【2010年08月16日 14:32/桜ヶ丘記念病院】

 目が覚めて点滴を外し、一通りの検査を終えて問題なしと判断された私はすぐに唯先輩の病室に向かった。
 着いたのはたしか十一時ぐらいだったと思う。
 中に入ると既に憂と律先輩と澪先輩が待っていた。

 私はまず危険な目にあわせてしまったこと、それから心配をかけたことを謝った。
 謝って許されることじゃないとは思ってたけど。
 でも律先輩は「新学期に自慢するネタが増えた」なんてふざけて喜んでいたし、
 澪先輩からも「梓のおかげで成長できた」って、なぜか感謝してくれた。
 でも、憂から「お姉ちゃんが助かったのは梓ちゃんのおかげ」って言ってくれたのはうれしかった。
 とはいっても全力で謝るつもりだったのに感謝されてしまったから、なんだかむずがゆかった。

 それから律先輩は得意げに武勇伝を語って聞かせてくれた。
 といっても、MDプレイヤーのおかげで奇跡的に助かったってだけの話だけれど。
 でもその壊れたプレイヤーも携帯も澪先輩との思い出の品で、やっぱり私はうらやましいなんて思ってしまう。

 唯先輩は静かに目を閉じたままで、まだ目覚めない。
 憂の話だと心配された熱中症の後遺症もなく順調に回復しているらしい。
 だから今眠っているのは、昨日一日の疲れが大きいのだろう。
 私たちは寝かせておいてあげることにした。

 少し前に憂は唯先輩の着替えを取りに、律先輩と澪先輩は二人で家に帰ることになった。
 残された私は唯先輩の手を握り締めて、いろいろなことを話した。
 律先輩の生還談、澪先輩のうれしそうな顔。
 卒業したら離れ離れになってしまって、本当はとてもさみしかったこと。
 ステージ上で輝く唯先輩に憧れて入部して、最初はがっかりしながらもどんどん惹かれていったこと。

 そして……今の私の気持ち。



梓「ゆいせんぱい」

 静かに寝息を立てる唯先輩はもちろん答えてはくれない。
 でも時々ほんの少しずつ表情を変えるから、もしかしたら私の言葉も伝わっているのかもしれない。
 唯先輩、どんな夢見てるんだろう?
 はやくあなたに会いたいよ。

梓「・・・・・・あなたのことが、大好きです」

 手を握り、夢の中に向けてそう伝える。
 もし唯先輩の目が覚めたら……そのときは、ちゃんと直接伝えたいな。
 受け入れてくれるかどうかは不安だけれど、せめて元気になった唯先輩が私の言葉を聞いてくれるだけでもいい。

 でももし、今みたいに言葉だと届かないのなら――することは一つだ。

 私は身を乗り出して、布団を少しだけ寄せて、唯先輩のやわらかい身体に腕を回した。
 言葉が伝わらなくたって腕の感触なら伝わるかもしれない。
 今まで唯先輩がしてくれたことのと、同じように――抱きしめた。

 唯先輩の胸に頭をうずめる。
 耳を澄ますと、心臓の鼓動が聞こえる。
 呼吸に合わせて胸が少しだけ膨らんでは戻る。
 ほのかな唯先輩の匂い。やわらかい皮膚の感触。
 穏やかな気持ちになって、私まで眠ってしまいそうになったとき。


 ――唯先輩の腕が、私の背中に回った。



 驚いて、ぱっと顔を上げる。
 すると唯先輩がねぼけ眼で、はっきりと笑顔を浮かべていた。

唯「あずにゃん……だきしめたよ?」

梓「ゆ…ゆい、せんぱい・・・・?」

 唯先輩は今度こそ私を強く抱きしめた。
 数時間ぶりに味わった腕の感触。
 帰ってきたんだ。
 みるみる瞼が熱くなって、涙があふれてくる。

唯「……あずにゃん、あずにゃんは、現実だよね?」

梓「あは・・・なにいってんですか、当たり前でしょ、ずっと…待ってたんですよ」

 たまらなくなって、唯先輩に負けじと私も強く抱きしめる。
 そしたらちゃんと目を覚ました唯先輩に、もっと強く抱きしめられた。
 私たちは声を上げて泣いた。
 心の奥まで抱きしめあえたのは、これがはじめてかもしれない。


唯「ねぇ…あずにゃん」

梓「なんですか?」

 さっきね、夢の中のあずにゃんにしかられちゃったんだ。
 泣き顔のまま、ちょっと困ったように唯先輩は言った。頬に流れた涙がきらめく。

梓「もう…しょうがないですね、唯先輩は」

唯「えへへ…ごめんね、今まで」

梓「いいんですよ。私だって……同じ気持ちだったから」

 そっか、やっぱりか……うつむき、笑顔を隠そうとする唯先輩。
 この人はいつもきゃらきゃら楽しそうに笑っているのに、本当にうれしいときは照れてしまうんだよね。
 ……あは、以心伝心かも。

