梓「こんばんは」
少し馴染みのある小さなバーを訪れた私
カウンターの中でグラスを拭いていた初老の男性、店のマスターが優しく微笑んで迎えてくれた
「お久し振りですね、梓ちゃん」
梓「学園祭やなんかでちょっと忙しかったんですよ」
「学生も色々大変ですね。今日は弾いていけますか」
梓「はい、少し場所を借りますね」
店内はカウンター席とテーブルが3つあるだけの落ち着いた雰囲気
まばらに座るお客様に軽く会釈しながら店の奥に向かい、壁際に置いてある椅子に腰掛けてギターを取り出した
ありきたりなフレーズをいくつか並べて指の感触を確かめてみる
梓「調子が良すぎるのも、少し複雑かも」
憂への想いを考えるとは無しに考えながら、弦を爪弾く
意識してか無意識なのかも分からないままに奏でるメロディーは「禁じられた遊び」
我ながら…なんてバッドチョイス
それでも悪くない旋律に、少し黒い愉悦に浸る自分もいる
やっぱり演奏者なんて碌なもんじゃない、と少し苦笑い
ふむ、今日の締めには更に自虐的にレフトアローンでも弾いてみようかな
♪~Left Alone 私は一人取り残されて
弾きながら、散々に乱れる心を感じる
もしこの想いが憂に通じたとしても、どうにもならない事は分かっている
同性に対する恋なんて、所詮は少女時代の幻想みたいなもの
♪~分かっているけど今はそれでいい
♪~ただ自分の想いに素直でいたいだけ
最後のフレーズを弾き終えると、いつの間にか増えていたお客様達から暖かい拍手を頂いて少し驚き
マスターが集めてくれた予想を上回る心付けを受け取り、店を後にする
なんか凄い満足感、うん
梓「父さん?」
店を出ると、目の前に小さく拍手をする父の姿
父「母さんから電話をもらってね。仕事帰りにこの辺りかと思って寄ってみたんだよ」
梓「よくこの店だって分かったね?」
父「梓の立ち寄る店は大体把握してるよ」
よく考えればこれは当然
この店だって初めて訪れた時は父と一緒だったし
父「それに表までギターの音色が聞こえてきたしね。娘の演奏を聞き間違える僕だと思うかい?」
梓「だよね。私の演奏どうだったかな」
父「昨日もいっただろう。いい音色を奏でるようになったね」
嬉しい言葉だけど、父の表情には少し寂しそうな色
出かける時に見せた母の眩しそうな表情を、ふと思い出す
梓「ふむ、私も少しは成長してるのかな」
私のギターケースを手に取り、軽く背負って父が歩きだす
父「僕としては、あまり急いで大人にならないで欲しいけどね」
娘は永遠の恋人、か…父親も辛いね
仕方ない、今日だけ特別だよ
私は父と腕を組んで、家路につく
父「あまり成長してない所もあるみたいだけどね」
それは貴方の肘に当たる私の身体の一部を指しているのかな?
…やってやるです!
翌日は爽快なまでの秋晴れの空
お財布も元気になったし、私は上機嫌で家を出る
いつも通りに待ち合わせの場所には、先に着いて待っている憂の姿
梓「ごめーん、お待たせ」
憂「ううん、今日は時間通りだよ」
なんだかいつも私が遅刻してるみたいじゃないか
…否定は出来ないけど
憂「それじゃ行こっか」
梓「うん」
二人並んで秋の街を歩きだす
もう少し寒ければ、自然にもっと近くに寄り添えるのに…ちょっと残念
天気が良すぎるのも考えものだよ、全く
映画館で招待券を引き換えると、上映時間までは少し間があるので、先にお昼を摂る事にする
昨夜のうちに調べておいたお店は、憂も気に入ってくれたみたいで先ずは順調
ネットの利用方法は怪しいグッズを通販するだけでは無いのだよ
それも否定はしないけど
その後はオープンテラスのあるカフェで他愛もないおしゃべりをしながら時間を過ごす
因みにこちらは憂のお気に入りのお店らしい
…誰と来てるのか、気になるじゃないか
そう言えば昨日の先約の相手が誰だったのかも聞き出せてなかったりする
全くダメダメだ、私
時間も頃合になり、映画館へ向かう
上映中の館内では、銀幕で繰り広げられるロマンスに見入る憂の横顔を時々盗み見てちょっぴり溜め息
憂って睫毛長いな…
しかし、見た目だけならかなり似ている平沢姉妹なのに、どうしてこうも違って見えるのか少し不思議
透き通るような透明感溢れる雰囲気の憂
対する姉の唯先輩は…なんだろう、上手く表現出来なかったりする
強いて言えば…子供の落書きみたいな雰囲気、かな
なかなか上手い表現に行き着いて少し満足
…我知らず吹き出したりしてないだろうな、私?
