再び私は眠りについた、しかし今度はあの淡い夢は見ない。私の脳裏には何も映らない、見えない。ただの暗闇、それだけが永遠と広がっていた。
これは、ミュージシャンバンドにおいて全ての破壊、そう解散を意味しているのかも知れない。そんな事を思った瞬間、私は眠りから現実へと引き戻された。
「……、着信音?軽音部の皆は拒否してあるのになんで」
私は必死に手を伸ばして、携帯電話を掴む。ディスプレイには見た事も無い番号が表示されており、少し悩んだ末に私は電話に出る事にした。
私の耳には憂ちゃんの声が聞こえてくる。私の状態を知らないのだろうか、何一つ邪気の無いその声は酷く懐かしい感じがした。
「お姉ちゃんがまだ帰って無いんです。私心配になって、澪さん何か知らないですか?」
受話器からは先程どうって変わって、酷く緊迫した様子が伝わってきた。
「し、知らない……。分からないよ、ゴメン」
「そうですか…?最近お姉ちゃん、なんだか元気が無かったから、心配で」
「律達には言ったのか?もしかして一緒に遊びに言ってるだけかも」
「律さん達も知らないって……。今手分けをして探すのを手伝ってくれてるんです」
「そうなのか……」
私はその後一言二言、言葉を交わすと通話を切り、毛布に丸まる。考えなくとも原因は私にあるのは火を見るよりも明らかだ。もしかすると最悪の事態になっているかもしれない。
「でも……、だからって私に何が出来るって言うんだよ」
唯にあんな事をしてどんな顔をすればいい?律や梓にどんな顔をすればいい?私には何も出来ないんだ、自分にそう言い聞かせる事しか今の私には出来なかった。
再び気が付いた私は、繁華街を力の限り走っていた。着の身着のまま、息が切れそうになりながらも必死に。まるでその姿は友達を、唯を必死に探す軽音部の一員かの様だった。
「な、なんだよこの滑稽な夢は…。私がこんな夢を見る資格なんか無いよ、早く覚めてくれよ!」
だが、私の思いとは裏腹にその夢は全く覚める気配は無い。
止めてくれ…、身体だって限界じゃないか、苦しいよ。皆私の姿を見て笑っているじゃないか、恥かしいよ。
けれども、夢は覚めなかった。むしろ身体が熱を持って、まるで現実かの様に私に訴える。
その出来事に戸惑った私は足を絡ませ地面に倒れ込んでしまう。
「痛いっ!なんで覚めないんだよ。……血が出てる、まさかこれって」
私は気付く、これは夢なんかじゃない。確かな現実だと言う事に。夢だと、言い訳をしてまで探し続けている惨めな私に。
「唯……、一体どこにいるんだ」
携帯に電話をするも、電源が入っていない事に苛立ちを覚える。しかし、すぐさま自分の携帯の事を思い出し苦笑する。
「仕方ない、行ける所まで行ってみるか!」
私は髪をかき上げ、後ろでまとめる。他人の目なんか気にしてられない、悲鳴をあげる胃に気にしてなんかられない。ただ、ひたすらに走り続けた。
それが唯に対するただ一つの贖罪の様に思えて。
目の前がクラクラし、心臓の鼓動が激し波打つ。額から止めど無くあふれ落ちる汗を袖で拭うと私は立ち止まり肩で息をする。
やはり、思うだけではそう簡単に見つからない様で、私は弱々しく周りを見渡した。
「ミュートレショップか……」
目についた看板は私が初めてミュージシャントレーディングカードを買った楽器店だった。いつの間にか無意識にここまで足を運んでしまっていたようだ。
「ここから全てが始まったんだな……、何気無く買ったカードがフェンダー・ジャズベースで。律は変な被り物したインディーズカードで悔しがってたっけ」
想い出に吸い込まれる様に、私は目の前の楽器店に足を運んだ。そして、カードが展示されているショーケースに近付こうとした時、ふと見覚えのある後ろ姿を見つけた。
「おい、唯!お前こんな所で何やってるんだよ」
