唯の体はドアまで1、2mのところまで近づいた。
次の瞬間……
「おそくな……きゃあ!!」
ガチャリとドアを開けて入ってきたその子の胸元めがけて、唯はつっこんだ。
ぽふっ
なんとも柔らかそうな音をたてて、唯の体は静止する。
驚くべきことに彼女達はそのまま転倒しなかった。
とっさのことにも関わらず、その子は自分の体を支え、さらに唯の体を受け止めたのだ。彼女達は怪我一つしていない。
「……ゆ、唯ちゃん?おやつ……待ちきれなかったの?」
彼女は長い睫毛の目をパチパチさせながら、おずおずと尋ねた。
琴吹紬の胸から顔を離し、唯は申し訳なさそうに舌をだして、はにかんだ。
「えへへ、おっすムギちゃん。待ってたよ!」
「唯っ、ムギ!大丈夫か!?」
三人は二人の元に駆け寄ってくる。
「……びっくりしたけれど、私は大丈夫よ、澪ちゃん」
「ひゃ~、危なかったなあ。それにしても、よくムギ受け止めれたなあ」
「ムギちゃん!ムギちゃんのおかげだよお!
ありがとう~怪我せずにすんだよぅ!」
そう言って、唯は再び紬の胸に顔をうずめて、頬をすりすりやりだした。
とたんに彼女は唯もろともその場にヘタりこむ。
みるまに紬の顔は上気し、苦しそうに吐息をもらした。
「んっ、唯、ちゃんっ、やだあ……」
「こ、こらっ唯っ!離れろ!」
「ゆ、唯先輩やりすぎです!」
「ん~?何をかな~?」
「なっ、うるさいですっ!」
頬を朱に染めながら気炎をはく後輩を尻目に、律は尻餅をついた紬の腕をつかんでヨッと立ち上がらせてあげた。
唯は紬の胸から滑り落ちる。
「ふぅ……その、唯ちゃん……良かったよ?」
「おいおい」
意味も分からず不思議そうに唯は二人を見上げた。
紬は目をトロンとさせたままあらぬ方向を見つめている。
「なんにせよ二人が無事で良かったよ。……ムギ~大丈夫かあ?」
忘我状態の紬である。
澪は目の前で手をかざしてみるが反応は薄い。
律と澪はやれやれと顔を見合わせた。
「……エア・トレック?」
「そおそ、唯がロック外しちゃってさ、さっきの通りだよ」
「ほんとにごめんね、ムギちゃん」
ティーカップの底が、カチャカチャと陽気にさえずり合う。
冬の寒空の下、教室の中はクッキーとマドレーヌの香ばしい匂いでいっぱいになった。
彼女達のささやかなひとときの幸せが空気に溶けこんで、部屋の温度をも上昇させる。
紬が部室にやってくれば、いよいよ「放課後ティータイム」の「活動」スタート。
テーブルの上には花々に彩られた高そうなお皿。その上にクッキーとマドレーヌは品よく整列している。
コーヒーカップには、なみなみと注がれたダージリンティー。芳醇な香りは何故か音楽室にも似つかわしい。
練習半分。話半分。これが桜高軽音学部。
いや、実際には2:8かもしれないが。
「ううん、大丈夫よ唯ちゃん。
そっか、唯ちゃんもエア・トレックやるのね」
紬は意味ありげに呟く。『も』?
お嬢様がエア・トレック……?到底想像できない。
澪は気になったので少し探りを入れてみる。
「ムギはエア・トレック知ってるんだな」
「ええ、まあ。最近は通学中にも友達が使っているのを目にするし……」
なんだそういうことか。
「もしかして、ムギちゃんもエア・トレックやってるの!?」
聞くのかよ。
「えっ?……ううん、私はやってないわよ?」
「私昨日買ってもらったばかりなんだ!
