澪「律……行くのか?」
律「ああ」
澪「そうか……」
澪はどこか悲しそうな顔をしている。
律「悪かったな、迷惑かけて」
澪「いや、律が決めたなら私はそれでいい」
無理な笑顔を作って話す澪を見るのは心が痛んだ。
私がフラフラしてたせいで……ごめんな。
律「本当にありがとう……それじゃあ」
私は脱兎のごとく駆け出した。
澪「……」
澪「バイバイ、私の初恋」
靴を履きながらとんでもないことに気付いてしまった。
足がない。
空港まで走っていける距離じゃないし、タクシーを呼ぶ金もない。
音楽室に戻ってさわちゃんに車を出してと頼むのも恥ずかしすぎる。
ふと周りを見渡すとクラスメイトの自転車を漕いでるいちごの姿があった。
しめた、自転車ならフライトの時間に間に合う。
自慢ではないが、私は本気を出せば自転車で50km/hは出せるのだ。
律「おーい! いちご~!」
いちご「ん」
律「すまん! 急用なんだ! 自転車貸してくれ!」
いちご「やだ」
ものすごい反応速度で断られてしまった。
律「た、頼む! 500円あげるから!」
確か財布には700円ちょっとが入っていたと記憶している。
いちご「無理」
律「ろ、600円! 600円でどうだ!?」
いちご「しつこい」
律「そんな……700円しか持ってないのに……」
私はその場にうな垂れた。
いちご「手を打とう」
律「え?」
いちご「700円で手を打つ」
700円基準かよ。
律「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
私はものすごい勢いでペダルを漕いだ。
初心者マーク、若葉マークの車を追い抜いてしまうほどの爆走っぷりだ。
カーブでは地面スレスレまで体を倒す。将来競輪選手にでもなろうか。
空港が見えてきた。フライトの時間まであと10分。
自動ドアの前で自転車を乗り捨て、ロビーの中へ。残り3分。
私は目の前にいたANAの受付嬢に駆け寄った。
律「ムギの飛行機は!? ムギの乗ってる飛行機はどこ!?」
嬢「はい?」
律「あーもう! フィンランド行きだよ! ムギが乗ってんだ! 早く教えろ!」
受付嬢は面倒くさい客が来たとでも言いたげな顔をしながら「もう出発しました」と告げた。
私にとっては死刑宣告と同様だった。
私はその場に蹲った。
もう一度、もう一度だけムギに会いたかった。
会って抱きしめたかった。
嬢「まあ、展望台デッキに行けば飛行機を見送ることは可能ですけど~」
律「は?」
嬢「展望デッ」
私は受付嬢が言い終える前に走り出していた。
階段を駆け上がり、デッキでると強い風が吹き抜けた。
金網の方には飛行機を見送る人間でごった返していた。
私も金網に駆け寄り、目を凝らす。
今まさに滑走路に出ようとしている飛行機があった。
あの中にムギが?
律「ムギイイイイイイイイイイイイイ!」
叫んだところで聞こえるはずがないけど。
叫ばずにはいられなかった。
もちろんどこからかムギの声が聞こえるわけもなく。
無常にも飛行機はフィンランドへ向け飛び立ってしまった。
私は自分の無力さとヘタレさに打ちひしがれ、その場で人目も憚らず泣いた。
こんなに泣いたのはいつ以来だろうか。
わかっていること、それは私の恋が終わったということだけだ。
ひとしきり泣いた後、私は絶望感に打ちひしがれながら空港ロビーをトボトボと歩いていた。
「
田井中律様~、田井中律様~。おりましたら受付ロビーまでまでお越しください」
なぜか館内放送で私の名前が呼ばれる。なぜ名前を知っている……。
私は疑問に思いながらも受付ロビーに自分が田井中律である旨を伝えた。
受付嬢が言うには、ある客からフィンランド行きの便を尋ねる女の子がいたら手紙を渡すように頼まれたらしい。
その客は時間ギリギリまで私のことを待っていたそうだ。
バカな奴だな。私が来る保障なんてどこにもないのに。
中身を開くと綺麗な字で簡潔な言葉が書かれていた。
涙というものは枯れないもので。つい今さっき一生分の涙を流したと思っていたのだが。
私はその手紙を読んで、声をあげて泣いた。
空港ロビーには私の泣き声が響いていた。
卒業式から3週間、もうすぐ大学の入学式があるというのに私は家に引きこもっていた。
ニート生活も悪くないなと思っていたある日の朝、不意に階段を上る足音が聞こえてきた。
両親でも聡のものでもない。
律「澪か」
扉が開く。
澪「さすがだな」
律「当たり前だろ。澪の足音はわかるって」
澪「まあ、今はそんなことどうでもいい」
不機嫌そうな顔で言う澪。お説教が始まる可能性80%。
澪「いつまでそうやってるつもり?」
律「……傷が癒えるまで?」
澪「バカ」
律「バカとはなんだーバカとは」
意外にも澪は頭ごなしに私を叱ることはなかった。
澪「律、これ」
澪から差し出された封筒を受け取る。大学入学祝い?
