※>>94

受け止めるように、そのまま座り込む。ちょうど、和を膝枕するような格好になった。

澪「大丈夫か……?」

和「死にたくない……苦しいよ……ぜんぶ、灰色に見える……」

いよいよ最期のようだった。頭をなで、背中をさすってやる。
まだ少し時間はあるようだが、毒の回りが少し早かったのだろう。

和「澪がいてくれて……よかった……」

澪「お、おい! 死ぬな!」

和「……ぉ……」

澪「やりたいことってなんだったんだよ? わたしがきっと和の代わりにやるから、教えてくれよ」

和「…そ……れは」

澪「うん、なんだ……!?」

和のかすれた声を聞きとろうと上半身をかがめた瞬間、背中の方に鋭く熱が走った。

澪「ぐ!?」

もう一回。

和「それは……自分でやらなきゃ……意味がないんだ。ごめん、澪」

最期に見えたのは、仰向けに倒れる自分に向かい、両手でナイフを振りかぶる和の姿だった。



※>>94

和「はぁ……はぁ……」

渾身の力で胸を一突きにすると、澪は驚愕の表情を浮かべたっきり、そのまま動かなくなった。

和(ついに……殺した……)

和(今度こそ……正真正銘の人殺し……)

これでもう、あと戻りはできない。
いま手にかけた澪のためにも、さっき宣言したこと――田井中律、琴吹紬を地獄に送る――は絶対にやり遂げなくてはいけなくなった。

しかしそのために、ここから生還するためにはもうひとつ、大きな壁を越えなくてはならなかった。
横たわる澪の腹を凝視する。胃の位置を示す赤いマーキング。

和(鍵を……取り出さなくちゃ)

ナイフを再び握りなおし、澪の腹に当てる。

和(……やるしかないやるしかない)

もう時間がないのはわかっていた。躊躇してぎりぎりに解毒剤を手に入れても、間に合わないかもしれない。
そうなったら、澪に申し訳が立たない。

目を瞑り、ナイフに力を込める。

和(えいっ……!!)

刃は澪の腹へたやすく沈んでいった。
つい最近豆腐を切ったときのことを、思い出した。そのまま腕を引き赤いマーキングにそってナイフを進める。
今度は、さびた刃のせいかうまく切ることができない。
小さい頃、豚バラ肉を切るのに苦戦したことを、思い出した。

そうやって、なるべく別のことを考えるようにしながら、ついにナイフはマーキングを一周した。

和(……)

切れ目に指を突っ込み、分離したはずの皮を引き剥がそうとする。
まだ血は暖かさを残していて、皮の裏はぬるぬると滑った。

和(うぅ……)

胃酸が逆流するのをこらえながら、皮に両手の爪を食い込ませる。
うまくはがれないところは適宜ナイフを入れながら、ついに皮を完全に剥ぎ取った。
胃が現れた瞬間には、さすがに吐き気を我慢できなかった。

改めて、澪の内臓に向き合う。

和(胃だ……)

こんな素人のむちゃくちゃな切開にもかかわらず、胃は一目でそれとわかるようにきれいに現れた。
胃腸薬のコマーシャルに出てくるマスコット達は、なかなか忠実な姿をしているんだな、なんて考える。

胃にナイフを入れた。

和(怖くない、怖くない)

切れ目を指で広げ、なかを探る。

和(……!!)

なにかビニールのような物に触れた気がした。
すかさず引っ張り出す。黒く、名刺の半分ほどの大きさの小さなビニールパッケージだった。

和(あった……)

ぬるぬる滑る血と体液を澪のブラウスでぬぐい、フィルムの端に切れ目を入れて慎重に開く。
しかし、なかから出てきたのは鍵なんかじゃなく、ただの真っ白なカードだった。
カードにはこう刻み込まれていた。

「背中だ、和」

和(鍵は……? どういうこと……)

もう一度胃のなかに手を突っ込む。焦りから、ほとんどためらいもなく胃のなかを総ざらいにした。

和(……ない)

すくえたのは、わずかな未消化物と胃液だけ。手を、また澪のブラウスでぬぐう。

和(背中……)

すがるような気持ちで澪の体を反転させ、ブラウスをめくる。

和「!!」

背中の中央に、どんなやぶ医者も敵わないほど乱雑な縫合のあとがあった。
四角形を形作るその縫い跡は、まるで皮膚のアップリケのようにも見えた。

和(……)

