小さな身体、ツインテール、極めつけは見知った形のギターケース。
人違いである訳がないけれど、その人影は私の声に反応を示さない。
イヤホンを外して私は走った。
そしてかなり近い距離から、わざとらしく改めて声を掛ける。
「あー!あずにゃんだー!」
追いかけていた後姿がピタリと止まった。
いきなり止まったら危ないよ?
「わぁ!?」
「きゃあ!?」
後ろから抱きつく格好になってしまった。
いつも通りと言えばいつも通りなんだけど、あんなことを悶々と考えていた後だから少し気まずい。
「あ、あははは。ごめんね?」
「もう、急にびっくりしたじゃないですか。」
「えへへ。たまたまお散歩してたらあずにゃんが見えたから。」
たははと笑いながら少し早口で説明する。
事実なのに言い訳をしている感覚が拭えないのは、やっぱりそういうことなんだろうね。
ぱっと手を離し、彼女が振り返るのを待つ。
時間にするとほんの一瞬のはずなのに、体感時間は酷く長い。
ゆっくりゆっくり時間が流れるような感覚。
まさにスローモーション。
こんなの、ライブの時以来だ。
後ろから射す沈みかけの太陽の暖かい光。
揺れる髪。
振り向き様の少しふてぶてしい表情。
その全てが愛おしく見えた。
「…。」
「唯先輩?」
「あ、ごめんごめん。」
誤魔化すように笑う。
続ければいいのに。
『あずにゃんがあんまり可愛いから何も言えなくなっちゃった。』って。
そんな軽口のような本音が容易に言えなくなったのはいつからだろう。
「そういえば散歩って…、そろそろ帰らないと憂が心配するんじゃないですか?」
「うん、丁度今帰ろうと思ってたところなんだー。」
なんの変哲もない会話。
寂しい気もするけど、これ以上の話は出来そうにない。
ふと無邪気にじゃれ合っていた過去に戻りたいなんて思うけど。
そんな過去、あったのかな?とも思う。
『無邪気に』じゃれあっていた過去なんて、振り返っても振り返っても出てこない。
今考えれば最初から私はこの子に惹かれていたのかもしれない。
「…。」
「唯せんぱーい?」
「ん、なぁに?」
「いえ、また黙っちゃったんで。もしかして具合悪いんですか?」
心配そうに覗き込むその飾りっ気のない顔。
そんな表情も可愛いなんて反則の域だよ、あずにゃん。
例えば写真を撮るための作り笑顔。
シャッターが押されてからカシャリと鳴るまで、
二、三秒の間維持し続けなければならないその笑顔。
私はああいうのが苦手。
誰かに見せたり見られることを前提とした作り物だから。
きっと今の表情は誰にでも見せられるものではない、なんて。
少し自惚れてもいいかな。
「ううん。平気だよ、ごめんね。」
心の中で
-変なこと考えて
と付け足しておいた。
「あずにゃんはどうしてこんなところにいるの?」
私は思ったままを口にした。
ギターを背負っているということはまだ家に帰っていない可能性が高いけど…。
「これは、実はちょっとお使い頼まれちゃって。あ、もう済んだんですけどね?」
「そうなんだ。ちぇー私も一緒に行きたかったよー。」
「先輩と買い物すると寄り道ばっかりで時間かかるから嫌です。」
ぷいとそっぽを向いて口を尖らせながら言うその言葉は、
本当なのか嘘なのかわからない。
他の子に言われたら笑って流せるのに。
ときにあなたの言葉は私を幸せにする。
ときにあなたの言葉は私を不安にさせる。
どうしてだろうね?
「ちぇー。あずにゃんってば酷いよー。」
「でも事実です。」
こんなやり取りが出来るのもあと少し。
残された時間を噛み締めるように過ごすか、全てを無に帰す覚悟で引き金を引くか。
ふざけ合ってる時ですら究極の二択で私の心は揺れている。
「じゃあ、そろそろ行くね?」
「あ、はい。」
そして結局、なんにも結論が出ないまま一日が終わるんだ。
「バイバイ。」
そんな言葉でずっと続けばいいと願っていた時間を終わりにした。
大丈夫だよ、また明日会えるから。
自分にそうやって言い聞かせて可愛い後姿を見送る。
夕焼け、大きな雲、緩やかな風。
思えばこれ以上ないくらいに穏やかな夕方。
そんな中、私はとあることを決意した。
もし、あずにゃんが振り返ってくれたなら。
私は引き金を引くよ。
きっかけを相手に委ねるなんてちょっとかっこ悪いけど。
それでもそのきっかけを定めたのは私、最後に勇気を出すのも私。
駄目じゃないよね?
「……。」
後姿を眺めながら。
ひたすらに思うこと。
「……。」
振り返って欲しい。
振り返らないで欲しい。
「……。」
どっちなんだろうね。
私にもわからないや。
「……。」
小さくなった後姿。
きっと、もう振り返ることはない。
「……。」
安心してるくせに、ちょっと寂しいような。
寂しいくせに、ちょっと安心してるような。
不思議な感覚。
「……。」
もうそろそろ帰らなきゃ。
ローファーが小石を蹴って道の隅へ転がる。
賑やかな商店街の雑踏にかき消されて、すぐに見えなくなった。
イヤホンを耳に。
そして私は逃げるようにその場を後にした。
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手を振り合う。
そして別れる。
これは自然な流れ。
さっきまで私は運命なんて信じていなかった。
だけど、大げさかもしれないけど、まるで奇跡のような巡り合わせに私は運命を信じざるを得なくなった。
あの人はちゃんと一人で帰れるのだろうか?
もちろん、もうそんな子供じゃないんだし問題ないんだけど。
それにしても先輩のことが気になり過ぎる。
心配、心配なの。
とことん素直じゃない私は先ほどの胸の高鳴りなんて
なかったことにして自分に嘘をつく。
もういいんだ、わかってるんだ。
きっと私は唯先輩にどうしようもなく惹かれていて。
初めて知ったこの感情の制御の仕方なんてわからなくて。
だから不完全な心の経過を反芻しているんだ。
「……。」
少しだけ自分の気持ちに正直になれた今の私には、
名残惜しんでいる気持ちを受け入れることができた。
また明日会えるんだから。
だけど。
最後に一度だけ。
きっとまだ私の後姿を眺めているはずだから。
そんな自惚れを胸に。
私は振り返った。
私の目に映ったのは少し大人な唯先輩の後姿だった。
「……。」
こちらを向いていないのは少し寂しかったけど。
夕日に照らされた先輩の後姿を見ることができたから…。
「まぁ、いっか。」
誰にも聞こえないように呟いて。
私は再び帰路についた。
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『想いを伝えるかもしれない』
そんな奇妙な状況で高鳴った胸の鼓動は今も尚収まらない。
残念、かな。
きっと。
怖かったはずなのに。
一度覚悟を決めるとこんなにも楽になるんだね。
また一つ大人になってしまった気がするよ。
装着済みの弾丸。
この言葉はどこに放てばいいんだろう?
くるりと振り返る。
もうあの子の姿は見えない。
「……。」
意味のないことだと分かっていても。
それでも。
「好きだよ、あずにゃん。」
私は夕焼けに向かって引き金を引いた。
口にした途端、急に恥ずかしくなって、なんとなくプレーヤーの音を上げる。
流れてくるのはさっきと同じ曲。
私があずにゃんと話していた間も、ずっと流れ続けていたんだろうね。
まるで私の想いを歌ったような歌。
‐Without you,I don't need anybody
もう、わかってるってば。
おわり
最終更新:2010年10月01日 23:49