*  *  *


 「それで、話ってなんだ?」


 今度は二人ともが席についた。
 りっちゃんも、話を聞く準備が出来たらしい。


 「りっちゃん、わかったよ。澪ちゃんの真意が」


 りっちゃんの身体がぴくりと反応した。
 一息置くために、りっちゃんは自分で用意した紅茶をすすった。


 「澪の真意、ねえ。今更何を聞いても、変わらんさ」

 「変わるんだよ。百八十度、世界がひっくり返るぐらいにはね」


 私の記憶。澪ちゃんのメッセージ。りっちゃんの証言。
 全てに整合性を取らせるとすれば、答えは一つしか残らないのだ。
 私はりっちゃんを指差し、宣言した。


 「りっちゃんは大きな勘違いをしている!」


 ……りっちゃんは呆気にとられていた。
 が、すぐに自分を取り戻し、そして笑った。


 「勘違い? ……まさか!
  澪は確かに送り返したんだよ、私の決心を!」

 「そうかな? 本当に澪ちゃんは、そう思ってるのかな?」


 りっちゃんから笑顔が消えた。
 真剣な眼差しで、私の目を睨み付けた。


 「どういうことだよ」

 「りっちゃんはそう思っていても、澪ちゃんの真意は
  そこにないとしたらどうする?」


 私は繰り返し頭の中で練習した言葉を、
 一言一句間違えないように慎重に話していった。


 「りっちゃん、私はどうしても不自然な点が多すぎると思うの。
  だからそれを解決しないことには、納得できない。

  一つ。澪ちゃんがりっちゃんの気持ちを理解していない。
  これは経験による結論になるけど、有り得ない。と思う。
  もっとも澪ちゃんは、その花をきちんと咲かせていたから、
  まさか手紙を素読みしただけとは思えないけどね」

 「それは種を作って、私に送り返すためだ」

 「そもそも澪ちゃんが、人の気持ちを書き綴った手紙を読んで、
  その気持ちを理解出来ないような人間だとは思えない。
  澪ちゃんは頭が良いからね」

 「そりゃあ、そうだけど。読み取れなかった可能性だってあるだろ」

 「二つ」


 りっちゃんは、自分の反論が聞いてもらえなかったことに、
 不服そうにした。だが、そのついでに睨み付けるような視線も消えた。
 私にはその方が都合が良かったので、何も構わず続ける。


 「澪ちゃんのメッセージには、一切の謝罪が入っていない。
  だから、澪ちゃんは自分が悪いことをしたと思っていない。
  言い換えると、澪ちゃんは何も悪いことをしていない。

  これは決心を理解しているいないの問題に繋がるけれど、
  これがもし、決心を理解している状態での言葉であったら、
  澪ちゃんは相当な薄情者だね。違うと思うけど」

 「じゃあ、理解してないってことだ」

 「理解していないとしたら、それもおかしいよ。
  だって全く返事をよこさない相手に、疑いを持っていないんだもん。
  普通自分か相手に負い目があるんじゃないかって、疑うよね。

