唯「もちろんやるのは簡単じゃないんだよ。だって、ほらあずにゃんの頭の中にはもちろん火星人だった頃のあずにゃんがいて、拾ったいろんな思い出があって、それがぐちゃぐちゃになって交じり合ってるから」

梓「それでどうしたんですか?」

唯「あずにゃんにくっついてね、頭の中でいらない記憶を捨てて空き場所をつくったりなんとか並べ替えたりしてちゃんと立派な一人の地球人の思い出にするんだ。それがわたしのお仕事だったんだ」

梓「でも、やっぱり、わたしは火星にいたようなそんな気がします」

唯「だから、失敗しちゃったんだよ」

梓「それはどんな失敗だったんですか?」

唯「その前にね、ひとつ」

梓「なんですか?」

唯「あずにゃんがいたところは実は火星じゃないんだ」

梓「じゃあ、どこなんですか」

唯「それはわたしにもわかんないけど」

梓「わかんないんですか」

唯「でも、好きだったんだ」

梓「好き?」

唯「火星と地球が、いろんな思い出がぐちゃぐちゃになってる、そこが。なんでかな?」

梓「わたしに聞かないでくださいよ」

唯「あずにゃんがいたからかな」

梓「知らないですよ」

唯「そうかな?」

梓「だから、知らないですってば」

唯「てれてるの?」

梓「違いますよ」

唯「でもとにかく、わたしはやめちゃったんだお仕事を。ニートになっちゃったんだよ、今度はほんとにね」

なにがおかしいのか唯先輩はくすくす笑った。


唯「だからあずにゃんも欠けちゃったままだね」

20%あずにゃん。
唯先輩は呟いた。

梓「でも、ばれないんですか、つまりそのお仕事さぼっちゃても。大変なことになったりしないんですか?」

唯「しないよー。だって火星人はみんなもうあずにゃんのこと忘れちゃってると思う。それにね、いっぱーいいーっぱいるんだよ、地球の思い出を集める脳ミソは。だから一個くらいこっそり消えても大丈夫っ」

梓「1個と1台」

唯「そうだね。1個と1台」

梓「これからどうなるんですか?」

唯「どうにもならないよ。ただいつもとおんなじ毎日が続くんだよ」

梓「いつまで?」

唯「脳ミソが腐っちゃうまで」

梓「それってどのくらいなんですか?」

唯「わかんないよ」

梓「明日かもしれないし100年後かもしれないってことですか」

唯「1万年とかだったりしてね」

梓「長いですね」

唯「長いよねえ」

不意に、視界が歪んだ。
だんだんと周囲がぼんやりしてきた。

梓「あ、終わる……」

唯「夢の終わりは唐突なんだ」

梓「そういえばもうひとつ聞きたいことがあったんですけど」

唯「何?」

梓「なんで唯先輩はこの思い出を、選んだんですか?」

唯「それはね、この思い出がわたしが見つけた思い出で一番きれいだったからだよ」

それは保存状態がよかったという意味なのか、それとも素敵な思い出だったという意味なのか、とうとうわたしは聞くことができなかった。
夢は急速に終わろうとしていた。
部屋中のいろんなものの輪郭が溶けた。
光の粒が拡大した。
そして、その夢の終わりにわたしは見ていた。
わたしだった脳ミソと唯先輩だった箱、その2つが短いコードで繋がっていたのを。
接着。
唯先輩で素敵な夢を――。


【DropOut2】

気がつくと、元の丘の上にいた。
わたしにもたれかかったまま唯先輩はまだ眠っていた。
ほっぺをひっぱった。
ぐにぃいんと伸びた。
ぷにぷにしてておもしろい。
もう、夜だった。
背中になにかがあたる感じがして上を向くと、飴が降っていた。
顔にひとつぶつかった。
唯先輩の手にある傘を奪おうとして肘があたった。
あずにゃん?
唯先輩が目を覚ました。

