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なのに。
それなのに。
廊下に一歩出た、その場所で。
私の制服の袖をつまむように、引き止めるのは。
最初から最後まで、私を振り回すのは。心も身体も、振り回してくれるのは。
紬「……離して、唯ちゃん」
唯「……やだ」
紬「………大丈夫だから」
いったい何が、どう大丈夫なのかわからないけど。でもそう言えば隠せると思った。
私の異変を感じ取って席を立ち、手を伸ばしたのなら、察してくれると思った。
でも、そんなことはなかった。
唯「……大丈夫じゃないよ」
紬「…大丈夫だから」
唯「大丈夫じゃないよ……」
「………私が」
部室の扉が閉じる音が、遠く聴こえた。
唯「「またね」って言ってよ、ムギちゃん」
紬「………」
唯「「さよなら」じゃ、怖いよ……」
ぐっ、と、飲み込んだ。
何かを。
紬「……またね、唯ちゃん」
唯「だめっ!!」
でも、彼女は手を離してくれない。
紬「……なんで?」
唯「……まだ、怖いから」
わがままばかり言って私を困らせる唯ちゃんは、まるで子供のよう。
私が大好きな純粋な子供。同じわがままでも、私のとは大違い。
どれくらい違うかなんて、言葉にできないほど違う。
唯「笑ってよ、ムギちゃん……明日ムギちゃんに会えるのが楽しみになるように、いつもみたいに、笑ってよぉ…!」
紬「っ……」
唯ちゃんのわがままは、いつも私の心と身体を振り回す。振り回してくれる。
私は、それが嬉しかった。一緒にいて楽しかった。
なのに、私のわがままは。魔法は、唯ちゃん達の心を、一方的に握り潰した…!
間違った事だってわかってた。
ただの夢だってわかってた。
割り切ってたつもりだった。
私がわかってなかったのは、私のこと。
私は、そんな一回の間違いさえも許せないほどに、唯ちゃんのことが好きだったってこと。
誰にも責められるはずのない間違いでも、自分が許せない。それほどに…!
でも、そんな私の耳に届いた次の言葉は。
唯「……ごめんね、ムギちゃん」
紬「えっ…?」
予想外な、そんな言葉。
唯「ムギちゃんが、辛い顔してるの、きっと私のせいなんだよね?」
紬「………」
唯ちゃんとの件、という意味では否定はできないけど。でも唯ちゃんは悪くない。
そう否定しないといけないのに、言葉が出てこなかった。
唐突にそんなことを言い出した唯ちゃんに、呆気に取られていた。
唯「今日一日のこと、なんでか全然おぼえてないんだけど」
うん、覚えてないはずなんだ。そういう魔法なんだから。
なら、なんで……
唯「でも、わからないけど、すごく胸が痛くて……」
紬「………」
唯「……私、ムギちゃんに何かひどいこと言っちゃったような気がしてっ…!」
紬「っ…!」
それは。
唯ちゃんがあの時言うはずだった言葉は。
私を否定し、拒絶するその言葉は、私の「忘れて」と重ねたはずだったけど。
『忘れさせる』のではなく、重ねることで『聞かないようにした』んだけど。
もしも。
有り得る可能性として。
もしも私が、自分勝手に、自分本位でそんなことをしたせいで、唯ちゃんの中から一部が消えきれなかったというのなら。
そのせいで、唯ちゃんが自分を責めているんだとしたら…!
紬「違う、違うの唯ちゃん! 悪いのは全部私なの…! だって――」
……全部、ありのままを伝えるしかないよね。
唯ちゃんは悪くないって、私から言い切る方法は、それだけだから。
――
―――
紬「――ごめんなさい!」
洗いざらい説明して、頭を下げる。
魔法とかなんとか、そんな突拍子もないことを信じてもらえるかはわからない。嘘つきと謗られるかもしれない。
けど、信じてくれても信じてもらえなくても悪者は私。そうなるならそれでいいと思ったから全部そのままに話した。
でも、予感はあった。
唯「……いいよ。ムギちゃん、怒ってないから顔上げて?」
優しい唯ちゃんなら、純粋な唯ちゃんなら、そうやって全てを信じ、許すんじゃないか、って予感が。
でもそれは打算じゃない。その証拠に、そうやって許されても全然嬉しくないから……
唯「……えへへ」
紬「……へ?」
言われて顔を上げたけど、そこにあったのは予想外の顔。
ニコニコと、私の今の説明をむしろ喜んでいるような顔。
むしろ頬を染めているようにさえ見える……
唯「嬉しいなー、そこまで好きって思ってもらえてたなんて///」ギュッ
紬「へ? ほぇ!?」
今朝のように腕を絡め、抱きついてくる唯ちゃんに私は適切な反応を返せなかった。
というか、え? なんで??
