季節は冬。私こと平沢唯は20歳になった。
 高校を卒業したのが2年前。それを思うと、遥か昔のようにもついこの間のようにも思えて
 くる。
 あの時の私は、今では芸能事務所に所属し、一人のアーティストとして活動している。

「あずにゃんあずにゃん。今日のCD。どうかな?」
「え? そんなの、凄いに決まってるじゃないですか。唯先輩が書いた詞に、唯先輩が作った
曲ですよ? それが売れない筈がないじゃありませんか」
「うー……」
「どうしたんですか?」
「あずにゃん……私、今のままでいいのかな……」

 放課後ティータイムとしてバンドをしていたあの時に比べて、私は音楽を楽しめずにいた。
 聞いてくれる人がいるのは、素直にうれしいけれど、たった1人で演奏する音楽は、
 やっぱりほんの少しさびしい気がする。
「いいんですよ。
 ……でも、またいつか、放課後ティータイムで演奏したいですね」
「……うん」

 それが叶うのはいつになるのだろうか。


 テレビ朝日の楽屋で、不安に駆られる。
 ミュージックステーションに出られるのは、今でも信じられない。
 以前の私は、今日、一緒に出演する人たちなんて完全にテレビの中の人であり、
 絶対に会える筈がないと思っていたのだから。
 ――つまり、嬉しいのである。
 それは、平沢唯という20歳の女の子が抱く喜び。夢がかなったという達成感が生み出した
 ものである。
 ……だが、嬉しさの反面には悲しさがあるのは道理だ。
 今の私たちは、それに関して憂いを持っている。
「口パクなんて……厭だな……」
「ごめんなさい……私がしっかりマネージメントできていれば……」
「ううん。あずにゃんの所為なんかじゃないよ」
 アーティストとしての屈辱。
 それは他でもない。演奏したフリをさせられることだ。
 この番組は、いわゆるアイドルが主になって出演するため、
 歌を歌うコトに関しては重きを置いていない。
 つまるところ、人気のアーティストやアイドルがテレビに出るという結果が重要なのであっ
 て、歌なんてものはどうでもいいのだ。
 私はそれが厭だった。
 私はアーティストだ。歌手だ。演奏家だ。
 それなのに、私はこれから演技をする。
 強制(ギアス)じみた拘束から、私は抜け出せない。
 ――そこに才能なんて関係ない。
 飼われた犬は、教え込まれた芸で餌をねだるほかないのだから。

「平沢ユイさーん。スタンバイお願いしまーす」

 そうだ。
 私は『平沢ユイ』だ。一個人としての平沢唯を捨て、仕事人になろう。
 楽屋で待つ梓の表情は、なにかさびしげに見えた気がした。


「えと、ユイさんは高校時代にギターを始めたんだって?」
「はいー。軽音って、軽い音楽なのかなーって思ってて――」

 憧れのトーク。
 昨日の晩から、憂と一緒に練習したものだ。
 タ○リがするトークのパターンを、憂は理解し、それを参考に、
 この場に於いて提示される話題を予想した。
 まず、音楽を始めたきっかけ。
 それから、デビューのコト。その程度で、私のトーク時間は終了する。
 初登場ならば、あまり踏み言ったことは聞かないのが、憂の予測結果だ。

「――それじゃあ、平沢ユイさんの新曲『ぐるぐるメリーゴーランド』お願いします」

 曲のスタンバイに入る。
 形骸化したような作業。
 ギターを弾くこともないのに、アンプにつないで準備する。
 歌を歌うことなんて在り得ないのに、マイクのチェックをする。
 憧れの場なのに、もう、全然ドキドキもわくわくもしない。

