今日も今日とてけいおん部へ足を運ぶ。活動なんて大したものじゃあない。
 することといえばお決まりの、ティータイムと、そして生温い馴れ合いと……アホの唯に抱きつかれること。
 そこまで考えて、梓はため息を吐いた。


「こんにち……わあ」

 来るなりこれかよ、まいっちゃうぜ。

 目の前の惨状を見て梓は思った。
 割れたティーカップの散らばる足下をぐっちょり濡らして固まっている澪と、床を慌てて拭いている紬と。
 どっちを手伝うべきかなんてのはどうでもいい。とりあえず顔の引き攣りを治すことが先決だ。

 いかにも驚いたかのようにあわあわと小さくステップを踏んでいると、紬から手招きされた。

「ああ、いいところに来てくれたわ梓ちゃん。ちょっと澪ちゃん拭くの手伝ってくれないかしら」
「はい」

 招かれるままに、とてとてと走る。
 膝から下だけを細かく素早く動かすことがコツだ。一生懸命に走っているように見せかけることが重要である。
 まじでめんどくせえー管轄外だよ時間外労働だよ勘弁しろ、なんて表情は決して見せてはならない。

 おおかた唯と律がふざけているところを澪が注意して、こんなことになったのだろう。
 全校生徒のための音楽室をなんだと思っているのか。そもそも部活動の時間なのに。
 全く以って言語道断である。

 梓は誰にも聞こえぬように小さく舌打ちをした。

 どうせこれをきれいにしたところで、また帰り際あたりに何か起きるような気がする。
 そう思うと本当にかったるい。
 誤ってカップの欠片で手を切った振りでもしようか、そうすれば保健室にでも行って今日のけいおん部には参加しなくて済む、
 等と考えるが、たとえ小さな傷でも怪我をするのは嫌なので止めた。

 それに、こいつらのことだ、怪我したなんて言ったら必要以上に大騒ぎしかねない。恥をかくのはごめんだ。


 やっと作業が終わる。
 澪のほうもどうにかショックから立ち直ったようだった。
 紬が梓の頭を撫で、言った。

「ありがとう、お疲れさま」

 すると唯と律がぴょんぴょん飛び跳ねながら文句を言う。

「ずるーい、梓だけー」
「ムギちゃん、わたしらも頑張ったよー」
「おまえらが原因だろが! たく、梓ごめんな」

 梓は二人を怒鳴りつける澪のほうを向き、かわいらしくにっこりと笑う。
 今日はこれで終わればいいが。


すると、背後でガッシャアーン、と不吉な音がした。思わずぞっとする。
 いや、しかし、唯と律は目の前にいる。

 梓は意を決して振り向いた。

「せん、せい……」

 くそが、やってくれやがった。
 口に出してしまいそうなのを寸でのところで止め、肩を震わす。

 梓の目に映ったものは、他でもないけいおん部顧問の二重人格教師山中さわ子と、見事なまでに粉々に割れたティーポットだった。



「あーもうなにやってるんですか先生」

 澪が少しイライラした調子で言った。隣で紬も項垂れている。
 アホの二人は口をあんぐりと開けさわ子を見ている。さわ子はエヘヘと頭を掻いて笑った。

「ごめんねー、お茶飲みに来たんだけど面倒そうなことしてたから、ばれないで茶だけいただこうかと。
 それでうっかり」

 ごめんで済むなら奉行所はいらねえ。誰かこいつを更迭しろ、リコールしろ。大自然へとクーリングオフしてくれ。
 乾いた笑いが起こる中、梓は心の中で叫んだ。


 結局、夕方から始まった作業はあれからまた色々起こって部活終了にまで及んだ。
 何度か脱する方法も考えたが、なんだかんだで最後まで真面目に作業していた自分に、梓は心の中で拍手を送った。

「お疲れー……」
「ういーす……」

 覇気の無い挨拶でけいおん部が終わる。
 みんなが帰ろうとする中、唯がかむかむと手招きしているのに気付いて、律と紬が駆け寄った。
 梓ものろのろと歩み寄る。


「あずにゃんも来てー」
「なんすか?」
「ほら」

 唯の手から放たれたものは、きらきらした飴細工だった。

「べっこう飴だよー」
「これが?」
「うん。昨日憂と一緒に作ったんだぁ」

 色とりどりのべっこう飴が、ひとつずつ配られる。
 糖は疲れたときいいらしいぞ、梓、最近疲れてるみたいだからよかったな。
 そう言いながら、澪が唯から手渡されただいだい色のべっこう飴を梓に放った。

「ありがとう、ございます……」

 はて、自分がこの色が好きだと、唯に言ったことはあっただろうか。
 梓が考えていると、ついと袖を引かれた。紬だった。

「それ食べるのは後でね。早く出ないと校門閉まっちゃうわ」
「は、はい……!」


 唯と律が「はやくはやくー」と手を振っている。
 澪が「お前らはどうせのろのろして遅いんだから先行ってろよ」とからかうように言った。
 さわ子が納得するように頷いたのを見て、二人が反論の声を上げる。

 ああもう。そんなことしてたら本当に校門閉まっちゃうじゃないか。

「梓まで笑うなよー」

 言われて、はっとした。
 私は、笑っていたのか。

「ほら行くぞ」

 律に手を引かれ、足を急がせた。


 家に帰って、布団に身を投げ出す。
 今日は金曜日。また来週には、けいおん部に行かくてはならない。
 トラブルに巻き込まれなければならない。そう思うとげんなりする。まじたるい、ほんっとなんで私が。

 梓はべっこう飴を口に放り込んだ。甘い。

「なに食べてんの?」
「んむ、」

 泊まりに来ていた憂が、顔を覗き込む。
 思わず喉を詰まらせそうになった。


「ちょっと、いきなり近づかないでよ。どっかのアホに似た顔してさ。
 べっこう飴だよ。さっきもらったの」
「ふうん。お姉ちゃんに?」

 前半は聞こえなかった、というふうに憂が首を振る。

「そうだよ。……ていうか憂でしょ、この色」
「違うよ、お姉ちゃんだよ。食紅いっぱい買って嬉しそうにさ、“この色はあずにゃんのー”て」
「……」

 押し黙る。
 流されてはだめだ。こんなの映画のジャイアンの欠片みたいなものだ。
 私の被った被害はこんなものでは消されない、と梓は心の中で強く繰り返す。


「いいね、けいおん部は。みんな優しくて」
「はー」

 梓がため息のポーズをとると、憂が少しにやにやしながら言った。

「梓ちゃん、けいおん部好きだもんね」
「……まあね」

 自虐で言ったつもりだった。
 けれど、憂にはそれがわからなかったようだ。にんまりと笑って、そっかそっかと嬉しそうに言った。




……好きなもんか、好きなもんかドちくしょう。



終わり



最終更新:2010年07月11日 17:36