声のした方向を見ようとしたが、中野の両手が私の顔を固定したため、叶わなかった。
声の主が誰かは、見なくても分かった。
純「あずさー!何憂にキスしようとしてんの!?」
なるほど。確かにキスしようとしている風に見えるな。
砂利を踏む音が近づいてくる。
梓「ち、ちがうよ!」
純「何が違う!?」
梓「とにかく違う!」
夕焼けに顔を赤く染めた二人が怒鳴りあった。
なんてことはない、見慣れつつある光景だった。
純「梓、私が必死で憂のために本屋漁りをしている間にあんたはっ……!」
梓「わ、私だって必死に憂を慰めてたんだもん!」
憂「あの……」
純「だいたいこの前も……!」
梓「この前っていつ!?」
不毛な争いは永遠に続きそうだった。私は二人のほっぺを同時に引っ張った。
純「いっ!?」
梓「だっ!?」
あっさり争いは集結した。その代わりに二人のジトッとした視線が私を睨みつける。
憂「……」
梓「……」
純「……」
憂「……」
梓「……ふっ」
純「……ぷっ」
梓「……ふふふ、あははははは」
純「はは、ははは、ダメお腹いたいいっはははははははははは」
ひっそりと眠ろうとしている太陽を呼び起こさんばかりの、笑い声が中野と鈴木の間から沸き上がった。
先程まで漂っていた雰囲気はどこ吹く風で、今は二人ともお腹を抱えている。
憂「……」
不思議だ。なんでこんなにも感情がころころ変わるんだろう。
……っと思ったあたりで自分も人のことを言えないことに気がつく。
笑い転げる二人は一向に、納まる気配がない。
しばらく私はそんな愉快でやかましい光景を眺めていた。
純「というわけで、これより作戦の説明に入ります!」
二人の笑い声が止んだのはすっかり太陽が山に隠れてしまった頃だった。
そして、すっかり暗くなった今現在。
仁王立ちし鈴木は、私にビシッと指を差した。
……今度は何だろう?
憂「作戦ってなに?」
純「決まってるじゃん。憂と憂のお姉ちゃん、唯先輩をくっつける作戦だよ」
私の質問に対してのいらえは見当もつかないものだった。
憂「はい?」
梓「もう一度言うよ。憂と唯先輩をくっつける作戦だよ」
憂「それは分かる」
……ていうか、私とお姉ちゃんの禁断の恋に一番反対したのは、
中野梓、お前だろうが。
私の考えを見抜いたのか、中野は少しだけバツの悪そうな顔をした。
梓「ま、まあ何?気が変わったっていうのかな?とにかくチキンの憂のために私は協力するのっ」
憂「そ、そう」
純「まあまあ、梓も落ち着きなよ」
梓「ごめん、純」
純「まあ、さっそく作戦について説明するね」
鈴木純の作戦の内容は、こうだ。
まず、美味しいご飯を作る。
純「私はここんとこ、ずっと色んな本屋や図書館を漁っていたわけ」
なんでも、恋愛必勝方なる本を探していたらしい。しかも、近親相姦で同性愛の。
純「まあ、見つからなかったんだけど」
そこで、ノーマルの方面での恋愛必勝の本を探したらしい。
純「まあ、探したら何冊か該当するものが見つかった」
そしてそれらの本の美味しい部分をまとめて作戦を組み立てた。
純「ちなみにどうして美味しいご飯が必要なのかと言うと……」
美味しいご飯によって相手の気分をよくするのが狙いらしい。
純「まあ、純の腕前ならここは余裕でしょ」
そして、次は私自身の問題の克服だった。
純「チキンの憂、平沢チキンのチキン対策」
平沢チキン言うな。
純「それは、できる限りお姉ちゃんに告白することを色んな人に知らせておく」
そうすることで、自分を追い詰め、同時に奮い立たせる。
これは恋愛だけではなく、自分の目標を達成する上で実に有効な手段らしい。
背水の陣。
純「ちなみに梓に協力してもらって唯先輩の知り合いという知り合い全員に
今週末、憂がお姉ちゃんに告白することを伝えておいた。つまりもう逃げられな――フガッ!?」
