私は梓から身体を離すと、目の上に手をかざして周囲を眺めながら言った。


「今更だけど、ここ、京都……だよな?」


「だと、思うけど……」


私の質問に応じながら、澪も私に倣って周囲を見回した。
それに続いて梓、唯、ムギも辺りに視線を向ける。


「やっぱり、京都……だと思うよ?
おさるさんに会いに行く時、通った橋だよね?」


「ムギもそう思うか……。
だったら、やっぱりここは京都なんだろうな……。
まあ、唯の夢の中の京都って意味だけどさ……。
知ってる所で助かったけど、しかし、何でまた京都なんだよ?
京都に何かあったっけか?」


私が愚痴るみたいに言うと、唯が声をちょっと大きくして反論した。


「何言ってるの、りっちゃん!
京都ってすっごいいい所だし、また来たかったんだよ!
私、京都大好きだよ!」


いや、私も京都が嫌いってわけじゃないんだが……。
と言うか、やっぱそういう事だったんだろうな。
今回の京都もそうだけど、さっきまでいたロンドンも、
結局の話、唯がもう一度行きたかった場所だったって事なんだろう。
夢の世界とは言え、強く印象に残った場所でないと再現のしようもない。
それくらい唯は卒業旅行と修学旅行を楽しんでたって事なんだ。
まあ、私だって楽しかったけどさ。

私は苦笑しながら、頬を膨らませる唯に弁明してやる。


「私だって京都好きだぞ?
でも、ちょっと困ったなーって思ってさ。
ライブやる前、競走で最下位になったの私だろ?
だから、今日はハンバーグでも作ろうかと思ってたんだけど、
いきなり京都なんかに飛ばされちゃ、流石に今日のハンバーグは無理だな……」


「ええー……。りっちゃんのハンバーグ楽しみにしてたのにー……」


「仕方ないだろ、まず調理器具集める所から始めなきゃいけないんだから。
大体、今日の寝床も探さなきゃいけないわけだし……。
明日なら作れると思うから、今日は我慢してくれよ」


「うー……、残念だなあ……。
でも、そうだねー……、泊まれる所から探さなきゃいけないもんねー……」


唯と二人で肩を落として苦笑し合う。
大変な事は大変だけど、まだ五人で居られるだけマシだった。
もうすぐ離れ離れにさせられてしまうかもしれないけど、
それまでは五人で協力して元の世界に戻る方法を探していければいいと思う。
過去や現在や未来や、色んな物を胸に抱えて、背負って行きながら……。


「んじゃ、まずはカチューシャ探さなきゃなー……。
ライブも終わったわけだし、そろそろ前髪上げさせてくれ。
これ以上、このおかしー髪型で居させるのは勘弁してほしいしな……」


「あ、ちょっと待ってくれ、律」


言って、私が前髪を上げようとすると、急に澪に止められた。
何故か嬉しそうに笑ってるから、
馬鹿にされてるんだろうかって思ったけど、そうじゃないみたいだった。
澪はレジャーシートの端に置いてあるギターケースの方に歩いて行くと、
腰を下ろして「よかった、あった」と言いながら何枚かの紙切れを取り出した。
レジャーシートの上に置いていたから、ギターケースも転移させられてたんだろう。
いや、それはともかくとして。
澪はその紙切れを手元で二冊に分けると、私と梓に手渡した。
とりあえず、その紙切れに視線を落としてみる。


「『風に乗って流れる私達の今は』……。
おい、これって……」


「新曲だよ、新曲。
律達に聴かせようと思いながら、ずっと聴かせられなかったからな。
今日こそ今から演奏したいんだよ。別にいいだろ、律?」


「いや、それは別に構わないんだけどさ……、
つーか、普通、楽譜渡すのって私達に曲聴かせた後だろ。
いきなりネタバレってどういう事だよ……」


「いやいや、よく見てくれよ、律。
その楽譜はドラムの楽譜なんだぞ?」


「……あっ! 本当じゃんか!
おまえ達、ドラム専門じゃないってのに……」


そう呟きながら、私は心の何処かで納得していた。
澪達が新曲を作曲してるのは知ってたけど、
それにしたって作曲に時間を掛け過ぎじゃないか、って思ってたんだよな。
何でそんなに時間が掛かってるんだろうって疑問に思ってたんだけど、今その疑問が解けた。
簡単な答えだ。私達が居ないのに私達のパートまで作曲していたからなんだ。
特に梓のパートはともかく、私無しでドラムのパートまで考えるのはそりゃ手間が掛かった事だろう。
私と梓の事まで考えてくれていたのは嬉しい。
嬉しいんだが、うん、ちょっと待て……。


