唯「あー嫌だ嫌だ嫌だよー」
手足をばたつかせながらリビングに敷かれたカーペットの上をごろごろ転がる唯に思わず憂の洗い物の手が止まる。
憂「どうしたの、お姉ちゃん?」
唯「明日最初に数学の小テストがあるんだよー」
憂「…難しいの?」
唯「それもあるんだけど、点がとれないと放課後居残りなんだよー」
憂「大丈夫だよきっと。お姉ちゃんなら」
唯「でもでも、この間のは全然わからなくて結局わかるまで居残りさせられて日も暮れちゃったし、
おかげでお菓子も食べられなかったし…。
明日はムギちゃんが美味しいシュークリームもってきてくれるっていってたのに…私の分なくなっちゃうよー」
憂「うーん、私もこれ終わったら勉強手伝ってあげるから…一緒に頑張ろうよ」
唯「ありがとう憂…テストなんてなくなればいいのになー」
憂「あはは…」
唯「…はぁ」
翌朝、登校中。深く溜息をつく唯に心配げな憂。
憂「結局テレビとギー太ばっかりで、あんまり勉強できなかったねー」
唯「しかたないよー。あんなにかっこいい曲が流れてたんじゃ、思わずひきたくなっちゃうもん。
…はぁ。テストどうしよう」
憂「…ギターといえば、お姉ちゃん最近すごく上手くなったよね」
唯「憂も昨日は結構上手かったよ」
憂「お姉ちゃんの教え方が上手いせいだよ」
唯「そうかなあ。…私ギター教室の先生になろうかなー」
憂「お姉ちゃんならきっと大人気になるよ」
唯「えへへ」
教室。にまにまする唯。
澪「おはよう」
唯「あ、おはよーりっちゃん、澪ちゃん」
律「おーす。どうしたんだよにまにまして」
唯「えへへ。私将来はギター教室の先生になろうかなって思ってて」
律「進路か。もうそんな時期なんだよなー。私はどうしよう」
澪「何言ってるんだ唯。梓が言ってたが唯の教え方はちょっと独特というか、かなりわかりにくいぞ。
私も聞いてて思うんだが感覚的過ぎると思うし」
唯「えーそうかなあ」
律「まあ唯はろくにそういう本も読んでなさそうだからな」
唯「そういうりっちゃんだって読んでないじゃん」
律「な!? なんでわかるんだよ!」
唯「やっぱり。それでこそりっちゃんだよ!」
澪「おい先生がきたぞ。そういえばホームルーム後に小テストだったな」
律「そうだった!」
唯「あわわ…べ、勉強が」
ホームルーム。
唯「ああ…神さまー」
さわ子「それじゃホームルーム終わるわね」
律「えっ!?」
澪「? 先生、小テストっていってたんじゃ?」
律「ちっ…余計な事を」
さわ子「それがねえ、朝コピーしようと思ってテスト問題を机に置いといた筈なんだけど…どっかにいっちゃって」
澪「はぁ。そうなんですか」
律「さわちゃんらしいや」
唯「つまり、どういうこと?」
律「テストは犠牲になったのだ」
唯「やったー!」
さわ子「ほらそこ、騒がない。時間が無かったから印刷しなかっただけで、
データは豊崎先生が持ってるんだから、5限にちゃんと実施してもらいます。お楽しみに!」
唯「あうぅ」
休み時間。唯の教室。
憂「はいお姉ちゃん、お弁当。ごめんね、入れ忘れてて」
唯「ありがとう憂ー」
憂「みなさんなんだか忙しそうだねー。さすが上級生」
唯「それがさー、小テストがさわちゃんのおかげで中止になったのはいいんだけど…
数学の豊崎先生がせっかくだからって気合い入れてるらしくて、問題作りなおしてレベルアップしてるって噂なんだよー」
憂「ああ、それでみなさん」
唯「…どうしよう…せっかく昨日あんなに勉強したのに」