そこまで言ったあたりで、鈴木の両方の鼻の穴に指フックしてやった。
純「その……すんませんでした」
広がる夜空の下、土下座している女子高生がいた。
鈴木純だった。
純「いやそのですね……私なりに真剣に考えた結果、このような所業に至ったわけです、はい」
梓「もう、だから私は反対したのに純ったら……」
とりあえず、悪びれもしないで責任の一切合財を鈴木純に押し付けようとしている中野梓にも謝らせた。
結局、お馬鹿が企てたお馬鹿な作戦は却下した。
純「いいもん。次こそは必ず憂をギャフンと言わせるような作戦を考えてやるんだからっ」
これは去り際、私に置いてった鈴木の捨て台詞である。
まさに完璧に本来の目標を忘れた馬鹿の台詞である。
ちなみに中野には、私がお姉ちゃんに告白するということを
伝えた人間、漏れなく全員に実は嘘でした、というように伝えるように義務づけた。明日中に。
そして。
憂「……」
梓「……」
耳が疼くかのような静寂の中、私と中野梓は二人してベンチに腰をかけていた。
憂「……」
何か言わなければいけない。
そう思ったから、私はこうして隣で座っている彼女に残ってもらったのに。
いざ、話そうとすると、言葉は詰まったかのように出てこない。
静寂を破ったのは、中野の声だった。
梓「あのね、純は決して悪気があったわけじゃないんだ」
憂「うん、知ってる」
たぶん、一生懸命あの作戦を考えてくれたんだろうというのは、分かった。
私とお姉ちゃんをくっつけるために。
私はそう確信していた。根拠は無いけれど。不思議とは思わなかった。
憂「一つ聞いていい?」
鈴木の作戦を聞いてからずっと気になっていたこと。それをたずねた。
憂「どうして私の恋愛に反対してたのに、今になって協力しようと思ったの?」
出てきた言葉は、表面上は辛辣だったが、自分でも驚くほど声は穏やかだった。
梓「憂と唯先輩見てて、二人の共通点を見つけた」
憂「共通点?」
梓「何だと思う?」
暗闇の中でも、中野が悪戯っ子のような微笑を浮かべているのが窺えた。
憂「共通点……」
梓「残り五秒……三、二、一、ゼロ。はい、終了。答えは……」
少しだけ間を置いて、中野は答えた。
梓「お互いがお互いのことを好きってことだよ」
憂「!」
それじゃあ両想いじゃん。
梓「言っとくけど、憂と唯先輩の想いは少し違うと思うよ」
憂「違う?」
梓「憂のは本当に恋愛感情だけど、唯先輩のは妹愛って感じ」
憂「どうしてそんなことが分かるの?」
言わずもがな、私の方がお姉ちゃんとの付き合いは長い。
梓「分かるよ。というか分からない方がおかしいよ。
だって憂は全然喋らないのに、口を開いたらお姉ちゃんのことばっかだし」
憂「……」
梓「唯先輩はよく喋るけど、その半分くらいが憂の自慢なんだもん」
憂「お姉ちゃんが私のことを?」
梓「うん、しょっちゅう話してるよ」
ヤバい。顔がニヤケそうだ。いや、もしかしてもうニヤケてる?
……よかった、真っ暗で。こんな顔誰にも見せたくない。
梓「……もしかして、憂笑ってる?」
憂「……」
ワラッテナイヨ。
梓「笑ってるでしょ!?憂の笑った顔見たい!ちょっと携帯だすから待ってて!」
憂「いや」
梓「少しだけだからっ」
憂「絶対にいや」
梓「じゃあ写真だけ!」
憂「もっといや」
ていうか、私が笑うのってそんなに珍しいのか?
しばらくの間、私と中野は私の笑顔を巡って取っ組み合いするハメになった。
もちろん、最後に勝ったのは私だった。
梓「オホン、ええ、というわけで、さすがに夜も遅いし、親が心配するんで帰ります……」
肩で息をする中野は酷く苦しそうだった。
憂「そうだね……」
しかし、肩で息をしているのは私も同じだった。残念ながら
平沢憂は持久力はあまり高くない。
梓「……憂、そういえば時間大丈夫?とっくに唯先輩帰ってくる時間でしょ?」
憂「!」
しまった……!
