その後しばらくの入れ換わり生活

梓は楽しくて仕方なかった

先輩達に嘗められることも無い

休日街を歩けば必ず声をかけられるし

澪の家庭は自宅のように居心地が良かった


律から何度も しょうもないホラートラップを仕掛けられるのが

不満と言えば不満だが・・



朝8時 

梓はいつものように澪と入れ換わる為 トイレで待っていた

両者自分の学年の授業を受ける必要があるからだ


「あ、澪先輩 おはようございます」

「梓・・・」

疲れ果てた表情でトイレに来て 澪は梓を睨んだ

今の梓とは正反対の淀んだ雰囲気

「・・澪先輩?」

「もう無理・・今日でやめよっか コレ・・」

「え!?」


話を聞くと

梓になった澪の方は散々だったようだ

彼女自身の性格も変化に強いものではなく

ストレスが溜まりに溜まって 今に至る

「すみません・・私の自己満足に付き合ってもらって・・・」

「いやいいんだ・・」

申し訳ない気持ちで一杯だが 何とも名残惜しい

勿体無い



シャッターを押して

梓は澪を終えた



しかしこうなると 次の対象を探したくなる

出来れば勿論 澪のような大人びた人が良い

とはいっても顧問のさわ子のように本当の大人になっても

仕事をこなすことなどできそうにない

悩んだ末に梓は

同じく軽音部先輩の琴吹紬を選んだ

いつも落ち着いた社長令嬢

その生活はきっと楽しいし 珍しい体験ができるだろう




しかし琴吹紬は 決して梓の目指していた「憧れの先輩」ではない



少しずつ 

少しずつ

目的は濁る


話を聞いた紬は 面白そうだとあっさり了解して

スムーズに梓と入れ換わる

彼女は好奇心旺盛で 未知の物には目が無いのだ

温室育ちの世間知らずとも言えるが・・・



しかし部活中は いざ紬になってみると

地味な役割で大して面白いものではない

することと言えばお茶汲みとニコニコ笑っているくらいだ

律や唯はかなり好意的に接してくれるし どこか頼られてる感じはあっても 

何か距離を感じてしまう   

それくらい無難な立ち位置

しかし

帰宅してみると 

梓は心の底から思った

「入れ換わって良かった・・・」


超大豪邸はまるで別世界の様で

ちょん と置いてある小物でさえ、中野家の財産を凌駕する価値を持っている

料理は美味しいし

ベッドは雲のように柔らかい

ある意味

いや 

どんな意味でも澪異常に幸せだ

こんなに豪勢な人生なら 大人らしさもいらなくて

やはりこの世は金なのか などといかにも悪役のような台詞まで零れそうだった

彼女はしばらくこの生活を手放せない



――――――――――――――

一週間後

梓は朝8時トイレに向かうと

既に紬が待っていた


「ムギ先輩、調子はどうですか?」

「うん・・ちょっと・・」

どう見ても楽しそうではない

まるで先週の澪のように 不満を抱え込んでいる表情だ

紬は 少し辛そうに口を開いた

「とりあえず 1週間経ったし、元に戻りましょ?」

「1週間・・・」

「そういう約束だったと思うけど・・」

「ぅ・・もう1週間!お願いします、もう1週間だけ!」

ここで手放したくない  あの生活はもっと堪能していたい

梓は必死に頼み込んで期間を延ばしてもらった


自分と入れ換わった先輩にも 良い事が沢山あるはずなんだ

そう自分に言い聞かせ

彼女は罪悪感をかき消す




美味しいケーキが食べ放題だし

容姿だって悪くない

何より欲しいものが何でも買えてしまう

彼女は

遊んで遊んで遊んで


楽しんで楽しんで楽しんだ



練習だって真面目にやってるし

勉強の時もちゃんと交代してる

だから大丈夫 最低限義務は果たしているんだ


そんなことを思い続け 気付けば


あっというまに1週間が経っていた



「じゃあもうこれで・・・」

紬は子犬のような眼で見る

しかし

「も、もう1週間だけ・・すみません、もう1週間・・・!」

「・・・・・・・・」


澪の時 あっさり手放してしまい あっさりと終わった幸せ

今回はそう簡単に終わらせたくなかった

紬もきっと 澪のように入れ換わりが肌に合わない人間だったのだろう

それでも

今の梓は 紬でいようとした


遊んで遊んで遊んで


楽しんで楽しんで楽しんで


食べて寝て食べて寝て


笑って寝て笑って寝て


中野梓は愉しんだ

琴吹紬の皮を被った 中野梓は愉しんだ


そしてまた あっというまに1週間が経つ


「お願いします・・!」


懇願は何度も続いた


「あと1週間・・!」


土下座までするようになった


「・・・・・・・」


その度紬は 無言で頷き


「ありがとうございます!」


その度梓は 琴吹紬になる


「お願いします・・!」


「あと1週間・・!」


「お願いします・・!」


「あと1週間・・!」


「お願いします・・!」


「あと1週間・・!」


「お願いします・・!」






そんな不安定で 無理を通してきた交換も

遂に限界が訪れた




もう何度目かもわからない約束の1週間目 梓は登校中に紬に出会った

都合が良い トイレと言わず ここで頼みこもう

「あ、ムギ先輩  あと1週間・・」

「もう嫌!」

「・・・っ」

初めて

初めて紬のこんな顔を こんな声を聞いた

いや 今は中野梓か

「大人になりたい大人になりたいって、梓ちゃんはただ お金で遊びたいだけでしょ!?」

「そんな・・・」


人は真に図星と突かれると  何も言えなくなる


「だから子供なのよ・・・もう嫌よ、もう・・・」

「・・・・!」


紬は 梓のカメラを強引に掴み取った


「ちょ、ちょっと・・・」

「・・・・・」

パシャリ

シャッターの音が聞こえた

梓を撮ったのだ


ここで紬が取るべき行動は 自分自身を撮ること

梓はそう信じて疑わなかったし

自分に戻るにはそれしかない

しかし

パシャリ

という二回目のシャッター音は 





道を横切る大型トラックのドライバーに向けられた


「え・・・何してるんですか、ムギ先輩・・?」

「交換よ」

紬はさらりと答える


「それより・・・あなた、誰?」


トラックは既に大通りの信号を越え 見えなくなった

目の前に立っている紬はうっすらと笑みを浮かべている

ほんの一瞬考え

ほんの一瞬で答えが出る

単純な話


「待ってくださいよ   これじゃ私、今・・・」

「どこか遠くから来て どこか遠くへ行った トラックの運転手でしょ?」


中野梓は

自分を失ったのだ


紬はカメラを地面に思い切り叩き付け

バラバラに打ち砕く



細かいパーツと共に 絶望が飛び散った



「ムギ先輩・・ちょっと・・洒落になりませんよ・・」

「ムギ先輩じゃなくて 中野梓です」

紬は笑顔で言った

屈託の無い 爽やかな笑み

「ムギ先輩は今 どこかでトラックを運転してるもの」

「私は・・私は・・・!?」

「さぁ・・・?」

紬は梓 もとい 梓だった人間に背を向け歩いていった


名も無き小柄な人間は

呆然と立ち尽くす


自然と

財布を開いた

小銭しか入っていない

人間は つい昨日までと打って変わったその貧相な中身を 

ただぼぉっと見つめた



はらりと一枚の写真が落ちた


幸せそうな女子高生が笑顔で写っている



これは 

この人は



誰なんだろう



終わり



最終更新:2010年05月15日 22:59