私はいくら入ってるのか期待しつつそれを開けた。
律「……なんだこれ」
航空チケット?
澪「その様子じゃ、あの時ムギに会えなかったんだろ?」
続けて澪が言う。
澪「接客、大変だったんだからな」
律「澪お前……」
澪「唯と梓にも礼を言っておけよ。この忙しい時期に律のために必死にアルバイトしてたんだからな」
本当にこいつらはバカだ。大バカだ。
けれど……最高の友達だ。
私は今異国の草原を歩いている。
吹き付ける風がとても冷たい。
確か地理の授業で勉強したな。ここは寒冷地なんだと。
小高い丘の上に一人の女の子が立っていた。
赤いワンピースを着て、大きなバスケットを持っている。
きっとおいしいお菓子がたくさん入っているのだろう。
私はその女の子に声をかけた。
「よっ」
女の子はこちらを向いて嬉しそうにニッコリ微笑む。
つられて私も笑ってしまう。
「久しぶり」
話したいことはたくさんあるけれど、何よりもまず手紙の返事をしようと思う。
fin
「……ちゃん! ねーちゃん!」
律「んあー?」
聡「んあーじゃねえよ。朝だよ。学校遅刻するぞ」
そう言うと聡は部屋を出て行ってしまった。
暑い。今は……夏か。そりゃそうだな。
なんだかすごく長い夢を見ていた気がする。
内容までは残念ながら覚えていない。
ただ、不思議なことに今日は澪が起しに来てくれるような気がした。
なんでこんな気がしたのかは定かではない。実際気がしただけで起しに来てくれることはなかったが。
私は寝癖を直し、歯磨き着替えを済ませパンを咥えて家を出た。
玄関を出るとそこには元気に走り回る澪の姿が!
澪「どうしてニヤニヤしてるんだ?」
あるわけがない。
律「や、別に。ただちょっと妄想してただけ」
澪「はぁ……? 気持ち悪い奴だな」
どうしてだろう、今日の澪は嫌に冷たく感じる。
前はもっと優しかったと思うが、気のせいだろうか。
澪「それより律、それどうにかならないか?」
律「何が?」
澪「そのひどい寝癖だよ。そんな頭してる奴と知り合いだと思われたくないんだけど」
それはさすがにひどすぎるだろ。
私は歩きながら寝癖を直す。
隣を歩く澪は女の子として~だと身だしなみを~とか言っていたがそんなのは知ったこっちゃない。
信号待ちをしていると、後ろから声をかけられた。
紬「りっちゃん、澪ちゃん。おはよう」
まぶしい笑顔で挨拶をするのは、我が部のお菓子担当……もとい、キーボード担当
琴吹紬。
アレ? 何かデジャヴ?
澪「おーっすムギ」
紬「今日も暑いね~……って、りっちゃん!?」
律「へ?」
いきなりムギが驚いた声で私の名を叫ぶ。
何事かと思ったら、なぜか知らんけどムギを見た途端私の目から涙があふれてきた。
なにこれ。
律「ムギ……ムギ……」
紬「う、うん」
律「ムギーーーッ!」
私はムギの胸に飛び込み、大声で泣いた。
律「うわーん! ムギ、ムギーーー!」
サラリーマンや学生がこちらに訝しげな目を向けているのがわかる。
それでも私はムギの胸から離れようとはしなかった。
澪「ええええ……なにこれ」
澪はドン引きしている。
紬「あらあら。ごめんね澪ちゃん、先に行っててもらえる?」
澪は「わかった」と言ってそそくさと学校へ向けて走り出した。
私は未だに嗚咽をもらしながら泣きじゃくり中。
紬「りっちゃん大丈夫?」
律「ひぐ……えっぐ……」
自分でも突っ込みたくなるこの光景。
紬「そうだ。私ね、りっちゃんに言いたいことがあったの」
言いたいこと?
紬「あのね……りっちゃんの唇、とっても柔らかかった」
律「……はい?」
ムギはうふふ、と意味深な笑みを浮かべていた。
私にはなんのことかわからず、とりあえずもう少しだけムギの柔らかい胸を満喫しようと嘘泣きの体勢に入るのだった。
おしまい
※
終わり
支援保守ありがとうございました
全ルートは無理だったことは謝らせてください
最終更新:2010年08月28日 23:27