私はいてもたってもいられなくなり、急いでその肩を叩く。一瞬ビクリと身体を震わせると、ゆっくりとこちらを振り向き始めた。
「み、みおちゃぁ……、ぎゃああぁああぁぁッ!!」
私に向き直った瞬間に、口から耳をつんざく様な悲鳴を吐き出し、私は思わず尻餅を付く。
「お、おい唯、いきなり大きな声を出すなよ!ビックリするじゃないか」
「あはは…、ゴメンね。だって澪ちゃんの顔が」
「顔って……。うわっ酷いなこれは」
涙で真っ赤になったであろう目を細めて、唯は私を見つめて笑い続けた。その笑顔を眺めながら、私は全身の力が抜けていくのを感じていた。
「それよりも済まなかったな、唯。私はなんて酷い事を……」
「ううん、いいよ。だって恥かしがりやの澪ちゃんがそんな格好で私を探しに来てくれたんでしょ?」
「…それはそうだけど。本当にいいのか、私のやった事は簡単に許される事じゃ」
「少なくとも私は簡単に許せるよ。だって同じ軽音部、ううん友達じゃない!」
「ゆ、唯ありがとう……」
私は周りの目も気にせずに唯に抱き付く。唯はそれを拒む事なく温かに受け入れてくれた。
「でもどうしてこんな所にいたんだ?憂ちゃん達も見つからないわけだよ」
そう質問すると一枚のカードをポケットから差し出して私に見せた。
「これは…、唯のカバンに付いてたエリックのカードじゃないか。まさか!?」
「うん、そのまさか。でも澪ちゃんがミュートレを買う為のお金じゃないよ。売っちゃったエリザベスを買い戻す為に、それならこのカードを手放す覚悟が出来たの」
「私のジャズベース…、エリザベスを買い戻す為?」
「そうしたら澪ちゃんも軽音部に戻ってくれるでしょ?だったらこんなに嬉しい事は無いよ!」
「ば、馬鹿!これ以上唯に迷惑を掛けられるか、元はといえば私が」
「だったら約束してくれるかな?必ず軽音部に戻ってくれるって」
「や、約束する!ベースが無くても、律が反対しても!もうあんな思いはしたくないんだ」
「そっか…、良かった。さようなら、私のエリック・クラプトン」
唯は歌う様にそう呟き、大事そうに手にしていたミュートレを二つに裂いた。
「お前っ!?何をするんだよ、それはお前の大事なミュートレじゃなかったのか」
私は慌て唯の破り捨てたカードを見る。しかし、唯は静かに私の顔を見つめていた。
「大事だったけど……、それよりも澪ちゃんや軽音部の皆の方が大事だもん!皆と一緒にいられるだけならミュートレなんか要らないよ」
「唯……、そうだなミュートレなんかよりも大事な物、絶対無くしちゃいけない物。こんなに身近にあったのに、今になって気付くなんて」
「やっと気付いたのかよ。ったく、遅すぎるんだよ澪は」
声のした方向に振り返ると、そこには律と紬。そして梓と軽音部の皆が佇んでいた。
「どうして、お前達がここにいるんだ!?」
「ふふっ、澪ちゃんのその格好で走り回ってたら直ぐに気付くわよ。凄い寝癖じゃない」
ムギに指摘されるまでも無く、ショーケースのガラスで自分の姿を確認していた私は恥ずかしさの余り俯く。
「全く、見てるこっちが恥かしくなるぜ。……ほら、受け取れ!」
律が身体を捻り、手裏剣の様に何かを私に投げ付ける。慌て飛んで来たソレを掴かみ取ると手を開き目を通す。
それはミュートレ、1989年のNHK紅白歌合戦でのピンクレディ再結成カードだった。
「再結成カード……、律これって?」
「なーに驚いた顔してんだよ。解散カードと再結成カードはワンセットで使うのがセオリーだろう。私と澪の腐れ縁はそう簡単に解散なんて出来ねぇよ」
そう言いながら律はポケットに手を突込んだまま私を見つめる。私もただ黙って律を見つめ返す。
これ以上何も言葉は要らない、全て元通りだ…、と律の瞳がそう語っている様だった。
「はいはい、律先輩達も充分恥かしいですから!何見つめ合ってるんですか」
