夏休みも半ば。
今年の夏はどうにも暑い。
澪の自室にはクーラーがない。扇風機だけではどうしようもならない熱気に思わず項垂れる。
しかし塾の課題をやっつけなくてはいけない。そしてそれが終わったらオープンキャンパスへ行く準備。
澪「あー……図書館にでも行こうかな」
なんて、独り言を漏らしたとき、携帯電話が鳴った。
『ふわふわターアイム!』
唯からのメールだ。
澪は送信者ごとに音楽と着信画像を分けている。画像は、基本的にその人の顔写真。
音楽は、その人のイメージに合ったものや、その人自身の演奏曲など色々だが、唯の場合は彼女の歌っているふわふわタイムだ。
澪「いーなあ」
唯の可愛らしいポップな歌声が茹だった部屋に鳴り響く。
澪の歌は部内でも学内でも評判だ。
ファンクラブの会員からは「そこらの歌手なんかよりよっぽど上手いです」なんておだてられることもある。
だが、作詞者の澪としては、唯の声は理想だ。
澪の考える世界観に、ぴったりと当てはまる甘やかな声。
特に、澪は唯の歌う『ふわふわ時間』が好きだった。
澪「と、聞いてる場合じゃないか」
パカ、と携帯電話を開くと、派手なデコレーションメールで(最近はまっているらしい)、
“プールに行こうよ!”
とあった。
唯「つくつくほーし、つくつくほぉーし」
澪「ははは」
クリアーピンクのビニールバッグを振り回しながら虫の声を真似る唯に、澪は笑った。
唯「虫さんもリズム刻むんだねぇ」
澪「いや、ただ……」
ただなんとなく鳴いているだけだろ、と言いかけて、澪は口を噤んだ。
澪「うん、そう思ったほうが楽しいのかもな」
唯「うん!」
澪は唯のメールに対して、
“みんなは行けるって?”
と返信した。すると、
“ダメだよ!!!”
という返事がものすごい早さで来た挙げ句、畳み掛けるように「みんなにはナイショだから!」と電話が来て、
一体何事かと思ったのだが。
唯「行けば天国なんだけど、行くまでは地獄だねー」
そこまで遠くはないからと、徒歩で来たのは間違いだったのかもしれない。
もうすぐ着くはずの市民プールが遠く遠く思える。
澪「ホラ唯、帽子」
唯「ふえ?」
頭のふんわりとした感触に、唯は腑抜けた声を上げた。
澪「なんで傘か帽子を持ってこないんだよ」
唯「急いでて……。でも澪ちゃん、これ」
澪「私は平気だから。折りたたみの日傘も持ってるし」
ほら、とバッグから傘を見せる澪に、唯は目を輝かせた。
唯「さっすが澪ちゃん! けいおん部イチのしっかり者!」
唯の言葉に、澪は首を傾げた。
澪「そう、かな」
唯「うん、そうだよ!」
唯は自信たっぷりに頷く。
唯「りっちゃんはりっちゃんだし、ムギちゃんはちゃんとしてるけどぽわぽわさんだし、あずにゃんは後輩だもん」
澪「とんだ消去法だな」
唯「いやいやいや、でも憂や和ちゃんと同じくらい、澪ちゃんは頼りになるよぉ~」
澪「その二人と並べられると、なんか逆に恐れ多いな」
そうこうしているうちに、目的地であるプールが見えてくる。
けいおん部として二年半一緒には過ごしたけれど、唯と二人きりになることは今まであまりなかった。
律は幼なじみだし、梓とは意見の一致が多い。勉強の相談などでは紬。
最初はどうなることかと思ったが、意外と唯と自分は相性が良いのかもしれない。
そんなことを思いながら、澪は市民プールの門をくぐった。
唯「う~」
澪「な、なんだよ」
唯「だ、だって~……ズルいよ!」
ビシ、と胸を指さされて、澪はかぁっと頬を染めた。
唯「最近憂もすごいんだよ~なんだか置いてきぼりなんだよ」
澪「べ、別に唯だって小さくないだろ?」
唯「どうかな。でも、ビキニ着ると、あるほうがかっこいーんだもん」
そう言う唯だって、ミルキーオレンジのフリル付きのセパレートが十分似合っていて可愛らしい。
むしろ、もういう水着は唯くらいの体型でないと浮いてしまう。
