辺りがふわっ明るくなり、
月のひかりを受けて石畳がくっきりと浮かび上がる。
「ほら見てっ、よく一緒に遊んでたやつだよ」
突然唯が石畳の上で舞うように跳ねた。
「けん、けん、ぱっ」
それは幼い頃よく唯とやった
――けんけん遊び
「けん、ぱっ、 けん、ぱっ、 けん、けん、 ぱっ」
唯は石畳の上を跳ねている、石と石の継ぎ目を踏まないように。
片脚で、
「けん、けん」
そして両脚を開いて、
「ぱっ」
リズムよく跳ねていく。
街灯と月明かりに照らされてぴょんぴょん跳ねている唯。
「うふふ、お月様を見て跳ねるなんてうさぎさんみたいね」
笑う私に唯は答えた。
「うさぎじゃないよー」
またぴょんと跳ねる。
――え?
その姿にどこか胸に引っかかるものを感じた。
「ねえ覚えてる? よくけんけん遊びした場所」
唯が問い掛けて来る。
「えっと、飛び石があってそこで遊んだのは覚えてるけど……あれは公園だったっけ?」
小径を抜けた少し開けた場所に踏み石が並んでいる風景が目に浮かんだ。
「違うよ、やだなあ忘れちゃってるんだ」
「どこだったかしら……」
「ふふふ…… けん、けん」
そしてまた唯は片脚を上げて跳ぶ。
「ずっとね」
「ずっと見てたんだよ」
延々と続くかと思われた板塀が途切れたのは小さな川の手前。
石橋を渡るとやがて裏通りは南北に走る少し大きめの通りに突き当たった。
「ほらここを北に上がれば八坂さん、南に下れば清水さんだよ」
唯が三ツ辻の真ん中でぴょんと跳ねて左右を指差す。
――ということは高台寺の辺りなのだろうか
月明かりに照らし出される唯はその輪郭が柔らかく霞んでいるようで、
幻想的な一枚の絵のように思えた。
「あっ」
思わず声が出た。
漸く胸に引っかかっていた違和感の正体に気が付いた。
唯の影が
――――ない
自分の足元を見下ろす。
確かに影ができている。
しかし唯にはそれが
月光が作る影が、無かった。
そして私は思い出した。
唯が今ここにいるわけがないことを
どうして忘れていたのだろう。
――唯は……唯は今ロンドンだ
軽音部の卒業旅行でイギリスへ行っている。
――じゃあ、じゃあいま眼の前にいるのは?
――憂? いやまさか。
――そもそも京都へは私一人で……
「あなた、あなたは一体……何?」
「あはは、やっと気が付いた?」
唯、いや唯の姿をしたそれが嗤った。
「久しぶりだね」
月に雲が掛かりまた辺りが薄暗くなっていく。
それは淡い燐光に包まれていた。
「大きくなったね、顔を見られて嬉しかったよ」
そう言って嗤うその口が、一瞬にゅうと耳まで裂けた
―――――気がした。
思わず息を呑む。
「でもねここまでだよ、今日はこっちへ行っちゃだめ」
それは言った。
優しく、そして諭すように。
身体が動かなかった。
しかし何故か恐怖感がない。
甘く懐かしい香りがした。
「ずっと下ると私達の総本社があるんだよ。そこも今夜は縁日が出てるからそっちに行くといいよ」
―――これは夢?
「夢じゃないよ」
―――あなたは誰なの? なぜ唯の姿をしているの?
「忘れないでね、ほらこれあげる」
―――これは
「また逢いたいな、おみやげはクッキーより油揚げがいいけどね」
―――クッキー? 油揚げ?
「じゃあね、絶対に行っちゃ駄目だよ」
―――待って
―――ねえ待って
そして視界は
闇に
落ちた。
「着きましたよ」
声をかけられた。
「あ……」
気がつけばタクシーの中
運転手さんがこちらを見ている。
「ここらでよろしいですか?」
柔らかい京言葉。
「さっきのは……」
そうだこの旅行に唯が来ているはずはない。
――夢?
『夢じゃないよ』
その時手に何か握っているのに気が付いた。
手を開く
――これは……
開いた掌にビー玉があった。
透明な中に一筋の赤い螺旋が入った硝子の球体。
『忘れないでね、ほらこれあげる』
「お客さん、どないしやはりました?」
運転手さんの声。
「え……?」
「いや、なんや狐に摘まれたような顔してはるし」
「きつね……」
思い出した。
唯とけんけん遊びをしたあの場所を……
『ずっと見てたんだよ』
『大きくなったね、顔を見られて嬉しかったよ』
『夢じゃないからね』
『絶対に行っちゃ駄目だよ』
「あれは……」
――お稲荷さんの
「すいません、行き先変更したいんですけどいいですか?」
私はもっと南、伏見稲荷大社へ向かうように告げた。
『ずっと下ると私達の総本社があるんだよ』
タクシーは走りだした。
* * *}}
平沢家を訪ねたのは、京都から帰ったその次の日。
憂にお土産を渡し、
それから隣にある神社に足を向けた。
大鳥居をくぐり本殿に向かう参道を逸れて細い脇道に入る。
そのまま奥に進むと少し開けた平地に出た。
正面に小さな木の鳥居があった。
鳥居の上部中央には「正一位稲荷大明神」の文字。
そこから小さなお社に向けて踏み石が敷き並べられている。
――ここだ
そうだ幼い頃毎日のようにこの踏み石でけんけん遊びをした。
遊び場を貸してもらおうと
『ここであそばせて下さい』
『お願いしまーす』
奥の小さなお社にいつも唯と手を合わせていた。
私達の秘密の遊び場、
お稲荷さま。
「けん、けん、ぱ」
石の上を飛んでみる。
「あら……うふふ」
跳び過ぎて石を踏み外してしまった。
石の間隔は意外と近かった。
――あの頃は結構遠く感じたんだけど
無性に唯の顔が見たくなった。
しかし唯の帰国はもう少し先の事だ。
「けん、けん、ぱ」
「よし」
――今度は上手く跳べたよ
お供え物用の棚にクッキーの箱が見えた。
唯がお供えしたのかもしれない。
さっき憂に聞いた。
旅立つ前日、唯はここへ旅行の安全祈願にお参りに来ていたそうだ。
――きっと私のこともお願いしてくれたのね
あの夜、大きな事故があったのを後で知った。
もしあの時予定を変更していなければ、
私はその事故に巻き込まれていたかもしれない。
クッキーの箱の横に油揚げとあのビー玉を置いた。
手を合わせる。
「ありがとうございました」
一陣の風が優しく頬を撫で、お社の脇に咲いた桃の花が揺れた。
懐かしい甘い香りがした。
おしまい
最終更新:2012年08月12日 23:23