憂「あはは。…大丈夫、お姉ちゃんならきっとできるよ。…きっと、ね…」
律「うわーなんだよあの小テスト。ヤマ大外れ」
澪「しかたないだろ。データの保存のミスか何かで部分的に問題が消えちゃったらしいんだから。
それにあくまで部分的なんだから、結局そこは出て来たんだぞ」
律「出来ないところは捨ててるからいいんだけど、出来そうなところが出てこないから困るんだ」
澪「捨てるな。ところで唯はずいぶん嬉しそうだけど、自信あったのか?」
唯「なんか昨日勉強したところが全部でてきたんだー」
律「唯でも勉強するんだな」
唯「りっちゃんひどいー」
澪「まあホームルームまでに採点して返してくれるらしいしから…点、とれてると良いな」
唯「うん!」
律「あぅぅ」
しばらくした別の日。唯の教室で、ぬけがらのようになっている唯。
唯「ほーげー」
澪「唯が死んでる。まあ追試前に小テストでこの点数はきついだろうな。このところ調子よかったと思ったんだが…」
紬「唯ちゃん、ケーキは冷蔵庫に入れてるから明日でも食べられるし…がんばってね」
唯「あぅぅぅ…ムギちゃん…」
律「ウィルス入ってたあいなまのパソコン、治して調子よくなったからってテストまで調子よくならなくてもいいのにな。…うぅっ」
紬「り、りっちゃんの分もちゃんと残しておくから、ね?」
澪「それより問題は唯の追試だ。校内イベントでライブが迫ってるのに部活禁止にでもなったら…」
紬「ギターパートは編曲でなんとかなるんだけど…ボーカルはさすがに…」
律「梓も歌はだめだしなあ…」
澪「うん。ツインじゃないと無理だし、最悪曲の差し替えも考えないとな」
唯「そ、そんなぁ!?」
澪「冗談だよ。まあ、明日その冗談をしないためにも今日は唯の家で勉強会だな。大丈夫か?」
唯「う、うん。ありがとうみんな」
その夜。唯の家の玄関。
澪「これだけやれば明日はなんとかなるんじゃないかな」
紬「がんばってね唯ちゃん」
律「それじゃあな」
唯「みんなありがとー!」
その後憂の部屋。
憂「…お姉ちゃんまたギターの練習してる…明日追試だっていってたけど…大丈夫なのかな
翌朝の唯の部屋。
憂「お姉ちゃん起きて…起きてったら」
唯「うーん、うーいー。さっき寝た所なんだから…あと5時間だけ寝かせて」
憂「えぇっ!? お、お姉ちゃん…今日追試なんじゃないの!?」
唯「ふぇ…!? つい…し…!!」
憂「お姉ちゃん?」
唯「う、憂…ど、どうしよう…」
憂「どうしようって…お姉ちゃん?」
唯「…夜通しギターの練習やっちゃった…」
憂「ええぇ!?」
唯「今日追試で点がとれないと…けいおん部…くびになっちゃうかも…」
憂「そんな…」
唯「どうしよう…どうしよう憂…」
憂(どうしよう…校内LANの穴はそのままみたいだったけど、
お姉ちゃんの追試の範囲の教師用PCはまだ全部再攻略してないし、
ゼロデイで使える穴は先週のパッチで塞がれてるだろうし、その解析はまだ途中だし、
今からじゃフィッシングも間に合わないし、物理的なアタックはさわ子先生並に抜けてれば訳ないんだけど、
さすがに人数も多いし時間的余裕もない)
唯「…憂…あのね…お願いがあるんだけど…」
憂(と、とりあえずカフェインの錠剤を…致死量はどれくらいだっけ…)
唯「憂…私」
憂「!ご、ごめんなさいお姉ちゃん。よく聞いてなかった」
唯「…私の代わりに追試受けてくれない?」
憂「ええっ!?」
唯「ほ、ほら、いつだっけ、入れ替わってたくれてたらしいしさ…。
