朝、目覚ましの音で目を覚ました私は熱っぽかった。
体がだるく、頭が重くてボーっとする。
「風邪ひいちゃった……?」
体温計を汗ばんだ腋に挟み測定終了の電子音を待った。
こういう何かを待つ短い時間って妙に長く感じちゃう。
ピピッと鳴った体温計のデジタル画面を見ると平熱より2度近く高い数値を表示している。
「38度4分……完全に風邪だ」
学校は……どうしよう……。
「他の人にうつしちゃったらまずいよな……」
今日は学校を休もう。
ちょっと位休んでも問題ないよね。
「ママに連絡してもらおう」
ふらふらしながら一階に向かった。
階段は手すりを掴みながら慎重に。
台所ではママが忙しそうに朝食を作っていた。
私はちょっと弱々しい声で言う。
「ママ」
「あら、おはよう」
「おはよう」
ママって呼ぶ癖はまだなおらない。
ママは「お母さん」ではなく、「ママ」って感じだから……なんて言い訳だよね。
おまけにちょっと意味がわからないし。
「風邪をひいちゃったみたい……」
「風邪?」
「うん、熱も38度4分あるの」
「あら」
ママに対してだとちょっと口調が甘えた感じになっちゃう。
「学校はどうする?」
「今日は……休もうかな」
「そう、じゃあ連絡しておくわ」
「うん、私もう少し寝るね」
「わかったわ」
そう言うと私は自分の部屋に戻った。
階段を登っただけで息が切れてしまった。
部屋に入り再びベッドに潜り込む。
いつもなら慌ただしく学校に行く準備をしている平日の朝の時間に、こうしてベットに潜り込んでるってちょっと得した気分。
得した気分なんだけど……ふと軽音部のみんなが頭に浮かんだ。
「律ぐらいには連絡しておくか」
そう呟くと携帯を手に取った。
電話帳からではなく、着信履歴から発信する。
着信履歴の一番上には律の番号が居座る時間が一番長い。
その理由は言う必要もないよね。
もちろん発信履歴も一緒。
「もしもーし」
「あ、律。私」
「わーかってる。どした?」
「実は風邪をひいたみたいで……」
「え、風邪?」
「うん」
「へー、澪が風邪かー」
「ん?」
「いや、ちょっと珍しいなーって」
「そうかな?」
そういえばそうなのかもしれない。
自分がいつ風邪ひいたとか、一々憶えてないけどそんなになかった気もする。
「学校休むのか?」
「うん」
「そっかあ、澪休みかあ……」
「どうした?」
「いや、何でもないよ」
「……」
「みんなには私から伝えておくよ」
「うん、お願い」
「はいはーい」
切れた電話を耳元から離し、ふうっと溜息をついてみた。
「うう……だるい」
風邪をひいたら寝るのが一番。
そう思い、布団を掛け直し目を閉じた。
―――
――
―
「はいはーい」
そう返事をして電話を切り、食べかけのトーストをかじった。
電話をしている間にちょっと硬くなってしまった。
「そっかあ、澪休みかあ……」
さっきも言った台詞を声に出して呟く。
「ねーちゃん、先行ってんぞー」
「おーう」
機械的に返した返事のあとに玄間の扉が開いて閉まる音がした。
私もそろそろ。
椅子から立ち上がり、空いた食器を流し台に置いた。
スティックを差し込んだ学校指定のバックを背負い、さっきの澪との電話を思い出しつつ玄間にむかう。
「いってきまーす」
そう言うと扉を開け放ち、外に出た。
黙って通り慣れた通学路を歩く。
わざわざ待ち合わせなんてしなくても、澪とはいつも一緒になる。
別に意識してるわけではないけど、それが自然な事になってるから。
でも今日は一人。
いつもなら澪と話し、元気に振り回してる両手も今はおとなしく制服のポケットの中。
ちょっとうずうずしてる。
笑い声をあげながら歩いてる同じ学校の2人組を追い抜いた。
一人だと自然と速足になる。
楽しくお喋りをしながら歩く通学路はあっという間なのに、一人で黙って歩くと妙に長く感じてしまう。
今の私はすっごいおとなしそうな女の子に見えるかも。
別に普段明るく振舞おうなんて意識してるわけではないけど、みんなと……澪といると自然とそうなる。
そんなことを考え、追い抜いた人の数を数えながら学校へ歩いた。
―――
――
―
「おはよう、りっちゃん」
教室に入った私にムギが待っていたかのように声をかけた。
「おはよー、ムギ」
カバンを自分の席に置き、ムギの席に歩み寄った。
教室は話声で朝から賑やかだ。
「あれ?澪ちゃんは?」
「ああ、澪は今日休みだよ」
「え?休み?」
「なんか、風邪ひいたみたいでさ」
「そうだったの……」
「でも朝電話で話した時は元気そうだったから大したことないのかもな」
「そう」
ムギは安心したようにそう言うと、ちょっと微笑んだ。
「唯は?」
「唯ちゃんはまだみたいね」
「また遅刻ギリギリだったりしてな」
「憂ちゃんが居るから大丈夫じゃない?」
「それもそうか」
そう言ってる内に唯が教室に入ってきた。
「おはよ~」
「おはよう唯ちゃん」
「今日はちゃんと時間通りに来れたな」
「むう……いつもちゃんと起きてるもん。もちろん一人で!」
「わかったわかった」
「あれ?」
唯は話声で賑わう教室を一度見渡し、私達に向き直った。
「澪ちゃんは?」
「澪は今日風邪で休みだ」
「え?休み?」
ムギと同じリアクションだった。
ちょっと可笑しい。
「うん、朝携帯に電話きた」
「りっちゃんの携帯に?」
「おう」
「りっちゃんの携帯だけに?」
「そう……なのかな?」
そうなのかな……?