『――ぐるぐる回るよ』

 CD音源をそのままに、曲は始まった。



 ――うんざりだった。

 ――それでも、観客のみんなはうれしそうだ。

 歌っていない私に、笑顔をくれる。
 演奏もしない私に、声援をくれる。

 そんなことをしてもらえる資格なんて、私にはない。
 私は、私を見に来てくれるファンの気持ちを裏切っているようなものだ。
 ならば、それに答えなくてはならない。
 私が大切にしなくてはならないのは、タモ○でもなければ、事務所の社長でもない。
 今、私に声援と笑顔、そして勇気をくれる――ファンなのだから――

「あなたが馬で、乗り子が私? そうね、そうよ。これが私のメリーゴーランド」

 瞬間。会場が沸く。
 それは、ルールを犯した私への嘆きの声?
 それとも、歌を歌う私への賛美の声?
 ギー太の弦を弾き、演奏する私は、ようやくアーティストだ。
 音が二重になる。 

 ――ああ。それだっていいじゃないか。

 これで、私は私の一分(いちぶん)を通せたのだから。



 ――その後。私たちは偉い人に物凄い勢いで説教を喰らった。

 それと同時に、テレビ朝日には出入り禁止。
 その上、久○雅○の宗教勧誘を断ってしまったためか、
 TBSも出入り禁止となってしまった。
 だが、後悔はない。
 私はアーティストだ。決して、事務所の犬なんかじゃない。
 もとより、私には無理だったのだ。人付き合いで成り上がっていくなんて、
 番組のシステムの為の歯車になるなんて、私という人間には無理があったのだ。
 それ故に、私はテレビ出演の悉くを断った。ミュージックステーションの事件以来。
 私の存在は有名になっていたので、CDの売り上げは少しずつだが伸びていった。
 そして――

「……できた」

 完成したのは書き下ろしの曲を加えた自身初のアルバム『ぴゅあぴゅあ』である。


 ――初のアルバム、ぴゅあぴゅあは、本来では在り得ないほどに売れた。

 発売して、わずか1日でオリコンアルバムランキングでは1位を獲得することが決まり、
 それでも尚、売り上げは伸びに伸びた。
 その影響か、今まで出してきたシングルも売れ、
 シングルチャートでも上位に食い込むほどになった。
「すごいですよ! ラジオでも先輩の曲を聴かない日はないです!」
「あははー。当たっちった。ブイ!」
 梓に向かってVサイン。CDジャケットは専門学校を卒業し、現在プロのデザイナーとして
 活躍している律に頼んだことで、彼女の株も急上昇。仕事が絶えない状況だという。
 ――そうして決まった。夢。

 そう、武道館ライブだ。

「がんばんなきゃ! 私!」

 それが決まった日。両親からの着信。

 ――休みがちょうど武道館ライブの日だから、是非とも見に行きたい、という。

 初めて、私が両親にいいところを見せられる。
 そう思って、私は両親へ送る花束を考えていた。


 ――ああ。そうだ。
 武道館ライブで、両親へと贈る歌を作ろう。
 運動会にも、合唱コンクールにも、授業参観にも、文化祭にも、
 卒業式にも来てくれなかった両親が、私の立派な姿を見に来てくれる。
 それが嬉しくて嬉しくて、いてもたってもいられなかった。
 両親がベルギーのスパ・フランコルシャンから帰ってくるのはライブの日の朝。
 それまで時間はたっぷりある。梓と憂と一緒にご飯でも食べてから、歌を作ろう。
 ……ああ! 駄目だ! 今から作んなきゃ!
「お姉ちゃん? なにしてるの? どたばたして」
 そわそわしているのは私だけではない。憂だって、明らかに落ち着いていない。
 憂は私のバックコーラスを担当するのだから、心象としては同じだろう。