唯「……私も好きだよ、ムギちゃん」
紬「えっ!? え、でも、ちが、それは魔法でっ……」
私は、魔法で唯ちゃんとそういう関係になった。だから、その気持ちは魔法のせいのはず……
だけどよく考えなくても、魔法はもう解けてるはずなんだ。実際、他のみんなはちゃんと忘れてる。
とすれば、唯ちゃんだけ魔法が残ってる? でも、なんで……?
唯「……魔法じゃないよ。ずっと前から、私の気持ちは変わらないよ」
紬「……私に、言われる前から…?」
唯「うんっ」
でも、それだって魔法のせいでそう思い込んでるだけかも……
唯「……ムギちゃんの言ったことが、全部本当っていう前提だけどね」
紬「うん」
唯「ムギちゃんは、私の気持ちは変えなかったんだよ」
紬「………えっ?」
唯「魔法で」
思い返す…までもない。さっき唯ちゃんに説明したから。
私は唯ちゃんに「付き合いなさい」と命令し、魔法をかけた……
だって、好きだったから、付き合いたかったから。
唯「……他のみんなとは、違って」
他のみんなには……唯ちゃんにやきもち焼かせたかったから、そのために私を好きになってもらおうとした。
思い出したくもない誤ちだけど、私はみんなに「私を好きになりなさい」と命令して……
紬「……あっ!!」
唯「…ね?」
そもそもの目的が違う以上、このことで記憶違いはないはず。
だとすれば、唯ちゃんの言う通りの理由…? そして、唯ちゃんの気持ちも本当…?
紬「ほ、ほんとう……?」
唯「うん」
紬「じゃ、じゃあ……それなら……」
それなら。それが本当なら。
そう考えた時。その考えに思い至った時。
紬「っ、ひっく、ひぐっ……」ポロポロ
唯「む、ムギちゃん!? どうしたの!? なんで泣くの!?」
紬「っく、だ、だって、私……」
だって、唯ちゃんが私を好きって言ってくれたから。
だって、魔法なんて無くても私達は両想いだったんだから。
だから、それを自ら壊した自分自身が、どうしようもなく惨めで。
両想いだったという事実は、本来なら嬉しいはずなのに。
唯ちゃんが許してくれたのも、ありがたいことのはずなのに。
唯ちゃんが好きだと言った『私』を、私自身は大嫌いにしか思えない。
馬鹿で愚かで救いようのない私が、私は大嫌い。
そんな考えが頭の中でぐるぐる回って情けなくて悔しくて、涙が溢れて止まらない。
唯「だ、大丈夫? ムギちゃん……えっと、よしよし――」
……私は、私を大嫌い。
紬「ッ!?」バッ
唯「えっ――」
だから、唯ちゃんがそんな私に手を伸ばそうとした時、過剰なほどに身を引いた。
その手を振り払うように逃げた。綺麗な手で、汚いものに触って欲しくなかったから。
「触らないで!」って叫ばなかったのは奇跡だったとしか思えない。焼け石に水程度の奇跡だけど。
拒絶というたった一つの事実の前では、何の意味も成さない小さな奇跡だけど。
とても、傷ついた顔をしてる。
傷ついた顔を、私がさせてる。
そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。
好きな相手で、好きと言ってくれた相手に、そんな顔をさせたいはずがないのに。
でも、私は唯ちゃんの優しさを向けられていい存在だとは思えないから。
だから、やっぱり。
いくら唯ちゃんが好きと言ってくれても、私は唯ちゃんの隣にいるべきじゃ――
唯「……ホントに「さよなら」するの…?」
「さよなら」
私は確かにそう言った。あの時は、そう言った。
唯「…「さよなら」したいの?」
今だって、私は私のことが大嫌い。
消えることが出来るなら消えてしまいたい、消してしまいたい、それくらいには嫌い。
それなら、返事なんて決まってる。
紬「……「さよなら」したい」
唯「………」
これは、嘘偽りの無い、感情。
紬「……こんな『私』と、「さよなら」したい。全部消して、無かったことにしたい……!」
後悔という名の、感情。
紬「今と「さよなら」して、魔法なんて無かった頃に戻って、唯ちゃんの隣にいたい…!!」
唯「……そっか」
そんな私の感情に、唯ちゃんは一言、そう返しただけだった。
紬「………」
『魔法』なんて無ければよかった、そうも思ったけど。
結局は私の心の弱さが招いたことなんだから、私はどの道なにか別の方法で唯ちゃんを傷つけていたかもしれない。
それでも、今が全部夢だったらなぁって、そう思わずにはいられない。
それも心の弱さ、ただのわがままだって言われたらどうしようもないけど……
唯「――出来るよ、今と「さよなら」したいなら」
紬「……えっ?」
唯「私もね、使えるんだ、『魔法』。ムギちゃんと違って、忘れさせるだけだけど」
紬「えっ、そ、それって……」
唯「うん。忘れちゃえばいいよ、全部。私の『魔法』で」
まず最初にびっくりした。