「おい、澪、ひょっとしてこれ……」


「ああ、そうだ。
今から律達も一緒に演奏してくれないか?」


「ええーっ!」


梓が素っ頓狂な声を上げる。
私だって叫びたかったけど、先を越されてしまった。
梓がおろおろした様子で続ける。


「無茶ですよ、そんなの……!
だっていきなり……、こんな難しい曲……!」


「そうだよ、澪。
いくら何でも急過ぎるって……!
今私達が入ったら、正直目も当てられないくらい酷い曲になるぞ?」


梓と私が波状攻撃で澪の説得に掛かる。
私達だって新曲を演奏したいけど、まだそれには早過ぎる。
これから少しでも練習を積んでからの方が……。
それを私達が言葉にするより先に、ムギが微笑みながら言ってくれた。


「いいんだよ、りっちゃん。
酷い曲になっても、私、それでもいいの。
この五人で新曲が演奏出来るって事が嬉しいって思うの。
だから……」


「私もりっちゃんとあずにゃんに新曲に参加してほしいな。
駄目……かな……?」


唯が上目遣いに私と梓に視線を向ける。
私は梓と顔を向け合って、
少しだけ躊躇って……、でも、二人で苦笑した。
そうだな……。
この世界で回り道をしてる時間が無いって思ったのは私じゃないか。
カッコつける必要はもう無い。
酷い曲だって、下手な曲だって、それが今の私達の曲なんだ。
下手だって思うんなら、これから少しずつ上達させていけばいいだけだ。
今は皆で新曲を演奏する方が大切な事なんだ。

私は頭を掻きながら、「しゃーねーな」と言ってから続けた。


「分かったよ。
多分、酷い曲になると思うけど、文句は言うなよ?
私ってこう見えて天才型じゃなくて努力型なんだからな?」


「うん……、分かってるよ、律。
ありがとう……!」


澪達が私に頭を下げるのを見届けた後、
梓は苦笑してから、譜面台に楽譜を乗せた。
梓も私と同じ気持ちだったみたいで、もう弱音は吐かなかった。
でも、最後に一つだけ首を傾げて、楽器の場所に戻る澪達に訊ねた。


「そう言えば、新曲の曲名は何なんですか?
歌詞は書いてあるみたいですけど、曲名が見当たらないんですが……」


梓のその質問に、澪達三人は顔を見合わせて笑顔になる事で応じた。
どうやら意図して曲名を書いてなかったらしい。
なるほど……、そういうネタバレだけは避けたってわけか……。
やるじゃないか……。
やる……のか……?
まあ、いいか。

もう少しだけ笑顔を浮かべ終わった後、
澪達は不意に同時に息を吸い込むと、三人で声を合わせてその曲名を発表した。


「『Singing!』……!
私達放課後ティータイムの新曲は『Singing!』だよ!」




新曲が始まる。
この世界だからこそ作曲出来た私達の新曲。
一度だけ全てに目を通してみたけど、曲よりも歌詞の方がとても印象に残った。
曲は勿論、時間を掛けただけあって相当いい出来なのは分かった。
けど、やっぱり心に残ったのは歌詞の方だった。

澪が口を開き、ベースを弾きながらその歌詞を歌い始める。
風に翻弄されて、風に乗って彷徨ってきた私達の今を歌い出す。
私達はずっと翻弄されてきた。
あの一陣の風にってだけじゃない。
人生や、生き方や、時代や、色んな物に翻弄された。
翻弄されて、怖くて、不安になった。
永遠だと思いたかった絆もすぐに崩れ落ちそうになって、
それが悔しくて自分と皆の心を縛り上げて、
無理矢理にでも傍に居る事に偽りの安心を得ていた。
そのままならきっと幸せの中に居られたんだろうと思う、偽りの幸せの中に。

だけど、私達はそれじゃいけないんだって事に気付いた。
皆が自由で、自由のままで皆と一緒に居なきゃ、決して嬉しくないんだって気付いた。
多くの間違いを重ねて、多くの失敗を重ねて、やっと歩き出せるようになったんだ。
だから、私達は道なき道でも歩いて行くんだ。
どんなに多くの不安を重ねたって。
傍に仲間が居なくたって。
一緒に居られた頃の事を胸に抱いて。

ムギが見事なキーボード捌きを見せる。
『天使にふれたよ!』と『U&I』ではブランクを見せたムギだけど、
新曲に関しては何のミスも無く演奏してるみたいだった。
それだけ新曲に対する思い入れが強かったんだろうと思う。
私達の事を心配に思って大切に思ってくれていたムギ。
皆のために医学の勉強までして支えてくれていたムギ。
今は新曲で演奏の根本を支えてくれてる。
皆を大切に思ってるからこそ出来る演奏。
そんなムギを、私も今度こそ支えてあげたいと思う。

澪が精一杯の形相でベースを弾きながら、言葉を音楽に乗せていく。
臆病なのに、自分の恐怖に向き合って、誰よりも前に進む事が出来た澪。
今だって怖いだろう。
本当は逃げ出したくて仕方が無い恐怖がその身を襲ってるんだろう。
でも、逃げない。
逃げずに、多分、ほとんど澪が考えたんだろう歌詞を旋律に乗せる。
感じられるのは澪の強い意志。
どんな世界だって、澪が見ている私みたいに力強く生きてやろうって意志だ。
本当の私は澪が思うほど強くなんてない。
もしかしたら、澪だって私が思うほど強くないのかもしれない。
だけど、お互いがお互いに無い物を持ってるからこそ、
それをお互いの強さだって感じられるのかもしれない。
だったら、少しでもお互いのために強くなってやろう。
それが私達幼馴染みの関係なんだ。