  疑わないことには理由があるんだよ。
  例えば、りっちゃんのことを応援しているとかね」

 「それって、つまり決心に気づいているってことじゃんか」

 「そうだよ」


 りっちゃんは眉を潜めた。
 流石に無理矢理だろうか。いや、それでいい。
 誰がなんと言おうと、りっちゃんは勘違いをしているのだから。


 「そして三つ。さっき調べたことなんだけど」

 「調べたって、どこで」

 「幸いにも、この集落には色んな書物が揃っていたからね」


 それは私が揃えたんだよ、とりっちゃんは苦笑しながら言った。
 先生らしくてなにより。この度は助かったよ。


 「私が調べたのは、これ。“花言葉”の本」


 取り出したのは分厚い、世界中の花言葉を集めた本。
 持ち運ぶのは気が引けたが説得力を増すためには仕方ない。
 私は栞を挟んだ、目的のページを開いた。


 「このページ。載っている花はプリムラ」

 「プリムラの花言葉なら、それで調べてすらいない。
  元々知ってたんだ。だから送ったんだよ、澪にその花を」


 いいや、違う。違うんだ。


 「ここで、ちょっと聞きたいんだけど。
  りっちゃんが澪ちゃんに送ったのは、
  白いプリムラの種で間違いないね?」

 「ああ。間違いない」

 「良かった。安心したよ」

 「はあ?」


 カードは揃った。
 後は、畳み掛けるだけだ。


 「りっちゃん、澪ちゃんから送られた種は
  プリムラのもので間違いなかったんだね」

 「そうだ」

 「そして澪ちゃんに送った種は、
  白いプリムラのもので、間違いなかったんだよね」

 「さっきも言ったばかりだろ?
  そろそろ本題を話したらどうだ」

 「もっともな意見ありがと。じゃあ、もう一つ追加情報。
  澪ちゃんの家の中の鉢植えに、紫色のプリムラが咲いていたよ」


 りっちゃんは私が与えた新情報に驚きもしなかった。
 まさか、気づいていないのだろうか?


 「いい、りっちゃん?」


 ここが重要だ。深呼吸で心を落ち着かせる。
 もう一度真顔を作り直し、この目でりっちゃんを射竦めた。
 これが、最大の切り札だ。


 「“澪ちゃんが送ったのは、りっちゃんの送った花の種じゃない”」


 辺りの音が消え失せた。
 かすかに、外の風の音が聞こえる。それ以外は物音一つ聞こえない。
 ……りっちゃんがその静寂を破った。


 「ははは……なんだよ、その冗談」

 「冗談じゃないよ」

 「ふざけんな!」


 勢いよく立ち上がり、りっちゃんが近付いてくる。
 先程まで座っていた椅子は立ち上がった勢いで壁に飛ばされ、
 激しい音を立てた。


 「あれは紛れもなく、“プリムラの種”だ!
  私が送ったんだぞ? 間違えようがないだろ!」


 眼前でりっちゃんは叫ぶ。しかし私は怯まない。
 逆に睨み付け、威圧した。

 私はりっちゃんみたいに叫ばない。嘆かない。
 重くずっしりとした言葉で、確実に勝負を決めにいく。


 「根拠も無く言わないよ。私には絶対の自信がある」

 「聞かせろ。その自信の根拠を」


 りっちゃんは先程の位置に戻っていった。
 椅子は飛ばされていたので、近くの壁に身体を預けた。


 「簡単なことだよ。りっちゃん、どうしてプリムラを送ったの?」

 「何って、花言葉で選んだに決まってるだろ」

 「違う。もっともっと、花を育てる上で基本的な要素」

 「育てる上で……?」


 本当に何も考えずに選んだのか?
 そう疑ってしまうほどだったが、りっちゃんは目を見開かせた。
 気付いたようだ。


 「そうだ、私……。
  澪の住むような、寒い地域でも育つ花を選んだんだ」

 「そう、そうなんだよりっちゃん。
  プリムラは寒さに強い種類があるからね」


 私が“強い種類がある”と言ったのには理由がある。
 それが重要なポイントだからだ。


 「だけど澪ちゃんは室内でもプリムラを育てていた」

 「言いたいことはわかった。でも、あれはプリムラの種だ。
  室内で新しく育てようと、それに変わりは無い」


 りっちゃんの言い分は、つまりこうだ。

 誰が育てた花の種でもプリムラの種はプリムラ種であるのだから、
 そこに込められた想いは変わらない。それを、そのまま返されたのだ。

 仮に澪ちゃんの青春が込められていたとしても、
 それでは自分が何のために自分の青春を向こうに送ったのか。
 自分と多くの時間を過ごした青春が送られては、意味が無くなってしまうではないか。
 自分の決心は理解されていないということに、変わりはないのではないか。

 しかし違う。真実はそうではない。
 情報が足りてない故に、そうなるのは仕方ないとはいえ、
 そろそろ誤解を解かなければならないのだ。


 「足りない。全然足りていないんだよ、りっちゃん。
  澪ちゃんが送ったのは“プリムラ・オブコニカ”の種なんだよ」

 私の言葉の意味をりっちゃんは理解出来ていなかった。
 それはそうだ、全く知らなかっただろう言葉を発したのだから。


 「ついでに言うと、りっちゃんが送ったのは“プリムラ・ジュリアン”。
  寒さに強いプリムラの一種だね。

  一方プリムラ・オブコニカは耐寒性に優れない。
  だから冬場は室内で育てる必要があるんだよ。
  澪ちゃんみたいに、ね」


 りっちゃんが拳を口に当てた。
 恐らく、私の言葉の意味を咀嚼しようと試みているのだ。
 その試みが成功するまで、そう長くは掛からなかった。


 「……まさか……!」


 ついにりっちゃんが、その言葉の意味に気づく。
 そうだ、りっちゃんは……不可避かつ悲惨な勘違いをしていたのだ。


 「そうなんだよ。澪ちゃんが送っていたのは、りっちゃんとは違う。
  “それはプリムラ・ジュリアンの種ではなく、プリムラ・オブコニカの種だったのだから!”