ね~、ムギちゃんも一緒にやろ~よぉ」
「えっ?……うーん、そうねえ……」
紬は困った顔をしたが、唯は
「それでねそれでね!あずにゃんもエア・トレック買って五人で練習するんだぁ。ああ~すごく楽しみ!」
実はまだ決まってもいないことも忘れて、キラキラと目を輝かせる。
「こ~ら唯、押し付けは迷惑だぞ」
「ちょっと待って澪ちゃん?
もしかして澪ちゃんとりっちゃんも、エア・トレックやってるの?」
紬は顔を澪と律のほうへ向けた。
二人は顔を見合わせ、唯の時と同じように互いに笑いあう。
「そうだぞー、私と澪は一ヶ月前くらいから練習してるんだ。
唯とは年季が違うぜー!」
「ははーッ、師匠、一生ついていきやす!!」
腕を投げ出しながら机につっぷす。
律はもったいぶって立ち上がり、得意満面である。
楽しそうにしている二人。
一方で紬はますます悩んでいた。
みんなと一緒にエア・トレックはやりたい。やりたいけど秘密にしていることがばれてしまう。
紬は秘密が露見し、みんなに嫌われることだけは避けたいと思っている。
だけど……だけど、自分が参加しないと恐らく唯は悲しむだろう。
心底幸せそうな唯の笑顔が悲しみに暮れることは絶対に許されないことだと思った。
自分の悲しみと唯の悲しみ。
天秤は紬が大切にしたいほうへ傾いた。
「分かったわ唯ちゃん。私も入れてくれる?みんながやってるなら私もやりたいな♪」
「わああい、ばんざあい!やろうやろう!!」
歓声をあげて、机もひとっとびに紬に抱きつく。
唯は今最高に嬉しかった。
やりたかったコトを始められるだけでなく、大好きな大好きな娘たちとその時間を共有できる。
文化祭も終わって目先の目標を見失いがちな今、その靴が再び彼女の心にやる気の灯をともす。
そんな唯を見ていると自分もこちらを選んだ甲斐があるものだ。紬は少し頬を赤らめ、あらあらと唯の髪を撫でた。
「よっしゃあ!!ムギはこれで大丈夫として……あとは梓の靴をどうにかしないとな!」
「あの……こんなこと大きなお世話かもしれないけれど……
ウチの系列の会社に、エア・トレックを取り扱っているお店があるの。
良かったら、梓ちゃん見にこない?少しなら安くできると思うんだけれど……」
「マジで!?お世話になります!」
「なんでオマエが嬉しそうなんだっ!」
「で、でもそんなの悪いです!」
梓としては、現時点で紬にはお世話になりすぎている。
後輩として先輩にこれ以上(高価なお菓子代以外にも)迷惑をかけることはできないと遠慮するのも当然だろう。
「うふふ、いいのよ梓ちゃん。私、できる限りみんなの役に立ちたいの。
あと何より軽音部のみんなと一緒に疾走《はし》ってみたいな♪
だから梓ちゃんも私を頼って、ね?」
紬としては、みんなの助けに少しでもなりたい一心である。
彼女のその思いには見栄も奢りも存在しない。
「ムギ先輩……ありがとうございます!」
「ええ♪」
「あずにゃ~ん、軽音の練習も忘れちゃダメだからね~」
「それはオマエ(先輩)だ!!(です!!)」
澪と梓の口を揃えてのつっこみに、えへへ~と唯は頭をかく。
紬が幸せそうに笑った。
「そいじゃ今日は早めに切り上げて、その店いってみるとするか!」
「は、はい!!」
「いつもは練習熱心な梓も、今日ばかりはノリ気のようだな、ふふ」
「みんなでエア・トレック、楽しみだわ~♪」
「それじゃ早速……」
「Let's ゴー!!!」
おわり
あとまか
65 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [] 2010/04/13(火) 03:06:21.58 ID:qm+XQwt7O
終わりまで考えてるけど書きため尽きた
また書き直す
落とすなり続けるなり好きにやってくれ
最終更新:2010年04月15日 02:12