う、憂ならさ…勉強、良く見てくれるし…多分今の私がやるより、憂の方が…」
憂「…よ」
唯「…だめ、かな? …駄目だよね…やっぱり…」
憂「…いいよ。やってみる」
唯「憂…ありがとー!」
思わず抱きしめる唯。
憂「…お姉ちゃん…」
唯「…ぐー」
愛しげに唯の髪を撫でる。
憂「! いけない、遅刻しちゃう!」
夕方。唯の家。
憂(ふぅ。追試も部活も上手く行ったと思うんだけど、お姉ちゃん結局あのまま寝ちゃったんだろうなあ。
とりあえず先生に聞かれたときは風邪気味なんで行けたら行くと言ってましたってごまかしておいたけど…)
ドア「がちゃ」
憂「ただいまー」
リビングで唯が手を抑えてうずくまっている。床には点々と僅かに血痕。
憂「お…お姉ちゃん!?」
唯「う…憂? おかえり…」
憂「何があったの!? これ…まさか…強盗とか…!?」
唯「ふぇ? ち、ちがうよ…お料理してたら指切っちゃって…とりあえず包帯巻いたんだけど、なんかまた痛んできちゃって」
憂「電話してくれれば…ああ、手…。と、とりあえず今から病院行こう!」
唯「えぇー!?」
病院。から帰宅したリビング。沈んでいる唯。
唯「…どうしよう…」
憂「…ごめんねお姉ちゃん。私がちゃんとご飯を作っておかないから…」
唯「う、憂のせいじゃないよ。私が悪いんだよ…でも…」
憂「…筋を傷つけて全治1か月だなんて…」
唯「…ライブがあるのに…」
憂「…律先輩に電話かけてあげるね。指がそれじゃ難しいでしょ」
唯「憂…まって」
憂「?」
唯「…ライブまでもう日にちもないんだよ。…これ以上みんなに迷惑はかけられないし…」
憂「でも、それならなおさら早めに言っておかないと」
唯「憂、ボーカル…できるよね。カラオケ結構上手いし…もしかしたら…私よりも…」
憂「ど、どういうこ」
唯「憂…お願い。指が治る間だけでいいから…」
憂「お姉ちゃん…」
唯「私も頑張ってお弁当とかご飯とか作るしさ…唯の授業もちゃんと受けるよ。ノートも頑張ってとる。…だから…」
憂「…」
唯「だから…お願い…」
憂「…わかったよ。お姉ちゃんがそう望むんなら…いいよ」
唯「うーいー! ありがとう!」
憂「お、お姉ちゃん抱き付いたら指が…あぶないよ」
唯「でへへ。…じゃあ今から練習しよう! ね!」
憂「う、うん」
ライブ終了。
唯(憂凄いよ…ていうか…やりすぎ。
私でもここまで上手くできるかどうかわからないよ…多分…いや…かなり…うーん…絶対…無理…かも…)
律「ふぅ。今回のライブは大成功だったなー」
紬「唯ちゃん良かったわぁ。わたしのミスも上手くアレンジして流してくれたし。
…お昼の部ももしかしたらよろしくね」
梓「唯先輩このごろ教え方も上手ですしね。おかげで私も演奏に自信がつきました」
澪「追試も満点だったらしいし、唯最近いい感じで…あ、憂ちゃん来てるぞ」
憂「あ、おね…ういー。どうしたの?」
唯「う、うん。お弁当入れるの忘れちゃって。はい」
憂「ありがとー!」
いつも自分がやるような調子で抱きしめてくる憂に、思わず抱きしめかえす唯。
紬「まあまあまあまあ」
律「ほんと仲がいい姉妹だな」
梓「…あの、唯先輩、私ちょっと午後の曲で自信が無い所があるんで…お昼の後でいいんで教えてもらって良いですか?」
憂「そうなんだ。いいよーあずにゃん!」
唯のつもりで梓を抱きしめる憂。
梓「なっ…ゆ、唯先輩、憂もいるんですから…憂も」
澪(いつも思うんだが嫌なら抵抗すればいいのにな)
唯「…」
紬「あら? 憂ちゃん、指どうしたの?」