  そして、この花言葉の本によるとプリムラの花言葉は種類によって違う。
  プリムラ・ジュリアンの花言葉は確かに“青春の喜びと悲しみ”だよ。

  ……でもね、プリムラ・オブコニカの花言葉は違うんだ」


 私は先程見つけた本のページを見開いた。
 そして、目的の一文を指差し、りっちゃんに見せた。
 そこにはこう書いてあった。


 “プリムラ・オブコニカ。花言葉は、運命を開く”


  *  *  *


 あの花言葉を見て泣き崩れたりっちゃんを落ち着かせるのに、
 かなりの時間が経ってしまった。
 最大の親友を勘違いで嫌っていたのだから、
 その悲しみは私に計り知れないものなのだろう。

 澪ちゃんはりっちゃんを応援していたのだ。
 青春は確かに受け取った。だからお前はそこで、
 新しい運命を切り開いていってくれ……。
 そんなメッセージが込められていたのだろう。

 案の定、私が受け取った小袋にも花の種が入っていた。
 恐らくプリムラ・オブコニカのもの。
 室内の鉢植えで育てられた花のものだろう。


 「はは……、私って、今まで何に怒り狂ってたんだろうな」


 りっちゃんは自分に失望し落胆した、といった声で言った。
 一体、どんな言葉を掛けるのが適切なのだろう。
 私にはわからなかった。……ただ、仕事を一つ完了させることにした。
 少し重い鞄を自分の前に置いた。


 「りっちゃん、これ。澪ちゃんから今まで送られた手紙」

 「全部取っておいてあるのかよ……。
  有難いけど、どんだけマメなんだお前の仕事はよ……」

 「その言葉、上司に言ってあげて。私にはわからないや」

 テーブルの上に手紙が広げられた。手紙は山積みになった。
 それを私たちは一通一通丁寧に読んでいった。
 何故一緒に読んだのかは、わからない。

 そういえば澪ちゃんは“声”の中にこんな言葉を残していた。

 “それだけ”。

 花の種は送られている。
 これは“頑張れ”というメッセージに等号がつくのだろう。
 ということは、他にメッセージが残っているということなのだろうか。
 ……答えはすぐに出ることになる。

 この手紙たちだ。五十何通に及ぶ、大量の手紙。
 内容こそ千差万別ではあるが、全てこう締めくくられていた。


 “会うのは難しくても、こうして連絡を取ろう。
  返事くれよ?”


 りっちゃんはその文字を見た瞬間、また泣き崩れてしまった。
 今度は私も、一緒に泣き崩れた。
 山積みになった手紙が、雪崩のように崩れ落ちた。


  *  *  *


 立ち直るのには、また時間が必要だった。
 だが、もう既にりっちゃんの涙は枯れ切っていた。
 これ以上流せる涙は残っていない。


 「私、もう帰るね」


 これ以上やることもない。帰ろうと扉の方へ歩く。
 私が扉の取っ手に手を伸ばした、その時だった。
 りっちゃんが私を呼び止めた。


 「唯」


 取っ手に伸ばしていた手を引っ込め、私は振り向いた。
 振り向いた私の目の前には、柔らかい表情をした
 りっちゃんが立っていた。


 「なに?」

 「お前、変わったな」


 それはまるで、私の親……いや、担任の先生のような目だった。
 私たちは同級生だったということを忘れてしまいそうなほど、
 りっちゃんの目は温かかった。

 私は、あくまで同級生として聞き返した。


 「そう思う?」

 「ああ。色々なことが見えるようになってる。
  先生になった私が言うんだ、間違いないさ」


 ……私は失笑した。その言葉には、満足していた。

 そして、私はふと思い出した。
 いや。これは絶対に言おうと決めていた言葉なのだ。

 今のりっちゃんに負けないほど柔和な表情で、私は言った。


 「私に預ける言葉はそれだけでいいのかな?」


 りっちゃんは驚き、そして、
 微笑みながらかぶりを振った。


 ‐ お し ま い ‐



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最終更新:2012年09月28日 21:15