わたしはシャワーを浴びながら、これまでのことを思い返した。

事故のこと、わたしが平沢唯として生きてきたこと、軽音部のみんな、山中先生、和さん。

すべてのことが頭の中でつながっていった。




うなだれたこうべに、熱いお湯が降り注ぐ。体は温まっても、沈んだ気持ちはどうにもならない。




山中先生の言うとおり、わたしはお姉ちゃんの死を受け止めきれず、そこで自らを殺した。

とにかくお姉ちゃんさえ、平沢唯さえ生きてくれてさえいたら、それでよかったのだ。




姉の死を今、はっきりと認めざるをえなくなり、涙がこぼれた。

大粒の涙が顔を伝い、浴室のタイルへとゆっくり落ちていく。


和さんは始めから気づいていたのだ。

わたしが平沢唯の、偽者でしかないことに。

そして、わたしの異常な振る舞いにおびえ、距離をおいた。

それなら、あの態度にも納得がいく。それでもわたしのことを心配して、時折家に様子を見に来てくれてたのだろう。




そしてあの手紙…。あれも今ならすべての説明がつく。

あれを置いたのはわたしだ。姉を死なせてしまったことを許せないわたし自身が、

みずからを罰しようとして、あのような手紙やガラス片をもちいておどかしてきたのだ。


あの手紙に書かれた『罪』とは、平沢唯を守れないまま、のうのうと生きるわたしのことだったのだ。

なんという茶番だろう。姉の死を受け止めきれず、ましてや、その姉になりかわろうとするだなんて。



「お姉ちゃん……」
わたしはその場にうずくまり、大きく嗚咽をもらした。


暗い闇の中、わたしはひとりシーツにくるまり、ひざをかかえていた。

ここは平沢唯の―お姉ちゃんの部屋だ。

その隅でわたしは何をするでもなく、ぼーっとしていた。

カーテンを閉め切っているため、ほとんど明かりがない状態だ。

そのなかで、姉の使っていたギターが鈍い光を放っている。それをかき鳴らしていた人は、もういない。




どれくらいの時間がたったのだろう。もうずっと長いこと、こうしているような気がした。

何もする気がしない。姉を失ってしまった今、わたしには生きる理由が見つからなかった。

もう何もかもがどうでもいい。

いっそこのまま、死んでしまうのもいいかもしれない。

それが、お姉ちゃんを助けられなかったわたしへの罰だ。




目をつぶると、しだいに意識がまどろんでいき、静寂だけがそこに残った。


わたしは夢をみた。


そこは家のリビングで、お姉ちゃんが床のうえでごろごろしていた。

わたしはとなりで、その姿を笑顔で見つめている。

「うーいー。何か甘いもの食べたいな~」

「だめだよお姉ちゃん。今食べたら、夕飯が食べれなくなっちゃうよ?」

「え~たべたいよ~。ういー、おねが~い」

お姉ちゃんが抱きついてお願いしてくる。

「もーしょうがないな~」




結局わたしは、それをゆるしてしまう。いけないとはわかっていても、すぐに甘やかしてしまうのだ。

「おいしいー」

笑顔でアイスキャンディーをなめる姉。

わたしはこの笑顔に弱いのだ。



「ねえういー」

「なあに?お姉ちゃん」

アイスをなめおわったお姉ちゃんがわたしに話かける。

「憂は何かほしいものとかない?」

「ほしいもの?うーんとくにないかなぁ。お姉ちゃんがずっと元気でいてくれたら、わたしはそれで充分だよ」

「えー、それじゃ困るよ~。何がほしいか決めてくれないと」

お姉ちゃんが顔を曇らせる。



「どうして?何かあるの?」

「うん!憂の誕生日プレゼントだよ!」

ほこらしげな顔でそう告げる。


「えっ!?わたしの誕生日って二月だよ?ずいぶん気が早くない?」

「そんなことないよ~。こういうのは早いうちから決めとかないとね!わたしに何かあったら困るし」

突然お姉ちゃんが怖いことを言い出すので、わたしは不安になってしまう。

「そんなこと言わないでお姉ちゃん…」

「だいじょうぶだよ、ういー。それより何がほしい?」

「うーん。そうだなぁー。…じゃあ、歌とか歌ってくれれば、それでいいよ」

あまりいい案が思い浮かばなかったわたしは、無難なことを言ってしまう。

その答えにお姉ちゃんは不満そうな顔だ。

「え~、歌~?う~ん、憂がそう言うなら仕方ないか。わかった!楽しみにしててね!」

そう言ってお姉ちゃんは、顔をほころばせた。つられて、わたしも笑顔になる。




こんな幸せがずっと続いてくれればいい。そのほかにはもう、何もいらなかった。


そこでわたしは目を覚ました。

いつのまにか、眠ってしまったみたいだ。

目にたまった涙をぬぐう。ひどい夢だ。

もうお姉ちゃんはこの世にいないというのに…。




わたしは床から起き上がると、部屋を出た。

何をしようというわけでもない。とりあえず階段をおりて、洗面所へとむかう。

鏡の前に立つと、お姉ちゃんそっくりの、わたしの姿がそこにはあった。

姉の姿をだぶらせてしまい、思わず目に涙がにじむ。