憂「素敵だったね」
梓「うん」
やっぱり憂も映画みたいな恋に憧れたりするのかな
…ちょっと寂しいかも
そんな私の雰囲気を察したのか、悪戯な微笑みを浮かべた憂が続ける
憂「梓ちゃん、映画の途中で少し考え事をしてたでしょ」
…バレてるし
梓「な、なんのことかな?」
憂「ごまかしても無駄だよ。ちょっぴりほくそ笑んでたでしょ」
梓「…ちょっとだけ、ね」
憂「うふふ、素直でよろしい」
梓「憂の前では素直じゃない私なんていないのかも」
憂「それはちょっぴり残念、かな」
…なんで?
しかしなんでバレたんだろう
そんなに笑ってたのかな、私?
そんな心の声が通じたのか、振り返りもせずに憂が囁く
憂「私も梓ちゃんの事を見ていたから、だよ」
…私も?
思わず隣りを歩く憂の顔に視線を向ける
憂「ん?」
そこにあったのは、もういつもの柔らかい微笑み
…やっぱり憂にはかなわないよ
憂「ねぇ、梓ちゃん!あれって結婚式かな?」
憂の視線の先には街中の小さな教会
表に停まった装飾の施された真っ赤なオープンカーまで届きそうにない少し短い人の列が見える
憂「行ってみよう、梓ちゃん」
ごく自然に私の手を取り、小走りに駆け出す憂
あの日と同じ温かくて柔らかい憂の手
ずっとこのままでいられたらいいのに…
教会に辿り着くと、新郎新婦の友人らしき女性が声をかけてきた
「良かったら一緒に祝ってあげてくれないかしら」
少し遠慮する私達に小さな花の入ったバスケットが手渡される
梓「いいのかな?」
憂「私達以外にもいるみたいだし、いいんじゃないかな?」
よく見ると、確かに私達以外にも急遽参加したと思しき人が結構いたりする
梓「…もしかして、周囲にあまり祝福されてない結婚なのかな?」
憂「そんな事ないよ。だって、あんなに幸せそうな笑顔だし」
教会の扉を開け、小さな階段の踊り場に現われた新郎新婦を見上げて憂が言った
どうして憂には私の心の声が聞こえるんだろう
そんな私を見て憂がちょっぴり苦笑いを浮かべる
憂「ダメだよ、梓ちゃん。今のは声に出てたよ」
…またやっちゃったよ。悪い癖だよ、全く
しかし、今のは?
だったら普段はどうして分かるのかな?
憂「ほら、梓ちゃん。お花の準備をしないと」
梓「うん」
花のシャワーを浴びて目の前を通り過ぎていった幸せそうな新郎新婦
今は車の前で親しい友人達からの祝福を受けている
私達同様、急遽祝福の列に加わった人々も口々に祝福の声をかけて教会を後にする
なんとなく立ち去りがたく、少し遠巻きに見ていた私達の前では花嫁のブーケトス
秋の空に高く舞い上がったブーケは花嫁の友人達の頭上を遥かに通り越して…って、花嫁気合い入れすぎだよ
やっと舞い降りたブーケは見事に憂の手に収まってたりする
一昨日は私のタコさんウインナー、今日は花嫁のブーケ
…偉い違いだよ
まだ結婚式の余韻の残る教会の庭先に佇む私達
憂「ねぇ、梓ちゃん。礼拝堂を見てみない?」
梓「いいよ」
まだ夕焼けには少し早い、それでも茜色を秘めた午後の陽光がステンドグラスを通して降り込む、今はもう誰もいない礼拝堂
手の中のブーケを見ていた憂が、ポケットから白いハンカチを取り出す
憂「少し小さいけどね」
穏やかな笑みを浮かべながら、広げたハンカチを髪に飾り、ブーケで口元を隠す憂
梓「花嫁みたい…だね、憂」
それはそう遠くない未来の憂の姿かも知れない
そう考えると少しほろ苦いね
梓「にゃっ?」
ほろ苦い想いに浸っていた私は、突然の呼び掛けに思わずマヌケな声を上げてしまう
…でも、中野梓って?
憂「ダメだよ、梓ちゃん。返事ははい、だよ」
梓「…はい」
憂「それでは改めて」
…これってなんなのかな?
