律とムギが付き合い始めてから一ヶ月程、経とうとしていた。
 最初は私に遠慮してか、どことなくぎこちなかったのだけど、
 今は人目を憚らず……とまではいかなけれど、結構いいかんじだ。

澪「いらん気を使わなくてもよろしい」

 自分という存在が二人の仲を邪魔してしまうのが嫌で、気付けばそんな強がりを言ってい
 た。

 よく失恋を吹っ切るために髪をばっさり切るとかあるけれど、それもあてつけみたいに思
 え、別段私に変わりはない。

 じゃあ全く平気かと問われればその答えはNOだ。
 唯や梓の前で泣いて少しはすっきりしたけれど、それで全てを吹っ切れるほど私は強くはな
 い。 最初の一週間は笑うことなど出来なかった。
 みんなの前では平静を装っていたけれど、一人になるとすぐに涙腺が緩んだ。
 みんなの前で平気な振りをしている反動なのか、連日連夜枕を涙で濡らした。
 いっそ涙なんて枯れ果ててしまえと失恋ソングを聴き倒したりもした。
 槇原敬之の『彼女の恋人』を聴いた翌日なんかは瞼が腫れて大変だった。

 でも時間は偉大だ。
 心の傷は緩やかに温かな思い出に変わり始めていた。

ムギ「りっちゃん、ほっぺにクリームが付いてるわよ」

律「ちょ、ムギ、いいって。自分で拭くから」

ムギ「いいから♪ ……ん」

 そういうとムギは律の頬に付いたクリームを指ですくい取り、自分の口へと運んだ。
 この時の律の慌てようったらない。顔を真っ赤にして、頭からは湯気が出そうだった。

澪唯梓「はいはい、ごちそうさま」

 私達はそう言って、赤面しっ放しの律と幸せそうに微笑むムギをはやし立てた。本当に自然
 に。 
 嬉しかった。大切な人達の幸せを心から祝福することが出来て。

 変わり始めたことといえばもう一つあった。

 あれ以来、なぜか唯が私にやたらとスキンシップを取るようになったのだ。
 最初は失恋した私を慰めるためだろうと思っていたのだが、
 こうやって前のように笑いあえるようになっても、

唯「よ~し、わたしたちも負けてられないよ、みおちゃん!」

澪「ちょ、唯、や~め~ろ~」

 私の頬にキスをしようとくっついてきた。
 そこにどんな意図があるのか分からない私は、ただただ困惑するしかない。

唯「あ~、みおちゃん」

澪「なんだ唯、まだ残ってたのか」

 夕陽が差し込む音楽室の机で唯は突っ伏していた。
 眠っていたのか、頬に少し赤い跡が残っていた。

澪「こんなところで寝てると風邪ひくぞー」

唯「う~ん~……zzz……」

 唯は生返事を返してまた眠りに入る。

澪「あ~もう……」

 起こしてやろうと思ったが気が変わり、私も少し休んでいくことにした。

唯「みおちゃ~ん……」

澪「ん?」

唯「えへへへ……」

澪「なんだ、寝言か」

 隣で幸せそうな寝顔で眠る唯の髪を梳く。

唯「うぅ~ん……」

 くすぐったそうに少しだけむずがるが、またすぐに笑顔に戻った。
 今なら訊けるような気がした。唯が私なんかを構うわけを。
 まあその本人は幸せそうに寝こけているので答えなど返ってくるはずもないのだが。
 それでも訊かずにはおれなかった。

澪「唯……なんで私なんかに構うんだ?」

唯「………………」

澪「失恋したから? ……だったらもう大丈夫だよ。
  みんなのおかげで今はもう辛くないし、唯が泣くきっかけをくれたしな」

唯「………………」

澪「唯には感謝してるよ」

唯「………………」

澪「もう大丈夫だから。だから無理して私なんかに構わなくいいんだぞ」

唯「別に無理なんてしてないよ」

 髪を梳く手が止まる。

唯「だって無理してるのはみおちゃんだもん」

澪「………………」

 唯が起きていたということよりも、その言葉の方が気になった。

唯「みおちゃん、前ほどりっちゃんのこと、叩かなくなったよね」

澪「それは……当たり前だろう。いつまでも前と同じ関係ではいられないさ」

唯「うん。だからみおちゃん、無理してるんだよ。
  りっちゃんとの接し方をどう変えたらいいか分からなくて」

澪「そんなこと……」

 ある、のだろうか。
 確かに私は以前ほど律をど突いたりしなくなった、ような気がする。
 でもそれは律がバカをやる度にムギが嗜めるからで───

澪「あ……」

 そうだ。
 私の役目だったものは今はムギの役目となっていた。
 そんな些細なことでまた思い知らされる。
 今、律の隣にいるのは自分じゃないということに。

澪「そっか……」

 これは無理をしていると言われてもしょうがない。
 そんなことにも気付かないほどに、心のどこかで気を張っていたのだから。
 心配してくれている唯の気持ちにも気付かないほどだったのだから。

唯「わたしじゃ、だめかなぁ」

 唯が机に突っ伏したまま、ぽつりと呟いた。

唯「わたし、バカだし、恋がどんなものなのかも知らないけど……」

 こちらを流し見るようにうっすらと目を開け、夕陽に照らされオレンジに染まった唯は─


唯「みおちゃんが悲しい顔をしているのはやだよ」

 素直に可愛いと思えた。

唯「わたしじゃりっちゃんの代わりになれないかなぁ……」

 上目遣いでこちらを見る唯。

澪「……バカ、唯は唯だろ」

 苦笑しながら、唯の頭を軽く小突いてやる。

唯「……えへへ」

 陽だまりで眠る子猫のような幸せそうな笑顔。

 そうだ。少しずつ変えていこう。

 少しずつ少しずつ。

 時には無理をすることもあるかもしれないけれど。

 そうやって移ろいゆく時の先に。

 目の前の幸せそうな笑顔が隣にある未来もあるかもしれない。

澪「ありがとな……唯」  



  fin.




最終更新:2010年01月02日 20:10