「お姉ちゃん…」


そのときわたしは、あることが気にかかった。

洗濯機につっこんだままにしていた制服をとりだし、ポケットの中をまさぐる。

「これ……」

それは、前にお姉ちゃんの部屋で見つけたテープだった。

梓ちゃんが言ってたのと同じものなのだろうか。

いったい、何が録音してあるのだろう。

気になったわたしは、軽音部の人たちに悪いと思いつつ、それを聴いてみることにした。

二階にあがり、お姉ちゃんの部屋をあける。

「少しだけ借りるね、お姉ちゃん」

そう言ってわたしは、テープをCDラジカセの中に差し込んだ。



緊張にふるえる手で、再生ボタンを押す。



すると、カセットテープに特有のざらついた音が流れ出した。

だが、30秒くらいずっとその調子で、何も聴こえてこない。

何も録音されてないのだろうか。

わたしはなんだか空回りしたような気持ちになって、停止ボタンを押そうとした。

そのとき、急に声が聞こえてきたので、あわてて手を引っ込める。




なつかしい、お姉ちゃんの声だ。それに軽音部のみんなの声も聞こえる。


『ねえ~、これちゃんと録音できるのかなぁ?』

『大丈夫だよ。ちゃんと確認しただろ?』

『ねえりっちゃん、このラジカセ、ほんとにだいじょうぶ?』

『だーいじょぶだって。唯は心配症だなぁ。それより早くそれ読んじゃえよ。もう録音始まってるぞ?』

『わわっ!?そうだった!え~コホン!平沢憂どの!本日はお日柄もよくー…』

『唯先輩…。それじゃ結婚式です…』


『えー、だってこういう感じのしか思いつかなかったんだよ~あずにゃん。

う~ん、もういいや!今適当に考えちゃえ!

え~っと憂。お誕生日おめでとう!そしてありがとう!

憂にはいつも、お世話になりっぱなしだからね。駄目なお姉ちゃんでごめんね~。

でもでも、本当に憂には感謝してるんだよ!

だから今日は、こうして歌をテープに録って、憂にプレゼントすることにしました。

本当はもっといいものをあげたかったんだけど、結局思いつかなかったよぉ~。

ごめんね~憂。それとそれと、今軽音部のみんなが録音を手伝ってくれてます。

ほんとにありがたいよ~。憂もあとでみんなにお礼いっといてね!

えーと、あとは何かいうことあったかな?あ!!これからもずっとよろしくね!

お父さんとお母さんは忙しくて、あんまりうちにいれないけど、ふたりで仲良くやっていこうね!えーと、あとねあとね……』


『おい唯、そろそろ曲に入らないと、テープに収まりきらないぞ?』

『え?澪ちゃんそれほんと?じゃあしょうがないか…。とにかく憂!大好きだよ!じゃあ歌の録音を始めようか……あ!?』

『どうしたの唯ちゃん?』

『ギー太が…。ギー太の弦がさびちゃってる……』

『見せてください唯先輩。うわ…、これひどいですね。いったん楽器屋さんで調整してもらったほうがいいんじゃないでしょうか』

『え~!?じゃあ録音は?』

『それはちょっとの間お預けですね…。というか、唯先輩がいけないんですよ!
ちゃんと普段からギターをしっかりメンテナンスしてないから……大体……いつも……くどくどくどくど』

『うう…。あずにゃん今言わなくても…』

『ははっ。じゃあ今日はここまでだな。ムギ~、お茶の準備だ!おっと…録音を止めないとな』


テープの内容はそこまでしかなかった。

結局、歌を録音する機会がなかったのだろう。

それがすこし、抜けてるお姉ちゃんらしい感じがした。

ひさしぶりに聴く姉の声は、なんだかすごくなつかしくて、おもわず涙がこぼれる。






わたしは、テープを何度も何度も再生した。

「お姉ちゃん…。確かにプレゼント、受けとったよ…。本当にありがとう…」




冬も終わりを告げた三月の半ば、わたしは今お姉ちゃんの―平沢唯のお墓の前にいた。

空は青く晴れ渡り、風は春の到来を告げるようにやさしく吹いている。

わたしは姉の墓前に花束をそえて、そっと両手をあわせた。

元気だったころの姉を思い出す。

思い出の中のお姉ちゃんはずっと笑顔で、その愛らしい姿がありありと目に浮かぶ。




わたしは―平沢憂はあの事故の日、たしかに一度死んだ。



お姉ちゃんを失ってえぐれた心の傷は、そう簡単には消えそうにない。

だけど、お姉ちゃんからうけとった言葉が、笑顔が、今新たに私の中で、芽吹くのを感じていた。

最後に残されたそれを、わたしは大事にしていきたい。

そうすることが、お姉ちゃんからもらったプレゼントへの、せめてものお返しになればいいとわたしは思う。


今日はこのあと、梓ちゃんや純ちゃんと買い物に行く予定だった。

待ち合わせの時間まで、あと少ししかない。

「それじゃあお姉ちゃん、行ってくるね!」

わたしはそう告げると、二人の待つ場所へとかけだした。

どこまでも晴れ渡る空の下、あらたなつぼみが、花の咲き誇る季節が来るのを予感させた。




おしまい



最終更新:2010年06月01日 21:29