唯がギターを弾きながら澪の歌にコーラスを重ねる。
この世界の根本となる夢を見ている唯。
それは唯が弱かったからでも我儘だったからでもない。
唯はきっと私達が悲しんでるのを見てられなかったんだ。
私達が悲しんで泣いていたから、私達の願いを叶えてくれたんだ。
サヴァンだか何だか、不思議な能力を使ってまで……。
今だって澪と同じマイクを使って、澪の歌を支えてくれてる。
二人で顔を合わせて、笑顔でコーラスをしてくれてる。
全ての物を大切に思う唯だからこそ、私達皆を支えてくれてるんだ。
今度は私達が唯を支える番だ。
どうすればいいのか見当も付かないけれど、絶対に唯を助けてやる。
皆と離れ離れになる事になったって、一人でも唯を助けられる方法を探すんだ。

梓……。
梓が四苦八苦しながらも初めての曲に対応していく。
基本がしっかり出来てる証拠だ。
基本を大事にして、それでいて目立ち過ぎず、フォローも怠らない。
梓を部長としている現軽音部の皆は幸せだろうなって思う。
元部長の私としては少し恥ずかしく感じないでもない。
私とは全然違ったタイプの部長の梓。
だけど、私と一番似通ったタイプなのも梓だと思う。
色んな事を抱え込んで、暴走したり失敗したり、
決して天才型じゃない自分に悩んだり、誰かの事ばかり考えてしまったり……。
一見違ってはいるけど、根本ではかなり似通ってる気がする。
だから、私達はこの世界で他の誰よりも一緒に居て、
普段見ない姿に惹かれたり、心を通わせたりする事が出来た。
私はそんな梓が好き……なんだと思う。
恋愛対象としてなのか、後輩としてなのか、仲間としてなのか、それは分からない。
それは今じゃなく、元の世界で向き合うべき事なんだろう。
元の世界に戻った時、この想いは全て消え去ってしまってるんだろうか?
私の想いも梓の想いも夢と一緒に消えてしまってるんだろうか?
それは分からないけど、信じようと思う。
私達の想いはそんなに軽い物じゃなかったはずなんだって。
ほんの少しかもしれないけど、元の世界でもこの想いを憶えてるはずなんだって。
そんな風に未来を信じようと思う。

私はドラムに想いを叩き付ける。
悔しかった事や悲しかった事もあったはずだけど、そんな想いは叩き付けなかった。
今はただ皆と居られる喜びと、未来への希望だけをドラムに刻んでいく。
大体、初めての曲に嫌な気持ちを叩き付けられるほど、私は器用じゃない。
笑っちゃうくらい馬鹿な理由だけど、私はそれで何だか笑えて来た。
これからも笑えていけるような気がした。

曲が終盤に入り、いつの間にか私の胸の中にある予感が湧き上がって来ていた。
元の世界に戻れるって予感だ。
私達は絶対に元の世界に戻れる。
近い日の話じゃない。
でも、決して遠い日の話でもない。
いずれきっと唯と一緒に皆で元の世界に戻れる。
何故だかそんな確信がある。

だけど、元の世界に戻る事が私達の物語の終わりじゃない。
一つの物語は終わるけれど、私達の人生はそれこそ死ぬまで続いていく。
いや、死んだって続いていくのかもしれない。
私達の残した何かがあれば、そこから色んな物語が始まっていくんだ。
私達の物語はいくらでも終わり続けて、いくらでも始まり続ける。
それは嬉しい事であると同時に、怖い事でもあった。
物語の始まりは喜びに繋がるとは限らない。
悲しみや、怒りや、苦しみや、色んな苦難に繋がっていく事の方が多いんだ。
私達の物語にはまだまだ多くの恐怖に満ち溢れてるんだろう。
でも、その私達の物語の中には、確実に喜びの物語もあるはずなんだ。
そうでなきゃ、今の私達はこんなに笑えてないし、幸せにもなれてない。
音楽で繋がり合えて、想いを伝え合える事も出来なかっただろう。

だからこそ、私達はまた色んな物語を生きていく。
沢山の音楽と一緒に生きて、沢山の曲を歌を歌っていく。
奏でていく、想いを。
紡いでいく、心を。
私達はそうやって今を、今こそ歌い続けていくんだ。
この先、どれだけ辛い事があって、例え皆がバラバラになったって。
また何処か遠い世界ででも、再会出来た時に今みたいに笑い合えるように。
その先にある未来を、いつまでも信じて……。

だから、その時まで私達は、
いつまでも、ずっと……、




Yes, We are Singing NOW!








               おしまい






最終更新:2012年07月10日 22:10