3 高2の唯と高1の憂
「好きだよ、憂」
優しい目。甘い声。暖かい手。
お姉ちゃんの身体が、私に重なる。
欲していた。
私はこれを欲していたはずなのに、どうしてだろうか。
お姉ちゃんは「好き」だとか「愛してる」だとかたくさん囁きながら、私を強く抱擁する。
愛しくて愛しくて堪らないというようなその腕は、いつもギターを抱えているその腕と一緒。
そう思うと少し、少し体温が上がるのがわかる。
お姉ちゃんは、私しか見ていない。
「あいしてるよ……っ、あっ憂、はぁ」
「ん……、私も」
あいしてる。
あいしてた。
いや、今でも好きは、好き。
ただ、
「……っ……、」
果てるとき、私は目を背らす。
疲労を引きずって起き上がった。
朝だ。
「……激し、かったね昨日」
「ごめん、ういー。痛かった?」
「ううん、気持ちかったよ」
「う、憂ったら~!」
お姉ちゃんが照れて布団に顔を埋める。
喜ばせるために言ったはずなのに、喜ばないでほしいな、と思った。
こんな関係になったのは、たしか私がまだ中学生のときだったと思う。
そのときのお姉ちゃんは、友達は多いけれど浅い付き合いばかりで、本当に気を許しているのは幼なじみの和さんくらいだった。
多分、もともと一つのものに深くのめり込む体質だったんじゃないかと思う。
それが、友達としては和さん、そして恋愛の対象としては私だったのだ。
「ね、お姉ちゃん、学校遅れちゃうよ」
「いいよ~少しくらい~」
お姉ちゃんは気付いてない。
私が遠くを見てることに。
「かあいいなあ、憂は」
「……」
愛しそうに髪を撫でられる。
私は黙る。
「好きだよ?」
拒否するのも疲れるから、
「私もだよ」
笑える努力だけしてればいいやと思う。
そうして調子を合わせて時間が過ぎて、そのうち学校へ行く時間になる。
それが待ち遠しい。
何故だか、
「じゃ、バイバイ! また家でね!」
別れたあとの背中、急にしがみつきたくなるような衝動が走る。
でも抱きついて、それでお姉ちゃんがこっちを見たときにはもうそれは消えている。
優しさなんていらない。
欲しいのに手に入れた途端に手放したくなる。
どうしてだか自分でもわからない。どうにもならない。
嫌いな訳じゃないのに。
好きなのに。
ギターを弾いている姉ちゃんが好きだ。
歌っているお姉ちゃんが好きだ。
けいおん部の先輩や、クラスの友達や、私の知らない人と話しているお姉ちゃんが好きだ。
一人でいるときのお姉ちゃんも好きだ。
それから、道端の犬と遊んだり、馬鹿やったり……いろいろ好きなのに、何故だろう。
ゆうべの情事でだるい身体とぼんやりした心のまま私は授業をやり過ごし、放課後を待つ。
「唯、今日こそ練習だぞ! 全く、昨日も全然しなかったんだから……」
「ええ~もうちょっとお菓子ぃ~」
通りかかった廊下の向こう。
お姉ちゃんと澪さんらしき人の声が聞こえた。
胸が高鳴った。
やっぱり好きだ。
私が思わず音楽室の前まで行って耳を澄ませていると、ドアの前の陰に気付いたのか、お姉ちゃんがやってきた。
扉が、開かれる。
「あ、憂ー!憂だワーイ!」
「ちょっ……唯先輩!? ダメです! 練習してくださいー!!」
お姉ちゃんが駆け寄ってくる。
縮まる距離に反比例して、心拍が減速した。
さっきまであったものが、さっと消えた。
「憂ヤッホー!元気?」
「元気って、今朝会ったばっかだよ?」
「そっかぁ」
「お姉ちゃん、練習しなくていいの?」
「いい! 憂に会うほうが大切だから!」
「……そう」
「好き好き大好き!」
「あ、はは。私も」
いつもの台詞。いつもの笑顔で。
私は笑ってる、はずだ。
「部活なんかいい。ずっと憂の側にいたい」
「……」
───笑いながら、思う。
“お姉ちゃんの言うことをまともに聞いてたら、頭がどうにかなっちゃいそうだよ”
私を見てないときのお姉ちゃんが好きだ。
私たちはものすごく近いところにいるのに、きっとずっと交われない。
3 終わり
4 働き始めた律と大学生の憂
眠いのか眠くないのか、白々明け始めた夜のもどかしさに律は目を細めた。
暗闇に慣れた目でもやはりぼやける視界の中に確かにいる憂を、ぎゅうと抱き締める。
その腕がきつかったのか、憂は「ぐう」と鳴った。
「痛いです」
「ごめん」
