「お別れだね…のどかちゃん。」
「えぇ、お別れね…唯。大学でも、ギターがんばって。ライブ、観に行くわ。」
「うん。絶対だよ!?」
「ふふっ、約束する。」
唯と二人で、桜ヶ丘高校から下校する最後の帰り道。
思えば、今までが当たり前のように思えていたけれど。
それ自体が奇跡の連続だったんだと、今になって気付いた。
彼女は、いつの間にか私から巣立って、軽音部の皆という素晴らしい仲間を見つけて。
その仲間達とともに希望に満ちた春風に期待を膨らませ、胸を震わせている。
もう、居慣れた止まり木は必要ないのかも。
晴れて第一志望の国立大学に合格した私は、彼女達とは違う道に進む事になる。
…つまりは、この人懐っこい幼馴染の顔も、毎日のように見られるわけじゃなくなるのよね。
寂しくないと言えば嘘になるけど、二度と会えなくなるわけじゃないもの。
だから、泣くほど悲しい事じゃない。
「ねぇ、のどかちゃん。」
「なぁに?」
家の近くまで来て、突然彼女が立ち止まる。
「わたしにとって、やっぱりのどかちゃんは特別だよ。」
「どうしたのよ、改まって。」
真剣な顔で言葉を口にする唯がなんだかおかしくて
くすくすと笑ったら、口を尖らせてひどい、だって。
だって、ねぇ。私の中で唯のイメージって、いつも天真爛漫で、
ちょっと抜けてて、ドジで。でも底抜けに明るくて……
私の、心の支えだった。
私の家に遊びに来て、何故かお風呂場の浴槽を夢中になって
ザリガニで埋め尽くしていた幼稚園生の唯。
風邪で寝込んでいたとき、雨にずぶ濡れになりながら
配布物をわざわざ家まで届けてくれた小学生の唯。
立候補しようと思ってはいても、でしゃばりみたいになるのが嫌だったから
というつまらない理由で様子を伺ったままで動けずにいた私の背中を押すように、
学級委員に推薦してくれた中学生の唯。
そして、私の他にもたくさん友達ができたにもかかわらず、
お茶に誘ってくれたり、軽音部の皆を招いてのクリスマスパーティに呼んでくれたりと
なんだかんだ、私に構ってくれる高校生の唯。
遂に口には出せずに終わってしまったけど、唯の明るくて人懐っこい性格に私は何度も助けられてる。
けれど、大学からは…お互い別々に歩む事になるんだよね。
「唯。」
「ん?」
「ありがとう。私…唯の幼馴染で良かったって、心から思ってる。」
「のどかちゃん…わたしも、のどかちゃんの幼馴染で良かった!」
「これからも唯は、私の知らないたくさんの人と知り合って、友達になっていくのよね。
そしたら…唯の事だから、私の事なんか記憶の彼方にいっちゃうんじゃない?」
笑いを含んだ声でからかうように言ったはずだった卑怯な言葉は、湿っていた。
「…そんなわけ、ないじゃん。そんなわけないじゃん!!」
ぎゅっ、と体が締めつけられる。
それが唯に抱きつかれたからだと理解するのに、暫く掛かった。
「ひどいよのどかちゃん。わたしがのどかちゃんの事、忘れるなんて…ありえないよ。」
「ごめん、からかってみただけ…ぐすっ…ごめんね゛、ゆい゛……」
「ばか、のどかちゃんのばかぁっ…」
自分の掌が唯の頭を撫でる。やわらかな、少しクセっ毛の栗色の髪の毛。
女の子特有の甘い香りと、じわりとカッターシャツの胸元が生暖かく濡れる感触。
あぁ、そっか。
唯、泣いてるんだね。
私のために、泣いてくれてるんだね。
泣くほど悲しい事じゃないなんて、真っ赤な嘘だった。
できることならずっと、唯と一緒に居たい。
ぎゅう、と唯の体を抱きしめて、肩に顎を預ける。
彼女の体温が、優しさがじんわりと伝わってくる。
唯の前で泣く日が来るなんて、思わなかったな。
頬を伝って唇に触れた雫は確かに、しょっぱかった。
それからどのくらい、そのままでいたんだろうか。
どちらからともなくそっとお互いの体を解放して、
涙の軌跡が描かれたままで笑いあった。
そろそろ、帰らないと…。
「そろそろ、帰ろっか。」
「そうね。じゃあ、唯。」
「うん、…さよならは、言わないよ?」
「えぇ、私も。またね、唯。」
「うん。またね、のどかちゃん!」
満面の笑みで手を振る唯に翳りは無かった。
私も、不思議とすっきりした気分で手を振り返していた。
私の横でやんちゃに囀っていた妹のような雛は、
いつの間にか私を追い抜き立派な若鳥に成長して、元気に巣立っていった。
私も、もう縛られるのはやめよう。
想い出は縋るものじゃなくて、持ってゆくものだ。
今度は私が、あなたから巣立つ番よね。
ふと、唯の家の屋根を見やる。
誰もが見慣れているだろう、新たな生命のためにこさえられた泥と枯草の塊。
巣の主が甲高く囀りながら、夕日に鮮やかなシルエットを描いていた。
勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して
いま別れのとき 飛び立とう未来信じて
弾む若い力信じて この広い大空に
唯、大好き。
おしまい!
最終更新:2010年09月22日 21:49