まさか、お姉ちゃん好き好き大好きラビューな私が、お姉ちゃんのことを失念するなんて。
私は中野のことなど、さっそく放置して全力ダッシュした。
梓「うーいー!」
それでも。
そんな風に呼ばれて、私は思わず立ち止まって振り返ってしまった。
梓「また明日ー!」
大きな声を出すのが、恥ずかしい私は――思いっきり声のした方向に手を振った。
家に帰るまでの道のり。
途中で私はコンビニで一冊、新たにノートを購入した。
今日からもう一つつける日記を増やそうと思う。
――二ヶ月後
さんさんと輝く太陽は夏を象徴するかのように鋭く、思わず目を細める。
高校生になってようやく迎えた夏休み。
今日は、初めて梓ちゃんとお出かけする。
……純ちゃんは夏休み早々、夏風邪に見舞われた。近いうちにお見舞いに行こうと思っている。
憂「……にしても遅い」
既に待ち合わせ時間から、十分以上が経過していた。
高校生になってまだ四ヶ月も経ってないけれど、
そのたった百二十日の間に私は今までしたことのなかった色々な経験をして、様々なことを学んだ。
そして、色々と変わった。
前よりも少し明るくなった。
相変わらず、人見知りでシャイな部分は変わらないし、お姉ちゃんラブなままだけど。
ちなみにお姉ちゃんとの関係については、特に変化していない。
現状維持、と言えば聞こえは良いものの、要は私が何のアクションも起こしていないにすぎない。
でも、まあ今はそれでいいって思ってる。
そして、私の性格にある意味でもっとも強い影響を与えた純ちゃん。
純ちゃん。
マリモ女でもカニ女でもなければ、鈴木でもない――純ちゃん。
いつからこんな風に呼ぶようになったのかと言えば、
まあ……きちんとしたエピソードがこれにはあるのだけど、恥ずかしいからカット。
何でもかんでもは教えない。
……大事な思い出でもあるし。
うん、でもこれだけは言っておきたい。純ちゃんには本当に感謝している。
純ちゃんが言ってくれたあの言葉。
――誰かのことを思って不安になったり、誰かのことを思い、心配したりするのは――優しくなきゃできないじゃん
憂。
嫌いで嫌いで、仕方なかった名前は、今ではそれなりに気に入ってる。
素敵な友達が素敵な由来を教えてくれたことだし。
これからもこの、憂、って名前は大事にしよう。
そして、今、私が待っている梓ちゃん。
この女の子が今思うと、全ての始まりだった。
全ての始まり、はちょっと格好つけすぎかもしれないけど。
それでも、私が変わるきっかけを作ったのは間違いなく梓ちゃんに他ならない。
勝手に人のノートを見て笑い出したり、私の秘密をカミングアウトしまくっちゃたりしたこともあったけど。
でもやっぱり、心の優しいイイ娘だと思う。
梓ちゃん。
今思うと、私もずいぶんと梓ちゃんに酷いことを言ってたなと思う。心の中とはいえ。
ゴキブリ女に猫娘……それが今では梓ちゃんだから世の中は本当に不思議。
二人のかけがえのない友達のおかげで私は変わることができた。
本当にありがとう。
そして、いつまでもお友達でいてください。
……なんて、そんなことを言うのはまだまだ今の私には無理。
でもこの気持ちは絶対に二人に届けたいと思う。
ううん、届けてみせる。
いつになるかは分からないけど。
私を変えてくれた、私の素敵で大切で大好きな友達に。
この気持ちを伝えよう。
不意に風邪が吹いて、私の髪が少しだけ揺れる。
振り返ってガラス張りのハンバーガー店を見た。
正確にはハンバーガー店ではなく、ガラスに映った自分を見て、髪型のチェック。
他の人にとってはどうでもいい場所だろうけど、ここは初めて三人で来た記念の場所。
そして、このハンバーガー店に新しい記念が今日できた。
梓ちゃんと初のお出かけの集合場所。
「うーいー!」
聞き慣れた声がして、私は振り返る。
笑顔の梓ちゃんが、手を振って走っているのが、遠目からでも分かった。
憂「梓ちゃん、おそいよー!」
私は梓ちゃに届くように、
そして夏の日差しに負けないくらいの笑顔で思いっきり大きな声を出して、梓ちゃんに手を振った。
おしまい
最終更新:2010年06月22日 23:22