腕を放そうとすると、憂は『その潔さが物足りない』とでもいうように自分から抱きついてきた。
「好き」
絡み付く憂に律はくらくら崩れていく自分を感じながら目を瞑った。
ああ、眠いかも知れない。
「どうしてくれないんですか?」
「え?」
「いろいろ捨てて私はあなたのところに来ました。あなたが、欲しい」
「……」
囁くような甘い声に、落ちそうだ。
律は堪らず腕を伸ばす。温かい。
憂が言った。
「ねえ、何もかも捨てて私のこと愛してくれますか」
笑いの混じった色の無い声だった。
「そう、してるつもりだよ」
自身を確かめるように呟く律を無視して憂は言った。
「なんで私がこんな馬鹿なこと言い出したかというとね、あの人が言ったんですよ」
律は少し動揺を見せた。
「唯……か」
「他にいませんよ、私にそんなことを言う人」
律は動揺を打ち消すように「それはそうだな」と低い声で言った。
『憂のためなら全部すてるよ』
唯は憂にそう言った。真剣な瞳で。
「私はね、こう言ったんです」
“三文小説じゃあるまいし、そんなこと言われると興覚めする。
だって本当に捨てられるはずないじゃないか。本当に捨てられるの?”
唯は茫然としていた。不思議そうな顔で憂を見ていた。
まるで憂が異国の言葉を喋ってでもいるように。
「それを見てなんだか私はすごくイライラしたんです。だってお姉ちゃんったらちっともわかってないから。
だから言ってやったんです。
“そんな言葉で繋ぎ止めようとするなんてがっかりだ。つまらない。馬鹿みたい”って。私、酷いですか?」
「いや……」
否とも応とも取れる律の返事に、憂は眉を下げた。
「でも、同じ言葉でも律さんが言うとぐっと現実味が増しますね。だって律さんには捨てるものがない」
憂はバッと掛布を捲り上げた。そして笑う。
「地位も名声もなーんにも!」
憂はひとしきり笑ったあと、ぼふ、と律の上に覆い被さり耳元で言った。
「あの人には捨てるものが多すぎたんです」
トップミュージシャンの自分。父と母。友達。なにもかも。
それでいて本気で捨てようとしている唯が怖かった。
「だってあんな台詞は自分に酔っ払うためにあるようなものでしょ? 本気で思っていてもいざとなると逃げ出す。そうなる筈だった」
「私だって君を取ったよ、何よりも」
「……」
憂は答えない。
暗闇の中で、律は憂が悲しい顔をしている気がした。
「嘘も知らないまっさらなお姉ちゃんが怖かった。そんなのは、私には我慢ならなかった」
人はそうあるべきじゃない。
逃げ出した理由はそれだけではないかも知れないし、それだけのことかも知れない。
「あなたもそうでしょう?」
唯が怖い。真っ白なものを自分が汚すのが。
「それでも私は憂ちゃんを取った。もう後戻りはできないよ」
「いいえ、律さんにはまだ捨て切れないものがあります」
「ない…………」
「嘘吐き」
鋭い憂の言葉に律は顔を歪めた。
嘘じゃない。自分は、そういう意気地がないだけだ。
目の前にいる彼女のために全て捨てたのだ。口先だけのつくりものとは違う。
唯と同じくらいに……。
「あ……」
律は止まった。
しまった。自分には捨て切れていないものがある。それは。
憂の上擦った声が遠く聞こえる。
「ならどうして」
夜が明ける。逃げ道が光を受ける。
「どうして私を抱いてくれないんですか」
緩く注ぎ込んだ朝日に、中途半端に着衣の乱れた憂が照らし出された。
───それは唯だ。
4 終わり
梓「久しぶり」
憂「久しぶりだねー梓ちゃん。あ、服かわいー」
梓「ありがと。って、なんかこれちょっと前にもあったよね、こんなやりとり」
憂「三度目だね」
梓「あはは」
憂「ふふっ」
梓「私は滞りなく生活してるけど、憂はどう?」
憂「あ、今回は私のこと訊いてくれるんだ?」
憂「ていうか、さりげなく自分についての報告を省略したよね?」
梓「あはは」
梓「で、どうなの」
憂「元気だよ。学校もちゃんと行ってるよ」
梓「律先輩は?」
憂「お姉ちゃんのこと訊かないと思ったら、今度は律先輩なの?」
憂「梓ちゃんは本当にけいおん部大好きだね」
梓「そうじゃなくて。憂ありきの律先輩だよ」
憂「……」
梓「あ、ごめん」
憂「ううん。それも、まあ心配ないよ」
梓「心配ない、って……」
どんなふうになのか。
一体なにが起こっているのか。いや、いたのか?