「お父さんたちに、歌を作るのだ!」

「そっかあ! 私もうれしいよ。お父さんたちがこういう行事に来てくれるなんて、生まれて初めてだもんね!」

 ――武道館ライブまで、あと3日。
 私はうきうきする気持ちを抑えて、練習に励んだ。


 ――武道館ライブ2日前。
 私は舞台監督との打ち合わせで、両親への歌を予定に入れてもらった。
 ○本○美が、私の家の前で土下座をしにきた。

 ――武道館ライブ前日。
 両親への歌も完成し、プレゼントする花も決定した。
 前日というコトで、パーティーが催されたが、私は気が乗らなかったため、
 すぐにホテルに帰って来た。かつて、マイケル・ジャクソンが宿泊したという部屋で、
 自称マイケルの親友である○モリが土下座をしにきた。

 ……夜。私は眠れなかった。
 明日、両親が私と憂のために来てくれる。
 それは、運動会の前日。母や父にいいところを見せたいと意気込む子どもと同じ気持ち。
 久し振りに憂と同じベッドで眠った。

 ――そうして当日。
 一本の電話が、早朝に届いた。



 ――両親が乗っている飛行機が墜落事故を起こした。

 セイゾンシャナシ。ゼンインシボウ。

 無機質な声に、私の世界は再び反転した。


 ――信じられなかった。

 テレビをつけると、世紀の飛行機事故と銘打たれた事故が、
 一つのチャンネルを除く総ての局に映っていた。

 あまりにも、現実味がない。
 あまりにも、本当ではない。
 こんなこと、在り得ない筈。

 手が震える。
 両親を喪ったという恐怖。
 絶対的な喪失感が、私を支配する。
 こんな気持ちで、ライブなんて出来る筈が、ない。



「お姉ちゃん……お姉ちゃん……お姉ちゃん!」
 憂が、人目をはばからず、泣いた。
 今まで、ずっと頼りになる妹だった彼女が、今では本当に小さな妹になっていた。
 ――それならば、私は泣いてはいけない。
 だって、私はお姉ちゃんなのだから。
 お姉ちゃんは、絶対に泣いちゃいけないんだ。

「でも……これじゃあ……」

 バックコーラスなんて出来る筈がない。
 それに、今回のライブのスタッフの中に私と同じ境遇の人がいたらしく、
 バックバンドも不足しているという一報が入った。
 中止にするか? という問いに、私はやります、と答えた。
 ファンのために、両親の為に、憂のために私は、歌う。
「私は――やらなきゃいけないの!」

「――だったら丁度いい。今が、放課後ティータイムの再結成だ――」

 ホテルのスイートルームに響く、凛とした声。
 振り向くと――そこには桜高の制服に身を包んだ4人の姿があった――

 ――あの時と変わらぬ、少女の姿で――


 ――放課後ティータイム。

 私の原点であり、私が目指す音楽の完成形だ。
 目を瞑れば思い出す。

 初めての文化祭。
 澪が恥ずかしがりながらもボーカルを務め、伝説となる事件を起こしたこと。

 二回目の文化祭。私がギー太を家に忘れてしまい、走って取りに行ったこと。

 三回目の文化祭。梓が私のために、一生懸命になってくれたこと。

 私は、間違いなくあの時、音楽を楽しんでいたんだ。

 梓が言う。
「唯先輩は天才なんですから――」

 そんなことはない。
 私は天才なんかでもないし、神でもない。
 私はただの女の子。平沢唯だ。


「ねえ、あずにゃん。
 私、やっぱり天才なんかじゃないよ」

「……そう、ですね。
 唯先輩は、唯先輩です――」

 照明が明るくなる。

 一曲目――ふわふわ時間――!

「キミを見てると、いつもハートドキドキ!」

 見ててね、お父さん。
 聞いてて、お母さん。

 私、天国に届くくらい、一生懸命歌うから――!



