自分を見てほしい。
 それだけのために、たくさんの人を傷つけてきたのだ。
 そんなことを考えていると、後ろから聞き慣れた声で聞き慣れないトーンで――

「和ちゃんがお客さんっていうから来たのに、なんだ。お姉ちゃんか」

 と。
 私の妹、平沢憂が立っていた。



 対面に憂が座る。
 それも、昔と同じ席だ。

「ねえ、憂……」

 重い口を開く。
 目を合わせようとしても、なかなかそうはいかない。憂の表情を見てしまうと、気圧さ
れてしまうからだ。
 悲しい顔をしているのか。
 それとも、無表情なのか。
 見なければわからないのだが、見れないでいる。

「……帰ってきてよ。憂」

 ただ、それだけの発言だった。
 憂は、私の在り方に不満があるのだ。
 そうでないと、家出じみた行動に出たりはしないだろう。

「ねえ、憂。唯は憂のためを思ってやったことなの。だから、許してあげてくれない?」

「……和ちゃんもお姉ちゃんの味方なの? 私の言い分も聞かないで――」

「聞かせてよ! 憂の言い分! 私だって聞かなきゃ納得できない!」

 憂が私を一瞥する。
 そして、紡ぎだす。

 ――それは、憂の昔話だった。



Interlude

 平沢憂は、平沢家の次女として生まれた。

 生まれたときから、一つだけ年が上の姉がいて、記憶はないけれど母から聞くと、姉
は私を見つめ続けて、その場から離れなかったそうだ。
 たった一つだということは、私が生まれた時は姉は一歳。言葉も話せないが、姉とし
ての自覚があったのだろう。
 つまり、私を愛してくれたのだ。

 幼稚園に上がっても、姉は私の側にいてくれた。
 私は身体が小さいほうだったので、男の子にいじめられていた。そのときだって、姉
は勇敢に助けてくれた。

 大丈夫だよ。憂。

 その言葉に、何度助けられたことか。
 憂。
 うい。
 うーい。
 何度も、何度も姉は私の名前を呼んで、抱きしめてくれた。
 苦しくなるくらいに、息が止まるくらいに。

 それから、少し大きくなって、私は自分を見つめるようになった。

 姉は勉強していたり、友達をたくさん作ったりしていたが、私にはなにもなかったのだ。

 確かに、私はいい子でいるようにしていた。
 母や真鍋のおばさんの手伝いをしたり、言いつけを守ったりと、周りは私を良くでき
た子というレッテルを貼った。
 それは厭ではなかった。
 だって、それはプラスの評価だったから。
 ただ、それが足かせになっていた。

 レッテルというものは、そのまま足枷になる。
 私はいい子なのだから、いい子でいなくてはならない。
 そうでないと、周りは私に失望して、見てなどくれない。目もくれない。

 だから、私は努力をした。

 誰にも見られないように、天才なんだと思わせるために。
 勉強だって、料理だって、なんだって。
 努力をして、血がにじむくらいに頑張って、そうしてようやく人並みにできるようになっ
た。
 そうなれば、努力を知らない人たちは『よくできた子』と言ってくれる。私を、見てくれ
る。
 それが嬉しかったのではない。
 そうしないと、いけなかったのだ。

 誰も寄せ付けない。
 誰も肉薄できない。
 誰にも近づけない。

 そんな人間になるためには、他者に見せつけるしかなかったのだ。

 結果を。

 成果を。

 だから――私は姉を妬ましく思った。

 少しだけ、少しだけ指を動かしてしまえば結果を出してくる。

 その姉を、憎らしくも感じた。


 それから、また少し大きくなって私は平沢家の家事を引き受けるようになった。

 両親が仕事の関係上、海外に行くことが多くなったからである。
 今までは、私たちが幼かったためかそれはなかったのだが、中学生になって、両親
は家を空けることが多くなったのだ。
 その間、私は姉の面倒を見ることになる。
 いつから、私たちの関係は逆になってしまったのか。
 ふと、そんなことを考えたこともあるが思い出せなかった。
 祖母が亡くなったあたりから、姉は空っぽだった。
 家では呆としていて、なにを考えているのかがわからなかった。