 唯先輩はふっと笑顔を消して、真摯な眼差しをこちらに向けた。

唯「あずにゃん……聞いて。」

梓「……はい」

 唯先輩はあふれてくる涙を抑えることもなく、
 泣きはらして真っ赤な顔を隠しもせずに、
 ちゃんと私に向けて気持ちを言葉にしてくれた。


 ――私、あずにゃんのこと……世界で一番愛してる。



梓「……私もですよ」

唯「私も、って?」

 とたんにこわばった表情がくずれて、にへっと笑う唯先輩。
 あずにゃん。私も、どうなの?
 いたずらっ子みたいに私に気持ちを言わせようとする。
 おかしくて、少しふき出してしまう。
 この人は私が本当の気持ちをいえないとでも思っているのかな。

梓「私も、出会った時からずっと、唯先輩のことが好きでしたよ」

唯「うん。……ありがと」

梓「世界で一番。唯先輩のことを愛しています」

唯「なんか・・・・照れるね、その言葉」

 まったく、もう。
 私に言ってくれたことを、自分が言われたら恥ずかしがるんだから。


 ――ねぇ。お互い好きなんだったら、付き合いませんか。

 わざと冗談めかして言ってみる。
 照れ隠しのつもりだったら、私も唯先輩と変わんないな。

唯「えへ…あずにゃんいいアイデアだね」

梓「私、ずっと付き合った時のこと、考えてたんですよ」

 律先輩と話したこと。憂に相談したこと。
 昨日の朝に屋上で言おうとして、言えなかった気持ち。
 恋人として手を繋ぎ、恋人になって抱きしめる。
 本当に何度も考えては消してきた、一番の願いだった。

唯「私だって……さっきも夢に出てきたよ、あずにゃん」

梓「あは…いっしょですね、私たち」

 私は今度こそ、ちゃんと唯先輩に思いを打ち明けた。


梓「唯先輩。私と、付き合ってください」



唯「……ありがとう。付き合おうね、あずにゃん」

 唯先輩は、今日一番の笑顔で応えてくれた。
 気持ちが抑えきれなくてすぐに抱きしめ、顔をうずめる。
 そんな私の頭を唯先輩はずっと撫でていてくれた。
 そしてもう一方の手で、震える私の手をそっと握っていてくれた。

唯「ねぇあずにゃん。顔、みせて」

 不意に唯先輩が呼びかける。
 私の身体を少し引き離す唯先輩。どうしたんだろう?
 きょとんとしてる私のまぶたを、唯先輩は人差し指で優しく閉じた。

 ああ、そういうことか。
 私の頭は、自然と少しだけ上に向いた。
 まぶたの裏に唯先輩の姿を浮かべ、何十秒にも思える一瞬を待った。

 ――唇に、やわらかい感触がした。

 溶けるような、温かいその感触に身をゆだねると、唯先輩は抱きしめてくれた。
 抱きしめられた私もそれに応えて、強く唇を押し付ける。
 自然と絡めた指と、抱きしめあった身体。
 私たちは、ようやく確かなもので繋がれた気がした。


 こうして、八月十六日は私たちにとって忘れられない日となった。




【2010年08月18日 11:27/桜ヶ丘記念病院】

 今日は待ちに待った唯先輩の退院の日。
 はやる気持ちを抑えて病室のドアを開けると、いきなり飛び出してきた唯先輩に抱きしめられちゃった。

唯「あずにゃぁん…! 待ってたよぉ、やっとあずにゃんと一緒になれる!」

梓「ちょ…いきなり抱きつかないでください! 誰か見てたらどうするんですかっ」

唯「ええー? おとといのファーストキスだって、憂とかりっちゃんたちに見られてたじゃん」

 思い出して顔が熱くなる。
 あのあとは散々からかわれたんだっけ……主に律先輩に。

梓「・・・・・もう。唯先輩はデリカシーってものをわかってください」

唯「いいじゃんさー、今だって誰も見てないよ?」

梓「……はぁ。しょうがないですね、唯先輩は」

 そうやって唯先輩のせいにするけれど、私だって待ち望んでいた。
 一日ぶりの口付け。
 舌をほんの少し触れ合わせる。
 そこから先は……まだ怖い。
 でも、少しずつ進んでいきたいな。


 病室を出て、唯先輩と手を繋いで廊下を歩く。

 昨日はお見舞いに来たさわ子先生とムギ先輩に会って、迷惑をかけてしまったことを謝った。
 なのに唯先輩と付き合うことにしたって言ったらムギ先輩は目を輝かせて祝福してくれた。
 デートの話とかのろけ話とかたくさん聞かせてねって、手を握られて。
 ……ムギ先輩がどういう人なのか、私はいまだによく分からない。