澪「私なんかいつも暗い色ばっかだし……」
唯「大人っぽいし似合ってるもん」
澪「ていうか、むしろ私は唯の体質が羨ましいよ」
食べても太らないなんて、生まれつきのチート機能だ。
唯「胸は太ってもいいのになあ」
唯「まあ、悩んでいても仕方ないよね! 目の前には大海原が広がってるんだし!」
澪「プールだって」
唯「さあ、いざ行かん澪隊員!」
澪「私も隊員の仲間入りかよっ! ていうか走るなー!」
ぱたぱたと浮き輪を揺らして走る唯と、子供用のプールにいる幼児たちが同じくらいの歳に見える。
唯「流れる~プール~らんらん」
澪「って、逆流すんな!」
ぱしっと唯の頭を叩く。
澪「あ、」
つい、律にやるのと同じようなつもりでやってしまった。
澪「唯……」
唯「うおー、澪ちゃんのツッコミ一丁入りましたァ!」
澪「テンション高いな」
遠慮も杞憂だった。
唯「あー快適だねー」
澪「ラクだなー」
今度こそは正しい流れに乗って、浮き輪に支えられながらゆったりと水の中を進んでいく。
ギラギラの日差しは痛いが、下からの心地よい冷たさがそれを中和する。
唯「理由訊かない、の?」
澪「へ?」
唯「澪ちゃんだけ呼んだ、さー」
気持ちよさそうにふにゃふにゃと笑いながら尋ねる唯に、澪は立ち止まった。
唯「あわわ、後ろから人来ちゃうよー」
澪「あ、うん、つい」
唯「あれだね、いっそ乗っかっちゃおうか!」
澪「え?」
唯「ああいうふうに!」
唯の指さした先には、おしりをすっぽりと浮き輪の穴に入れ、脚を投げ出して波に揺れる子どもたちがいた。
澪「でも、ちょっとこわいな」
唯「みんなやってるよ、大丈夫だよ」
澪「でもひっくり返ったら……」
唯「助けるよー」
へらっと笑う唯に、澪は、思わず澪を助けようとして自分もひっくり返る唯を想像した。
唯「ああっ、なんか信用してないね? むむーそれじゃ、」
唯は少し考えた後、いやに真剣な顔をして言った。
唯「実はこのプールの中にはゆうれいがいるんだよ……足を引っ張ってくるんだよ」
澪「ええっ!?」
唯「だから浮き輪に乗っかってない人はゆうれいに狙われちゃうんだよ~こわいよ~」
澪「ひぃぃっ」
思わずプールから上がろうとした澪を、唯は止めた。
唯「だから、乗っかってれば大丈夫なんだよっ! ね!」
仕方なく、澪は浮き輪に乗った。
意外にも安定感があり、倒れても大したことはなさそうだった。
澪「おー自然に流れてるかんじがするなー」
唯「でしょでしょ、んでね、さっきの続きだけどね」
澪だけ呼んだ理由について、だ。
それについては澪も気になっていた。
他の部員がつかまらなかったからではなく、わざわざ二人きりにした理由。
なにか特別な相談でもあるのかと思ったが、それも澪にする理由はわからない。
でもきっとなにかがあるのだ、なにかが。
思わず澪は身構えた。
唯「あのね、前にりっちゃんとムギちゃんが二人で出かけたからなんだー」
澪「え?」
唯「それで、ズルイなーって思って」
思わず拍子抜けした。
唯「あずにゃんはあずにゃんで憂と純ちゃんと仲良しさんしてるし。だから私も澪ちゃんともっと仲良しになるんだ!」
澪「あ、そ、そうなんだ……」
なんともくだらない理由、といってはなんだが、澪の想像していたようなものとは全く違った。
しかし澪は思い出す。
以前、律と紬が二人だけで遊んだときに感じた気持ち。
二人のどちらにでもなく、嫉妬のような、悔しいような、おかしな気持ちになった。
それを唯は「ズルイ」と表現した。
確かに、的確だ。
澪「そうだな、そうしよう」
唯「うん、だからたくさん遊ぼうー!」
ほっぽり出しの課題は気になるけれど、今は大海原の中だ。小さいことは気にしない。
手で水をかいて器用に回転する唯に、澪は笑った。
唯「澪ちゃんはかわいいねー」
澪「え?」
唯「ゆうれいにびっくりしててもかわいいけど、笑ってるともっとかわいいよー」