そう言いながら、二人の影に隠れていた梓が飛び出して来た。私と目が合うとバツが悪そうに視線を逸した。
その瞬間、また梓の冷たい瞳が脳裏に浮かぶ。逃げ出したくなる気持ちを押さえ、私は必死に歯を食いしばって耐える。
「梓、すまない私は先輩失格だな……。でも、もう一度チャンスをくれないか!あのチョコもちゃんと食べるから」
「あのチョコってなんですか。知りませんよ、そんな物」
「そ、そんな……」
「あずにゃん、澪ちゃんを許してあげてよ。澪ちゃんだって悪気は無かったんだよ」
「だから…!許すも何も澪先輩は何もしてませんよ!あの湿気て美味しくないチョコなんて最初から無かったんですよ!澪先輩が……、私のお姉ちゃんがそんな事する訳無いじゃないですかっ!!」
梓は吠えた、涙と鼻水で顔を歪ませながらも必死に。その叫びは私の中にも入り込み、深淵の檻を叩き壊してくれたかの様な錯覚に見舞われた。
「私達も手伝うって言ってるのに、梓ちゃん一人で食べちゃうんだもの」
「小さいくせに以外と根性あるんだよな。見直したぜ」
「えー、あずにゃん一人で全部食べたの?いいなぁー、ずるいなぁ!」
「だから、湿気て美味しくない…って。違う、チョコなんて始めから無かったんです!」
いつもの軽音部のいつもの光景。いつもと変らないはずなのに、それは私の心を隅々まで浄化してくれるかの様だった。
「終わったな……、全て。これで私の悪夢は終るんだ」
呟きながら、歩を進めようとする私の肩をふと誰かが掴む。
振り返るとムギが毅然とした表示で佇んでいた。
「まだよ澪ちゃん……、まだ肝心な物が残っているわ」
「なんだよムギ…?まだ何があるって言うんだ」
私は両手に感じるエリザベスの感触に暫くの間酔っていた。しかし、ふと我に返りムギに申し訳ない気持ちで一杯になる。
「すまないなムギ……、このお金はきっとバイトでもして返すから!」
「いいわよ、気にしないでこれは事故みたいな物だったんだから。それよりもバイトする時間があるなら練習に回してくれた方が軽音部の為にもなるし」
「…あれ?でも部活にいてもティータイムばっかりしてる気がするよね」
「お前はいいから黙ってろっ!」
「はぅん!?」
優しく私を諭すかの様に表情で言い聞かせるムギ。しかし、値段も値段だけにそう簡単に首を縦に振るわけには行かない。
暫くそうした押し問答が続くと、ムギは困った顔をして私の方に近付いて来た。
「そうね、それじゃ澪ちゃんのこのミュートレと交換って事でどうかしら?」
ムギはそう言うと私のポケットから一枚のミュートレを取り出した。
「そのミュートレはレアでも何でも無いノーマルプロカードじゃないか?そんなんじゃ到底釣り合わないよ!」
「澪ちゃんに取ってはそうであっても、私には違う物もあるのよ」
そう言うとムギは悪戯っぽく微笑んだ。私はムギの言う言葉の意味が分からず、ただ首を傾げる。
「このLifetime Respectの鼻歌Ver、これがあれば全ての三木道三カードが揃うのよ。こういう時の最後の一枚って言うのは人によってはどんなレアカードよりも価値のあるものなのよ」
「そうなのか…、まさかそのミュートレがムギにとってそんな価値のある物だったなんて」
「という訳だから、安心してね澪ちゃん!」
「あぁ、有り難う!これで全て元通りだよ」
「よーし、んじゃ何か食べて行こうぜー!こんな時間まで走り回ったから腹が減って堪らないぜ」
「あ、じゃあ私チョコレートパフェが食べたいな!あずにゃんもそう思わない?」
「思いませんよ!?なんで夕食がチョコレートパフェなんですか!?私に対する嫌がらせですか!」
「ふーふんふふんふ♪ふーふんふふ♪」
「あっ!今のムギちゃんの口笛って、一生~一緒に居てくれや♪だよね!」