唯「ひゃあ。いたいいたいあめだあめ」

梓「かさ、開いてください」

唯「そうだ、そうだね」

大げさな音がして傘が開いた。

唯「……ふあああああ」

大きなあくび。

梓「ひぃぃああ」

わたしもそれにつられた。
唯先輩はこっちを見て、えへへと笑った。
わたしはそっぽを向いた。
少しあとで唯先輩が言った。

唯「ねえ、覚えてる?」

梓「はい」

唯「そっかあ。嫌な夢だったねー」

傘をくるくる。
そうじゃなくて、こっち側が夢なんじゃないかとわたしは思った。
思ったけど黙っていた。
どうせ、どっちが夢なのか、なんてわかりはしないんだ。

唯先輩は街を見ている。
どこか不安定な横顔。
飴の隙間からちらつく街。
たしかにどこかぼんやりとしていて、そして夢みたいだった。
わたしは、ずっと何をしたって一人ぼっちだって気がしていた。
誰かといても寂しかった。
それは間違ってなかったのかもしれない。
だって、わたしはホントに一人だったから。今もあの液体の中で孤独に揺れる脳みそでしかなかったから。
眼下の街にあめが降る。
カラフルな世界。モノクロだったならすぐにでもニセモノだって知って捨ててしまえたのにね。
眩しくて目を細めた。
滲んで見えた。
唯先輩が口笛を吹いていた。
乾いた音色が耳をくすぐった。
さみしいよ。
小さな声で呟いた。
傘の上で飴がはじけた。
さみしいね。
唯先輩がちょっと笑った。

梓「きれいです」

唯「そうだね」

梓「でもきっと忘れちゃうんですよ。すぐに」

唯「あずにゃんかなしいこと言うねー」

梓「……ま、いいんですけど」

唯「つよがり?」

梓「だって、忘れちゃえばなかったのと同じじゃないですか」

唯「そうかなあ」

梓「そうじゃないですか」

唯「でも、きっと忘れたんじゃなくてどこかにおいてあるんだよ」

梓「どこにですか」

唯「それは……忘れちゃったけど」

梓「それじゃあだめじゃないですか」

唯「だめかあ。ざんねん」

梓「そういえば、昔のわたしがなんで飴を盗んだのかわかった気がします」

唯「なんでなの?」

梓「さみしかったからなんですよ。たぶん」

唯「さみしい?」

梓「きっと昔のわたしも一人ぼっちで、だから誰かにかまって欲しくて、飴を盗んだんじゃないでしょうか」

それはちょうど夢の始まりの日、わたしが唯先輩を盗んできたのと同じように。

唯「そっかあ。飴があれば安心だもんね」

梓「そうじゃないですって」

唯「わたしがさ、こう……あずにゃんを寂しくなくしてあげられればよかったのに」

梓「別にいいですよ。そこまでしてもらわなくても」

唯「でも、さみしいのはつらいよ」

梓「ひとりも悪くないですよさみしいのも。みんなと、唯先輩といっしょなら」

そのうちして、ホンモノの、昔どこかで見たことあるような気がする雨が降った。
それはわたしの目からこぼれ落ち、膝の上でぴちゃんぴちゃんと音を立てた。
それは涙だった。
泣いていたのはわたしだったのかな。
それとも、もしかしたらこの涙は誰かも知れない、この世界――地球に落ちていた思い出、の持ち主のものだったりして。
ありもしなかった思い出についてのノスタルジーに。
改変された思い出を見てホンモノのわたしはなんて言うだろう。これが自分の思い出だったって、もう気づけないかもしれない。
だとしたら、やっぱりわたしが泣いてるのか。
別に悲しくはないのに。
唯先輩が涙をぬぐってくれた。
傘を持っていない方の手で優しくわたしに触れた。
涙はね、嬉しい時にもでるんだよ。
耳もとでそっとささやいた。
嬉しい、かあ。
なにがって聞かれてもよくわからないけど。

夜が迫ってきて、街に灯りがともされはじめた。
そこでは今も生活が続いていた。
24色クレパスをミキサーでぐちゃぐちゃにしたみたいなたくさんの感情がついたりきえたり。
そんなふうに、にせものたちが毎日をやりすごしている。くだらない冗談で生まれちゃった幽霊が行き場もなくさまよっている。
そんな街。
結局のところ、わたしにできることは生き続けることだけなのかもしれないな。
溶けかかったあめ玉みたいに張り付いて剥がれなくなったこの日々を。
火星でも地球でもないどこか別の舞台で――たとえば、そうだな、頭の中の穴っぽこで、とかね。
別に泣くほどのことでもないんだ。
ただ、そうだったというだけで。
ま、でも、こういうのもけっこう悪くないかもしれないよ。
それが唯先輩の選んだ、地球で一番きれいだった思い出の続きなら。