 逆にさわ子先生はぶーぶーむくれていた。
 こっちは出会いがないっていうのに、あんたたちは幸せそうでいいわね、なんて。
 でも「受験生なんだから、唯ちゃんをちゃんと応援してあげなさいよ」って言ってくれた。
 決まってますよ。
 私とつきあったせいで大学に落ちたなんて、絶対許さないもん。

 昨日のことを思い出していたら、いつの間にかエレベーターホールに着いた。
 階数表示。ボタン。目の前の、個室に続くドア。

 ――私は思わず、唯先輩の手を強く握ってしまう。

唯「ねーあずにゃん、エレベーター混んでそうだから階段で行ってもいいかな?」

 唯先輩はそう言って、私の手を引っ張っていってくれた。
 エレベーターがまだ怖いって、何も言わなくてもわかってくれた。
 やっぱり……唯先輩はすごいな。
 あれだけ知っていた唯先輩のことでも、恋人になってからまた違った面を見つけられた気がする。


 一階のロビーに降りると律先輩と澪先輩が待っていた。

律「おぉー! 新婚さんがいらっしゃったぜっ」

梓「ほっといてください! ていうか先輩だって澪先輩と…」

律「なっ…いま私の話はしてないだろ?!」

澪「お前ら、元気だな…」

 ふと見ると、澪先輩の持っている携帯が新品に変わっていた。
 いいなあ、私も唯先輩に合わせてAUに乗り換えようかな?
 あっでもソフトバンクだと電話代がほぼ一日タダになるんだっけ……。

唯「あっ手続きおわったよー!」

 気づいたら唯先輩が憂と連れ立って戻ってきていた。

憂「みなさん、お姉ちゃんのことでいろいろとありがとうございました」

 憂は唯先輩の代わりに頭を下げた。できた妹だなあ、ほんとに。

憂「それから梓ちゃん。……がんばってね!」

 にこにこと言われてしまって、返す言葉も浮かばずまた頬が熱くなる。

律「おっまた照れてんのか梓?」

澪「いいかげんにしろ馬鹿律!」


 それから私たちは和さんとムギ先輩と落ち合って、ケーキバイキングのお店に向かった。
 和さんも私たちの関係は聞いていたらしく、「唯を甘やかしちゃだめよ」と忠告してくれた。
 ……憂といい、和さんといい。
 唯先輩って、本当に保護者に恵まれてるなあ。

 ケーキを食べながら、あの一日の話を交換し合った。
 閉じ込められた私たちがどう過ごしていたのか。
 私たちを探す先輩たちが、どんな思いで探してくれてたのか。
 その話を聞いて、本当にこの軽音部に入ってよかったなって素直に思えた。

 澪先輩たちも「梓は事故からなんか変わった」って言ってくれた。
 ……自分では、変わったことなんて唯先輩の恋人になれたぐらいしか浮かばないけれど。

 あと、唯先輩が人目もはばからずにケーキを「あーん」なんてしてくるのが恥ずかしかったな……。
 まあ食べたんだけど。それに、私だって食べさせてあげてしまった。
 なんだかどんどん唯先輩のペースに乗せられてってる気がして、いけない気もする。



 帰り道。
 憂は羽田空港に到着するご両親を迎えに行くので、私と唯先輩だけで家に帰ることになった。

唯「ねえ、あずにゃん」

梓「なんですか?」

唯「今度、どっか行こうよ。時間作るよ」

梓「勉強の方はいいんですか?」

唯「それもがんばるからぁ! あずにゃんおねがいだよぉ…」

梓「……はぁ、分かりました。約束ですよ?」

 根負けした振りをしてしまう。
 私も素直じゃないな、ほんとうに。


唯「やったあ! じゃあ二十二日の日曜、水族館とか行こうよ!」

 唯先輩はいつもみたいにはしゃいでいた。
 まるで今までと同じように、子供みたいに。
 だけど……やっぱり、私たちは何か変われたんだと思う。

 唯先輩はすぐに携帯で日曜日の天気をチェックする。
 ――八月二十二日、天気は晴れ。

唯「よかった、デート日和だね! じゃあ日曜まであずにゃんのために勉強がんばるからねっ」

 夕焼けで伸びていく繋がった二つの影を見つめながら、気づいた。
 あの事故の後で変わったもう一つのこと。
 話したら笑われそうなほどささいなことだけど、なんとなく大事な気がした。
 それは……雨の日だけじゃなくて、晴れの日も好きになれたこと、だと思う。

梓「楽しみにしてますね。勉強、がんばってください」

唯「まかせてよ! 明日から取り戻すからねっ」

 八月二十二日、天気は晴れ。
 ――唯先輩の天気予報、当たるといいな。


おわり。



最終更新:2010年08月28日 20:41