疑問はいろいろとあるけれど、やっぱり私にはどうしようもできないことだ。
それに、ゴシップに対する興味と何が違うのかと言われたら反論はでしない。
だからきっと私は知らないほうがいい。
憂「あ、あとね、これから二年間、あんまり会えないかも」
梓「えっ、なんで!?」
憂「留学するんだ。やっと希望のところに行けそうなの」
梓「えー!? それってアメリカとか!?」
憂「ううん、スイスの大学。でも日本人はあまり行かないみたいなんだよね」
憂「だからちょっと不安なんだけど」
梓「いや、憂なら大丈夫だよきっと……でも」
でも、残された人たちは大丈夫じゃないかもしれない。
いや、このままでいるほうがいけないのかも。
それはわからないけれど。
それに――、
それに、なんでだか憂はもう帰ってこないような気がしている。
嫌な動悸が胸を疼かせる。
憂「あ、純ちゃん来たよ!」
梓「あ、ホントだ。ったくいつも遅れるんだから……」
憂「おーい、純ちゃーん!」
梓「はやくーっ! 映画始まっちゃうー!」
終わり
意味わからなくてすみません
お言葉に甘えて蛇足
くりぃむれもん的なものに憧れて書いた反省はしている
憂「お久しぶりです。お姉ちゃんのコンサート以来、でしたっけ」
澪「いや」
憂「あ、そうだ、律さんの家で鉢合わせたことありましたよね」
澪「……」
憂「澪さんが連絡くれるなんて珍しいですね」
澪「ああ。憂ちゃんが外国行くっていうから」
澪「律を置いて」
憂「……」
澪「いや、正直感謝してるよ、そこだけは。それ以外はあれだけどな」
憂「すみません」
澪「え?」
憂「律さんは親友ですよね、澪さんの」
澪「ああ」
憂「だから、すみません」
憂「私、お姉ちゃんが好きなんです」
澪「……っ」
澪「じゃあなんで律を、」
憂「律さんのことだって、好きでした」
憂「でも、みんなお姉ちゃんのことが好きなんです」
憂「律さんも、結局お姉ちゃんのことが好きなんです」
澪「いや、律は真剣に憂ちゃんのこと考えてた……!」
憂「いえ、身体の関係を迫ったら、きっぱり言われました。唯を裏切れないって」
澪「そんな……そんな、じゃあ律は結局憂ちゃんを振り回しただけじゃないか!」
憂「そうじゃないです。私が無理矢理言わせたようなものですから」
憂「そして、それを聞いて、ショックだったけれど安心したような気持ちにもなったんです」
澪「……よくわからないよ」
憂「自分でも、わからないんです」
憂「私を見てるお姉ちゃんは、違う。律さんや澪さんと一緒にいるお姉ちゃんは、すごく、すごく愛おしいのに」
憂「そういう関係になってから、お姉ちゃんは変わってしまった」
憂「私といると、おかしくなった。それもなにか私が悪かったのかもしれないけど」
澪「……」
澪「唯は、知ってたんだよな? 律とのこと」
憂「ええ。でも知らないふりをしてました。徹底して。こわいほど」
憂「律さんがお姉ちゃんとの関係を選ぶのを、わかってたみたいに」
澪「ああ。こないだ会ったときも“親友”だって言ってたよ」
憂「……」
憂「やっぱり、そのほうがいいんですよね。みんなに好かれるお姉ちゃんが私は好きです」
憂「それを阻害する私はどっかに行きます」
澪「そんな」
憂「冗談です。留学は勉強のためと、自分が成長するためです。もっとしっかりしなきゃ」
澪「してるよ」
憂「……。お姉ちゃんがいなくても、いいえ――いても、ちゃんとしていられるように」
結局私は心の中で用意してきた拳を振るうことはできなかった。
憂ちゃんは努めて明るく振る舞っていた。
実際になにを思っていたかなんて私にはわからない。
唯と憂ちゃんのことは高校のときからなんとなくわかってた。
律が憂ちゃんを好きなのもわかってた。
大学に入ってからのことは、律は私に詳しいことは教えてくれなかったけど、
澪「……頑張って」
憂「はい」
憂「行ってきます、お姉ちゃん」
終わり
最終更新:2010年09月13日 20:18