計画が順調に進んで安心している澪のところに、トートバッグの中から携帯の着信音が聞こえてきた。
梓からの電話だった。澪は携帯を素早く耳に当てる。
「もしもし、梓?」
『あ、澪先輩。あの、ちょっと悪い知らせがあって」
「悪い知らせ?」
『はい。実はさっき律先輩が出歩いてるところを見たんです』
「律が?」
『わたしは予定より早く着いたんですけど、たまたま律先輩が歩いてるところを見かけて。あ、律先輩はこっちに気づいてなかったので安心してください』
「そっか……遠出じゃないといいけど」
『服装はラフな感じでしたから遠出はないと思います』
「いや、律はいつもラフな感じだからな……」
『そ、そうですね。あっ、あの、良かったら澪先輩の家に行っていいですか? わたしの横に唯先輩とムギ先輩もいるんですけど、唯先輩が暑さで倒れそうなんです。今変わりますね。……み、澪でゃん、わ、わだしはもうだ……へえ……』
澪の脳裏に干からびた唯の顔が浮かんで、
「ひぃぃぃああっっっー!」
『澪先輩っ!?』
「……いい、いや。なんでもない……じゃあ、律が帰ってくるまでわたしの家で待ってようか。家の場所はわかる?」
『もう澪先輩の家の近くまで来てますし、ムギ先輩もいるので大丈夫だと思います』
「そう、わかった」
『ではまたあとで』
通話を終了して、大きくため息を吐く。
律には時間まで指定しとけばよかった、と後悔の念を抱きながら澪は歩いてきた道を引き返すことにした。
自宅に戻った澪が母親に友人が来ることを知らせると、
「そうなの~よかったわね~うふふふぅ~」
出掛ける前より三割増しの、今なら芸能人もビックリの笑顔になっていた。
なんでこんなに嬉しそうなんだろ? そんな疑問が胸に沸いて、澪は首を傾げる。
「今のうちに少しでも部屋の掃除をしておいたら?」
「あ、うん。そうだね。そうする」
ま、こんな日もあるか。
湧き上がった疑問に適当な解釈をして、母親の進言通り部屋の掃除をしようと、澪はリビングを出た。
階段を上がって、採光窓から差し込む光に照らされた廊下を進み、自分の部屋の前で足を止める。
ドアノブを掴んで回す。内へ開かれるドア。
そして目に飛び込んできた光景に、
「っっっ――――――――――――!?」
澪は声にならない悲鳴をあげて、フリーズした。
***
開け放たれたドアの前で澪が口をあんぐりと開けて立ち尽くしていた。
澪は本気で驚いているんだろうと律は思う。
本当なら自分は出かけていて、ここにはいないはずなのだ。
そう、梓の電話は律の考えた作戦で、澪を誘導するためのものだった。
昨夜のうちに唯と紬、梓の三人には事情を話して協力を取り付けて、今日も澪が家を出る前には集まっていたのだ。
つまりは逆サプライズ作戦は大成功だった。
律、梓、唯、紬と、横一列に部屋の中央に並び座る四人を前に澪はなかなか動き出さない。
「ん、どしたの澪?」
「……」
あくまで自然な口調で言ったが、反応はない。
「んしょっ、澪ちゃん! もう朝だよ! 朝ご飯がなくなっちゃうよー!」
唯に肩を揺さぶられてやっと、
「なななんで律がここにいるんだ!? それにみんなも」
状況が理解できないのか慌てて疑問を口にする澪。
少なくとも朝ご飯がなくなることはどうでもいいらしい。
いや、もうすぐお昼なのだが。
「澪ちゃん家の前でたまたま会ったの」と言うのは紬だ。
実はまだ作戦は続いていた。
澪がプレゼントの話をし出したら、どっきりだと種明かしをする予定なのだ。
「……だってさっきは」
「電話のあとで会ったの。ね、梓ちゃん」
「え、ああ、はい。電話し終わってすぐに会ったんですけど、それで律先輩も一緒に……」
紬に同意を求められて梓が慌てて理由を説明する。
「そうなんだ……」
「なんで誘ってくれなかったんだよ。遊ぶならあたしも呼んでくれればいいのにさ。仲間外れはんたーい」
「ご、ごめん。あとで律の家に行こうと思ってたんだけど。ほら、昨日も家に居てって言っただろ」
律の問いかけにもまだ隠し事をし続ける。
どうやら、まだバレていないと思ってるらしい。
「あ、そういえばそんなこと言ってたっけ」
「まったく、昨日のことなのに忘れてたのか」
「暑さで記憶が飛んだんだよ」
「それはマズいだろ……」
澪も平常心を取り戻してきたのか、口ぶりが滑らかになってきた。
「そうだ、プリンがあるんだけどみんな食べる?」
「ごっつぁんです!」
「はい! わたしもプリン食べたいです!」
唯と紬、二人揃ってびしっと挙手をする。
「じゃあ、取りに行ってくるから。もちろん梓と律の分もな」
そう言って澪はプレゼントが入っているであろうトートバッグを置くと、開けたばかりのドアを閉めて部屋を出て行った。
おそらく澪としてはイレギュラーな事態の中、どのタイミングでプレゼントを渡すか考えに行ったのだろう。
「知ってた、あずにゃん。プリン食べるとプリン体が増えるんだよっ」
「増えませんよ」
「え、増えないの?」
「増えません。プリン体はビールとか飲むと増えるものじゃないですか」
「ええ~、あずにゃんのけちぃ~」
「どうしてわたしがケチになるんですか!