意外な言葉に、澪は怪訝な表情をした。
澪「かわいいんだったら、唯とか梓だろ」
唯「えー?」
澪「私は、小さくもないし、言葉もキツいし、」
唯が「えー」と言って首を傾げる。それがなんだかもやもやする。
澪「ぼ、暴力的だって律も言うし、重低音担当だし」
唯「それは違うよ!」
言葉を遮られ、澪は唯のほうを見る。真剣な瞳が太陽にあてられてきらきらと輝いている。
唯「いけないことしたらみんなを注意したりして、しっかりしてるけど、ベースもうまいけど、
でもそれってみんなのためだから、だからそんな澪ちゃんはかわいいんだよ!」
唯の言葉はめちゃくちゃだ。
しかし、言わんとしていることがなんとなくわかったので、澪は「そうかな」と呟いた。
唯「そうだよ」
お得意の「フンス」のポーズで唯が頷く。
澪「唯が言うならそうかもな」
唯「うん!」
それからひとしきり流れるプールをぐるぐる回ったあと、ビーチバレーをしたり、子供用にプールに唯が突撃したりして、
二人は十分プールを堪能した。
体力も尽きて帰ろうとする頃には、人もまばらになり、『七つの子』の音楽が閉館時間を伝えた。
唯「ふー遊んだねえ」
澪「うん、久々だよ、こんなに遊んだの」
けいおん部恒例の合宿などはあったが、今年は受験勉強もあっていつもよりも家で過ごすことが多かった。
日が暮れるまで遊ぶことなんてめったにない。
唯「からすと一緒にかえりましょー、っと。あ、そうだ、澪ちゃんちまで送るよ」
澪「え?」
唯「もう薄暗いし、誘ったの私だから」
澪「い、いいよ! そんなの悪いし! それに私もかなり楽しんだし」
唯「でもでも」
澪「むしろ、私のほうが楽しんだよ。なんだろな、唯といると楽しいな」
しみじみと呟いてから、澪はハッとした。少し恥ずかしいことを言ったかもしれない。
唯の素直さに感化されたのだろうか。
唯「私も楽しいよ! だから……」
澪「あ、あれって憂ちゃんたちじゃないか?」
澪が指さした先には、憂と憂の友達らしき女の子二人が更衣室のほうへ向かっていく姿があった。
唯「あ、あれ? そうかな、人違いじゃないかなー」
澪「いや、あれは憂ちゃんだよ。憂ちゃーん」
澪が手を振ると、女の子が振り返った。
たしかにそれは憂だった。
憂「こんにちは澪さん」
純「こ、こんにちは」
憂と、憂の後ろに隠れた純がぺこりとお辞儀をした。
澪「憂ちゃんも来てたんだな。全然気がつかなかったよ」
唯「そうだねー」
頷く唯に、憂は目をぱちくりさせる。
憂「あれ、おねえちゃん流れるプールですれ違ったよね?」
澪「え?」
憂「なんか、シッシッとかされたけど……」
唯「!」
澪「え? 唯?」
澪が驚いて唯を見ると、唯は口を尖らせた。
唯「むうう~、憂ってば気が利かないんだから~。いや、気は利くけど……たいぶ……でも今は利かないんだから」
ぷりぷり怒る唯に、憂が苦笑いした。
憂「なんかわかんないけど……ごめんね、おねえちゃん」
唯「むむむむー、まあいいよ!」
憂が謝る必要はなさそうだが、と澪は思ったが、何も言わなかった、
憂「じゃあ、一緒に帰れるね」
唯「あ、でもそれは……」
憂「澪さんはたしか純ちゃんの家と同じ方向だから、二人ずつで安心だね!」
唯「うう~! うーいぃー」
別れ際、唯に「次は負けないよ!」と宣戦布告されていた純が混乱していたが、憂は何も言わずにこにこ笑っていたので
帰り道で澪がフォローするはめになったが、とにかく楽しい一日だった。
唯「澪ちゃん、また二人だけで遊ぼうね!」
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く_ノ ...._つ / .: :. :..丶:. . {:. ヽ
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最終更新:2010年09月08日 22:00