唯「…ムギちゃん」
紬「な…なに?」
唯ちゃんはとろんとした瞳を私に向けた。
そして…手を自分の胸に押し当てて、苦しそうに言う。
唯「わ、私ね…今すごくドキドキするの」
紬「ドキ…ドキ…?」
唯「りっちゃんといる時は普通だったのに…ムギちゃんの顔見て、こうやってそばにいるだけで…なんか、すごくドキドキするの」
紬「それって…?」
唯ちゃんは不意に私に顔を近づけた。
少し首を動かしたら、口づけが簡単にできてしまうような、そんな距離まで。
唯「なんでかな…ムギちゃん、わかる…?」
紬「え…えっと…ね……」
紬「さ…さぁ?よく分かんないかな…」
唯「そっか…」
紬「そ、それより唯ちゃん…?」
唯「…私帰る」
紬「えぇ!?な、なんで?」
唯「こんなにドキドキしてたらムギちゃんと話せないもん…だから、バイバイ」
紬「うぇ、あ…う、うん!バイバイ!」
結局、唯ちゃんはそのまま帰ってしまった。残された私は、釈然としない気分でベンチに座っていた。
何か決定的なチャンスを逃してしまったような、ほとんど進展しなかったような…まぁいいか♪二人きりになれたんだし♪
紬「うん!また明日、頑張ってみよう!」
無理矢理テンションを上げ、私は大股で公園を後にした。今、唯ちゃんに起こっていることも知らずに…!
律「ちくしょー…あいつらどこ行きやがったんだ…しゃあない帰るか…」
唯「あ、りっちゃん!よー!」
律「唯!お前一人でどうしたんだ?ムギは?」
唯「うん、そのことなんだけどね…ちょっとお話聞いてくれる?」
再び喫茶店へ…
唯「ってわけなの…私どうしちゃったのかな。りっちゃんとはこうやって普通に話せるのに」
律(それって…やっぱそういうことだよな…唯はムギを…うぅ…)
唯「りっちゃん?」
律「グス…い…いや、何でもない。そっか、ドキドキするのか」
唯「もしかしたら…私、ムギちゃんに恋してるのかな?」
律「あ、ああ…」
律(ってちょっと待てよ…私がそれを認める必要がどこにあるんだ?…私だって、唯のこと…)
唯「りっちゃん?どしたの、さっきから変だよ?大丈夫?」
律「あ…頭撫でんな!澪みたいなことすんなよ!」
唯「えへへ…私、澪ちゃんみたい?そっか、りっちゃんが悲しそうな時はいつもこうすればいいんだね♪」
律(そうだ…私だって、私だって…)
律「…唯!」ガシッ
唯「ふぇっ…?私の手、どうかした?」
律「あ、あのな…?ドキドキするってことは苦しくなるってことだろ?」
唯「う…うん…」
律「そんなんじゃ、ムギと一緒にいたって楽しくないだろ?」
唯「え…」
律「ドキドキするだけでまともに話せないなら、楽しくないだろ?」
唯「う…うん…」
律「だから…な、恋するなら、お前が一緒にいて楽しい奴とするべきなんだよ」
唯「楽しい奴って?」
律「た、例えば…私、とかさ」
唯「え?り、りっちゃんに!?そんな冗談…」
律「唯」ギュッ
唯「……!」
律「私は本気だぞ。本気で、お前のことが好きなんだ」
唯「り…りっちゃん…皆見てるよ…」
律「だから…私と付き合ってくれ」
唯「で…でも…ムギちゃん…」
律「…あいつは、お前に好きって言ったのか?」
唯「言って…ない」
律「でも、私は言ったぞ。お前のことが好きって、はっきり言った。私とムギの違いは何か分かるか?」
唯「分かんない…」
律「自信があるかないかだよ。お前のことを幸せにする自信」
唯「……!」
律「私はお前のことが好きだ。絶対お前のこと幸せにする」
唯「りっちゃん…」
律「だから…わ、私と…」
唯「…わかったよ。わかったから泣かないで?」
律「ゆいぃ…」
唯「あぅ、鼻水がブレザーに…りっちゃん、ありがと。私も好きだよ」
――こうしてりっちゃんは、私が逃したチャンスを見事に手にした。
私が言えなかったことや、言わなかったこと。その全てを唯ちゃんにぶつけ、その心を掴んでしまったのだ…
紬「…そうだ、明日はお菓子奮発しちゃおうかな♪」
そして翌朝、私はたいそう浮かれていた――
紬「うふふふふ…♪昨日は唯ちゃんと…うふふふふふふ…♪」
唯ちゃんと二人きりで出かけちゃった…♪
おまけに、あ、あんなに顔近づけちゃった…も、もう少し頑張れば、キキ、キスだって…
紬「んっ…はぁん♪」
澪「ムギ、どうした?そんなあえぐくらいいいことがあったのか?」
紬「うん、まぁ♪ところで昨日はどうだった?楽器屋」
澪「楽器…ひいぃっ!れ…レフ…レフティ!…あぐっ」
禁断症状を起こしかけた澪ちゃんを正気に戻したのはりっちゃん…もとい私のライバル!