憂「中野梓」
梓「はい」
憂「あなたは健やかなる時も、病める時も」
…あれ、これって
憂「富める時も、貧しき時も変わる事無く」
…ホントに?
それは全く自然に口をついて出た想い
梓「誓います」
憂「それでは誓いの口づけを」
ブーケを胸元に降ろし、瞳を閉じる憂
梓「…」
憂の唇に静かに唇を重ねる
憂との二度目のキスは私からの…続くはずの無い永遠を誓うキス
この想いはきっと少女時代の淡い幻想
そう考えると、私はやっぱり幸薄いのかも知れない…
それでも、この一瞬だってきっと永遠
だから今は素直に思う
私は幸せです
永遠を誓った小さな教会を後に、今は茜色に染まったいつもの河原の道を並んで歩いている
初めて憂とキスを交わしたあの日は、少し秋の気配を含んだ夏の風
今はほんの少し木枯らしを秘めた秋の風
隣りを歩く憂の足元に小さな子犬が戯れついている
しゃがみ込んで優しく子犬の頭を撫でる憂
憂「可愛いね、梓ちゃん」
梓「そ、そうだね」
実は犬や猫はちょっぴり苦手
なぜかあまり懐かれた試しがない…
私に懐いてくれるのは、あずにゃん2号くらいだよ
それにしてもワンコくん、そんなに尻尾を振ると千切れちゃうぞ
少し離れた場所からの飼い主の呼び掛けに応じて、憂の元から駆け去るワンコくん
憂「行っちゃったね」
梓「よく尻尾を振る子犬だったね」
立ち上がった憂はワンコくんの後ろ姿に小さく手を振る
憂「あのね、犬の幸せの数え方って、一生にシッポを振った回数だけ幸せなんだって」
梓「そうなんだ」
いつもの柔らかい微笑みを浮かべる憂の横顔を見て、ふとした思い付きを聞いてみる
梓「人の幸せの数え方もあるのかな?」
憂「うーん、それは少し難しい問題だね、梓ちゃん」
…だよね
少し進んだ先で芝生の斜面に並んで腰掛ける
あの日と同じ、二人重ねた掌が心地よくて
だから昨日の疑問を素直に聞ける私がいる
梓「ねぇ、憂。昨日の事なんだけど…」
憂「ん?昨日は一人でウインドウショッピングをしたり、お茶したりしてた、かな」
梓「あれ?だって先約があるって言わなかった?」
不意に憂がソッポを向いて小さく呟く
憂「だって、梓ちゃん。純ちゃんとの約束のついでに私を誘うんだもん」
梓「…え?」
憂「そんなの…ひどいよ」
あれ?これって…嘘!
憂がヤキモチを妬いてる!?
…え?ホントに?
梓「ちっ、違うの、憂!私は決してそんなつもりじゃ」
慌ててソッポを向いた憂の方へ回り込んだ私
しかしそこに見たのは、いつもの透き通るような瞳では無く、悪戯な色を浮かべた瞳とちょっぴり意地悪な笑顔の憂
…まさか
梓「…あの、憂?」
憂「エヘヘ、ウ・ソ・だよ」
…やっぱり憂にはかなわないよ、全く
憂「ごめんね、梓ちゃん。怒ってる?」
梓「…ううん、私の負け。怒ってないよ」
憂「昨日はお父さんの会社に届け物を持って行って、その時に今日の映画のチケットも受け取ってきたんだよ」
梓「それで夕方に駅前にいたんだ」
憂「うん。因みにこの事はお姉ちゃんも朝聞いてたはずなんだけどね」
梓「ハァ、またも唯先輩か…」
私が幸薄いのは純だけでは無く唯先輩のせいでもある、と今更ながらに確信
そんな溜め息混じりに複雑な表情の私を見て、小さく苦笑いを浮かべていた憂が突然なにかを思い付いたかのように呟く
憂「…そっか」
なんなのかな?
憂「あのね、梓ちゃん。さっきの答えが分かった気がする」
梓「さっきの?」
憂「人の幸せの数え方」
梓「え!本当に?」
憂「うん、ちょっといいかな?」
そう言って憂が私にもう少し近寄るように促す…耳打ちするような答えなの?
梓「なに?」
応じて近寄った私に憂が囁く
憂「あのね、きっと大好きな人と交わしたキスの回数、だよ」
そう囁いた憂の唇が私の唇にそっと触れる
梓「…あ」
なるほど、すると今の私の幸せは憂とのキス3回分の幸せな訳か
これって世界一幸せなんじゃない?
お し ま い
最終更新:2010年09月16日 22:13