憂『それに……もうお姉ちゃんのためのお金は必要なくなるから……』
梓「それって……どういう意味?」
憂『実はね、HTTの4人にはずっと黙っているつもりだったんだけど、お姉ちゃん、病気でもう長くないんだ……』
梓「………!!??」
憂『お医者さんの見立てでは長くてもあと一年……』
梓「そんな……! そんなことって!!」
憂『梓ちゃん達HTTの皆さんにはとても感謝してるよ。お姉ちゃんもきっと同じ気持ち』
梓「……そんな残酷なことって……ありえない!!」
憂『今まで黙っていてごめんね』
憂の衝撃の告白からほどなくして、3人HTT以外に唯に対し金銭的支援を行っていた人物がいたことが明らかになる。
律「澪のやつ……まさかそんなことをしていただなんて……全然知らなかった」
紬「もしかして裁判の時に楽曲の使用料を要求したのも、そういう気持ちがあったからなんでしょうか……」
梓「とにかく、今度マネージメントを通して澪先輩と一度話し合いの場を設けます。唯先輩の今後のこともありますし……」
律紬「…………」
そうして数年ぶりに設けられた4人の会談の場で、3人に追求された澪は自らの行いについてこう語った。
澪「私が唯を見捨てられるわけなんてないだろ」
律「じゃあなんでHTTを解散させようなんて真似をしたんだ!
唯にとって帰る場所はHTTしかなかったはずだろ!?」
澪「『放課後ティータイム』というバンドの存在が、もはや今の唯にはプレッシャーなんじゃないかと思うんだ」
紬「それは一体どういう意味?」
澪「実際この間、唯の今の生活ぶりがパパラッチされただろう。
結局、HTTというバンドがこの世に存在し、活躍を続ける限り唯の肩から『元HTT』という重い看板が下りることはないんだ。
これは自分が実際にソロ活動をしていても感じたことだ。
今の唯はそれこそ自分がHTTのメンバーだったという記憶すらないかもしれない。
世間も唯が元メンバーだったことを忘れているかもしれない。
だけど、その過去を掘り返す人間はこれからも確実に存在し続けるだろう」
梓「つまり今の唯先輩にとってはHTTの存在はプレッシャーでしかないということですね」
澪の言い分には、3人も納得せざるを得なかった。
律「でも……だったらなんでそれを言ってくれなかったんだよ!!
お前がもっと素直に自分の考えを言ってくれたら……今頃別の選択肢もあったはずなのに……」
澪「結局、私も弱い人間だったんだ。
そういう自分を悪者にして、いじけながら背中を丸めて逃げる選択肢の方が楽だなんて思ってしまった」
紬「でも……今は……」
澪「わかってるよ。唯の病気の話を聞いて、私も気が変わった――」
澪の言わんとしていることが何か、わからない3人ではなかった。
澪「もう一度、4人でステージに立って、HTTは演奏する! 金のためや名誉のためじゃない!」
梓「唯先輩の残した楽曲を人々に語り継ぎ、
唯先輩に自分がいたバンドがどれだけ素晴らしかったかを思い出してもらうため……ですね」
澪「ああ。確かに迷いはある。
あと一年の時間しか残されていない唯の人生にとって、
HTTの記憶をわざわざ蒸し返すことは迷惑にしかならないかもしれないけど……」
律「もしも唯がこの場にいたら……」
紬「そうね。絶対にやりたいって言うはず」
澪「そうだ! 4人……いや、5人の放課後ティータイムの再始動ライブをやるんだ!」
数カ月後、とある大規模ロックフェスティバルのメインステージ、
大トリの舞台に4人のHTTのメンバーが出演することが発表される。
決定的な亀裂が入ったと思われた澪と
その他3人の間のまさかの仲直り。
伝説のバンドの本当の意味での再結成。
世間は4人HTTの再始動を熱狂して煽り立てた。
しかし、4人の気持ちは違う。
これは、とある廃部寸前の軽音部からスタートし、
ひたすらに楽しい音楽を作り出すことを目指した5人の放課後ティータイムの再始動なのだ。
そうして、ライブ当日。
4人のメンバーがステージに現れると観客からの怒号のような歓声があがる。
澪「まずはじめに――」
レフティベースを抱えた澪が、マイクににじり寄った。
澪「またこうやって、律、ムギ、梓の3人と演奏できる幸せについて感謝したい」
澪「それと――今から演奏する曲を今日は残念ながらこのステージには立つことができなかったもう一人のメンバー……
平沢唯に捧げます」
そうして、梓の弾く優しいアコースティックギターの調べに導かれ、演奏が始まった。
曲は『Wish YUI Were Here(唯がここにいてほしい)』
So, so you think you can tell
(きみはわかっているのかい?)