 でも、そこが可愛いと思い始めた。

 そう。
 姉に対して特別な感情を抱き出したのはこの頃。
 そして、私のアイデンティティが生まれ、そして芽吹いたのもこのころだ。

 いい子であろう、という漠然とした在り方は――

 ――姉の誇りの妹であろう、という明確な対象ができあがって完成したのだ。


 ある日。
 私はカレーを作るための豚肉を買い忘れてしまった。
 否。正確には『買い忘れたと思っていた』だ。
 本当はカレー用の豚肉は冷蔵庫に入っていて、私はその存在を忘れてしまっていた
だけだった。
 たったそれだけ。
 その、ボタンの掛け間違いにも似た僅かな誤差が、私の存在を危ぶませた。

「――あ、豚肉あったよ。憂」

 笑顔の姉の姿。
 右手に握られているのはおたま。
 立ち込めるカレーの香り。
 顔面の血液が、引いていくのを感じた。
 とにかく、怖かった。

 姉、平沢唯が。

 怖くて、
 恐くて、
 仕方がなかった。

 私をここに存在たらしめていた存在が、私の存在を崩していった。

 それから――平沢姉妹は壊れてしまったのだ。

 私は、誰かに求められていないといけなかったのだ。
 それが、平沢憂だったのだから。

Interlude out



 憂の話は終わって、居間は静寂に包まれた。

「――」

 誰も、なにも言わない。
 言うことがない。
 だって、私と憂は同じだったから。

 まったくの同じ。

 ここに来る途中、和は言った。

『――唯は、誰かに必要とされてなきゃダメみたいね。だから見境なくいいところを見せ
たくなってしまう。そうじゃなきゃ、誰も自分を見てくれないと思ってしまうから』

 私と憂は同じく、『誰かに認めてもらわなくては生きていけない人間』なのだ。
 誰か、というものは誰だっていい。
 とにかく欲しい。
 愛が欲しい。
 ただ。それだけの話だったのだ。

「わかったわ。それならぴったりじゃない」

 和が話し出す。
 口元には笑み。にこりと笑って――

「憂の側に人がいると、誰よりも『優しく』なれる。唯は『唯(ただ)の女の子』でいい。そ
の二人を『和ませる』のが私。それなら、なにも問題ないじゃない。これから、三人で生
きていけばいいのよ」

 と。
 あまりにも、私たちを救ってくれる一言を簡単に言ってのけた。


 季節はまた移って、冬になった。

 私たちは冬休み、一度も遊ばずに勉強に励んだ。
 和も憂も私に協力して勉強を手伝ってくれた。
 別に、誰かに認めてもらえなくても、私は私だということを知ったが、今回ばかりは
和や憂のために頑張らなければならない。
 それだけ。
 たったそれだけ。その一心で勉強した。

「和ちゃ~ん。どうしよ~」

 そして、試験当日。
 隣で歩いている和は落ち着いた顔をしている。対照的なまでに震えている私とは大
違いだ。

「しょうがないわね……。ほら、耳貸しなさい」

 和が私の耳元で、一言だけ。
 ――よし。
 ――よし。
 それでいい。
 それだけで、私は頑張れる。

「よーし! いっくぞー!」


 試験会場に入って、一番最初に目に入ってきたのは、ウェーブの髪をしたま眉毛の
太い女の子だった。
 素直に美人な人だな、とだけ思った。
 私には和がいるじゃないか、と心にとどめておく。
 もしかしたら、私は真正のレズビアンなのかもしれない。もしそうでも、まったく問題は
ないのだが。