それと抱きつかないでくださいよぉ~……う~」
「……あづいね……」
「だから言ってるじゃないですか……」
「わぁーっ!」
「わっ、む、ムギ先輩までっ……あ、あついれすよ……」
抱き合う(と言っても唯が一方的に梓に抱きついているのだが)二人に紬も参戦する。
梓は迷惑そうに言いつつも笑っていたし、唯も紬もあついあついと言っては、声に出して笑っていた。
重なり合った三人を見ているとこっちまで暑くなってくるが、楽しそうな三人を見るのは悪い気がしない。
――そういやエアコンが入ってないのか、どうりで暑いわけだ。
律は立ち上がって勉強机の上に置いてあるリモコンを手に取る。
が、電源ボタンを探そうとして止めた。
そのままボタンを押さないでリモコンを机に戻す。
主に無断で部屋に侵入したあげく、エアコンまで勝手に入れるなんて厚かましいにもほどがあるだろう。
親しき仲にも礼儀ありなんて諺があるぐらいだ。
ましてや澪を騙してもいるわけで。
ここまで思いつきと勢いでやってきたことに律は自分のなかで小さな罪悪感が沸き上がってくるのを感じた。
素直に自分の家で待って、澪の計画に素知らぬ顔で付き合ってあげればよかったな、と今更ながら思えてくる。
澪はきっと自分のために計画してくれたのだ。
それなのに、わざわざその厚意をふいにしてしまった。
やっぱり澪の企みに付き合ってやろう。
そう決意をして、律は事情を知る唯たちにもそのことを話そうとしたが、ドアの向こう側から足音が聞こえたために話すことはできなかった。
五キロのお米が入りそうなサイズの青いバケツを手に持って、澪が部屋に入ってきた。
「澪……手に持ってるのなんだ?」
「え、ああ、これは……その……バケツプリン?」
なんで疑問系なんだよ、というつっこみはあえてせずに律はバケツの中を覗き込む。
中にはたしかにほろ苦そうなキャラメルソースがかかった、卵色をしたプリンが入っていた。
バケツプリンと聞いて、唯と紬が梓を放り出して寄ってくる。
「おお~、これがバケツプリン……夢にまでみたバケツプリンですか!」
唯はバケツを奪うと、両手で抱えて頬擦りし出す。
「澪ちゃんが作ったの?」と紬。
「ううん、マ、お、お母さんが……」
「バケツで作れるなんてわたし知らなかった。りっちゃんは知ってた?」
「作れることは知ってたけど、見たことはなかったな」
紬は物珍しいのか、唯と同様に目を輝かせて嬉々した表情でいる。
そこに梓もやってきて、三人でバケツを取り囲む。
「プリンはプリンでもバケツプリンとはな」
「普通のだと思ってたんだけどさ……わたしも見てびっくりしたよ。そうだ、スプーンを持ってこないと食べられないな。あとお皿も必要か」
「澪」
「ん?」
澪が背中を向けたまま足を止める。
「今日は何月何日でしょう」
澪は顎を上げ視線を天井に向けて考え事をする仕草をする。
「……八月二十一日だろ」
「ではでは今日はなんの日でしょう」
「ジョー・ストラマーが生まれた日……だな」
おいおい、ここまでお膳立てしたのに引っ張るのかよ。
律はその返事についしかめっ面をしてしまう。
「ほ、他にもあるだろ。身近なところでさー」
「あったかな」
「はぁ……」
そらとぼけた発言に対し嘆息する。
こっちは準備できてるんだぞ、とはもちろん言えなかった。
ここは澪から言ってもらわなければならないのだ。
「なんてな」
「へっ?」
流麗な動きで自慢の黒髪を揺らしながら澪は振り向くと、ひっそりと笑みを顔全体に滲ませて言葉を放つ。
「八月二十一日は律の誕生日……だろ?」
「やっとおも――」
「りっちゃん誕生日おめでとー!」
「うぉっ!」
バケツプリンに見入っていたはずの唯が突然抱きついてくる。
「律先輩おめでとうございます」
「りっちゃんおめでとー」
梓と紬からも祝福される。
「あ、ありがと。おまえは虫みたいに引っ付くな」
ポイッ! なんて効果音が聞こえてきそうな具合に唯を剥がして放る。
「あ~~~~うっ!」