律「そんなに間合い取らなくたって大丈夫だよ…ふふ、昨日はお楽しみだったみたいだな…私をほったらかして…裏切って!」
紬「ええまぁ…昨日は私たち、相当距離縮めちゃったから」
律「ふーん…縮めた、ねぇ」
紬「?」
りっちゃんはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。それは完全に私を見下すような、そんな笑顔。
な、なんなの?私の方が有利なはずなのに…
律「…ムギが悪いんだからな。私だって、唯がムギにコクられたとか言うなら諦めてたかもしれないのに」
紬「な…?なに、言ってるの…」
律「そもそも…最初に唯にアプローチしたのは私。お前は結局、大事なとこで後手に回るんだ」
紬「ど…どういうこと…?」
唯「りっちゃーん!」
振り向くと、唯ちゃんがパタパタと走ってきた。その眼差しは、りっちゃんにだけ注がれているように見える。
私がそれを確信したのは、唯ちゃんがりっちゃんの胸に飛び込んだ時だった…
唯「ふわ…りっちゃんの胸、あんまり柔らかくない…」
律「なにを!?わ、私だってちゃんとあるんだからな!ほら!」
唯「わ、わかったよぅ~♪」
紬「な…え……?」
私は目の前の光景が信じられなかった。
うそ、こんなの…こんなのうそ…だって、昨日唯ちゃんの隣にいたのは私なのに…今そこにいるのも、私のはずなのに…
律「…ムギ、わかったか?こういうことだよ。私たち、昨日から付き合い始めたんだ」
紬「な…なんで…?唯ちゃん…」
唯「ムギちゃん、昨日私が言ってたドキドキっていうのは…緊張してただけだと思うの」
紬「ち…違うよ!?唯ちゃんは私のことを…」
唯「だってね、今りっちゃんと一緒にいるの、すごく楽しいんだ。ムギちゃんといるのは嫌じゃないけど…緊張しちゃうんだね」
紬「違う!唯ちゃんは私のことが好きなの!好きだからドキドキしてたのよ!」
唯「…私、ムギちゃんのことも好きだよ。でも…」
唯ちゃんはりっちゃんに寄り添った。その表情は、とても居心地がよさそうで、幸せそうだった。
唯「私、りっちゃんのことが大好きなの。だってりっちゃんは、私に好きって言ってくれたから。私のこと、幸せにしてくれるって言ってくれたから」
紬「……!!」
律「…ムギ」
紬「え…」
律「…お前さ、結局自分の気持ち、唯に何も伝えてないよな」
紬「そ…そんなこと…」
律「唯ちゃんは私のことが好き…それって、ただの願望じゃん。お前が言うべきことは、私は唯ちゃんのことが好き…なんじゃないのか」
紬「……!」
そうだ…結局、私は伝えてない…形なんてどうでもいい。さらっと伝えたってよかった。
あのベンチで一言、唯ちゃんのことが好きって伝えるべきだった…
律「…じゃあな、私たち先に行くから。行こ、唯」
唯「ムギちゃん、遅刻しないようにね?」
遠退いていく二人の背中。刺すような北風。ぐらぐら揺れる視界。…こんなの、間違ってる。だって、だって…
紬「唯ちゃんは…私だけのものだから……」
私は、手にあるお菓子の箱が入った重い袋を見つめた。唯ちゃんのために奮発して、クッキーをたくさん持ってきたのだ。
…ごめんなさい唯ちゃん。クッキー、粉々になっちゃうかもしれないけど許してね。
だってそれは、私と唯ちゃんのためには仕方ないことなんだから。
そして私は、前を歩く二人に向けて走り始めた。
BAD END
前回までのあらすじ
色々あったけど、唯ちゃんはなんだかんだで私の恋人になりました。
唯「ムギちゃん、ピクニックに行こう!」
紬「え…ピクニック!?」
唯「うん!ボートに乗ったりおべんと食べたり、とにかく二人きりで遊ぼう!」
あぁ…これは夢じゃないかしら。あの鈍感な唯ちゃんが私をデートに誘ってくれるなんて。
しかも今、はっきり『二人きりで』って言ったわよね。
憂ちゃんがついてくるとか、ホントは部員全員で行くとか、そういうありがちな展開になる可能性は早くも消えた!
