携帯電話の電源がつかなくなった。

その携帯電話は私のものではないけれど、私達の大切なものだった。

この電話が壊れたということはもう彼女はここにはいない。

それでも私は笑った。きっと彼女も笑っている。


あの日はとてつもなく暑い日だったことを私は覚えている。私はいつものように床をゴロゴロしながら妹の帰りを待っていた。

憂は梓と一緒に出かけていた。18時には帰るといっていたので、嘘でなければあと10分以内に帰ってくるだろう。

私は憂が買っておいてくれたアイスを冷凍庫から出そうとしてその手を止めた。あと2本しかなかったからだ。

唯「憂が帰ってきたら一緒に食べよう♪」

私はそう呟くとまた床に寝転がった。私と一緒にアイスを食べる憂はとてもかわいいのだ。私はそれを見ながら食べるアイスが大好きだ。


プルルルル...プルルルル...

家の電話が鳴っている。しばらく鳴ってから憂がいないから私が電話を取らなければならないことに気付き電話を取った。

その電話の内容を聞いた時から数時間後までをはっきりと思い出せない。気が付いたら私は病院の集中治療室前に両親と一緒にいた。

手術中と書かれた赤い光の消滅と両親の痛いほどの抱擁が私の意識を戻した時、私の妹はもうこの世にはいなかった。

憂の安らかな寝顔を見ながら私は何も言えなかった。

今にも起き上がって「お姉ちゃん、アイスだよ~♪」と私に冷蔵庫からアイスを取り出してくれるんじゃないか。そんな気がした。



私は憂を撥ねた車の運転手を責めなかった。責めることができなかった。

憂は自転車でかなりのスピードを出していて横道から飛び出してきた子供を避けるためにバランスを崩し、大通りに飛び出してしまったらしい。

そこを丁度走っていた車に撥ねられたのだ。車はスピード違反をしていなかったが、憂がスピードを出していたため衝撃は大きかったようだ。

憂がスピードを出していた理由は私との約束を守るため。18時に帰るという約束。憂は私が殺したのだ。私はそう思った。

それから私は家から出なくなった。軽音部の皆が毎日私を訪ねてきてくれたが、私は憂の葬式以来、彼女らと顔を合わせていないまま20日が過ぎた。学校も休んだ。

もしかしたら憂は帰ってきてくれるんじゃないか。憂は今まで私のお願い事はなんでも叶えてくれた。私は待った。

唯「憂...アイスが食べたいな。一緒に食べようよ...。」



……

私は姉の願いを叶えたかった。

今すぐ冷凍庫からアイスを出して大好きな姉と一緒にアイスを食べたかった。

憂「私もお姉ちゃんと一緒にアイス食べたいな。」

死後の世界は死んでみないと分からないと思っていた。

しかし死んでみても分からないことだらけである。

死んでから49日間は魂がさまよい続けるという話は有名だし、私は現にさまよっている。

しかしさまよっている他の魂を私はまだ見ていないし、49日というのも本当かどうかわからない。

私のお姉ちゃんは私が死んだ後、きらきらした瞳を失ってしまったように思える。


大事にしているギー太にも触れていない。

お姉ちゃんが私の事をどれだけ思ってくれていたのか、ここ20日間近く姉の行動を見て実感した。

私はもういないのに、私の名を呼んでいる。

ずっと話しかけてくれている。

私も姉の背後から話しかけてみる。

憂「私はここにいるよ、お姉ちゃん...。」


私はポケットから携帯電話を取り出した。

死んだとき持っていた服装と持ち物はどうやら体の一部となっているようだ。

憂「私のことを思ってくれるのは嬉しいけど私はお姉ちゃんが心配だよ...。部活の皆も毎日会いに来てくれてるのに出て行かないし、学祭だってもうすぐなのに...。」

私はお姉ちゃんにメールを打った。

いかに心配であるかを伝える文章を打った。

しかし、メールは送信されず、未送信BOXに埋まるだけだった。

憂「私がお姉ちゃんをこんなに悲しませてしまったんだ。ギー太を一生懸命に、楽しそうに弾いているお姉ちゃんを奪ったのは私だ...。」



……

数日後

今日もすごくいい天気だ。

あの日もこんな天気だったなと私は思い出していた。

憂は私を恨んでいないだろうか。

毎日私はわがままばかり言って憂を困らせていたのではないだろうか。