Heaven from Hell, blue skies from pain
(天国と地獄の違いを。青空と苦痛の違いを)
Can you tell a green field from a cold steel rail?
(草原と冷たい鉄の線路の違いを)
A smile from a veil?
(頬笑みと偽りの仮面の違いを)
Do you think you can tell?
(きみはわかっているのかい?)
4人の演奏は何年もの、ブランクがあったとは思えないほど、素晴らしかった。
And did they get you to trade
(きみは取引に応じてしまったのかい?)
Your heroes for ghosts?
(英雄と亡霊の交換の取引に)
Hot ashes for trees?
(熱い灰と木々との取引に)
Hot air for a cool breeze?
(熱い空気と涼しい風との取引に)
Cold comfort for change?
(冷たい慰めと変化との取引に)
And did you exchange
(きみは交換してしまったのかい?)
A walk on part in the war for a lead role in a cage?
(戦争での脇役と籠の中での主役とを)
How I wish, how I wish YUI were here
(どれだけ、どれだけ私が唯にここにいてほしいと願ったことか)
We're just two lost souls swimming in a fish bowl Year after year
(私たちはまるで永遠に金魚蜂の中で泳ぎ続ける失われた二つの魂のよう)
Running over the same old ground
(同じ大地を走り回り続けて)
What have we found?
(私たちは何を見つけた?)
The same old fears
(昔馴染みの恐怖だけ?)
Wish YUI were here
(唯がここにいてくれたらよかったのに)
一方、その頃、このライヴの生中継を病床のテレビでじっと食い入るように見つめている者がいた。
平沢唯である。
死の床に伏した彼女の身体は、今までの丸々と肥えた姿が嘘のようにやせこけていた。
憂「お、お姉ちゃん! 何を見ているの……!? ダメだよ!?」
思わぬ事態を目にした憂が、すぐさまテレビのリモコンを探す。
姉に過去の幻影を見せてはいけない――唯を思いやるその気持ちが先走り、憂を突き動かしていた。
しかし、
唯「消しちゃダメ!」
久しぶりに聞く姉の激しい声に、憂は思わずリモコンを持つ手を止めてしまった。
唯は黙ってテレビの向こうで演奏を続ける、とあるバンドの姿を見つめている。
明らかに見知っているはずのメンバーが演奏している映像であったが、不思議と取り乱す様子もない。
唯「ねぇ憂、知ってる?」
憂「……?」
唯「わたしね、昔このテレビに出てるバンドのメンバーだったんだよ!」
憂「!!」
唯「バンドの名前はね、『放課後ティータイム』って言ってね。担任のさわちゃん先生がつけたんだー」
唯「それでね、このドラムを叩いてるのが元気いっぱいの
田井中律ちゃん」
唯「こっちがおっとりぽわぽわのキーボードの
琴吹紬ちゃん」
唯「ベースが秋山澪ちゃん、しっかりしてるけど恥ずかしがり屋で恐がりなんだ」
唯「それと、ちっちゃくて可愛いギターの
中野梓ちゃん」
唯「この4人とね、わたし、昔おなじ部活でおなじバンドにいたんだよ! すごいでしょ?」
憂「……お姉ちゃん、それは違うよ」
唯「え? ちがうの? もしかしてわたしのかんちがい?」
憂「そうじゃなくて……」
憂「お姉ちゃんは今でも放課後ティータイムのメンバーだもん……」
唯「そうなの!? わたしって、もしかしてすごい? すごい?」
憂「うん……すごいよ……お姉ちゃんはすごいバンドのメンバーだよ……」
唯「そうなんだ~……えへへっ……」
感動と熱狂のHTT再始動ライヴから数週間後。