躊躇はなかった。さっきとは比べ物にならないほど手早く、ナイフで縫い糸を切り離し、皮膚をはがし取る。

和「……あった……!」

こんどこそ、鍵はそこにあった。透明なフィルムに包まれて、眠るように。

鍵を取り出し、さっそく二つ並んだ金庫の前に行く。

和(間に合った……間に合ったよ、澪……)

そんな思いで一杯だった。
体調は最悪といっていい状態だけど、まだ死ぬところまではいっていない気がする。
解毒剤を飲んで、病院に駆け込めばなんとかなるんじゃないだろうか。

まず、大きい金庫の方の南京錠に差し込んでみる。合わない。
次に、小さいほうの南京錠。


和「あいたっ!」

すかさず南京錠をはずし、鉄鎖を払いのける。金庫の扉は軽かった。
しかし、そこに薬らしき物の姿は見えなかった。

和「え……」

なかにあったのは、もうひとつの金庫。ノブの上にテンキーのような物があって、どうやらナンバー式らしかった。
さらにその前には、封筒が置いてある。すぐになかを見た。B5の紙が入っていた。

一枚目。

「おめでとう、和。解毒剤は、目前だ」


和(この金庫のなか……)

そして、二枚目。

「4桁の暗証番号は、秋山澪の母親の誕生日」


和「え……」

4桁の暗証番号は、秋山澪の母親の誕生日。
暗証番号は、秋山澪の母親の誕生日。
秋山澪の、母親の――。

和「澪っ!!!」

思わず振り返り、叫んだ。この手で背中と胸を刺し、腹まで裂いた同級生が、返事をしてくれることを願って。



※>>130

憂(……いくよ)

最後のチャンス。思い切り歯を食いしばり、感電を体中に繰り返し予告しながら右腕を思い切り差し込んだ。

憂(ぐうっ……!!)

筋肉が内側から揺さぶられるような気持ち悪い感覚。これが、感電。
しかし、やっぱり死につながるような危険な電流ではないようだった。
肩、わき腹、腰と、濡れた体で金網に触れる。

憂「ははは、は」

言葉がうまく出せない。

憂(早くしてっ!)

手足が自分の体じゃないように、次々と感覚が麻痺していく。指先で鍵を持っているのも、もうわからなくなりそうだった。

さわ子も精一杯手を伸ばしている。

憂「……!」

鍵を持つ指に、明らかな外力を感じた。
手が届いたのだ。湧き上がるような安心感。指から、鍵の感触が失われる。

憂(渡したっ!)

すぐさま金網から体を離して、腕を引き抜こうとした。そのとき。

チリーン

お金の落ちる音に、人は敏感だという。
この電動鋸の騒音のなかでも、確かにそれに似た音は聞き取れた。

憂「そ……んな」

鍵は、床に落ちていた。



※>>130

憂「うそっ……!」

さわ子「ああ……あ」

確かに手渡した。それなのに、いま鍵はさわ子の足元に転がっている。
もう、どうすることもできない。

憂「やめて……」

体には痺れが残り、その場に座り込んだまま動けなくなってしまった。
はっきりしている視界だけがしっかりと、電動鋸の真っ赤な進撃を捉え続ける。
さわ子はもはや、悲鳴すらあげていない。もう、意識がないのかもしれない。

憂「もうやめて、やめてよっ!!!」

なんとか手で這っていき、ギー太を粉砕したハンマーを取り上げる。
また、金網の前まで戻り、座ったまま思い切りハンマーを振るった。

憂「あぅっ……」

柄は金属でできていた。感電し、たった一回でハンマーを落としてしまう。
金網はわずかに歪んだだけだった。

憂「やめて……」

金網のなかはもう、ほとんど血の海だった。鋸は、肘のあたりまで来ている。
これ以上、どうすることもできない。

憂(また、助けられなかった……)

憂「ごめんなさい……」

ハンマーを杖代わりに立ち上がると、痺れの残る右足を引きずるようにして教室を出た。扉を閉めるまで、耳はずっとふさいでいた。

外に出ると、やはり小箱の中身は変わっていた。さわ子の写真から黒いポストカードに。カードの下には、鍵もあった。


「音楽準備室に向かえ」


憂(……!)