「あら、分かっちゃった?Lifetime Respectカード全部集まったから嬉しくなっちゃって」
「あ、そうだ皆?一旦着替えもいいかな。さすがこの格好でお店に入るのは恥かしい……」
「だーめ!澪は皆に迷惑かけたから、今日一日はこの格好な」
「えー、意地悪するなよ律ぅ!お願いだからさ!」
こうして私の長い一日は終りを告げた。例えこの先どんな事があろうとも、例え離れ離れになる事があっても、きっと私達軽音部は繋がっていけるだろう……。私は手の中の再結成カードを握り締めながらそう願い続けていた。
数日後、今日も私達軽音部は練習に勤んでいる……、訳は無くティーセットが用意されたテーブルの上で激しいミュートレバトルが行われている。
「おい、律!唯!いい加減に練習始めるからミュートレはしまえって」
「ちょと待ってよ澪ちゃんー、もう少しで勝負が付くから。……やった、ジェフ・ベックだ!これにギー太カードを装備だよ!」
「な、なんだと!お前それじゃ、デッキの中に三大ギタリスト全部入ってるのかよ!?」
「憂と一緒に買いにいったら偶然揃っちゃってさぁ。このおじさん達が一番上手くギー太を扱えるんだよ!」
「あらあら、唯ちゃんって凄い引き運がいいのね」
「さすがは姉妹ですね…、憂もビートルズメンバーとその楽器全て揃えててもはやクラスで敵無しですよ」
「お前ばっかりズリィーぞ!三枚もあるんだからジミー・ペイジと私のこのカードと交換してくれよ」
「何それ?嫌だよぉそんな変な被り物したインディーズカード。全然可愛くないもん!」
「うるせぇ!確かに気持ち悪ぃし、何の役にも立たないクソカードだけどな、私にとっては始めて引いてミュートレなんだよ!」
律は自分のカードと交換させようと唯につかみ掛かる。唯も自分のカードを死守せんと必死で逃げ回った。
その時、静かに扉のドアノブが回り部屋に入ってきたのはさわ子先生だ。
「何をドタバタしてるのよ?外まで響いてるわよ!……って何かしらこのカードは」
「聞いてよさわちゃん!律っちゃんたらそんな気持ち悪いカードを私に押し付けようとするんだよ!」
「だから、気持ち悪くて不気味でも私にとっては思い出のカードなんだよ!」
「……あら、このカードは」
さわ子は足元に舞い落ちた一枚のカードを拾った。それは律がトレードさせようとしていたカードだった。
「だったら律っちゃんが持っててよぉ!私嫌だよー」
「私だって嫌なんだってば!じゃあ何でもいいからトレードしようぜ!」
「あら、あなた達知らないのかしら……?このカードの真の効果を」
「ふぇ?なにそれ、さわちゃんもミュートレ知ってるの」
「んな気持ち悪ぃカードに何の効果があるんだよ?」
さわ子は懐から一枚のカードを取り出すと、二枚のカードを一つに重ねる。
「このDEATH DEVILのカードにヴォーカルの楽器、ギブソン・GSのカードを装備させる事により本来の力を発動……」
「で、ですでびる…?ま、まさかこの気持ち悪いカードって……!」
「ヴォーカルっつーと、この気持ち悪ィ被り物の中身って……!」
「被り物をキャストオフした
山中さわ子が、場の相手カード全てを半殺しにできんのよぉぉおぉッ!」
血肉に飢えた肉食獣の様な俊敏な動きで、山中さわ子は
平沢唯と
田井中律に言葉の通り喰らいかかろうとする。
二人は目の前の強大なプレッシャーに、蛇に睨まれたカエルの如くただ震える事しか出来ないのであった。
「あら、あのインディーズカードってさわ子先生だったのね」
「まったく、自業自得ですからね。私は知りませんよ!」
「やっぱりミュートレは部室じゃ禁止にするか……」
午後のうららかな日差しの元、今日も軽音部室には唯と律の叫び声。そして、私の静かな溜め息が鳴り響くのだった。
=おしまい=
最終更新:2010年07月27日 20:58