予告されていた1年よりも早く、まるでこの世でやり残したことは何もないと言わんばかりに、平沢唯は眠るように天へと旅立った。
臨終の際には、澪、律、紬、梓の4人が寄り添い、ずっと唯の手を握っていたという。
それから、更に10数年の月日がたった。
この日、久方ぶりに放課後ティータイムのメンバーだった面々が一堂に会した。
律「よう澪、久しぶり。大分老けたな」
澪「それはお互い様だろう?」
律も澪も、既に世間ではオバサンと呼ばれてしかるべき年齢となっていた。
梓「澪先輩! 律先輩! お久しぶりです!」
澪「梓かぁ! お前は……あんまり変わってないな!」
律「相変わらず成長していないな。色んな所が」
梓「それは律先輩も同じ……って、この歳になって言うセリフじゃないですよ」
平沢唯の逝去をもって、放課後ティータイムは正式に解散した。
解散の理由は単純明快。
「いるべきメンバーがいなくなった今、これ以上バンドを継続することは出来ない」
大成功に終わった再結成ライヴの直後の発表だっただけに、世間はその解散を惜しんだという。
律「しかし、こうして集まったのが3人だけっていうのも、何だか皮肉なものがあるよな」
澪「そうだなぁ。昔は私と唯を除いた3人でHTTを名乗ってた時期もあったけどな」
梓「澪先輩、それはいいっこなしですよ」
律「ムギの場合も、あまりに突然だったからなぁ」
澪梓「…………」
唯の死から数年後、その後を追うようにキーボード担当の琴吹紬が他界した。
後でわかった事実では、3人体制HTTの活動中から、既に紬は癌を患っていたという。
それを自覚しながら紬をHTTの活動へと向かわせた源は、バンドへの情熱と唯への親愛の情に他ならない。
梓「……そろそろ時間ですね。いきましょうか」
律「そうだなー。それにしても表彰式だなんて、私たちの柄にあわないけど」
澪「それは律だけだって。いや、正確には唯もか」
今日は放課後ティータイムが、長年と活動と後世に及ぼしたその音楽的影響から、
名誉ある『ロックの殿堂』に名を連ねることとなり、その表彰パーティーであった。
澪「このような賞をいただけたことは大変光栄の極みです……」
壇上に上がると、澪は緊張しながらも受賞スピーチの言葉を繋いだ。
澪「思えば高校の軽音部から始まったはいいものの、毎日練習もそっちのけでお茶ばっかり飲んでいた私たちがロックの殿堂入りだなんて、分不相応なのかもしれません――」
澪「私たちはただ皆で楽しく、心行くまで演奏がしたいと思ってHTTの活動を続けてきただけなのですから――」
澪「それでも私たちが世間でいうところの商業的、音楽的成功を掴むことが出来たとするならば、それは――」
澪「私たち5人の絆が成した業――と以外に表現のしようがありません」
澪「今はこの場にいない2人のメンバー、唯とムギも、喜んでいることと思います」
澪「本当にありがとう。放課後ティータイムをやってきて、本当に良かった」
そうして、授与された記念の盾には、確かにこう記されていた。
~Rock’n Roll Hall of Fame ~
『Houkago Tea Time』
Yui Hirasawa:Guitar&Voca
Mio Akiyama:Bass&Vocal
Ritsu Tainaka:Drums
Tsumugi Kotobuki:Keyboard
Azusa Nakano:Guitar
おわり
※補足
その通り、ピンク・フロイドというイギリスのロックバンドのシド・バレットという元メンバーをパロディにしたSSでした。
ちなみにシド・バレットという人はバンド時代は男でも惚れるイケメンだったのが、
精神崩壊してからはただのピザハゲになってしまったのですが、
作中でもふれたとおり、本当に目つきだけはそのまんまなんですよねー。
シド・バレットはFF7のキャラの名前の元ネタにもなっている……と思う。
ムギを殺す必要はなかったと思うけど……史実ではつい最近キーボードの方はお亡くなりになってしまったので。
最終更新:2010年05月04日 01:18