音楽準備室。軽音部の部室。そして、唯が死んだ場所。



※>>135

和「あいたっ!」

すかさず南京錠をはずし、鉄鎖を払いのける。金庫の扉は軽かった。
しかし、そこに薬らしき物の姿は見えなかった。

和「え……」

なかにあったのは、もうひとつの金庫。ノブの上にテンキーのような物があって、どうやらナンバー式らしかった。
さらにその前には、封筒が置いてある。すぐになかを見た。B5の紙が入っていた。

一枚目。

「おめでとう、和。解毒剤は、目前だ」


和(この金庫のなか……)

そして、二枚目。

「4桁の暗証番号は、秋山澪の母親の誕生日」


和「え……」

4桁の暗証番号は、秋山澪の母親の誕生日。
暗証番号は、秋山澪の母親の誕生日。
秋山澪の、母親の――。

和「澪っ!!!」

思わず振り返り、叫んだ。この手で背中と胸を刺し、腹まで裂いた同級生が、返事をしてくれることを願って。



※>>135

澪の母親の誕生日。

和「わかるわけない……わかるわけないわそんなの」

闇雲に、誕生日らしい4桁を打ち込んでみた。0821。確率は1/365。当然はずれ。

和(でも、そういうことならいっそ――)

死ぬまでのわずかな時間に、一月から順に、いけるところまで打ってみればいい。
そう考えて0101をプッシュしようとした瞬間、キーの横の注意書きに目が止まり、ついでに指も止まった。

和(三回間違えると、暗証番号がシャッフルされる……)

確率は一気に1/10000に跳ね上がる。そうなったらもう、助かる見込みはない。

和「なんで……? なんでなんで……」

和「澪の胃のなかに鍵があるって話だった……」

和「澪を殺さなきゃ――」

和「ひどい……こんなの、できるわけない……!」


<<君は自分とおなじ罪を持つ彼女を裁けるか?>>

<<君を救う重要な物は、彼女のなかに収められている>>


ふらつく足取りで、レントゲン写真を拾い上げた。

和(だって……確かに胃の位置に……)

和(……そうだ)

実際、鍵があった位置を思い出す。

和(背中の、真ん中らへんにあった)


<<君を救う重要な物は、彼女のなかに収められている>>


和「彼女のなか……彼女のなか……」


<<彼女はいま毒に冒され、その解毒剤を手に入れる『鍵』が君のなかにあることを知っている>>


和「彼女の……なか……」

ソファに、倒れこむ。タイマーは66分を示している。

和「澪、ごめん……私……」

和「唯……憂……ごめん……なさい……」



※139

憂「うそっ……!」

さわ子「ああ……あ」

確かに手渡した。それなのに、いま鍵はさわ子の足元に転がっている。
もう、どうすることもできない。

憂「やめて……」

体には痺れが残り、その場に座り込んだまま動けなくなってしまった。
はっきりしている視界だけがしっかりと、電動鋸の真っ赤な進撃を捉え続ける。
さわ子はもはや、悲鳴すらあげていない。もう、意識がないのかもしれない。

憂「もうやめて、やめてよっ!!!」

なんとか手で這っていき、ギー太を粉砕したハンマーを取り上げる。
また、金網の前まで戻り、座ったまま思い切りハンマーを振るった。

憂「あぅっ……」

柄は金属でできていた。感電し、たった一回でハンマーを落としてしまう。
金網はわずかに歪んだだけだった。

憂「やめて……」

金網のなかはもう、ほとんど血の海だった。鋸は、肘のあたりまで来ている。
これ以上、どうすることもできない。

憂(また、助けられなかった……)

憂「ごめんなさい……」

ハンマーを杖代わりに立ち上がると、痺れの残る右足を引きずるようにして教室を出た。扉を閉めるまで、耳はずっとふさいでいた。

外に出ると、やはり小箱の中身は変わっていた。さわ子の写真から黒いポストカードに。カードの下には、鍵もあった。


「音楽準備室に向かえ」


憂(……!)

音楽準備室。軽音部の部室。そして、唯が死んだ場所。



※139

憂「…………」

音楽準備室の前には、先ほどまでと違い椅子に加えて机まであった。机にはスタンドが置かれ、薄暗い廊下に光を与えている。
椅子の小箱は、これまでどおりだった。なかの写真を見る。

憂「和さん……!」

憂(もしかして……!)

和がこのなかで律達とおなじような目にあっているかと思うと、いても立ってもいられなかった。なにがあっても、絶対に助けたい。


「悪魔」


写真の裏には、こうとだけ書かれていた。


8
最終更新:2010年02月27日 01:59