「受験番号450は……ここだ!」

 和は……少し遠い場所に座っている。
 その表情は、不安そうな顔をしている。

 ――なるほど。

 じゃあ、やることなんて決っていた。

「ふええええ!! 和ちゃ~ん!!」

 筆箱の中身を床にぶちまけて、鞄の中の参考書も一気に解放する。
 和は驚いた顔をしながらこちらに走ってきて、一緒に拾ってくれる。

「まったく……フフフ……」

 和が、笑ってくれる。
 それだけで、私の緊張もどこかへと飛んでいってしまった。




 そして、中学の卒業式。

 卒業式の後に合格発表だなんて、本当に心臓に悪い。
 しかし、不安だとかそういったものはない。
 すっきりとした気持ちだ。

 今までずっと、机の引き出しにしまっていた小さな紙袋を取りだす。

 祖母からもらった紙袋。
 まだ、結局開けないままだった。
 でも、今日は一つの区切りの日だ。
 だから、開けよう。

「――あ」

 中には、空色のヘアピンが入っていた。
 小さな頃、祖母と見た青い空。
 そんな色をしていた。

「おばあちゃん。いってきます」

 仏壇に頭を下げて、手を合わせて学校へと向かう。

 ――その日の空の色は、あの時と同じ色をしているような気がした。


「和ちゃ~ん!」

「なによ! どうしたのよ!」

「よかった~。合格だよ~」

 和に抱きついて、その柔らかい胸に顔をうずめる。
 この状態でも歩けるのは和のものすごいところだ。幼いころからの経験値がものを言
う。
 それはともかく、私は桜ケ丘に合格した。
 どうやら、私の中学からは私と和の二人だけが合格だったらしい。
 なんてシビアな入試だろうか。

「和ちゃん! 約束の、ほら! ほら!」

 あの日の約束。
 勉強をしている間、確かにちょっぴりえっちなこともしたけど、入試2週間前から今日
まではキスもしていない。
 だから、合格したときの約束はあまりにも私の欲望の力を刺激した。

「ほら、目つぶって」

 唇に優しい感触。

 ――まだ咲かない桜の木の下。

 一生、この人の側にいよう。

 そう、決めた瞬間だった。



 ――外は暗くなっていた。
 私は長い話を本当に時間を忘れてしてしまっていたらしい。

「これが私の昔話。ちょっと色々あったけど、今は幸せだよ」

「……だよな。和も憂ちゃんもすごいな。私にはできないよ」

「っていうか。唯先輩と和先輩ってそういう仲だったんですね」

「素晴らしいわー」

 和は、本当に掛け替えのない存在だ。
 なにものにも代えがたい、私の大事な大事な親友で――恋人だ。


「これで、みんなの昔話も終わったな」

「長かったような。短かったような気がしますね」

「ホントだよね。私が言い出して、ムギちゃんが話し出して」

「私が話して、澪が話して、梓が話して、色々あったんだなって思ったよ」

「そうね。でも、それがあって、今があるのよ」

 必要のない過去なんてない。
 だから、これからも私は私の過去を大事にしておくだろう。

 空色のヘアピン。
 外して、眺めると――あの日の空が見えた。
 そんな気が、した。




Epilogue

 三人の女性で手をつないで、桜の道を歩いている。

 後ろ姿から、その三人がただ仲がいいわけではないことは窺い知れた。

 和が、唯の頭を撫でる。

 それを見て、憂は対抗するかのように唯に抱きつく。

 その姿は、彼女たちが小さな頃を思い出させる。

 和は、いつもお姉さんだった。

 それに続くように、唯と憂は側にいた。

 今は少し変わっていても、きっとこれからはこのままでい続けることだろう。

 だって――三人はあんなにも楽しそうに笑っているのだから。

 青いヘアピンと、オレンジ色のヘアゴムを見て――そんなことを確信した。

 三人に幸あれ、と。

 ありもしない身体で、そんなことを願ってみた。


                                    True end



最終更新:2010年03月30日 01:12