紬「喜んで行きます!」
唯「じゃあ、お弁当はどうしようか?また憂に作っ…」
紬「私が作る!唯ちゃんは何も準備しなくていいわ!」
唯「え…いいの?」
紬「いいの!だって…ゆ、唯ちゃんに手料理食べて欲しいから///」
唯「ムギちゃん…それじゃお願いね!私、楽しみにしてるから♪」
紬「うんっ!」
律「…楽しそうだなー」
澪「そうだな…青春ってやつだな」
梓「性春…やらしいですね」
澪「何想像してんだ!…あれ、律クッキー食べないのか?」
律「ひぃ!な、なんか最近クッキーを見ると体が震え出すんだよ…」
さわ子「きっと平行世界でクッキーにまつわるトラウマを負ったのね…」
そしてピクニック当日!晴天の下、私と唯ちゃんは公園にやってきていた…が。
紬「あ…あの、唯ちゃん?」
唯「……」
紬「……うぅ」
唯ちゃんは、待ち合わせの時からずっとこんな感じだ。
挨拶をするなりそっぽを向いてしまって、ろくに話もしてくれない。
誘ってくれた時はあんなに嬉しそうな顔をしてたのに、一体どうして…
紬「はっ…!ま、まさか…憂ちゃんと入れ替わってる?」
可能性はなくはない。姉を奪った恋人への嫉妬に狂った妹が、その仲を壊そうとこんな行動に…
紬「も…萌えるっ!」
唯「ひっ!?」
紬「うふ、うふふふふ…いいわ憂ちゃん、どす黒い感情を私にぶつけるがいいわ!
そして場所を変えて唯ちゃんと3人で色々話すことになったはいいけど、
突然『お姉ちゃんは私のものです!』なんて言っちゃって、感情の赴くままに唯ちゃんに唇を重ねちゃったり私に凶器を向けちゃったりして――」
唯「……」
引いていた。
唯ちゃんは完璧に引いていた…あ、私って端から見れば、真っ昼間から妄想を垂れ流す変態さん…?
紬「ちょっとごめんなさい…?……あ、もしもし憂ちゃん?…うん…あ、いや、特に用はないんだけどね…いればいいの…うん…それじゃ…」
唯「……」
紬「……」
唯「……」
紬「…ボ、ボート…ボートに乗りましょうか…」
唯「うん……」
…やってしまった。一つ気になることがあるととことん妄想してしまう。私の悪い癖…
はぁ、どこの世界に初デートで好きな人に妄想を垂れ流す人がいるんだろう…(それも歪んだ姉妹愛)
完全に、嫌われた…
唯「…ムギちゃん」
紬「はっ、はい!?ボート、唯ちゃんも漕ぐ?」
唯「…ごめんね、私がこんなんじゃあんまり楽しくないよね…せっかくのデートなのに」
紬「そ…そんなことあらへん!」
唯「か、関西弁?」
紬「唯ちゃんとデートできるのはすごく楽しいわよ?こうやって一緒にボートに乗れるなんてまるで夢みたいで…」
唯「…うん」
でも…本当に気になることがある。
唯ちゃんはついこないだまであんなに嬉しそうだったのに、どうしていきなり素っ気なくなってしまったのだろう…
紬「…一つだけ、いい?」
唯「あ、オール離しちゃダメだよ」
紬「あぁっ!?」
唯「…私ね、照れ臭くなっちゃったんだ」
紬「え…?」
唯「デートって言ったって、ピクニックに来て遊ぶだけ…くらいにしか考えてなかったんだ。昨日までは」
紬「うん…」
唯「でも…」
ここで私はようやく唯ちゃんの表情に気付いた。
その頬は真っ赤で、私の顔をみつめる目は焦点が定まっていない。…本当に、照れているんだ。
唯「待ち合わせの場所でムギちゃんを見つけたら…急にドキドキしちゃって、体が熱くなって…上手く話せなくなっちゃったの」
紬「な…なんで?」
唯「…ムギちゃんがすごくかわいいから」
ムギちゃんがすごくかわいいから…ムギちゃんがすごくかわいいから…ムギちゃん…私が…すごく…かわ…いい!?
紬「か…かっ…!?」
唯「だ、だって…付き合い始めてから私服のムギちゃん見るの初めてだったし、そのワンピースもすごくかわいいし…見とれちゃったの」
紬「ゆ…ゆぁ…唯ちゃんだってかわいいわよ!」
唯「ホント…?えへへ、ムギちゃんのために頑張ったからかな」
紬「え!私のために…?」
唯「うん。ムギちゃんにかわいいって言ってほしくて頑張ったんだ」
紬「…だから私をピクニックに?」
唯「ホントはもっとちゃんとしたとこ行きたかったんだけど…色々買ってたらおこづかいなくなっちゃった。あはは」
紬「唯ちゃん…」
唯ちゃんは私にかわいいって言って欲しかった…あ、そういえば私、付き合い始めてから唯ちゃんにそういうこと言ったことなかった。
自分のことばかり考えてて、唯ちゃんがしてほしいこととか、言ってほしいこととか、全然気が回らなかった…
そう、唯ちゃんは鈍感なんかじゃなかったんだ。
紬「唯ちゃん…ごめんね」
唯「…ううん。私もムギちゃんにかわいいとか好きとか、そういうことなかなか言えなかったから。…だから、もう照れないように頑張る」
そういうと唯ちゃんは顔を真っ赤にして私を見つめるのだった。うるうると瞳をうるませながら。
紬「唯ちゃん…かわいい!」ギュッ
唯「うぁ…?く、苦しい…ていうか危ないよムギちゃん!ボート引っくり返っちゃう!」
紬「だってかわいいんだもん!唯ちゃんがかわいすぎてもう離したくない!」
唯「…うぅ、極端すぎるよぅ!」
最終更新:2010年04月04日 00:50