「ほほう」
「な、なんだよ」
「妬けますなあ」
「んな!?」
「あらあら」
「そ、そんなんじゃねーし!」
「りっちゃん赤くなってる~」
唯はからかうように微笑んでる。
ムギまで。
まさか唯にこの私がからかわれる日が来ようとは……。
「みんなおはよ~」
そうこうしてる内にさわちゃんが化粧ばっちりの顔で微笑みながら教室に入ってきた。
朝から御苦労様です。
賑やかだったクラスメイトは会話を切り上げ、小走りで自分の席に向かっている。
私も3列目の一番前の自分の席についた。
頭の後ろで手を組みながら、さりげなく後ろを見たけど……やっぱり澪の席はからっぽだった。
―――
――
―
再び目を覚ました時にはもうお昼をまわっていた。
やっぱりだるく、頭が重い。
いつもなら学校で互いのおかずをつつき合っている時間だ。
今まさにみんなはそうして居るのだろうけど。
その時ぐうっと漫画みたいな音が鳴った。
「あ……」
そういえば朝から何も食べてなかったっけ。
「ちゃんと食事もとらないとな……」
階段を慎重に降りた私は、リビングに向かった。
「ママー?」
返事はない。
ちょっと不安になった。
「あ、テーブルの上に……」
置き手紙とお皿に乗ってラップに包まれたご飯があった。
不安を紛らわすために手紙を声に出して読んだ。
「今日はどうしても外せない用事があるから悪いけど出かけるね。
何かあったらすぐに電話すること。
ご飯はテーブルの上に置いたけど、一応お粥も作って冷蔵庫にいれておいたので、
好きな方を食べてね。
夕方には戻ります。」
ママ出掛けちゃったのか……。
ちょっと心細いな。
風邪をひいてると余計にそう感じちゃう。
結局テーブルにあったご飯を食べた。
お粥は夕方にでも食べよう。
―――
――
―
食事を終えた私は再びベッドに戻っていた。
熱をまた計ったけど、まだ38度をこえている。
「今頃みんなどうしてるのかな」
時計に目をやると、もう昼休みは終わって授業が始まってる時間だった。
今日の分のノートを誰かに見せてもらわないと。
頼りは……ムギか和だな。
でもわざと律のノートを借りて、悪戯してやるのもいいかも。
いつも私のノートに落書きをするお返しだ。
でもまあ……律に貸して色々な落書きが書き足されて返ってくるノートは嫌じゃない。
むしろそのノートを眺めて一人で楽しんでる自分がいる。
律と向かい合うと怒っちゃうけど。
寝返りをうって布団を顔まで掛けた。
「学校行きたかったなあ」
今更ながらそう思った。
休み時間ごとに誰かの机の周りに集まり、他愛のない話をする。
他愛ないけど大切で楽しい時間だ。
今日はその時間もちょっと遠くに感じる。
みんなや……律でさえも。
みんないるのに私がいない。
そう考えるとちょっと悲しい。
なんだろう。
ただ風邪をひいて学校を休んだだけなのに色々と考えてしまう。
今朝律に電話をしたことを思い出す。
律は何でもないっていってたけど、残念そうな感じだったかな?
だとしたらちょっとうれしい。
なんて、ちょっと思いあがってみる。
はっきり言ってしまうと学校へはみんなと一緒にいるために行ってるようなものだ。
授業は二の次……という訳ではないけど、勉強より大切な事ってこういうことだと思う。
少なくとも私にとっては。
みんなもそうだといいんだけど。
もう今日の時間は戻らない。
風邪ひいた位で大げさかな?
そんなことないよ。
―――
――
―
退屈な授業が終わり、私達はいつもの部室にいた。
「紅茶とミルクティーどっちがいい?」
「ミルクティーで!」
「じゃあ、わたしも」
「わかったわ」
お洒落な食器に置かれたケーキ。
唯はミルクティーが淹れられるのを待たずに食べ始めている。
「おいし~」
「唯、ほっぺにクリーム付いてる」
「りっちゃん取って~」
「仕方ないなー」
ティッシュで唯のほっぺを拭いてると、梓が入ってきた。
「こんにちはー」
「あ!あずにゃん!」
「おーす、梓」
「もうすぐミルクティーがはいるわ」
「ありがとうございます」
一瞬置いて梓が言った。
「あれ?澪先輩は?」
「澪ちゃん今日風邪ひいて学校休んだんだよ」
「え?休み?」
梓まで同じリアクションかよ。
まあそうなるんだろけど。
最終更新:2010年09月17日 23:04