あの日だって私との約束がなければ事故に遭うこともなかったのではないか。

唯「憂...ごめんね...。」

私は今日も憂の部屋に入る。


机の上には憂が事故当時持っていた携帯電話が置いてあった。

私はそれを手に取り、開いた。

唯「憂って私かあずにゃんとしかメールしてないじゃん。」

ふと、未送信BOXを開いた。

私宛のメールばかりある。

私はそれの一番上にあるものを開いた。


唯「私のこと心配してる内容だ...。私のこと元気付けてくれるつもりだったのかな?」

唯「あれ、そういえば私ギー太を練習しなかったことってあったっけ...?」

唯「私がお姉ちゃんを悲しませているって書いてあるけど唯が私を悲しませたことなんてあったかな...?これいつのメール...え?今...?そんなことって...。」

そこに書いてあったのは憂の死後の私の行動を憂が心配しているといった内容だった。


憂が私のことを恨んでいないこと。

閉じこもっていないで前のように明るい私で居る事を心から望んでいてくれていること。

ギー太を弾いている時の私がとても輝いていること。

私のわがままを迷惑だなんて思って居なかったこと。

唯「憂...そこにいるのね...。ずっと居てくれたのね...。」

その瞬間、私は確かに憂の温もりを感じた。


唯「私、もう憂に心配はかけないよ...。」

私は学校へ向かった。外に出た時にくらっとした。

しばらく外に出ていなかったからだろう。

授業はもう終わっている時間だった。

私は音楽室へ向かった。

扉を開けると時が止まったかのようだった。


皆の視線が私に集まっている。

4人とも私の言葉を待っているようだった。

唯「ムギちゃん!今日のお菓子はなぁに?」

4人は唖然とした顔で見詰め合った後笑った。私も笑っていた。

憂も隣で笑っているだろう。私は何故かそう確信した。



……

あれからお姉ちゃんは変わった。

掃除、洗濯、炊事を自分でするようになった。

私がいないからやらざるを得ないといった風ではない。

毎日少しだが机に向かう時間を作っている。

それ以外の時間はギー太を弾いている。

3週間以上のブランクを取り戻して更に上手くなった。

学祭まであと1週間。


お姉ちゃんに携帯を通じて気持ちが伝わって以来、私は携帯を使ってお姉ちゃんに話し掛けるのをやめた。

今のお姉ちゃんに私の存在はもう不要なのだ。私はただ見守るだけ。

でもお姉ちゃんは一人になると私に話しかけてくれる。

もちろん私は聞いているだけ。だけどとても心地いい。

お姉ちゃんはいつでも私に心の安らぎをくれる。

憂「お姉ちゃん、やっぱりすごいや...。」



……

私は憂の気持ちを知ってから憂が今までしてくれていたことをしてみようと思った。

そうすればきっと憂が安心してくれると思ったからだ。

勉強も家事も炊事も洗濯も、やれば憂が微笑んでくれる。そんな気がした。

それが原動力となり、私を動かした。

唯「もうすぐ学祭なんだ。憂、絶対きてね。お姉ちゃんライブやるんだよ。」

私は憂に話し掛けると隣で憂が頷いた気がした。



━━━学園祭当日━━━

「これより軽音楽部、放課後ティータイムによる、ライブを開始します!」

アナウンスとともに歓声が上がる。

律「1,2,3...」

演奏が始まった。私は体育館の一番後ろから見ていた。

憂「お姉ちゃん、すごくかっこいいよ...。」

ギー太と一緒に音を奏でるお姉ちゃんの姿は力強かった。

唯「もう私は大丈夫。心配しなくていいんだよ、憂。」

そう言われている気がした。




唯「楽しかったー!」

私は伸びをした。

唯「憂は来てくれたかな?ううん、来てたよ、絶対。」

私は憂の未練を取り除くことができたのだろうか。

もう私は一人でも大丈夫だよ、そういう意思表示を音に込めたつもりだった。


私は久しぶりに憂の部屋に入った。

そこには先日、ふたりの想いを繋いだ携帯電話があの時のまま机の上に置いてあった。

私は携帯電話を手に取り、開いた。

その携帯電話はもう何をしても動くことはなかった。

唯「ちゃんと、届いたんだね。私の演奏。」

~Fin~



最終更新:2010年06月19日 22:38