 ――そうして、二時間のライブ。その全ての曲が終わった。

 放課後ティータイムとしてのライブではないけれど、私の後ろにはかつての仲間がいる。
 それだけで、この武道館ライブは私の夢の具現化だ。

「最後に、今日早朝に起こった不幸な事故の被害にあった方へ、歌を贈ります。
 私自身、両親をあの事故で亡くし、途方にくれました。
 でも、その私をここに連れてきてくれたのは、後ろにいる私の仲間と、
 誰よりも愛している、私の妹です。だから、私はここで歌を歌います――」



小さな頃から思ってた
すごく そばに いてほしい

あなたの大きな手で 抱いてほしかった
あなたの大きな胸に 抱かれたかった
遠くにいるから気がつかない
近くにいても気がつかない

だから 私は歌を歌うよ
あんな私が 大きくなったって伝えたい
側にいて 抱きしめて 笑いかけて
ご飯を食べて 一緒に寝て また起きて
そうして繰り返す 繰り返すことが幸せだから

小さなころから感じてた
あなたの愛で ここにいる
すごく 傍に いてほしい



 武道館は物音一つ立たなかった。

 みなが、私の歌を聴いてくれている。

 それを、全身で感じた。

 ずっと遠くにいた両親にささげる歌だった。
 小さな頃から、甘える日といったらクリスマスか誕生日しかなかった。
 だから、今度からは家族4人でいろんな所へ行きたいと思ったのだ。

 でも、それももう叶わない。
 山中に墜落した飛行機は燃えさかり、たった1人の生存者も出さなかった。
 これが、現実なのだ。

 ――深々と頭を下げ、舞台袖にはける。
 涙を、誰にも見せたくないから――


Epilogue

 ――それからの唯先輩の話をしよう。

 伝説の武道館ライブが終わり、唯先輩は両親の葬儀や様々なコトで忙しかった。
 しかし、それを支えたのが、やはり憂だった。憂は唯先輩が音楽に専念できるように、
 全ての音楽以外の仕事を請け負った。
 憂も、なにかがしたかったのだろう。
 両親の為に。なにかを。

 澪先輩たち、放課後ティータイムのメンバーは、
 今ではそれぞれの夢に向かって頑張っている。
 あの武道館ライブ以降。放課後ティータイムの復活はない。しかし、私たちの心の中に放課
 後ティータイムがある限り、あの時の夢を、きっと唯先輩が叶えてくれる。
 そう信じている。

 私は、今も変わらず唯先輩のマネージャーとして、毎日忙しい日々を送っている。
 音楽番組に出演する際の注意点を説明し、CDの世界記録にも届く売上に出入り禁止となっ
 ていたテレビ局のトップが土下座をしてきたのには驚いた。
 人間というモノは得てして現金なものである。

 ――それを変えるのが唯先輩の音楽だ。
 打算もなにもない。音楽というモノはそういうものだ


 ――そうして、5年の月日がたった。

「HIRASAWA!!」
「ユイー!」
「アイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!!」

 ここはイギリス、シルバーストン。
 世界平和を祈るチャリティーライブに招待された唯先輩が、今、世界中の人々が見つめる舞
 台に立っている。
 日本は今、8月30日夜9時。
 テレビでは偽善チャリティーのランナーがゴールしたところだろう。
 しかし、日本の人々はきっとそんなものは見てはいない筈だ。
 今、ここに本物がいるのだから。


 ――本物の音楽で、世界を救う。
It redeems the world by genuine music. 

 それがテーマであるライブには、唯先輩の存在が必要不可欠だ。

「こんにちは。放課後ティータイムの平沢唯です。
 えっと、私が音楽を始めたきっかけは――軽い音楽だと思ってて――」

 さあ、今日も始まる。
 音を楽しみと書いて、音楽。
 軽い音楽と書いて、軽音。

「やっぱり、貴女は――神様なんですかね――」

 人をどん底に叩き落とす才能もあれば――
 ――人を幸せにする才能もある。

 私は知ることができた。
 本当の、『才能』というものを――

「――けいおん! 大好きー!!」

中 野 梓 が 才 能 を 思 い 知 る そ う で す
                                FIN



最終更新:2010年04月07日 01:04