唯「ほえ? あ、ああ…えっと…ちょ、ちょっとお料理で…ケガしちゃって」
律「憂ちゃんでもケガするんだな。唯ならさもありなんだけど…。
おーい唯、いいかげん離してやれよ。ちゃちゃっと飯くって練習しようぜー」
紬「じゃあ憂ちゃん、お大事にね」
その夜。
憂「ただいまー」
唯「お、おかえり憂。ずいぶんおそかったねー」
憂「うん…。あの、お姉ちゃん、今日ね…」
唯「ご飯すぐ暖めるね。メールでもくれれば準備したんだけど」
憂「たまたま見てた音楽業界の人から声がかかってね…デビュー、してみないかって言われたの」
唯「えっ!?」
憂「上の人にも電話で聴かせてたらしくて…立派そうな人も何人かきちゃって。
…それでなかなか離してくれなくて…とにかく帰ってよく考えてお返事するっていったんだけど…」
唯「デビューって…凄い…み、みんなは!?」
憂「律さんと梓ちゃんはもうデビュー後のことしか考えてないみたいだし、
澪さんも紬さんも作詞作曲のブラッシュアップの話ばかり。
でも帰りにその人からそっと言われたんだけど…正直いって君の返事にかかってるって…」
唯「ほえ? それってどういう?」
憂「つまり、お姉ちゃんの演奏とボーカルが評価されてるんだよ。…嫌ならこの話はなかったことにするって」
唯「私の…」
憂「どうしよう、お姉ちゃん」
唯「…無理だよ…できないよ…」
憂「…わかった。律さんに電話するね」
唯「…まって」
憂「?」
唯「…みんな、武道館ライブが夢だったんだよ。でも、進路とか…現実が見えてきて…重くて…。
到底できるわけないって諦めて…私だってそうだった。ライブしてる時は最高に楽しいけど、でも…それだけ。
テレビで流れる曲を聴いただけでわかるんだよ。…私達には…私には…無理だってことが」
憂「お姉ちゃん…」
唯「…私には無理だけど…無理だろうけど…でも…憂なら…」
憂「え?」
唯「今日のライブ聴いてたよ。…良かったよ。憂だったら…きっとみんなを武道館に連れて行ける…」
憂「…お姉ちゃ」
唯「憂、もし嫌じゃなかったら…私の代わりに…私になってくれない?」
憂「…本当に、それでいいの?」
唯「うん」
憂「…わかった。本当にそう望むんなら…お姉ちゃんの望みは私の望み。今日から私がお姉ちゃんで、お姉ちゃんは私。
…私がお姉ちゃんの代わりに、完璧なお姉ちゃんを演じてあげる」
数年後。満員の観客を熱狂させた放課後ティータイムの武道館ライブが終わった。
律「ふぅ。今回のライブは大成功だったなー」
紬「唯ちゃん良かったわぁ。わたしのミスも上手くアレンジして流してくれたし」
梓「唯先輩このごろプレイでも上手ですしね。おかげで私も自分の身体に自信がつきました」
澪「梓お前は少し自重しろ…あ、憂ちゃん来たぞ」
唯「えへへ。お姉ちゃん、みなさん、お疲れさま。ライブ最高でした! お弁当つくってきたんで、良かったら食べて下さい」
憂「ありがとー憂ー! お腹ぺっこぺこなんだー」
律「いっただきまーす。憂ちゃんのはいつも美味しいからな。んーうまいうまい」
紬「あらあらまあまあ。このお菓子も美味しそう」
梓「ふん。まあ唯先輩には負けますけどね。プレイにしても料理にしてもほんと唯先輩は天才すぎますから」
澪「おい梓」
唯「うふふ。いいんですよ澪さん。姉より優れた妹なんて存在するわけないんだし、ね」
憂「…」
唯(…そう、存在してはいけないの。これでいいのよ、…お姉ちゃん)
fin.
最終更新:2010年06月01日 00:47