次に、正直、喜んだ。
でも、やっぱり最終的には。
紬「……それは、ズルだよ」
唯「…ムギちゃんなら、そう言うと思ってたよ。私の好きなムギちゃんなら。だから」
紬「…だから?」
唯「だから、忘れても、忘れないで。忘れても、同じ間違いを繰り返さないように、頑張って」
ちょっとだけ、言ってることが矛盾してる気がしたけど。
それでも言いたいことはわかった。わかってしまった。
唯「今度は、ちゃんと隣にいて?」
唯ちゃんの悲壮な表情は、私の反論を許さない。
唯ちゃんにはわかっているんだ、未来が。
自分を責め続ける私は、唯ちゃんの隣にはいられないと思い続けるって。
皆に対しても距離を置くか、あるいは償いたいがために自分のしたことを告白し、それでも許されることを良しとしないって。
そしてそんな私を見て皆は悩んで、でも私も自分を許せなくて。
ずっと。永遠にそれを続けるって。
そんなの、誰も幸せにならないって。
唯「……あと、これは私のわがままだけど」
紬「………」
唯「…今度は、普通に「好き」って言って欲しいな」
紬「……全部、忘れるんでしょ?」
唯「そうだけど……」
そうだからこその「わがまま」なのかもしれないけど。
でも皆が幸せになるために唯ちゃんは言った。忘れても忘れるな、って。
だったら頑張ろう。忘れて逃げるかわりに、忘れずに向き合おう。
皆を傷つけることが無いなら、それのほうがいいんだから。
傷つけることはなくとも傷つけてはいけないことを知っているなら、それが一番いいんだから。
紬「……どうするの?」
唯「ん、目を閉じて? それだけでいいから」
紬「わかった……」
ゆっくりと目を閉じて、忘れないよう決意する。
決意しただけで何が変わるのか、とも思うけど、忘れたら今度こそ私は私を許せないから。
忘れてしまうならそもそも意味が無いんだけど、それならそれで同じ過ちを繰り返すから。
だから、絶対に忘れな――
チュッ
紬「!?」
唇に、唐突に温かい感触。
そして、唐突に訪れる意識の淵――
――
―――
紬「――……覚えてる……」
自室の見慣れた高い高い天井を視界に認識し、最初の言葉。
覚えてた。
全部、覚えてた。
覚えておくべきことだけじゃなくて、それこそ文字通り全部のことを覚えていた。
それでもそれらは少しずつぼやけてきているような気はする。寝起きだから。
でも、どういうことだろう?
紬「……って、あれっ!?」
カレンダーに目をやる。
記憶を辿る。
もう一度カレンダーに目をやる。
念の為、携帯電話のカレンダーも見る。
更に念の為、あとで菫にも聞いてみよう、と考える。
そうして出した結論は。
紬「……夢オチ!?」
唯ちゃんに魔法をかけて過ごしたはずの日付と、今日の日付が一緒なら、そう結論を出すしかないよね。
紬「そっか……」
魔法なんてなかった。私の貰った魔法も、そして唯ちゃんの忘れる魔法も。
だから私は覚えてる。そうすれば説明はつくし、それでも私が魔法から学んだことは胸の中にある。
そして、私が皆に魔法をかけたという事実は存在しない。ただの夢。
これは考えられる限りでは最良の状況なんじゃないかな。
紬「……最良…?」
……ううん、そんなことはない。
私のこの気持ちは、唯ちゃんに対する気持ちは、夢じゃない。
だから夢の中のほうが良かった点もある。一つだけある。
紬「……でも、夢は夢だよね……」
◇
――夢は夢。
唯ちゃんが私を好きだったのも、ただの夢。
紬「……うん」
電車から降りながら、思い返していた夢との決別。
あれは夢。現実では両想いなんて滅多にないし、心を操る魔法もないし、全てをなかったことにする魔法もない。
現実は、いつだって冷たい。だから私はずっとこの気持ちを押さえ込んできたんだ。
紬「………」
……唯ちゃんの「わがまま」も、ただの夢。
思い込みじゃなくて、駅の階段を下りたその場所で見た顔が、そう思い知らせてくれたんだ。
唯「あっ、ムギちゃんだ」
紬「あら唯ちゃん、おはよう」
唯「おはよ~。キグウだねぇ」
紬「そうだねー」
いつも通りの唯ちゃん。
到底、私のことが特別好きになんて見えない唯ちゃん。
だからきっと、「好き」って伝えても、私の望む答えは返ってこない。
でも。
紬「ねぇ、唯ちゃん」
唯「んー?」
それでもいいかな、って思った。
唯ちゃんのわがままに振り回されるのが好きだから、それくらいいいかな、って思った。
そして内心、あわよくば『魔法』がかからないかな、って思った。
その『魔法』は、もちろん夢のような能力なんてないものだけど。
現実にある魔法は、とても不確実で、不安定だけど。
願わくば。
紬「あのね、わたし、唯ちゃんのことが――」
――恋の魔法を、わがままな貴女に。
おわり
最終更新:2012年08月16日 22:16