢様の恥ずかしそうに笑う姿を見て、私は少し目眩がしました。

おねえちゃんが他の女の人と……

おねえちゃんが遠い存在になってしまったような気がしました。

菫「……と、とても似合ってます。紬お嬢様にぴったりですよ」

紬「そうかしら? 菫にもそう言ってもらえて嬉しいわ」

この妙な胸騒ぎは何でしょう。

私は耐えきれず紬お嬢様に聞いてみました。

菫「……そのお揃いのピアスを付けた御友人というのは、どんな人なのですか?」

紬「とても優しくて、可愛いくて、あったかい人……かな」テレテレ///

私はなぜそれを聞いてショックを受ける必要があるのでしょう。

お祝いの言葉も忘れて、私の表情は固まりました。

紬「菫?」

菫「……嫌です」

思わず呟いてしまいました。
紬お嬢様への無礼などお構いなしに、つい嫉妬の心が洩れていきます。

菫「そんなの嫌ですっ! おねえちゃんは、おねえちゃんは……」

私だけのおねえちゃんなのに――そんな大胆な言葉を口にしようとした時、
突然ふわりと柔らかい何かに包まれたのを感じました。

紬「よしよし……」

とても懐かしくて良い匂いがしました。

私はおねえちゃんに抱きしめられ、小さい頃よくそうしていたように
優しく頭を撫でられました。

さっきまでの醜い嫉妬の気持ちはどこかへ消えて、
私は無言でおねえちゃんの肩越しに顔を埋めます。

紬「私は菫のおねえちゃんだものね。
  大丈夫……菫も、私のとても大切な妹だから」

菫「…………」

おねえちゃんの心臓の音が、私の胸元に伝わってきます。

私がその柔らかな抱擁に安心したのも束の間、
今までに感じたことのない、熱い気持ちの高ぶりがにわかに湧いてきました。

菫「お、おねえちゃん……」

私の顔はカァっと熱くなり、おねえちゃんの身体にぴったりと接している私の胸から、
激しい心臓の鼓動がおねえちゃんに伝わっているのが分かりました。

私は恥ずかしくなってついパッと身体を引き離しました。

すると今度はおねえちゃんの綺麗な顔と大きな瞳が真正面に見えました。

菫「あ、あのっ……誕生日おめでとうございます!」

私はわけが分からなくなって、どもりながら紬お嬢様の誕生日をお祝いしました。

紬「ふふっ、菫ったら、変なの」

紬お嬢様のにこやかな笑顔はとても素敵でした。

菫「そ、それじゃあ今日は紬お嬢様の誕生日を屋敷で盛大にお祝いましょう!
  まず会長と執事長にお知らせしないと……」

慌てふためいて話を変えようとしますが、紬お嬢様がそれを遮って
私の口に指をあてました。

紬「しーっ……駄目よ菫」

菫「え? でも……」

紬「あんまり大勢で集まったりしたら色々と面倒だし、
  このことは2人だけの秘密にしようってさっき言ったじゃない」

菫「は、はぁ……」

私には紬お嬢様の考えていることがよく呑み込めませんでした。

紬「その……最近、菫とあまり一緒にいられなかったから」

紬お嬢様は照れ臭そうに言いました。

紬「今日くらいは菫と2人きりでいたいなぁ……って思ったの」

菫「おねえちゃん……!」

紬「帰りがけにケーキも買ってきたし、一緒に食べましょ♪」

菫「うん!」

私は幸せが溢れそうなくらい嬉しくなって、ぴょんぴょんと跳ねたくなりました。

紬「じゃあ誰にも邪魔されないように、私の部屋に行こっか」

そこで私はふと、紬お嬢様に与えられてばかりで自分から何もしてあげていないことに気付きました。

菫「あ、あの!」

ルンルンとケーキを手に持って歩く紬お嬢様を後ろから呼びとめます。

紬「どうしたの?」

菫「ちょ、ちょっと待ってて下さい。紬お嬢様をお祝いするのに手ぶらじゃ何ですし……」

せめてプレゼントくらいは用意しないと。

そう考えていると、紬お嬢様はぷくーっと頬を膨らませて、

紬「もう! そんなことしなくてもいいの。
  それから紬お嬢様って言うのも禁止!」

菫「は、はひぃ……」

私は思わず恐縮してしまいます。

すると紬お嬢様は何かひらめいたように顔を明るくさせました。

紬「そうだ! 今日は菫の誕生日も同時にお祝いしましょう♪」

菫「わ、私の誕生日ですか!?」

唐突な発想に私は面喰ってしまいます。

紬「そうすればお互い様、でしょ?」

紬お嬢様はまるで世紀の発見をしたかのような得意げな面持ちです。

私がその意見を断るなんてできるはずもありません。

紬「ね、とってもいいアイデアだと思わない?」

菫「あの……でも、私の誕生日が今日とは限らないんじゃ……」

紬「さっきも言ったでしょう、私たちに厳密に定義された誕生日なんてないって。
  大事なのは、生まれてきたことに意味があるってこと。
  それとも菫は私と一緒の誕生日じゃイヤかしら?」

おねえちゃんはイタズラっぽく問いかけました。

菫「そ、そんなことない! とっても嬉しい!」

張り切って返事をする私を見て、おねえちゃんは笑いました。

紬「菫は相変わらず素直ね。そこが可愛らしいんだけれど」

おねえちゃんはおもむろに私の手を握りました。
私は幼い頃に、よくおねえちゃんに連れられて散歩していたのを思い出しました。

私はおねえちゃんと一緒にいられるだけでとても幸せでした。

お互い色々と複雑な立場になってしまった今後、昔のように馴れ馴れしく接することは段々と叶わなくなっていくでしょう。

それでも、この世界は一つの終わりない時間の泉なのです。

諦めたり、悲しんだりする必要はありません。

私は永遠にお姉ちゃんを愛し続けることができると、信じています。

 ・
 ・
 ・

菫「――――う……ん」

目が覚めると朝でした。

いつの間にか眠ってしまっていたようです。

菫「…………?」

寝ぼけ眼で天井をぼうっと見ていると、その模様に妙な違和感を覚えました。

菫「!? え!?」

がばっと身を起こし、私はふかふかのベッドで寝ていたことをようやく理解しました。

菫(ここは紬お嬢様のお部屋……なぜ私がこんなところで!?)

すると次に、身体が妙にスースーすることに気が付きました。

なんと私は素っ裸で寝ていたのです。

横で静かな寝息が聞こえました。

恐る恐る見てみると、そこには同じく一糸まとわぬ姿で気持ち良さそうに寝ている紬お嬢様がいました。

私は唖然として、しばらく固まっていました。

昨日、私は一体何を……

私は必死に思い出そうとます。

確か、お嬢様の誕生日をお祝いして――

紬「……菫」

いつの間にか紬お嬢様が目を覚まして、私に小さく声をかけます。

菫「お、お、お嬢様……これは一体……」

紬「ふふっ……菫ったら、久しぶりに一緒に寝ようって言ったら張り切っちゃって……」

菫「」

私は頭の中が真っ白になりました。

もう何がなんだか覚えていません。

紬「とっても気持ちよかったわ」

私はどうやらとんでもないことをしでかしてしまったようです。

紬お嬢様……いえ、おねえちゃんは優しく微笑んで、こう言いました。

紬「明日も誕生日パーティ……やりましょ?」



おわり



最終更新:2012年07月03日 22:37