「誕生日おめでとう、律。実はみんなでプレゼントを買ったんだけど」
「澪ちゃん。りっちゃんはしっんむぐっ……」
律は間一髪で、良からぬことを言いかけた唯の口を塞ぐことに成功する。
唯たちには自分が考えを改めたことをまだ伝えていなかったので、唯が今みたいな行動をとるのも無理はない。
それでも、澪の企みに付き合うと決めた手前、自分がすべてを知っていることは伏せなければならない。
それが自分の新たな企みなのだ。
紬と梓にはアイコンタクトという少々無茶な方法で方針転換したことを伝えようと、律は気付けと念じながら視線を飛ばした。
澪がいる前では口頭で伝えることは無理だったからだ。
紬と梓はワールドクラスの察知力を発揮したのか、小さく頷いてくれた。
それが理解したことを示した頷きであるかどうかは不明だが、律は安心して澪に視線を戻す。
「で、プレゼントがなんだって?」
「えっと、だからプレゼントを買ったんだけど……」
「お、おう! けど、その前にスプーン持ってきたらどうだ? 唯が食べたくてうずうずしてるぞ」
正確には唯がうずうずしているのは、口を塞がれていたからだ。
「しょうがないな。プレゼントはプリンを食べた後にするか。今取ってくるから」
澪が部屋を出て行くと、ネタバレの危機が無事に去ったことで安堵のため息が出た。
当然、三人にこちらの作戦の変更を説明するのも忘れない。
唯はいささか残念がったが、紬と梓は納得してくれた。
澪が戻ってきてからは律はなにも考えずに楽しむことができた。
バケツプリンを五人でちまちま食べたり(唯と紬が大半を食べた)、プレゼントの内容に声に出して笑ったり、五人で物真似大会をしたりと最高に楽しい時間はあっという間に過ぎ去った。
こうして二つの企みは共に成功したのだ。
その日の夜。お風呂から上がった律が部屋でくつろいでると、澪から電話がかかってきた。
「もしもーし」
『律、今平気?』
「げへへ、姉ちゃん。待ちくたびれたぜ!」
『間違えました』
「いや、冗談だって」
『まったく……』
「どうかしたの?」
『律、覚えてる? 初めての』
「初めてのおつかい!」
『違うっ! わたしの家で初めて誕生日会したときのこと』
「うん? 初めて……ああ大体は覚えてるけど。澪のだろ? それがどうかしたの?」
細部まで明瞭なわけではないが、編集されたビデオみたいに印象的なシーンだけが切り取られて頭に残っている。
あれはまだ二人とも小学生のときだった。
『夢を見たんだ。誕生日会の夢』
その言葉を聞いた瞬間、律の頭の中で記憶が雪崩のように奔流となって流れ、その中で記憶の断片が脳裏に映像となってよぎった。
「あたしも見たかも、夢」
『え?』
「誕生日会かわからないけど、雪が降ってた夢だったと思う」
『わたしの夢でも雪が降ってた。それと律が頭に雪を乗っけてた。もしかして同じ夢だったりしてな』
「どうだか……でもそうだったら凄いな」
『うん……』
そこまで話して澪との間に沈黙が訪れる。
その沈黙は律にとって心地の良いものだった。
それは相手が澪だからこそ感じられる沈黙だった。
電話越しに息を吸う音が聞こえて、沈黙の終わりを予見する。
『……誕生日会のこと覚えててよかった』
「忘れないよ」
『今日のことは?」
「きっと忘れないな」
『だといいけど』
「夢はすぐ忘れちゃうけどさ、実際に起こったことは簡単には忘れないだろ。それに今年で最後は嫌だしさ」
『じゃあ、また来年だな』
「来年になったら澪のを先にやらないとな」
その言葉に返事はない。
「なになに? 嬉しくて言葉が出ないとかぁ?」
『そ、そんなわけないだろ。……そろそろ寝ないと。おやすみ』
「もう寝んの?」
『そろそろ日付が変わるぞ。あとさ…………おめでとう、律』
予想外の言葉。
改めて言われると、どこかこそばゆい気持ちになって思わず顔も緩んでしまう。
このやりとりが電話でよかったと律は思った。
「澪」
『ん?』
「ありがと。それと」
――おやすみ。
お わ り
最終更新:2010年09月02日 23:37