唯「でも、いろんな景色を思い出せなくてもへいきだよね」

唯先輩が不意に言った。

唯「だってほら、あずにゃんはずっとわたしのそばにいるもん」

梓「はあ」

唯「朝にね、あずにゃんを見るたびいつも思い出すんだよ。あずにゃんがわたしにキスしてくれたこととか、告白してきた時の真っ赤な顔とか、一緒に旅行したこととか」

梓「そんなことありましたっけ」

唯「そりゃあ……ちょっとは記憶違いもあるかもだけど」

梓「ちょっとじゃなくてほとんどじゃないですか」

唯「まあ、いいよね」

梓「よくないですよ」

唯「だって、どんな思い出も忘れちゃうんだよ。もし、ウソついても忘れちゃうから」

梓「から?」

唯「ウソついてもいいんだよ」

梓「ふうん」

唯「聞いてる?」

梓「聞いてますって。ただ、疲れすぎてて……帰りましょうか?」

唯「どこに?」

唯先輩が訊いた。
どこにもいけないけど帰る場所ならちゃんとある。
みんながいるあの街の、商店街の、片隅に。

梓「おうちにですよ。たい焼きを焼かないと」

唯「うん、そうだねっ。お腹空いちゃったよ」

唯先輩は笑った。

梓「じゃあ、行きましょうか」

相合傘が揺れた。
家につく頃には飴は止んでいた。
唯先輩が呟いた。

唯「あっ、虹だ。虹だよあずにゃん」

梓「虹?」

唯「ほら」

ぱっと手のひらを唯先輩が開いた。
その上には、赤色、水色、黄色、緑色、紫色、橙色、6つの飴玉。

梓「ひとつ足りないじゃないですか」

唯「それはあれだよ」

唯先輩が指差した先には青い星――地球があった。

梓「そんなんでいいんですか」

唯「どーせニセモノの虹なんだよ。細かいことは気にしないっ」

梓「はあ」

唯「いくよっ。虹ができるのは一瞬だからね見逃しちゃだめだよっ」

唯先輩は飴玉を空に向かって投げた。
6つの色が広がって遠く小さくなる。ちょうどここから見た地球と同じ大きさに。
そうして、虹がかかった。

梓「……わあ」

感嘆の声がこぼれた。
虹はいいよね、って唯先輩が言うのが聞こえた。
ばらばらで散り散りになった7つの星。
わたしたちにだけしかわからない虹。

すべての飴玉が下に落ちてしまった後もわたしは地球を眺めていた。
青い月。
わたしは今もあそこで夢を見てるんだ。

唯「あずにゃん、たい焼き食べる?」

唯先輩が訊いた。

唯「落ちこぼれちゃんだよ。さっき一個残ってたのをそこで見つけたんだ。半分こしようよ」

梓「いいですよ」

唯先輩は半分にしたたいやきをくれた。
焦げたような甘いようなそんな懐かしい匂い。

唯「おいしいよ、これも」

唯先輩が言った。
わたしはたいやきに口をつけた。
くしゃり。
粉々になった皮が足元に少し降った。
甘い味。ざらざらした感触。
みんな口の中でとけた。
わたしは言った。

梓「そんなことは前から知ってますよ」

唯「えへへ」

梓「なんですか?」

唯「あずにゃんがそうやって言ってくれるのを待ってたんだ。ずーっとずっとっ」

そうして唯先輩が飛びついてきた。
バランスを崩して後ろに倒れる。
でも、持っていた、たい焼きは落とさない。
ちゃんと握ってた。
空が一瞬見えて、あの青い星が降ってくるような気がした。
飴玉が降るようなそんな。
その瞬間、わたしはいろんなことを思い出せた気がした。
たぶん、それはぜんぶホントはなかったことなんだろうけど。
それならそれで、まとめて小さな箱の中にでも隠しておけばいい。
バレちゃわないように。失くさないように。
こっそりと。

きっとわたしはそうやって思い出せもしない思い出を大切に集めてきたんだ。
唯先輩の手を引っ張って盗んできたあの日から、ずっと。
なんのためにだろう。
たぶん。
わからなくてもきれいだからだ。
その中にある景色を思い出せなくても、その思い出のしゃぼん玉はきれいにきらめくから。

梓「さっき、なんて言ったんですか?」

唯「あずにゃんがいるのは嬉しいよね、って」

そっか。
だから、笑わずにはいられなかったんだ。

飴が降った日、唯先輩の胸の中だった。


おわり



最終更新:2012年08月18日 22:13